「子供じゃないんだから」
眠りに落ちるような浮遊感と、全身に炭酸を浴びたかのような刺激。
相反する二つの感覚をいっぺんに味わって、着いた先は演習場だった。
ジョン・アークライト少年は、地面に降り立ったあと、感慨深げに周囲を見渡した。
「ここが国立第四魔法学校の演習場か……!」
魔法使いが腕を競うための、円形状の戦闘場。一応、長方形の白線が引いてあるが、あくまでいくつかの競技に必要な代物であり、外に出てはいけないという決まりは無いらしい。
視界の周りには、高さ十メートルはあろうかと思うほどの、巨大な白い塀がそびえていた。
加えて、聞いた話によると、高さ三十メートルほどの、ドーム型の魔法結界が張られているらしい。
これなら、多少激しい戦闘をしようとも、周囲に危害を加えることはないだろう。
なるほど、周りを気にすることなく、存分に己が力を試せるというわけだ。
ジョンは、多少の高揚感と共に、ワクワクとした思いでいっぱいになり、逸る気持ちで土を触ってみたりした。
湿ったような、ひんやりとした感覚がジョンの手に伝わる。雨でも降っていたのだろうか。
試しに土を掘ってみたりする。魔導人形の握力は馬鹿にならず、さっくりと土を掴めてしまった。
「……止しなさいよ、子供じゃないんだから」
――そんなジョンを、呆れた様子で見る少女が一人。
土の感触を確かめていたジョンに、不意に、上から声がかかる。
顔を上げてみると、ジョンの目の前に、黒いゴシックドレスで着飾った少女が立っていた。
ジョンは、自身の醜態をごまかすこともなく、平然と片手を挙げた。
「よう、エリーゼ、遅かったじゃねえか」
「レディの着替えは時間がかかるものなの」
「……着替えっつっても、魔道装甲は自動で構成されるだろ?」
「……その、脱ぐのに時間がかかって……」
「そっか、ゴワゴワするもんな……」
エリーゼが恥ずかしそうにもごもごと回答した。
ジョンの場合、上着をロッカーに放り込んでスーツを着るくらいでよかったが、エリーゼの場合、自身の着ていた私服を綺麗に折りたたむ手間が生じていた。まあ、だからなんだという話だが。
「……にしても」
ジョンはエリーゼの服装をまじまじと眺める。
先の電車での戦闘でもチラリと見たが、改めて観察すると、どうしても戦闘に向いている衣装には思えなかった。
なにせ、ゴスロリである。フリフリである。スカートが膝の下まである。
ジョンの視線が気になったエリーゼは、見下げたまま彼に問う。
「……どうしたの?」
「いや、それさ、そのドレス、戦いにくくない?」
「……あんた、無知もいいとこね」
エリーゼはこれ見よがしにため息を吐いた。
さすがにもう慣れたのか、この程度の侮蔑でいちいち気にしなくなったジョンであった。
ちょっとイラッとくるけど。
「いくら私がゴスロリ好きとはいえ、敏捷性を捨ててまで衣装にこだわったりはしないわ。
これね、すごい技術で作られててね、着用した主の運動に合わせて、自動で生地が動くの」
「マジか、便利だな」
「フフン♪」
素直に褒められたエリーゼは、両手を腰にあて胸を張る。
「例えば前傾して走ろうとすると、スカートの生地が、まるで縮んだかのように折りたたまれるの。便利でしょ? 体育着を着ているのと大差ないんだから!」
「へえー」
ジョンはうなずいた後。
「じゃあ胸が薄いのも生地のおかげなのか?」
ズガン! と雷鳴にも似た轟音が響いた。
ちょうど、ジョンの目前、もっと言うとつま先に、エリーゼの大鎌が突き刺さっていた。
さすがのジョンも、いきなりの奇襲に冷や汗をかいていた。
恐る恐るエリーゼの顔をうかがうと、――なんというか、悪鬼羅刹を体現したみたいな感じになっていた。
具体的に言うと、顔は闇に包まれ、目だけがギロリと紅く光っていた。
ギザギザに歪んだ口からは蒸気のように吐息が漏れ、そこから地を這うような声が轟く。
「……胸が……なんだって?」
「え、あ、いや、む、胸元のリボンがキレイダナーって……」
『おーい、準備できたかー!』
恐々としていたジョンに、タイミングよく助け船が渡ってきた。
エリーゼは露骨に舌打ちし、唾をペッと吐き出した。貴族の令嬢としてその行いはどうなのだろうか。
ジョンはこの話題をさっさと切り上げるため、声の主――ザック・ディクソン――に応答する。
「おーう! 準備バッチシ! いつでも始められるぜ!」
『そうか! エリーゼの方は?』
「私も大丈夫ー! こんな茶番、さっさと終わらせましょう!」
『ハッハッハ! 期待しているぞォ!』
エリーゼの毒をサラッと受け流すザック。
それからジョンとエリーゼは、共に演習場の決められた位置についた。
野球場のピッチャーが立つような白線に立ち、遠くでたたずむエリーゼを見据える。
ジョンは片手を上げ、電車の上にいたときと同じような口上を述べ、魔導装甲を召喚した。エリーゼは、すでに召喚を終えていた。
「あんたは卑怯な手段を使う男じゃないって分かってるけど、奇襲されてやられても困るしね」
そう、エリーゼは言っていた。もちろん杞憂に終わったが。
それから、ジョンが身の丈はありそうなほどの巨大な大剣を召喚し終えたのを確認したザックは、放送機材であるマイクを片手に、大音量で、場内に案内を流す。
『ただいまより、ジョン・アークライトとエリーゼ・デーベライナーの公式試合を始める‼』
ザックが宣言すると、ジョンとエリーゼの目の前に、魔導性のホログラムウィンドウが現れた。
『Touch to the Fight』という赤いパネルが見え、その下にはメッセージが右から左へと流れている。
『これより試合を開始します。準備ができたらパネルをタッチしてください』
その表示を見て、ジョンは躊躇なくパネルをタッチしようとした。
表示が、『Stand-by…』というものに瞬時に切り替わった。
ジョンは大剣の柄を握り、臨戦態勢に入るが、……しかし。
「……どうした、エリーゼ?」
……エリーゼの様子がおかしい。
彼女は、赤い長方形のパネルを見つつも、手を動かすことはなく、固まっていた。
「なんだ、いまさら怖気づいてんのか?」
「……」
ジョンの挑発に、エリーゼは答えず、沈黙する。
――エリーゼは、深刻そうな表情で、ジョンを見つめていた。
☆
エリーゼは、幼少の頃より、父母より英才教育を受けていた。
名の知れた名家とはいえ、決して先行きは明るくない貴族の娘であるエリーゼ。
『デーベライナー』の悪評が蔓延っているのならなおさらだ。
だがエリーゼは、自身の血を決して恥じてはいなかった。
それどころか、誇りに思ってすらいた。
偉大なる父と、寛大なる母が、彼女にとって、なによりの誇りだった。
だから、エリーゼは、自らを鍛えた。
元々の才能に加え、彼女は強くなることに対して貪欲だった。
指導教官すら舌を巻くほどの戦闘力を有し、学校とは別に与えられた家庭教師の指導にも必死についていった。
そして気づけば、エリーゼは、そこらの生徒では比較にならないほどの秀才と化した。
全ては、デーベライナーの栄光を取り戻すため。
……だが、父親譲りの鋭い眼光、生まれもっての毒舌……。
……そして、なにより。
――彼女の誰にも引けをとらない才能が、彼女を孤独へと誘った。
後悔はない。これは自分で選んだ道だ。
……だが、決して一人でいたいわけではない。
自分のことを、偏見ではなく、一人の少女として扱ってくれる人間が欲しい。
友達百人なんて、贅沢は言わない。
せめて、一人。
一人だけでいい。
友達が、欲しかった。
☆
「……おい、具合でも悪いのか?」
先ほどまで軽口を叩いていたジョンだったが、エリーゼに明らかな異変が起きたことを悟り、さすがに心配になって声をかけた。
だが、エリーゼは何も言わない。
涙をぬぐうそぶりすら見せない。
――ああ、なんて私はバカなんだろう。
気づけば、売り言葉に買い言葉で、こんな状況になっていた。
ジョンという男が、許せない。
彼の笑顔を見るたびに、エリーゼの心に、抑えがたいほどの欲望と、破壊衝動が生まれる。
鎌を振らずにはいられなくなる。
その能天気な顔を両断して、自分のものにしたい。
自分の方が優れているのだと見せつけたい、そんな思いが渦巻く。
その思いは、やむことはなく。
一時の欲望に身を任せて。
この男を屈服させ、奴隷にしたいという想いに負けて。
大切な出会いを、失くそうとしている。
せっかくできそうだった友達を、自ら手放そうとしている。
「おい、エリーゼ、返事をしろよ!」
ジョンが苛立たし気に声をかけるが、エリーゼにはまるで届かない。
――どうせ、私には無理だったんだ。
――友達なんて、できっこ無かったんだ。
――だって。
彼が……ジョンが私に勝てるはずなんて、ないんだから。
エリーゼは、何も言わず、ただ、パネルに指を触れた。
まるで、自らの後悔と決別するかのように。
とたんに轟く、けたたましい電子音。
『Get ready?』
「な、なんだよ、やるのかよ!」
表示が、切り替わる。
『3』
ついに、後戻りできない領域にまで達してしまった。
『2』
エリーゼの脳裏に、「わざと負けてしまおうか?」という思考が過るが、どれだけその可能性を探っても、別のエリーゼが瞬時に黙殺してしまう。
「なんか知らねえけどォ!」
『1』
両者、共に地面を踏み込む。
「俺はぜってぇ、テメーに勝つッ‼」
『GO!』
瞬間。
演習場内に、強烈な衝撃波が発生した。




