ある養母の警告
婚約中のお話です。
マーナ様は幸せそうなお顔で微笑みました。
「可愛いうっかりさんですの」
エドガーと婚約し、わたくしの義母となって下さるマーナ様がわざわざお城までご挨拶に来て下さったのです。緊張しながらも失礼の無いように出迎えれば、マーナ様は王女であるわたくしに特別気負う事も無く、朗らかにお話をして下さいました。
「うっかりさん、とは…?」
「あの子、エドガーはどこか抜けていますでしょう?思えば、生まれる前から宿るべきお腹を間違ってしまったのですわ」
マーナ様は流麗な動作で、シェーラの入れてくれたお茶の入ったティーカップを手に取ります。その仕草は正に貴婦人に相応しいもので、わたくしは思わず見惚れてしまいました。
「私の可愛いうっかりさん。あの子は、お腹を間違えていらぬ苦労を知りました。だからこそ、私はあの子に幸せになって欲しいのです」
そう語るマーナ様の栗色の瞳は柔らかく細められ、慈愛に満ちたものでした。万感の温もりと優しさが込められているような、愛していると瞳だけで語るような。これが母というものなのだろうか、と見知らぬものへの憧れを少しばかり思い出しました。
「あの子はうっかりさんで、自分の気持ちさえよく分かっていない子です。けれど、そんなあの子が、クローディア様を愛しているのだと言いました。私はそれが、本当に嬉しいのです。ありがとうございます」
マーナ様はわたくしに向かって丁寧な仕草で頭を下げました。わたくしが慌てて止めれば、お優しいのですね、と微笑んで下さいます。そう口にする彼女の方が、余程優しいのだと感じました。
「………と、ここまでは良いお話なのですが、私はうっかりさんでおそらくそこまでお伝え出来ていないエドガーに代わって、悪いお話もしなければなりません」
すると、途端に先程までの空気を取り払い、マーナ様は真剣な眼差しでわたくしを見つめました。ティーカップもソーサーに戻し、時間の経ったそれをシェーラが回収します。新しいものを用意してくれるのでしょう。
「我が家、ラドクリフ家は嫌われ者なのです」
マーナ様は端的にご家族の評判を断じました。
「エドガーは自分の事を悪し様に言っても、ラドクリフ家全体の様子を客観的に伝えられませんものね。エドガーは自身のせいでラドクリフ家が嫌われていると思い込んでいますけれど、実際は主人も私もそれぞれ嫌われ者なのです」
エドガーの事はともかく、ダグラスが魔術師団長として畏怖を向けられている事は知っています。しかし、そこには国の守り手として敬意も込められているのだと思っていたのですが、どういう事なのでしょうか。そして、目の前のこの朗らかな女性が他人から嫌われるような存在には思えないのです。
「主人は今でこそ父性に目覚めておりますけれど、元々冷酷で残忍な魔術師として恐れられ、人を人とも思わないと有名でしたの」
「ダグラスは、わたくしにもとても良くして下さいますが………」
「それはクローディア様が王家の方だからですわ。主人は陛下至上主義ですもの」
マーナ様は軽やかに笑い声を立てます。夫が敬遠されている理由を語りながらも、仕方のない人、と口にする様子は慈愛に満ちているようでした。
「つまり、何が言いたいのかと申しますと、我が家には使用人がとても少ないのです。何とか応募して下さる方がいらしても、偏屈な主人が追い出してしまったり、もう付き合っていられないと出て行かれてしまったり。数少ない理解のある者達も、それぞれの事情や年齢などを理由に辞めていき、それから補充する事も出来ず、年々使用人の数は減っていくばかりなのです」
困ったものです、と全く困った様子も無く朗らかに口にします。わたくしは、想像以上の状況に慄きました。エドガーの様子で、『誤解』から敬遠されている事は知っていましたが、想像以上のあり様でした。まさか、宮廷魔術師団師団長のお屋敷に使用人が足りてはいないとは。
「この度、クローディア様が嫁いで下さるという事で流石にこのままではいけない、と募集をかけましたが、見事に空振りましたわ」
「これまでどうされていたのですか?」
「私も使用人達と一緒に働いて、何とかこなしておりました。幸い、数少ない使用人達は皆働き者の、素敵な方達ばかりですので」
そう言うマーナ様は誇らしげでした。使用人の方々を心から信頼しているのでしょう。そんな彼女が共に頑張ってくれるからこそ、皆さんも一生懸命働いて下さるのではないかと思います。
「後から幻滅するよりは、初めに知っておいて頂く方が良いと思ったのですが………クローディア様。こんな我が家ですが、それでもエドガーに嫁いで下さいますか?」
マーナ様は眉尻を下げ、わずかばかりに不安そうにわたくしを見つめました。
マーナ様とお会いする事が決まったとき、わたくしはとても緊張していました。わたくしはどちらかと言うと人見知りで、クリスお兄様のような弁舌も持ちません。ましてや、相手はエドガーのお母様で、今後共に暮らすのです。何とか失礼のないように、と思えば余計に緊張感が高まりました。
けれど、実際にお会いしたマーナ様はとてもお優しいお方で、わたくしの緊張も自然と解けていきました。この方々と暮らすに相応しいわたくしとなりたい、とそう思います。
「不束者ですが、よろしくお願い致します。それで、あの………マーナ様、少々お願いがあるのですが…」
「ありがとうございます、クローディア様。このマーナに、どのような事でも仰ってください」
快く受け入れて下さるマーナ様に、わたくしは心を決めて口を開きました。
「あの、お料理を教えていただきたいのです。わたくしは、エドガーにお料理を作ってあげるような、そういうお嫁さんになるのが、その、夢で。お家のお仕事も、一緒にさせて頂きたいのです。始めはご迷惑をお掛けするかと思いますが、一生懸命頑張ります」
わたくしは自信の無さと申し訳無さから思わず口数が増えて行きます。はっきりと言えないのは、わたくしの悪い癖です。
マーナ様は、そんなわたくしにも朗らかに微笑んでくれます。母の愛というものをその身で体現している、陽だまりのような笑顔でした。
「もちろんですわ、クローディア様。一緒に頑張りましょう」
わたくしは、エドガーとの結婚式を何よりも楽しみにしておりました。その日をただ夢見ておりました。
けれど、今日、マーナ様とこうしてお話をさせて頂けて、この方と共に暮らす日もまた、とても楽しみになりました。
マーナ様の帰り際、わたくしはふと思い出して尋ねました。
「あの、マーナ様も嫌われ者だとおっしゃられていたのは……」
この、優しく穏やかな人が他者から嫌われる姿など、全く想像も付きません。疑問を向けたわたくしに、マーナ様は軽やかに答えました。
「ご存知でいらっしゃらなかったのですね。もう三十五年ほど前になりますか。私は、この国を他国に売り渡そうとした上に、陛下の御命を狙い取り潰された、元侯爵家の娘なのです」
口ぶりとは裏腹に、知らされた内容はあまりに衝撃的でした。その事実を知ってマーナ様との接し方を改める、という事はけしてありませんが、エドガー達と暮らす為にはもう少し丈夫な心臓が必要なのかもしれない、と思ってしまいました。
読んでいただきありがとうございます。
何だか説明っぽいお話になってしまいました。ラドクリフ家の使用人は少数精鋭です。心臓に毛が生えた人たちで構成されています。
あと、クローディアはほのぼのと家の事を覚えて行くのが似合うというか、幸せそうなのでこれで良いのです。
いつか、マーナの事も詳しく書きたいと願望を込めつつ。




