ある恋人達の和解
このお話は前回のある騎士の嗜好の続きです。
事の次第をクローディア様から聞きだして、私の心に浮かんだのは猛烈な怒りでした。
オズワルドがろくでもない人間である事は知っていました。従兄妹であるからこそ、その性格にも一定の理解を示し、また彼も私にはある程度の気を払ってくれていますが、彼は基本的に他人への気遣いが出来ない人間です。というか、あれはする気が無いのでしょう。
それに加えて、ハロルド様の配慮の無さが私の怒りに油を注ぎました。噂ではとても紳士な方と伺っていたのに、なんと気の利かない事でしょう。やはり、ああいう方にはロクな人がいないのです。
「おかしいとは思っていたのです。エドガーはわたくしを大切にはして下さるけれど、まるで子どもに接するような……」
クローディア様はその大きな瞳に涙を浮かべて口にしました。気高い主人の涙を堪える姿は美しくもありますが、その美しさ故に痛ましさも倍増でした。
クローディア様は、オズワルドとハロルド様に女性的魅力に欠けると判じられ、エドガー様がそれを肯定してしまったというのです。正確には、エドガー様はクローディア様を『可愛らしい』と表現したようなのですが、今このときに限って言えば、その褒め言葉がクローディア様を慰める事は無いでしょう。
「わたくしには、女性的な魅力がないのでしょうか?このままでは、いつかエドガーにも愛想をつかされてしまうのでは……」
「まあ!そのような事はございません」
自室に戻られてから悲しみに暮れるクローディア様に対し、私は自信を持って断言しました。エドガー様は、変わった御方です。そのお考えが少しずれていらっしゃるのは、少しでも彼を知る人にとって周知の事実です。けれど、彼のクローディア様に向けるその愛情は、誰の目から見ても分かりやすく、真っ直ぐなものでした。
「エドガー様の御心には、クローディア様しかいらっしゃいません。恐れ多くも、私の目から見て羨ましいと感じるほどです。あれほど一途な方もそうはいらっしゃらないでしょう」
エドガー様は、悪い噂には事欠かない方です。けしてクローディア様のお耳には入れませんが、そういう、女性に関する悪い噂も当然多く聞こえてきました。けれどそれも、実際のエドガー様の人となりを知れば、全く根拠の無い妄言だと分かります。
端から見たエドガー様は、どこまでも冷たい方でした。長い前髪から覗く底なしの闇のような目は、見る者に恐怖を抱かせるには十分なものです。世界を揺るがす事も出来る魔術師であると知っていれば尚の事。恥ずかしながら私も、当初はそんな彼を恐れていました。
けれど、クローディア様に接するお姿を見れば、そんな偏見も吹き飛んでしまいました。クローディア様をその瞳に映すとき、僅かに細められたそれには一筋の光が宿るようでした。まるで、この世に存在するありとあらゆる苦痛から解放されたように、ゆっくりと和らぐのです。エドガー様にとって、クローディア様の存在そのものが救いとなるのでしょう。そして、彼はきっと、そんなクローディア様を心から愛していらっしゃるのです。
「………そ、そうですわね。エドガーがわたくしを大切にして下っているのはわかっているのですもの。あとはわたくしが、自分を磨くべくですね。………けれどわたくし、そんなエドガーを突き飛ばしてしまいましたわ」
「でしたら、謝りに行きましょう。きっとすぐに仲直りが出来ます」
私がそう提案すれば、クローディア様は決意の眼差しで頷いて下さいました。その複雑なお立場故にクローディア様には自由を与えられず、自ら自室で過ごす事が多かったのですが、エドガー様に降嫁される事が決定して以来、城内という狭い範囲ではありますが、ほんの少しばかり積極的になられたような気がします。
そうして、エドガー様を二人で探しました、のに。
「やあ、ディア。僕の可愛い妹。残念だけど、エドガーはしばらく休暇で城にはいないよ。何かあればすぐに駆けつけられるように、と父上には連絡手段を渡してあるみたいだけど、それ以外では連絡も付かないんじゃないかい」
クローディア様のお兄様であらせられるクリスティアン王子殿下は、肩を竦めながらそうあっさりと口にします。
クローディア様から、血の気の引く音が聞こえて来るようでした。
わたくしが悪いのでしょうか?いえ、わたくしが悪いのでしょう。おそらくは純粋な気持ちで『可愛らしい』と言って下さったエドガーを突き飛ばしてしまったのですから。きっと、彼を傷つけてしまったに違いありません。
エドガーが城を離れ、早五日が経ちました。思えば、彼が仕事以外でこんなにも長く城を開ける事は初めてです。戦場に立ったと聞かされて待つ日々も気が気ではありませんでしたが、こうしてどこへ行ったのかも分からずに待ち続ける事は、ある意味それ以上の苦痛でありました。
もしかしてこれは、休暇など立て前でわたくしを避けているのではないのでしょうか?わたくし達は婚約期間中。この時期にわたくしに何も告げずに城を空けるなどと、その裏に意図を感じてしまいます。遠回しに破談へ導こうとしている、など。
この間、可愛らしいと言って下さったエドガーに対し、わたくしは勝手に傷付いて彼を拒絶し、そのまま逃げだしたのです。今思えば、なんて勝手な事をしたのでしょうか。エドガーに愛想を尽かされても仕方がないように思うのです。思考は、どんどん悪い方へばかり傾いていきました。
もしくは、実は真に愛する女性が他にいて、優しいエドガーはわたくしを無碍に出来ずに婚約を結んだだけ、とか。今はその女性に会いに行っている、とか。
そこまで考えて、バルコニーに立つわたくしは大きく溜息を吐きました。そんな風に、エドガーの誠実さを疑うような事ばかり考えるわたくしは、なんと醜いのでしょうか。これでは、エドガーも嫌になってしまうはずです。
「エドガー………」
「はい」
その場に座り込んで手のひらで顔を覆い隠し、地面に向かって彼の名を呟きました。呼び………あら?
「エドガー?」
「はい。何でしょうか、クローディア様」
返事があった事に驚いて顔を上げれば、バルコニーの手すりの上にエドガーが立っていました。彼はそのまま、平然とした面立ちで私の隣に降り立ちます。
「このような所から失礼致します。早くお会いしたく、非常識とは存じますが、取り急ぎ駆け付けてしまいました」
「………エドガー?」
「はい」
彼は、わたくしの目の前で膝をつきました。それは、いつも通りのエドガーでした。彼はいつも、自然とわたくしと目を合わせてくれるのです。
「ごめんなさい、エドガー」
「どうして、クローディア様が謝られるのですか」
「わたくし、貴方を突き飛ばしましたわ」
すると、エドガーは分かりやすく眉を顰めました。怒ったように見えるそれは、しかし落ち込んでいるのだとわたくしは知っていました。
「あれは傷付きました」
「ごめんなさい」
「クローディア様は、私がお嫌になられた訳ではございませんか?」
「もちろんです。エドガーこそ、こんなわたくしを、どうか嫌いにならないで」
わたくしは、懇願を込めてエドガーを見上げました。すると、彼は勢いよく首を横に振り、彼らしくもぎこちない微笑みを浮かべてくれました。
「そんな事は有り得ません。クローディア様が私をお嫌いでないとおっしゃって下さるなら……いいえ、例え貴女が私を嫌っても、私はクローディア様を愛するでしょう」
エドガーは真っ直ぐにわたくしを見て、そう言ってくれました。わたくしは、こんなにも純粋に想ってくれる彼の事を、少しでも疑った自分自身を恥じました。エドガーは昔からそう。いつだってわたくしに、真っ直ぐな気持ちと言葉を向けてくれるのです。
「嬉しいです。ありがとうございます、エドガー……」
わたくしは感激して彼に手を伸ばしました。堪らない愛しさが湧いてきて、エドガーを抱き締めたくて仕方なくなったのです。エドガーは、まるで当たり前のようにそんなわたくしを受け止めてくれます。それこそが、何よりもの幸福でした。
「クローディア様、私は陛下の剣であり、盾です。今後も貴女を置いて、陛下のご意思でこの命を賭ける事でしょう」
わたくしはそれを、否定も肯定も致しません。おそらくは、今後も変わらない事でしょう。わたくしはそんなひた向きな彼を、愛おしく思うのですから。
「けれど、私のこの心は、貴女のものです。クローディア様、許されるならばこの心はいつも、貴女と共に」
わたくしは、彼を抱きしめる腕を緩め、真っ直ぐに彼の目を見上げました。わたくしもまた、彼のようにひた向きな心でエドガーを思っていたいと願います。
「はい、エドガー。わたくもですわ。どんなに離れていても、わたくしはいつでも、貴方を思っています」
万感の想いを込めてそう告げました。それが、嘘偽りの無いわたくしの本心だったからです。しかし、何故だかエドガーはすっとわたくしから目を逸らしてしまいました。わたくしは途端に不安になって、エドガーの様子を窺います。
「え、エドガー?どうされましたか?わたくし何か、変な事を……?」
「いえ、あの………」
エドガーは目を伏せます。彼の長い前髪がその顔を隠してしまいそうで、わたくしはよりぐっと身を寄せて彼の意図を知ろうとしました。すると、エドガーは酷く言いにくそうに口にします。
「あの、そう真っ直ぐに見つめられますと、身の程知らずにも不埒な考えが浮かぶのです」
わたくしは、その言葉に隠された意図を理解出来ませんでした。しばらくそのまま停止し、じわじわと理解が追い付くと、一気に体内の血液が顔に集まりました。クラクラと眩暈がするほどに。
それがエドガーだからこそ、そんな風に見られる事を喜ぶわたくしがいる事を、きっと彼はまだ知らない。
読んで頂きありがとうございます。
この五日間の休暇でエドガーさんは番外編一本目の花を採集に行っています。猛烈に絶望したものの、上手い事王子に丸めこまれて復調し、気合入れて旅だった模様。




