ある騎士の嗜好
婚約中のお話です。
空が青い。
何故空は青いのか、という栓の無い疑問がふと湧いて出る。しかし、一旦は疑問に思ったものの、俺は学術的見地も、魔術的解釈にも一切の興味が無かった事を思い出した。空が青い。それ以上でも以下でも無く、青いものは青い。それが全ての答えだ。
大体、何でもかんでも理由を持たせようとする頭でっかちの奴らの意味が分からない。俺から見れば、万物の法則がうんたらかんたらと御託を並べるのは、目の前の現実をそのまま受け入れる度量も無い臆病者の言い訳だ。青い空の下、息吸って吐いて飯食って寝る、それだけ出来りゃ充分だろ。
「ちょっと、聞いているの?オズワルド!」
だからこそ、邪推して頭を悩ませる父方の従兄妹の言葉は、俺にとって騒音でしかなかった。何より、その内容は彼女の敬愛する姫君、つまりは俺の宿敵の未来の嫁に関する事である。心底どうでも良い上に、破談になったら指を差して笑ってやる。………いや、駆け落ち騒ぎまで起こされたのを何とか纏めたのだ。今更破談になりやがったらそれはそれでムカつく。
「聞いてない」
「聞いてちょうだいよ!何の為に呼びとめたと思っているの」
「おまえこそ何の為に俺の昼寝の邪魔をする」
せっかく、この温かい日に青い空の下で昼寝をしようと仕事をサボり、城の裏手にある森まで来たのに。そう素直に伝えれば、不良騎士、といたく冷たい目で見られたものの、彼女はそれに関する文句を言う事を早々に諦め、自身の主人語りを再開する。
「確かにクローディア様はお美しいわ。心優しく、それでいて聡明で愛らしい。これ以上なく素晴らしいお方よ。だからね、他に懸想する方がいらっしゃっても不思議ではないと思うの」
従兄妹、シェーラはどこか得意げに語る。その言葉には、主人に対する明確な崇拝が見えた。俺には分からない感覚である。俺は一応王家に仕える騎士だが、それを志すきっかけは愛国心ではなく、子爵家の次男坊故に身の振り方が限られる為、父親によって騎士団に放り込まれたのだった。多少、有り余っていた力で山に日参し、獰猛な動物を狩りに行く事を楽しみにしていた事で、不要な危機感を覚えられたからかもしれない。
「けれど、そのお相手が問題よ。文武両道と評判で容姿端麗な上に人当たりも良く、令嬢方の憧れの的。おまけにクリスティアン殿下の腹心のハロルド様よ。あのハロルド様が、どうもクローディア様をお好きでいらっしゃるそうなの。クリスティアン様を通じて知り合われたお二人が人知れず思い合っていたものの、それをエドガー様が卑怯な手で引き裂いた、なんて噂があるくらいなのよ」
シェーラは主人を憂いて溜息を吐く。おそらく、噂の発端は件の伯爵様が舞踏会の際にクローディア殿下を口説きに掛かった事だろう。一見すればお似合いの美男美女である。暇を持て余した社交界の常連が根拠もなく噂を立てるには、十分な材料だった。ああいう連中は下種な噂話にしか興味がない。
「風評では、正直エドガー様に勝ち目はないわ。幸い陛下やクリスティアン様はご理解下さっているけれど、周囲が騒ぎ立ててハロルド様が余計な勘違いをされないかだけが心配で………」
身近で見ているシェーラとしては、あの二人がアホのように分かりやすく思い合っているので、もどかしいものがあるのだろう。ただ、それを俺に言うな。俺は今更破談になれば、過去の苦労を想って苛立つだけで、エドガー・ラドクリフの不幸自体は心から歓迎する。そして、奴の心がぼろぼろになった隙を狙い、闇討ちである。完璧な作戦だ。
「しかし、よくよく考えれば伯爵様の方が、王女殿下にとっては優良物件じゃないか?」
「恐ろしい事を言わないで頂戴!」
誰が見ても、深く考えずとも分かる事を素朴に口に出せば、シェーラは怯えるように縮み上がった。これは、クローディア殿下を崇拝しているからこそ王女殿下の意に沿わぬ事は認められない、といった様子でも無い。単純な拒絶反応だった。
どうにも不可解で、件の伯爵様の顔を思い出そうとして、ようやく気付いた。シェーラの過剰な反応の理由に。
「ああ、似てるのか。雰囲気とか、話し方が。おまえいい加減昔の事引きずんのは止めろ。どうせ頑なに結婚を嫌がる理由もそれだろ」
「オズワルドには関係ないわ!」
シェーラはかつて、どこにでもいるような夢見がちな少女だったのだが、あるとき幻想を粉々に打ち砕かれて結婚を忌避するようになった。クローディア殿下のご結婚が決まり、その機会に実家に戻って見合いをしろ、と両親に言われているそうだが、それにも断固拒否して逃げ回っているようだ。
「わ、私はハロルド様がお二人の幸せを引き裂くんじゃないか、ってそれが心配なだけ!それだけなんだから!………それだけよ!?」
シェーラは冷や汗をダラダラ流しながら言い捨てると、慌てて走り去って行った。昔は大人しくていかにも貴族の令嬢、といったおめでたい頭をしていたが、今ではすっかりはしたなくなっている。俺としては今の方が断然取っつきやすくて楽だが。昔は割と真剣にウザい女だった。
「………………んで、盗み聞きは感心しませんよ」
先程から感じていた気配に胡乱な眼で振り返れば、木陰から噂の伯爵様と第二王子が姿を現した。この森は裏手からの王城への侵入を防ぐためのものなので入り組んでおり、身を潜ませる事は容易だ。
「ふはっ……可哀想なハロルド。評判最悪の魔術師に横から女を掻っ攫われたハロルド。その上、その女の侍女にまで自分に全く関係ない理由で嫌われているハロルド。はあ、君は本当になんて美味しいんだろうね」
笑いを堪えながら、殿下は伯爵の背を叩く。そうしていると、王子殿下としての威厳など欠片も無く、その辺にいるガキのようにも見えた。口に出せば確実に不敬罪なので、一応の礼儀は弁えるが。最も、この王子は俺達下々の態度にさしたる興味もないようで、駆け落ち騒動の頃から俺が立ったままで話そうが、半端な言葉遣いをしようが何の文句も言わなかった。
「前者はクリス様のせいでしょう!」
「いやいやいや。そんな素敵な噂が立つのは、やはり君が君であるが故だよ。僕はちょっとクローディアを口説いてみて欲しい、って言っただけだしね」
そんな事を言っていたのか。殿下はあの二人の仲を応援しているのだと思っていたのだが、変人と名高い王子殿下の考えはよく分からない。
「実際の所どうなんですか?シェーラの話だと社交界ではその噂で持ち切りらしいですし」
俺が問いかければ、伯爵はひどく面倒そうな顔をして、にたにたと笑みを浮かべる殿下から目を逸らす。こうして見ると、温厚な人格者であり、完璧な紳士と評判な伯爵様には見えない。
「あり得ません。クリス様もご存知でしょう。私はもう少し大人な女性が好みです」
「へえ、少しねえ。『大分』の間違いじゃないかい?」
王子殿下の皮肉を込めた表情には、それだけで伯爵を責め立てる様子が窺えた。何やら、女性の好みに関して思う所があるらしい。
俺は、『大人』という表現を聞いて王女殿下の容姿を思い出す。確かに、大人びた様子はなく、愛らしい類の美しさだった。そして、同時に納得する。
「ああ、確かにクローディア殿下って色気は無いですね」
花のように美しい少女ではあるが、俺もあの方は好みではない。女性には美しさよりも色気が大切だと思う訳だ。噂を否定したい伯爵は、俺の言葉に大きく頷く。
「クローディア様は清廉な御方ですからね。そういう色気など、下世話な目では見られません」
「まあ、女性というより純真無垢な少女って印象ですから、性的魅力にはいささか欠けますよね」
「二人とも仮にも兄の前で言うじゃないか。まあ、僕はその点どうでも良いけど、本人はどう感じるんだろうね」
王子殿下は伯爵の肩を叩き、俺を手招きする。その手に視線を向ければ、そのまま伸ばされ人差し指が真っ直ぐに入口を指差す。
「うわぁ…」
思わず声が漏れたのは俺だったか、伯爵だったか。王子殿下が指を差した先には、相変わらず何を考えているのか分からない顔をしたエドガー・ラドクリフと、青褪めたクローディア王女殿下がいた。
「あ、あの……」
蚊の鳴くような声で切れ切れに声を発し、王女殿下は一度俺達を一瞥するとふらりと今にも倒れそうな様子でエドガー・ラドクリフを見上げる。いまいち状況を把握しきれていないのだろう、あのアホは常と変わらない様子で自分の胸の辺りに頭が来る王女殿下の顔を覗き込んだ。
「わ、わたくし、女性としての魅力、エドガーは感じて、頂けていますか……?」
おそらく何も分かっていないエドガー・ラドクリフは、相変わらず眉一つ動かす事なく答えた。
「はい。クローディア様は大変可愛らしいです」
そして、何の慰めにもならない言葉を口にした。王女殿下を追い詰めた俺に言う資格はないが、普段ならともかく今の褒め言葉は追い討ちにしかならない。
気が遠くなった様子で倒れかけた王女殿下をエドガー・ラドクリフが慌てて支えるが、殿下はそんな奴を突き飛ばした。非力な王女殿下がエドガー・ラドクリフを拒絶した所で、少し押し戻された程度である。
ただし、エドガー・ラドクリフの心への衝撃は尋常ではない。
「ごっ、ごめんなさい、エドガー………」
王女殿下は半泣きの様子で、こちらに背を向けて走り去っていく。女共に対して常に思っている事だが、あんな重そうなドレスを身に纏って自由に動ける女という生き物は、絶対にか弱くも儚くも無い。
エドガー・ラドクリフはその場で固まり、拒絶された己の両手を呆然と見詰める。一言も言葉を発する事なく、かと言って眉一つ動かす事も無く沈黙を守り、やがて――――
突風が森の木々を揺らした。
先程まで見えていた青空は雷雲に埋め尽くされ、まるで世界の終りのような雷鳴が轟く。あまりの暴風に腕で顔を庇えば、次の瞬間には大雨が降り注いだ。俺は、その間もピクリとも動かないエドガー・ラドクリフに怒鳴りつける。
「絶望したからって実際に世界の終わりを呼び込んでんじゃねえよ!」
俺はただ、好みの女の話をしていただけだ。それに、王女殿下が外れていただけだ。むしろ、恋敵が出来なくて良かっただろうが!
嵐が吹き荒れる森の中、伯爵を盾にして雨風を凌ぐ王子殿下の笑い声だけが、場違いに響いていた。
読んでいただきありがとうございます。
以前感想で頂いた、エドガーによって思い合っていた二人が引き裂かれたという噂が立つ、というネタを元に書かせていただいたのですが………何か違う!取りあえず、そんな噂が立った残念な原因をまた次回書かせて頂きたいです。噂話になど興味のないオズワルド視点だったからダメだったのかな。
書けるかな、頑張れ私。
シェーラは諸事情により、無駄に細かく設定が決まっています。今後もちょいちょい覗かせていきそうです。
そして、通りすがりのエドガーとクローディアは城内デート中でした。タイミングが悪い。
こうやって書いてみると、やっぱり何だかんだとオズワルドはまともかもしれない。エドガーが関わらなければ。




