五人目
飴色の空、
クリーム色の建物、
ゴムのように柔らかい木には子猫達がぶら下がり、
カラフルな地面では子犬達が走り回っている。
「…はへ?」
そんなメルヘン空間の中でレプスは間抜けな顔をしていた。
明らかに現実離れした空間。
自分が何故こんな場所にいるのか思い出せない。
「…ああ、夢か」
納得が言ったようにレプスは呟いた。
このふわふわした感じには覚えがある。
足に纏わりつく子猫を眺めながらレプスは笑みを浮かべた。
夢の中でくらい穏やかな思いをしてもいいだろう。
白い子猫を抱き上げ、頭を撫でる。
体温が低いレプスはよく動物に嫌われてしまう。
でも、夢の中ならそんなことはないようだ。
そう言えば、昔はよく動物に触れていた。
皆で親に隠れて猫を飼ったこともあったな…
白い子猫の顔を見つめる。
その顔が、誰かと重なった。
「いつまで寝てるんですか、レプス」
「うわああああああ!?」
揺れる馬車の中でレプスは飛び起きた。
寝汗を拭いながら横を睨むと、薄ら笑みを浮かべたフェレスがいた。
「中々、激しい起床ですね」
夢の猫と同じ、こちらを小馬鹿にしたような笑顔だ。
前々から思っていたが、この男は猫に似ている。
楽観的でマイペースな所などそっくりだ。
「夢見が悪かったんですか?」
アンタのせいだよ。
「悪夢には気を付けた方がいいですよ。特にニゲル地方では」
薄ら笑みの中に少しだけ真面目な感情を込めて、フェレスは言った。
馬車の小さな窓から外を指さしながら得意げな顔をする。
「モルス教団の信仰は『夢』です。腐敗した今の世界を破壊し、新しい夢の世界を作ろう…って言う思想ですね」
「危険思想ね。帝国中に広まらない訳だわ」
「元々ニゲルは災厄や不幸で家を無くした者達が集まっていましたからね。拠り所は何でも良かったのかもしれません」
財産も家族も失い、現実に希望が持てなくなった者達。
彼らが縋る先は何でも思い通りになる『夢』しかなかった。
飢餓と喪失で弱り切った者がそれを求めることを誰が責められるだろうか。
「…信仰は勝手だけど、それを人に押し付ける奴って嫌いなのよね」
レプスは思い出すように呟く。
騎士団でレプスは多くの者達を見てきた。
裏の顔も知らずに騎士団を純粋に信仰する者、
アニマ寄生者である噂が立っただけで処刑された者、
自分をどうにか飼い殺そうと企む者、
そうして人の作り出した『正義』がどれだけ醜い物なのか知ったのだ。
「僕も嫌いですよ。人の運命を人が決めるなんて、間違っている」
笑みを浮かべて言ったが、どこかその言葉には現実味があった。
それを尋ねようとした所で馬車が止まった。
「さあ、着きましたよ。ここがニゲルです」
有無を言わさず、フェレスは馬車を降りた。
強い日差しに乾燥した風、
町の外に広がる荒れ果てた自然、
カエルレウスとは完全に違う風景。
ここが帝国の南、ニゲル地方。
「………」
田舎だが平穏だったカエルレウスとは全てが違った。
家や店は老朽化してボロボロで、
そこに住む人々も生気を感じられない。
「ボーっとしてると置いて行きますよ」
先程まで運転手と会話していたフェレスは愕然とするレプスに言った。
さっさと歩いて行ってしまうフェレスを慌てて追いかける。
「…って言うか、目的の場所が分かってるの?」
「人々の目を見れば大体分かりますよ。何を心の拠り所にしているか…」
言われてレプスは周囲の人々を見回す。
痩せ細った身体に目が行きがちだが、彼らは一様に空を見上げていた。
より正確にはニゲルで一番大きな建物を。
「鐘?…教会の鐘に似てるけど」
「十中八九、アレが教団の本拠地でしょう。あんな綺麗な建物は他にありません」
大きな鐘が取り付けられた灰色の建物を見上げ、フェレスは自信ありげに言いきった。
喋りながらも足を止めることはない。
ゴミで散らかった道を踏み締めながら進む。
「………」
真っ直ぐに目的地へ向かうフェレスとは異なり、レプスは度々周囲に目を向けた。
道の隅にはボロを着た大人や、顔色の悪い子供が眠っている。
何かの病気で身動きすら出来ないのかもしれない。
「ね、ねえ。アンタって医者でしょ? 何とかならないの?」
「何とかとは?」
「だから、あの子達を診てあげたり…とか」
レプスの言葉にフェレスは足を止めた。
少しだけ困惑したような顔をレプスへ向ける。
「栄養失調に脱水症状。少し状態を良くした所で、根本的な解決にはなりませんよ」
「そ、それでもさ!」
「だから………ん?」
その時、周囲から視線を感じた。
先程まで眠っていた大人や子供がフェレスを見つめている。
手に、尖った石やガラス片を握り締めて…
「余所者だ。あの二人は余所者だ」
「余所者から盗んでも神は怒らない。神は赦してくれる」
「殺せ、殺して奪え!」
濃い隈が付いた血走った眼で人々は叫ぶ。
言葉を返す隙も与えず、二人へ襲い掛かった。
「あー、これだから知性の低い人間は」
「ふぇ、フェレス…!」
「取り敢えず、逃げますか」
あまり焦った様子も見せず、フェレスはレプスの手を取った。
息を荒げて追いかけてくる人々に眉を顰めながら、フェレスは走り出す。
「あいつら全員を氷漬けとか出来ませんか?」
「無理! 狭い空間とかだったら出来るけど、こんな屋外で使ったら吹雪になる!」
「…そうしたら僕ごと氷になりそうですね」
それに今回は以前と訳が違う。
路上で眠るような者達がいるニゲルに猛吹雪が訪れたら、殆どの人間が凍死するだろう。
流石にそれは寝覚めが悪い。
「…仕方ないな」
諦めたように深いため息をつき、フェレスは足を止めた。
手を繋いでいたレプスも転びそうになりながら立ち止まる。
「ちょ、ちょっと何やってるの? 早く逃げないと…」
「大丈夫」
安心させるようにフェレスは呟いた。
レプスの手を握り、向かってくる人々をガラス玉のような目で見つめる。
「『ヴァニタス』…お前達は僕を見ない」