「見てから避けられる距離」
――強くなりなさい、エリーゼ。
――誰も傷つけない、愛する人を守るために、強くなりなさい。
エリーゼの母は、幼少期のエリーゼに対し、しきりにそう言っていた。
それは、まだ、エリーゼが、夢も、希望も持ち合わせていた頃の話。
純粋無垢で。
健気で。
純真で。
そして。
人を信じ、人を愛し、人を頼ることができたときの話。
しかし、今のエリーゼは。
孤高の強さと引き換えに。
人との繋がりというものを、失くして。
そして同時に――飢えていた。
☆
ジョンとエリーゼが、同時に車両から跳躍する。
――が。
『―⁉』
その場にいた誰もが、エリーゼの俊足に驚愕する。
ついさっき、膝を屈めたかと思えば、次の瞬間には、敵方の懐に潜り込んでいたからだ。
それはまるで、エリーゼの行動と、自分の認識に通信遅延があるのではないかと錯覚するような、人間味を感じさせない速度だった。
「なッ――」と、少女に隙をさらした敵兵はうめく。
「アイッツ――!」と、予想を超えた先行をするエリーゼに、舌打ちするジョン。
戦闘とは、基本的にジャンケンである。
相手の「手」を見てから、こちらの「手」を決めた方が、どう考えたって有利に決まっている。
――もし、そこに例外があるとするならば。
それは――こちらが手を出す前に、勝負を決められたとき。
「遅い!」
エリーゼは、腹から怒声を放つと同時に、前衛である三人のうち、真ん中の一人に、横一閃を放つ。
斬。
瞬く間に、敵方の一人の体が、上下に分断される。
未だ、事態が飲み込めず、茫然とする敵兵。
しかし、現実は無情だった。
魔導人形は、過度な衝撃――そう、普通の人間が即死してしまうような事態に陥った場合、その構造を自動で破壊し、霧散させてしまうという機能がある。
人間の死体からは、およそ凡人には想像できないほど、無数の情報を敵方に与えてしまうため、そういった情報漏えいを防ぐための措置として、魔導人形全般に、そういった機能が盛り込まれている。
瞬く間に、まるでガラスが散るように原子を崩壊させる敵兵。
魔導人形の構成に使用した原子は、一直線に点へと上った後、可能な限り元の出撃室へと帰還するため、その様子はまるで、光の柱が打ち立てられたような光景となる。
この間、わずか一秒足らず。
瞬間の出来事である。
エリーゼの瞬発力、一撃の破壊力、どれをとっても並外れていた。
それゆえの、芸当。
驚愕のほかはない。
「ナめるなよォ!」
「!……」
エリーゼに向かい、怒号を発する人間が、一人。
エリーゼから見て、右側に位置する敵人である。
遅れて、――その怒号に鼓舞されるかのように――左側の敵人も、橋の上の砂利を蹴り、エリーゼへと疾駆する。
右側の男との距離は、およそ3メートルほど。
魔導人形を使用した魔法使いから見れば、ほんの少し、身じろぎにも似た所作で、手が届く距離。
だが、エリーゼには、それすらも緩慢に思えた。
――なにせ、まだ「見てから避けられる距離」であるのだから。
……そして。
置いてけぼりを喰らったジョンはというと。
エリーゼより若干遅いタイミング――ちょうど、敵人が斬られたときと同じ時間――に行動していた。
新幹線の屋根の上から、車体の脇を蹴り、線路へ急降下する。
瞬間、ジョンの視界に収まる、3人分の敵影。
一人は、エリーゼの右側にいる敵。
二人目は、エリーゼの左側、やや離れた位置に。
そして三人目は――遠く離れた、橋の脇に身をひそめる狙撃手。
ジョンの脳裏に、非常に多くの選択肢が浮かんだ。
どの方面から攻め、そして誰から攻撃するか?
エリーゼが駆けた、そのわずか1秒後に迫られる、数多の難題。
とりあえず、作戦通りに行くならば、エリーゼに今にも斬りかからんとしている、右側の敵人から攻撃すべきだ。
先ほどの怒号も――ブラフでなければ――多少なりとも感情が昂っていることの表れだろう。
と、いうことは……そこに付け込めば、《《気づかれることなく攻撃を加えられるかもしれない》》……!
そこまで考えたジョンは、体をやや右側に傾げ、視界の右側に位置する敵人に向けて跳躍しようとする。
できるだけ隠密に、気配を悟られないように――叩き斬る!
――だが。
――ふと、ジョンの視界に、小さな蛍光がチラついた。
その光の出自を見る前に、それがなんであるか、ジョンは予想がついた。
――狙撃手が、エリーゼを狙ってる。
そのことに気づいたジョンは、エリーゼに警告しようとする。
――が。
スナイパーライフルから、銃弾が射出される。
音はまだ聞こえない。
ジョンの目に、その光景が、あたかもスローモーションのように映る。
一直線に、一心不乱に、エリーゼへと向かう銃弾。
エリーゼはそれを。
《《まるで、未来を予知していたかのように、避けた》》。
――マジかよ!
と、ジョンの脳裏で警鐘が鳴った。
あんなもの、いくら魔法使いであっても、《《見てから避けられるものではない》》。
おそらく、敵スナイパーの思考回路を把握し、「いつ撃ってくるか」を予測し、攻撃に備えたのだろう。
あの距離ならば、「だいたいこのタイミングで撃って来る」というおおよその目安が付いていれば、なんとか避けることができる。
――だからといって、驚異的……!
尋常ならざる反応スピードだった。
おそらく、彼女――エリーゼは、常人とは比べ物にならないほどの、尋常ならざる経験を積んでいるのだろう。
でなければ、あんなの――避けられるはずがない。
――だが、しかし、避ければいいというものではない。
エリーゼは、上体を逸らして弾丸を避けた結果、そこから攻勢に出るにやや無理な体勢となっていた。
体を《《へ》》の字に逸らしているため、鎌を振ろうにも、威力は出ない。
敵方は――その隙を、狙う。
「甘く見おってェ!」
流線形に象られた剣――というよりは、巨大なナイフ、といった方が、イメージが伝わるだろうか。
片手で握れる「それ」を、敵人は、エリーゼに向け大きく振りあげる。
エリーゼは、その光景を、片時も目を離さず、視界に入れ続ける。
常人ならざる、脳の処理速度。
――いや、それは、処理しているというよりは、半ば条件反射のような行動だった。
相手の一挙一動に対し、全ての正解を得ているかのような、そんな挙動。
エリーゼの思考は、そのまま、常人の無意識と重なる。
上体を逸らせたエリーゼは、さらに体をくねらせ、右側の敵と距離をとる。
弾丸を避けた後、体勢を立て直す――かと、思われたが。
「ぐふッ⁉」
エリーゼは、なんと、背後にいた敵人の《《顔面を蹴りつけた》》。
まるで、体操のように。
上体を逸らし、両手を地に付かせたかと思えば、そこから両足を振り上げ、背後にいた敵へと、左足を振り下ろした。
まるで、バク転のように。
エリーゼに顔面を蹴られた左側の敵兵は、体を大きくのけ反らせ、致命的なまでの隙をエリーゼに晒した。
それもそのはずである。
まさか、この体勢から、自分の元へと反撃が来るとは思わなかっただろうから。
意識すれば、平然と避けられた攻撃であるが、……油断しているところに、不意打ちを喰らってしまう。
……とんだ連携だ、とジョンは歯噛みした。
まだ、ジョンが敵に接近しないうちから、エリーゼは、二手、三手と――先を《《行ってしまう》》。
協力もなにもあったもんじゃない。
こんな攻撃、見たことない。
戦況が有利に傾いているにも関わらず、ジョンの心情にはしこりが残る。
……と、同時に、先ほどまでの尊大な態度が、身分から来るものではなく、自身の実力に裏打ちされたものであることが、否応にも理解できてしまった。
エリーゼという少女の実力に、ジョンは身震いした。
「ふん!」
エリーゼに剣を振り上げていた男が、声を上げた。
エリーゼが、後方への倒立により、わずかに距離を置いてしまったとはいえ、それでも、まだ十分、剣が届く距離だ。
同時刻、剣を振り上げている男の元へ、もう少しで接触するという距離になったジョン。
彼は迷う。
――このまま斬るべきか?
――それとも、声を上げ、敵の注意をこちらへ向け、エリーゼを守るべきか?
普通の魔法使いが味方であれば、校舎を選び、戦力を確保するジョンであるが――今回ばかりは違った。
なんというか――負ける気がしない。
それは、単に、ジョンとエリーゼの実力が合わさった結果……という話ではない。
ジョンは、自分の実力に心もとない気持ちを抱いているが、ことエリーゼに関していえば、この状況で、敵にやられてしまうなんて考えられなかった。
それほどまでに、ジョンの目に映るエリーゼは、強く、逞しかったから。
だから、ジョンは。
あえて、無言で、敵に近寄り。
そして。
「せやァ!」
「⁉」
斬! と、敵人を叩き斬った。
エリーゼに気を取られて、ジョンにまで気が回っていなかったからだろうか。
ジョンが気配を悟られないように注意していたのもあって、難なく攻撃が通った。
途端に霧散する、相手の魔導人形。
すぐさまそれは、光の柱となって、その場より離脱する。
――残りは二人!
ジョンは、自身と敵との位置関係を把握する。
目の前にはエリーゼがおり、その少し前には敵兵が。
ジョンから見て右側、遠くの方に敵兵が――
――いない。
(あれっ?)
と、ジョンは一瞬、思考を奪われる。
橋壁に身を隠し、スナイパーライフルを構えていた敵兵は、いつの間にか姿を消してしまっていた。
なぜ? とジョンの脳内に混乱が巡る。
狙撃兵が姿を消した理由は二つ。
一つは、もう勝ち目が無いと判断して、さっさと退散してしまったか。
もう一つは、奇襲を仕掛けるために、場所を移動してしまったか。
順当に考えるのであれば、理由は後者だ。
生身での戦闘ならまだしも、魔導人形を使った戦闘においては、自分が倒されてしまうことによる損失はほとんど無い。
自分がやられることを恐れるくらいなら、1パーセントでも勝利の望みがある選択肢に全力を注ぐべきだ。
それが定石であり、常識である。
で、あるならば――!
――ふと、ジョンの視界に、《《闇》》がチラついた。
瞬間、ジョンは悟る。
――上に……いる!