「目の前で、女の子が倒れてる」
「そのブルーハーロンの、『蒼い火』を持ってこい。
……そうしたら、同好会の申請を求めてやろう」
リクトはさも温情のように言ったが、たまらずエリーゼは口を挟んだ。
「ちょっと、リクト、なに言ってるの!? そんなの……!」
「……無理、とでも言いたいのか?」
リクトが鋭い視線でエリーゼを刺す。エリーゼは、その「無理」という言葉を必死に呑み込みつつ、別の手段で抗議した。
「……同好会創設の許可と見合わないわ。あんなの、プロの魔法使いがスクラムを組んでやることじゃない。そんなこと言ったら、新しい同好会なんて誰も作れないわ」
「なら、諦めるんだな」
エリーゼを鼻で笑うリクト。
「さあ、エリーゼ。私はこうやって、同好会を創設するための明確なボーダーラインを示したぞ? それでもなお、私は間違っている、理不尽だと罵るつもりか? それなら結構。しかしどう言ったところで、負け犬の醜き遠吠えにしか聞こえないぞ?」
「……そんなこと、言ったって……!」
――無茶だ、そんなの。
――どう考えても、私とジョンの二人でできるわけがない。
エリーゼは暗い淵に落とされた気分になった。無理だ、できっこない。そんな言葉が、喉の奥に沸いては、必死に呑み込む。
ブルーハーロンといえば、どの図鑑にも「興味本位での刺激は控えるべし」と書かれているくらい、一度暴れたが最後、ちょっとやそっとじゃ抑えられない龍だ。その龍から炎を持って来いなどと……、無茶にもほどがある。
エリーゼは歯をギリギリと鳴らしたが、……同時に、疑問も抱いた。
――なぜ、自分はこんなにも、熱くなっているのだろう。
ジョンのために自身の感情を揺らすなど、凄まじくナンセンスだ。スマートさの欠片もない。
――なのに、なのに……!
エリーゼの胸中に、彼女にも形容できない、異質な感情が生まれる。やがてそれは膨れ、今にも破裂して、リクトを弾劾せんとしていた。
その感情の正体は、エリーゼには掴めなかったが。
なぜだか、ここで引き下がるという選択を、取れなかった。
――なんで、こんな男のために。
馬鹿らしいと一蹴したくても、振り切れないその思い。エリーゼはその感情の赴くまま、リクトに抗議しようとしたが……。
――その前に、あの男がリクトに不敵に笑った。
「面白え」
ジョンが、そう言った。エリーゼは呆気にとられ、ナターシャですらも驚愕の意を示し、リクトの表情からは先ほどまでの微笑が融けるように消えていた。
ジョンはリクトを指さす。自信の表れだ。
「やってやろうじゃねえか、その任務。テメエの難題、成し遂げてやんよ。
そして、文字通り今度こそ、お前が文句の付けどころのないような内容でもって、申請書に判を押してもらう」
ジョンはそう大見得を切った。……いや、ジョンにとっては、それは見栄ではなく、ある種の宣言であるのかもしれないが、傍から見れば、それこそ冗談のようにしか聞こえなかった。だが、ジョンは、「いつも通り」本気であった。
「……ちょっと!」
エリーゼは、無駄だと解りつつも、ジョンを諌めようとした。
「ジョン、貴方、リクトの手のひらで踊らされているのよ。こんな要望呑むことないわ。もし負けたら、またアイツ、貴方のこと鼻で笑うのよ。こんなの間違ってる!」
しかしエリーゼの言葉は、ジョンには届かない。……いや、届いてはいたが、しかし、それでもなお、ジョンは微塵の不安も諦念も見せなかった。
ただ、黙って、エリーゼの頭にポンと手を置いた。
急にそうされたことで、エリーゼは一瞬、頭が真っ白になる。
ジョンは、「あのときと同じ」自信満々の表情でエリーゼに答えた。
「引きどきくらい、理解しているつもりだ。そして今は、進むときだ」
「!……」
エリーゼは目を見張る。そう、それはまさに、エリーゼがジョンに対して、「明らかに不利な戦い」を挑んだときに放たれた言葉だった。
今だって、そのときだ。
退くときはちゃんと退く。危ないときはとっとと逃げる。
だが今は、進むときなのだ。
それがたとえ、鋳薔薇ですら生易しいほどの蛇の道であったとしても。
エリーゼは、その、ジョンの自信に満ちた表情に、……わずかに、心を動かされた。
「……そうね」目を伏せて。「……今は、進むときよね」
「ああ、そうだ」
ジョンはリクトを真正面から見据えて言った。
「やってやろうじゃねえか。ブルーハーロンの火だろうが尻尾だろうがそのものだろうが、なんでもこの学校に持ってきてやんよ」
「それはさすがにやり過ぎじゃないかしら」
「動物保護団体とかに怒られるな」
「この学校じゃ飼えないし」
「全く知性の欠片も感じられない」
「お前ら揃いも揃ってー!」
生徒会室に居た全員から総スカンを喰らったジョンだった。だがザックとエリーゼはこの状況に笑った。ああ、やっぱりジョンはこういう男なのだ、と、心のどこかで安心していた様子だ。
はあ、とリクトは嘆息する。さっさと諦めてくれることを祈っていたのだが、まさかこんなことになってしまうとは。
――まあいい。どうせ、後は結果を待つのみなのだ。ジョンが無惨に戻って来るのを待とう。
リクトはどっしりと腰を据えて待つ所存だった。
「決まりだな」
ザックがジョンに歯を見せた。リクトは「仕方ないな」と嘆息した。ジョンは相変わらず乗り気だった。リクトはジョンに告げる。
「アムスティアまではワープ装置で行くことができる。向こうには魔導人形が配備されている拠点があるからな。あとはこの校舎からカプセルポッドでアクセスできる」
「サンキュな、リック」
「精々頑張れよ」
リクトの皮肉を尻目に、ジョンとエリーゼはカプセルポッドのある教室まで移動した。
二人が生徒会室を去る。それを見送ってから、部屋に残ったザックはリクトに問うた。
「彼らのこと、どう思う?」
「どうもこうもないですよ」
テラスの国の人間らしく、目上の人間には敬語を使うリクト。彼は眼鏡を拭きながらザックに言った。
「まったく馬鹿げている。あの男は世界を変えると豪語したらしいですがね、私からみればそんなこと夢の中ですら恥ずべき妄言ですよ」
「ハッハッハ! エリーゼといいキミといい、頭の良い人間は愚痴を溢すときまで知性が垣間見えるな!」
「……皮肉ですか、それ?」
「いや、事実そうだと思うよ。これだから高尚な人間と話すのは楽しいのだ。俺自身、よく出来た人間ではないからな」
「……先生は、先生に成るに足る『実績』があるのでしょう」
「ときにリクト君」
「なんでしょう」
リクトは拭き終わった眼鏡を掛け、ザックに返事した。
「先ほどのジョンとの会話を見て思ったんだが……、
君は、ジョンに『個人的な恨み』があるのではないのかね?」
「……」
リクトの目が、瞬間、険しいものとなった。まるで、触れられたくない傷を突かれたかのように。
「……どういう、ことでしょう」
――心なしか、声が震えているように聞こえた。
「そのまんまの意味だよ。確かに、君の言う通り、ジョンは猪突猛進の冴えない男だ。
……だがしかし、時に厳しいことはあっても、全ての人間に誠実に接する君が、あそこまでジョンに反抗するとは、いったいどういう了見かと思ってね」
「……どうもこうも、そのまんまの意味ですよ」リクトは詮方ないとでもいいたげに嘆息した。「彼には同好会を創設するに足る器が無い。ただ、それだけです」
「本当に、それだけかね?」
「……何が言いたいんです」
尚も突っ込むザックに、リクトは噛みつくように返答した。
「先ほどの会話だってそうだ。君にしてはやや論理に無理やりな感が幾つかあった。
……それに、まともな生徒会長ならば、ブルーハーロンの火を持ってこい等と言うはずがないだろう?」
「だったら、止めればよかったじゃないですか」珍しく挑発するような素振りを見せるリクト。「そして私にこう言うべきだ。『いや、そのりくつはおかしい』と」
「生徒会は学校の自治の中心だ。できる限り教師は口を挟むべきではない。現にジョンはその条件を呑んだ」
「彼がブルーハーロンの火を持ってこれるとでも?」
「論旨を逸らすな。私が言いたいのは、つまるところ、君はジョンと過去の因縁があるのではないか、ということだ」
「……過去の因縁、ですか……」
リクトが黙り込む。どうやら、ジョンを過度に嫌うだけの因縁があるようだが、……なかなか口から出てこない。
しかし、このまま黙っているのも担任に対して不誠実であると考えたのだろう。詳細は口にしなかったが、リクトは、ただこれだけ言った。
「別に、……ただ、過去のことを忘れてしまっているような薄情な人間に、世界を救うほどの器なんてあるわけが無いと、そう思っているだけですよ」
「……」
……具体的なところまでは、聞けなかった。
その過去のことがいったいどういうことなのか、ザックは更に追求したかったが、それ以上は敢えて何も問わなかった。
――しばらくの、沈黙が流れる。ザックは腕組みをしたままドアの近くの壁に寄りかかり、リクトはリクトで、何か執務をするでもなく、黙って壁を見つめていた。
それから、しばらく経った頃、不意に、通信回線がリクトに入ってきた。
送信者の名を確認すると、そこにはジョン・アークライトと書かれていた。
「……なんだ、もう音を上げたのか」
不敵に微笑み、魔法で象られたタッチパネルの『スライドで通話』と書かれたボタンを横に引いた。リクトはジョンと通話する。
「どうした、ジョン。もうへこたれたのか、情けない」
リクトは早くもジョンの敗北を決めつけていた。
……が。
なにやら様子がおかしい。
リクトの耳に届くジョンの声は、どうも、音を上げている、……という風では無さそうだ。
リクトはその違和感に気づく。訝しみながらも、通信音声に耳を傾ける。
ジョンはリクトに問うた。
『……あのさ、リック、一つ訊きたいんだけど』
「手短に頼もうか」
やや間を置いて、ジョンはリクトに尋ねた。
――衝撃の事実を、あまりに呆気なく。
『――アムスティアってさ、戦争地域だっけ?』
「………………」
リクトは、そのジョンの言葉の意味を瞬時には理解出来なかった。
「………………は?」
――リクトは、そんな言葉しかでないほど、動揺していた。
☆
『そんなはずはない! 確かにブルーハーロンが生息しているが、あそこは比較的静かな地域のはずだぞ!』
リクトの叫び声が聞こえる。しかし、ジョンはその言葉がどうにも信じられなかった。ジョンは目の前の状況を告げる。
「……つってもさ、ブルーハーロンは怒り狂ったように空に大挙してるし……」
『大挙……だと……!? そんな馬鹿な!』
リクトは、ダン! と机を強く叩いたようだった。その音が、魔法を通してジョンの耳に直接伝わる。
『ブルーハーロンは近くの山脈の奥深くに生息している! そんな、空を飛び回るなど、あり得ない……!』
「俺も図鑑でそう読んだからさ、おかしいなーって思って……」
『なんだ、そこで何が起こっているというのだ……!?』
「それとさ、もっとヤバいことが起こってんだけど」
『……なんだ、それは』
「目の前で、女の子が倒れてる」
『な……!!』
またしても、想像を絶する一大事であった。リクトの声が裏返る。
『……それは、アムスティアに住む少女ではないのか?』
「つったってよお、このままほっとくわけにはいかねーだろ。あとさ、最後、一番ヤバいことなんだけどさ」
『……これ以上、何が来ても驚かないぞ』
「いやー、それがさー、コレ、本当にヤバくてさ……」
緊迫感のイマイチ伝わらないチャラさでジョンが告げる。そしてそれは、確かにとんでもなくヤバい事態だった。
「……俺ら、『空賊』に囲まれてる」
『!……………………』
――リクトは、絶句した。
 




