「偽物の誓いを立てると思うか?」
「却下だ」
――国立第四魔法学校現生徒会長、「スドウ・リクト」は、その端的な否定と共に、ジョンたちの同好会申請書を突き返した。
ジョンはもちろん、エリーゼでさえも、目を丸くし、現実を受け止めきれずに茫然とする。
……ことの経緯は、1時間ほど前に遡る。
☆
「ところでエリーゼ、コイツを見てくれ。これをどう思う?」
「すごい……馬鹿げてます……」
ジョンが「ヴァーン!」という感じで仰々しく見せた一枚の書類。
時刻は、昼の13時。
本日は授業が無く、いつもはガヤガヤと賑わう教室も、静けさに包まれていた。
国立第四魔法学校の各教室は、基本的に常時開放されている。
なので、これはちょうどいいとばかりに、ジョンはエリーゼに連絡を入れ、教室へと呼んでいた。
もぬけの殻と化した教室に到着し、ジョンの到来を待っていたエリーゼは、日頃の疲れからか、ウトウトとうたた寝をしていた。
ほどよく視界がボヤけてきたところで、不幸にもジョンが来襲してしまう。
安眠を妨害されたエリーゼに対し、ジョンが出した相談の条件とは――。
「同好会申請書、ねえ……」
エリーゼは、頬杖をついた姿勢のまま、用紙を眺め、要旨を確認した。
発足メンバーだの、顧問だのと細々とした内容の羅列された申請書。
手続きに関する面倒な部分は、あらかじめジョンが書いており、エリーゼに残された仕事は、自分の名前を、ジョンの名前の下に書くことだけだった。
罫線の伸びる先を見ると、エリーゼの肩書は「副会長」となっていたが――まあ、これに関しては、不可抗力であるし、気にしなくていいだろう。
――私の失態で潰れてくれたら、それはそれでラッキーだし。
「おい、エリーゼ、今ものっそい不吉なこと考えなかったか……?」
「早くこの同好会解散しないかしらねー」
「赤裸々にしろって意味じゃないから⁉」
ジョンのツッコミを華麗に流《スル―》しつつ、エリーゼはペンをとる。
先の対戦で、多少なりともジョンの実力を認めたエリーゼであったが、未だ、彼を信頼しているわけではなかった。
確かに、他の大多数の生徒と違って、生まれだけで人を忌避したりしないし、貴族ということで変に遜ったりするわけでもない。
……とはいえ、その程度のことで心を許せてしまうほど、エリーゼは単純な人間ではなかった。
エリーゼの中で、ジョンの存在は日増しに大きくなっていっているが、それと、今回の同好会活動に関しては、まるっきり別問題といってよかった。
だって……ほら、やっぱりアホくさいし。
ジョンとの一騎打ちに負けた際は、「この人なら……世界を変えられるかも(トゥンク)」という感じで、不覚にもドキッとしたのだが、冷静に考えてみると「やっぱり頭おかしい」という結論に落ち着いた。
とはいえ、乗りかかった船だし、興味が無いわけでもないので、ジョンが諦めるその日まで、できるだけ楽な場所で見守ろうという魂胆だった。
……まあ、それでも、以前のエリーゼのことを知っている人間が見たら、気が狂ったか、あるいは洗脳されたのかと疑ってしまうくらい、現在のエリーゼのジョンに対する対応は、破格もいいところなのだが……。
エリーゼは、油性ボールペンで名前を書きつつ、ふと、気になったことを尋ねる。
「……ところで、ジョン、顧問は誰になるの?」
「ザックだけど」
「あのハゲ?」
「聞こえてるぞ」
コツン、とエリーゼの頭を小突く大柄な男。
ジョンとエリーゼのクラスの担任、ザック・ディクソンである。
スキンヘッドにムキムキマッチョという強面でありながら、どこか親しみやすさを感じさせる風貌。
エリーゼは、背後の大男に対し、さして興味なさそうに返す。
「ああ、いたの?」
「おいおい、それはまた随分とご挨拶だなあ? 年上だからってあからさまに敬えとは言わないが」
「あなたたちの国では、目上も目下も関係なく接するっていうから、それを実践してみたの」
「お前フレンドリーを勘違いしてない?」
ジョンの呆れた物言いにも意に介さず、エリーゼはコトリとペンを置いた。
エリザベス・ヴォルフガング・フォン・デーベライナー。
それが、彼女の真名であるらしかった。
どうぞ、とエリーゼから渡された用紙を、ジョンは受け取る。
「えらく長ったらしい名前をしてるんだな」
「由緒正しいって言ってくれないかしら?」
同好会創設申請書を覗き見したザックは、顎に手をあて、「ふむ」と頷く。
「前から気になっていたのが……、名前に『フォン』という字が付いているところを見ると……君の家は貴族なのか」
「ええ。……もっとも、今は、貴族制度なんて、あって無いようなものだけどね。
時代に即さないっていって、奴隷制度が廃止されてからは、当然、封建領主としての税収も無いわけだし。
そもそも、ベルクの国は王政ではないし、騎士は皆、自警団か、もしくは傭兵としての役割しかない。他貴族の領に攻め入るなんてもってのほかだしね」
「じゃあ、お前のとーちゃんは何やってんの? ニート?」
「おーっと右手に持っていたペンがなぜかジョンの目に飛んでいくー(迫真)」
ガッ! とジョンはエリーゼの腕を掴んだ。
白く細いその腕は、しかしなかなか侮れない力を有していた。
インナーマッスルというやつであろうか。
しかし、ジョンの握力にはかなわないと悟ったエリーゼは、しぶしぶ椅子に座りなおした。
「芸術家のパトロンなんかもやっているらしいけれど、今はもっぱら議員として名を馳せているわ。ベルクの国の連邦議会の中でも、とりわけ高い地位にある名君よ」
エリーゼは自慢げに鼻を鳴らすが、――しかし、不意に、その顔が曇る。
「でも、……そこでも、『デーベライナー』の名が邪魔をする」
「そっか……。議員なんて結局は、実力よりも人脈だもんな」
「ベルクの国は、この日本みたいに議員同士の癒着で成り立っているわけではないからね。なんとかお父様も、今の地位を守れている。
……でも、この先どうなるか分からない。確定した安寧なんて、存在しえないもの」
「そうだな……」
フウ、とジョンは肩を揉んだ。
エリーゼの顔に、暗い影が落ちる。
ザックは、自分の教え子を心配し、励ましの声をかけようとした――が。
「なに落ち込んでやがる」
ジョンが、エリーゼの肩をポンと叩く。
驚いて、エリーゼは振り替えた。
彼女の目の前には、ジョンの、やる気に満ちた勇ましい笑顔。
彼は、白い歯を見せ、得意げに語る。
「《《その不確定な未来を、幸せへと導くために、お前は戦っているんだろ?》》」
「!……」
……ジョンの言葉に、エリーゼはハッとする。
――そうだ、ジョンの言う通りだ。
――私は、この腐ったレッテルを剥がすため、国立第四魔法学校に来たのだ。
「言ったじゃねえか、エリーゼ。俺は世界を変えるって。
お前の因縁ぐらい、変えられないと思っているのか?」
「……そうね」
エリーゼは、わずかに瞳に滲んだ涙を拭った。
それから、わずかに微笑む。
「つまり、あなたが私を養ってくれるって解釈でオッケー?」
「ちょっと待て」
いきなり話が飛躍した。
雰囲気ぶち壊しである。
「え、そういう話じゃないの? あなたが私の家を養ってくれるから、私は安心してニートしていいってことじゃないの?」
「うわあ言ってることは普通の家庭と同じなのに言い回し一つでここまで印象最悪になるとかお前ホント最高だな」
あと家まではさすがに責任持てない。
「えー、なによー、むしろ感謝しなさいよー、私と一つ屋根の下で暮らせるとかー。同じ部屋で寝るとは言ってないけどー」
「まったく望んでない上に要らん釘まで刺された⁉」
「そもそもあなたに出来る未来の変革なんてその程度でしょう? 働きなさい、私のために」
「甘ェな、エリーゼ!」
ジョンは威勢よく席を立ち、ついでに靴を脱いで椅子に立つ。
「俺の未来設計はそんな甘っちょろいモンじゃねえ! なにせ、俺にはドデカい夢があるんだからな!」
「はいはい、凄いわね、さっさと同好会作りましょ」
「いや真面目に聞けよ⁉」
「あ、そうそう、できるだけ騒音の少ない部屋を確保してね。私専用のベッド置くから」
「面倒事全部丸投げしたうえに休憩室扱いされた⁉」
ぐぬぬ……とジョンは歯を噛む。
しかし、グッと堪え、続きをしゃべる。
「いいか、エリーゼ! 俺の野望はなにも抽象的なものじゃない! 本当に、丸っきり世界を変えてやるんだからな!」
「そうね、世界が変わったら起こして」
「いやお前も一緒に変えるんだよッ!」
「ぬー……」
ジョンのやる気に気圧されたエリーゼは、仕方なく、彼の言葉を聞く姿勢に入る。
非常にめんどくさそうな表情で。
「いいか、エリーゼ、ザック。
まず第一段階として、この学校を変革する!」
「それはまた……なんで?」
「まずは小さなところからコツコツとってとこだな。住む環境が変われば、後々の壮大な計画にもプラスに働きそうだし」
「いや、あの……ぜんぜん小っちゃくないのだけれど……。
……まあいいわ、それで?」
「学校を変革し終わったら、次に変えるのは学校だ! この日本に八つある国立魔法学校を、俺たちと共に世界を変える一大集団に仕上げる!」
「なんかただでさえうさん臭いのにいよいよ信用持てなくなってきたわね……」
というか、とエリーゼは口を挟む。
「なんで学校に手を伸ばすのよ? 国の施策とはそこまで関係なくない?」
「いいか、エリーゼ? 理由は二つある」
「どちらも信憑性には疑問があるけれど……、まあ、聞くだけ聞いとくわ」
「まず、一つ。国立魔法学校といえば、未来、日本や世界に羽ばたいて活躍する人材を生む名所だろう? ということは、将来、政府高官や、もしくは大企業の幹部になる人間だっているはずなんだ。だったら、いま、学生の段階から、仲間に引き入れといた方が良いじゃねえか」
「……意外、あなた、まともな見通しを持っていたのね」
「ヘヘン、まあな」
「そもそもそういう人たちと懇意になれないっていう問題点があるけどね」
「そこは、まあ、ほら、エリーゼのネームバリューとかあるじゃん?」
「……なんか、文句を言いたいのにヤケに合理的なのが癪ね……」
呆れるエリーゼを尻目に、ジョンは続ける。
「八つの学校を占拠したら、いよいよこの日本を相手にするぞ? まずはオキト区を手中に収め、それからどんどん活動の場を広げていく」
「ちょっと待て、ジョン、その言い方だと侵略者と変わらない気がするが⁉」
「そうよ、どうせだったら選挙で独裁できる位置を勝ち取りなさいよ」
「いや、エリーゼ君、君もそういう物言いはだな……!」
「あン? なに言ってんだ、国の議員の一人になったところで、この国をどうにかできるわけないだろ? 非現実的だ」
「うわあ一番非現実的なことを宣っている人に現実を諭された……」
「そして『占拠』とか『独裁』とかは言い直さないのか……⁉」
エリーゼとザックが困惑する中、ジョンの舌峰はヒートアップする。
拳を握り、熱弁を振るう。
「学校に俺らの意志を伝播しながら、同時にこの日本の革命も進行させていく! 手始めに、隣接地域である『アムスティア』、今もなお戦乱が続く『フロントブリッジ』、そして、日本有数の強豪が集うといわれる魔界、『サイドビーチ』を制圧する!」
「ちょっと待って、ジョン、こっからだと場所的に『サイドビーチ』が一番近いじゃない。先に突撃するべきじゃない?」
「だって強いじゃん。戦力的にかなりの強者を引き込まないと迂闊に攻められない」
「そんな理由なのか、ジョン⁉」
「なんでそういうときに限って現実的なの⁉」
「なに言ってやがる! 俺は徹頭徹尾現実的だッ‼」
「「頭痛が痛い……!」」
ジョンの荒唐無稽な物言いに、エリーゼが額を抑えた。
ジョンの演説にも似た作戦説明は、いよいよクライマックスを迎える。
「そうして、北は『アポリア』から南は『ハルモニア』まで傘下に収め、日本を征服した後は、諸外国に手を伸ばし、最終的に、ラスボス、『セントラルタワー』を攻略する! それが俺の野望だッ‼」
ワーッという歓声が聞こえてきそうな、ジョンの大発表。
しかし現実は、「うわぁ……(ドン引き)」という感じだった。
「正気の沙汰じゃないわ……。理解に苦しむ」
「う、うむ……。夢があるのはいいことだが、これはあまりにも……!」
エリーゼもザックも茫然としていたが、相変わらずジョンは得意げだった。
二人がどれだけ反対しようとも、断固として決意は変わらないという意気込みだ。
エリーゼとしては、ジョンに試合で負けたことがこれほど負担になるなんて……という気持ちでいっぱいであった。
ジョンの説明が終わったのを確認したザックは、恐る恐るといった風にジョンに尋ねる。
「それで……、その同好会の顧問を、私に頼みたいということだな……?」
「他にどんな用がある?」
「ぬぅ……」
ザックは明らかに口ごもっていた。その理由は明白である。
単純に考えて、ジョンの野望が成せるとは思っていないのだ。
これが、例えば州知事だったり、あるいはこの日本でいえば国会議員になるとか、そういった役職に就こうとしているのなら、まだ分かる。
だが……ジョンの掲げる夢は、そんな生易しいものではない。
もちろん、同好会の顧問になってやることは簡単だし、ザックが支持せずとも、ジョン一人でたいていのことはやってしまうだろう。
……だが、それはザックの誇りが許さない。
「やるなら全力で」、が基本理念のザックである。
そんな甘い決意で、同好会の顧問になる気はない。
ザックが返事を決めかねているところに、先にエリーゼが答えを返す。
「……ま、乗りかかった船だからね」
エリーゼは手をヒラヒラさせつつそう答えた。見た目にはやる気がなさそうだが、かといって嫌がっている風には見えない。
エリーゼはさらに、自分の決断が、自分の意志によるものであることを強調する。
「……ちょうど私も、私の一族のクソッタレな偏見を剥がしたいと思っていたところだしね。
いいわ、あなたの船に乗ってあげる。舵取りは任せるわ」
エリーゼの言葉に、ジョンは歯を見せ頷く。
「バッチリ見とけよ、なんたって特等席だからな」
「舐めないで、私も乗組員よ」
先ほどまで悪態を吐いていたエリーゼであるが、その言動から、成り行きでジョンに付いていったわけではないことがすぐに分かった。
もちろん、勝負に負けたという約束もあるのだろうが、エリーゼの言葉に嘘は無い。
悩みに悩んでいたザックは、二人のやり取りを見た後、ジョンを試すように、鋭い視線を向けた。
「……ジョン、君の意志は本物か?」
「俺はジョン・アークライトだぜ? 偽物の誓いを立てると思うか?」
「今はそうかもな。だが途中で諦めたりはしないか?」
ザックの問いを、ジョンは挑発するように鼻で笑う。
「その程度で折れる希望だったら、そもそもこの学校にはいない」
「……」
ザックは、さらに目を細め、ジョンを見定めたが……。
その顔は、不意に弛緩した。
「ハッハッハ! そうかそうか!」
ザックは、口を大きく開け、呵々大笑した。
なにがそんなにおかしいんだ、とジョンは不思議な顔をする。
「いやぁ、すまない、ジョン。今まで俺は色んな生徒を見てきたが、そこまで大それた野望を抱くヤツはいなかったものでな」
「だから世界が変わらねえんだよ」
「まったくだな!」
パン、とザックはジョンの方を叩く。それから揚々とした軽さで、机に転がっていたボールペンを握った。
「思えば、俺も温くなったものだな。だが目が覚めたよ」
「俺の熱さでか?」
「|That's right!《そのとおり》! 思えば、俺はずっと、君のような生徒を求めていたのかもしれない」
「俺も、あんたみたいな熱い教師が担任で良かったよ」
「言ってくれる!」
ザックはドン! とハンコを押した。
記入が終わった用紙をジョンに手渡す。
「ほれ、これで良いんだろ?」
「恩に着るぜ、ザック」
「おいおい、それはないだろう? 教師として当然のことをしたまでだ。これは借りじゃない、漢の約束だ」
ジョンとザックが、共に筋肉質な手をギュッと握り合う。
その暑苦しい光景に、見てるだけで咽そうになるエリーゼであった。




