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ある魔術師の現在




陛下の命で国境付近にまで出向くと、目の前で幼い子どもが転んだ。

思わず自分の身なりを見直す。手首まである長袖の上衣に穿き慣れた下衣、足首まである宮廷魔術師の身分を示すローブ、手にはグローブを嵌めていた。これならば、触れてもきっと問題無いだろう。


そこまで考えて、その思考を慌てて打ち消す。私が他人に触れても呪いなど発動しない、と繰り返しクリスティアン様に呆れられていた。クローディア様にも、よく哀しい顔をさせてしまったものだ。

私は、それを踏まえて躊躇わずに膝を付き、助け起こそうと子どもに手を差し伸べてみる。子どもは反射的にその手から身をのけ反らせ、泣き声も上げずに立ち上がると物凄い勢いで逃げて行った。あんなに引き攣った子どもの顔も早々見られるものではないだろう。しかし、元気そうで何よりである。


「や、あの、えっと、何ていうかその………気にするなよ、エドガー」


いやに遠慮がちに声を掛けるのは、同じく魔術師団に所属する男だ。少々気が弱いが、誠実な男である。師も、口では情けない、と言いながら彼を評価していた。本人は、器用貧乏なだけだよ、と疲れた溜息を吐くばかりであるが。


そんな彼から気遣いを受けるものの、私は特に何も気にしていなかった。そんな事よりも、勢いよく起き上がった子どもに、随分懐かしい事を思い出していたのだ。

昔、クローディア様を怒らせた事があった。あの温厚な彼女が、悲しむ訳でもなく、ただ怒ったのだ。









あれは、十二歳にして宮廷魔術師となり、王宮に頻繁に出入りするようになった頃の事。

私は、見事クローディア様に花出し係と認識されていた。ふと視線を感じて振り返れば、柱の陰から目元と長い髪だけを覗かせた彼女がいたのだ。彼女は私が振り返ると見付かってしまった事に驚いたようで、びくりと震えて慌てて柱に全身を隠してしまう。それから、おずおずと顔だけ覗かせるのだ。


『エドガー、お花をみせて』


少し警戒気味に、クローディア様は不安そうな様子で花を求めた。私は花に注意を払って生活するようになっており、記憶を探っては目新しい花を彼女に披露した。その度に、クローディア様は花が綻ぶような笑顔をくれたものだ。

そうした事を繰り返し、クローディア様も私に対する警戒を随分と解いて下さった頃の事だった。


クローディア様はしばらく躊躇った後、パタパタとこちらに駆け寄ろうとした。しかし、その目前で躓き、顔から地面に突っ込んだのである。あまりに見事な転げっぷりに、自分の血の気が引いた音をよく覚えている。私は宮廷魔術師でありながら、目の前で王女殿下に怪我をさせたのだ。


幸いにして、クローディア様は泣かなかった。おそらく、衝撃的過ぎて、気持ちが泣く所まで追い付いていなかったのだろう。私は慌てて彼女のそばに膝をつき、怪我の具合を確認し、立ち上がるよう促した。

すると、クローディア様は目の前にいる私に縋って立ち上がろうとした。ゆっくりと私に手を伸ばし、私の手を掴もうとしたのだが。


私は全力でその手を避けた。同時に、クローディア様は再び地面に激突した。

そのときの私の頭は、私に触れると呪われるらしい、という事で占められていた。敬愛すべき王女殿下を呪う訳にはいかない、と必死だった。今でこそ、そんな事はないのだと理解したが、あの頃はそれを本気で信じていたのだ。


あの、空気が止まった瞬間。未だに震えるほどの恐ろしい沈黙だった。今後どのような激しい戦場や凶悪な魔物に遭遇したとしても、おそらくあれほどの恐怖を感じる事はないだろう。

クローディア様はゆっくりと自力で起き上がった。その、丸々と大きな目が私を捉え、徐々に怒りで釣り上がり、同時に涙が溢れだした。彼女は怒っていた。よく涙を流す人ではあったが、あんな風に怒る姿を見たのは、今の所あのときだけである。


『エドガーの、ばかぁああああ』


あとは怒って泣いて言葉にならなかった。誰にも見付からないような所でさめざめと泣く彼女が怒声を上げたのも、あのときだけだ。

私は、王女殿下に怪我を負わせた事でこの命を差し出す覚悟をしたが、不思議と何のお咎めもなかった。師やマーナに改めて『呪い』はただのやっかみで言いがかりなのだ、と教えられ、恐れ多い事に陛下にまで諭されてしまった。


クローディア様にはいつも一輪の花をお見せしていたが、その後、花束をお贈りして何とか許していただく事が出来た。









そんな、懐かしい事を思い出し、国境付近からラドクリフ家に戻った所、玄関のベルの音が聞こえたのだろう。クローディア様が急いで出迎えてくれようとする足音が聞こえて来た。

我がラドクリフ家には、最低限、というか正確には人手が足りていない程度の使用人しかいない。足りない所はマーナが補っていた。最近では、慣れないながらにクローディア様も一生懸命手伝って下さっているそうだ。


「エドガー、お帰りなさいませ」


現われたクローディア様が、息を弾ませながら一度目の前で立ち止まる。にっこりと微笑んで再び踏み出そうとしたとき、彼女は何かに躓いたのか、その場で転んでしまった。懐かしくもあり、今日はよく人に転ばれる日である。


「や、やだ、わたくしったら。お恥ずかしいですわ。で、でも、あの、だって、エドガーが帰って来て下さるの、久しぶりで嬉しくって」


何とか自力で上体こそ起こしたものの、その場に座り込んで俯いたまま、言い訳のように口にされる。顔を上げるのが恥ずかしいのかもしれない。こちらとしては、そんな風に思って下さる事が嬉しい限りなのだが。


私は膝をついて、彼女に手を伸ばす。そのままクローディア様の手を取って、抱き上げた。すると、彼女は目を丸くして私の顔をまじまじと見つめる。その様子から、何やら羞恥さえも吹き飛んでしまった様子が見てとれた。

クローディア様は驚いた顔をゆっくりと緩め、とても優しく微笑んだ。まどろみの中にいるような、温かい気持ちになる笑顔で。


「もう、わたくしの手を恐れないのですね」


何の事かすぐに思い至った。彼女もまた、あの幼い日の事を思い出しているのだろう。その一言で、私の脳裏には過去の情景が蘇る。

私は、クローディア様の身を案じていたが、その結果彼女に触れる事を恐れていた。周囲に恐れられていた私は、あの小さく無力な女の子を何より恐れていたのだ。一輪の花で喜んでくれる彼女を、幼いながらに大切に感じていたのだろう。


目の前に立ち、私の手をその華奢な両手で包み込んで、クローディア様は穏やかに告げる。


「やっぱり、呪いなんて嘘ですわ。だってわたくし、貴方のそばにいられて、今こんなに幸せですもの」


そう微笑む彼女こそが、私の幸せだった。

思わず抱きしめれば、クローディア様はくすぐったそうに身をよじる。次はもっと早く仕事を終わらせて急いで帰って来よう、と一人でひっそりと誓った。







読んでいただきありがとうございます。

レビュー頂いてはっちゃけました。という訳で二人をメインに据えました。


ちなみに、全力で逃走した子どもの思考回路。

大人たちが怖いって噂していた怖い魔術師が、その中でも一際愛想の無い怖い魔術師が、無言で怖い顔して、転んだ自分に迫り、その手を伸ばしてきた!

今までで一番良いダッシュだったかと。



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