戦場へ向かった天才魔術師の夫は、幽霊になって帰ってきた
「行ってくる」
いつもは柔らかい笑顔を浮かべる顔が、真剣な光を宿した瞳で見つめてきて、嫌でも、彼――ロイ・カーディンがこれから戦場へ向かうのだと突きつけられる。
「気をつけて」
魔術師団団長の妻である以上、覚悟していたことではあった。
ただ、予想以上にもこの夫を愛してしまっていることが、問題だった。
「愛しているよ、ミリア」
そんな声で呼ばないでほしい。
いつもの戯けたような声色で「行ってきます」と軽く言って。
どうして今日は、瞬間魔法じゃなくて、馬で向かうの?
背中を向けたロイは、振り向かなかった。
思わず縋りそうになった手を握り込む。
「行ってらっしゃい」
絞り出した声はみっともないほど震えていた。唇を強く噛み締めていないと、涙がこぼれそうだった。
軽く手をあげた夫は、最後まで振り向かなかった。
馬車に乗った横顔は、濡れていた。
⸻⸻
日がくれた王都の街。
明かりが灯る一軒の店。
戦場で戦うロイへの不安を忘れたいがために、ミリアは魔術具の調整に没頭していた。
魔術具の手入れをしている間は、全てのことを忘れられた。
ミリアは、王都で魔術具店を営んでいる。
2人とも魔術師団に所属しており、ロイがミリアを見初めたことで、二人は結婚した。
ミリアは魔術師団を退団したが、一流と名高い魔術師の腕を遊ばせるのは……とロイが魔術具店を開くことを提案してくれたのだ。
そんな、ミリアの今までの努力をも尊重してくれるロイのことが好きだった。
コンコン――
控えめな、それでいて芯のある音にミリアは顔を上げた。
気のせいだろうか。
店の扉には閉店の看板を下げたはずなのに。
コンコンコン――
先ほどよりも少し強いノックの音が部屋に響いた。
気のせいではない。やはり、誰かいる。
「はい」
そっと返事をすると
「アルセウス魔術師団の者です」
と答える懐かしい声がした。
ほとんど反射的に、ミリアはドアを開けた。
そこには、かつての同僚、マリウスが立っていた。
「……この度は」
ミリアの顔を見た途端、顔を歪め、必死に歯を食いしばったマリウスが頭を下げる。
差し出されたマリウスの手のひらには、見慣れたタグと包みが載っていた。
「……そう」
ミリアは、怒ることも嘆くこともしなかった。できなかった。
ただ、彼の手のひらの上にあるロイの名前の書かれたドッグタグを見つめていた。
「……お守りすることが出来ず」
頭を下げるユリウスの姿をただ、見つめていた。
「夫の……ロイの最後は……?」
これだけは、聞いておきたかった。
彼は、どのようにしてこの世を去ったのだろう。
「団長の魔術により敵が殲滅されたことで、撤収に入りました。その際、残党がいたんです。
応戦が間に合わなかった新人に向けて、防除魔術を展開したことで、ご自分が……」
なんともまぁ彼らしい最期だった。
責めることも、怒ることもできないではないか。
「……そう、分かったわ。……ありがとう」
「ミリアさん……」
気遣わしげにこちらを伺う視線に、ただ首を横に振った。
「大丈夫よ。今は一人にしてちょうだい」
彼の手のひらに乗ったドッグタグと包みを受け取り、部屋に戻る。
そっと、いつも二人で腰かけていた研究室の机にそれを置いた。
なんとなく、そこがふさわしい気がした。
「ばーーーか」
いつもロイの首に掛かっていたドッグタグを指でなぞる。
銀色の無機質なプレートは部屋の明かりを反射してきらめいていた。
「帰ってくるって、言ったじゃない」
旅立ちの前の日。
この部屋で。
いつものように笑いながら、ロイは確かにそういったのに。
「嘘つきは、泥棒のはじまりなのよ」
いつかのデートに遅刻して、いとも簡単に見破ることのできる嘘をついたロイに告げた言葉。
いつも彼は、すぐにわかる嘘しかつかなかった。
ミリアが嘘だと分かる嘘。
「もう、そんな嘘も聞けないのね」
ドッグタグを指ではじくと、カツンと固い音がした。
その音を聞いた途端、魔法が解けたようにミリアの瞳から涙が溢れ出した。
泣いても、泣いても止まらなかった。
静かな涙は、次第にしゃくりを上げて大声へと変わった。
枯れることのない涙に、息ができなくなりそうだった。
⸻⸻⸻⸻
「おーきーてーー」
幻聴だろうか。大好きな声がする。
二度と聞けないはずの、聞きなれた声。
「ミーリア―、起きてー」
二度と逢えないのならば、夢の中でくらい逢いたいのに。
夢でまで起きろというのか。
「起きてってば!ミリア!」
「うるさいっっ!」
怒鳴り声をあげて顔を上げると、身体がミシミシと音を立てそうなほど痛かった。
どうやらそのまま泣きつかれて寝てしまったらしい。
研究室の固い木の机にうつ伏せて寝てしまったようだった。
「おはよう、ミリア」
ふわっと花でも飛びそうな優しい声で、挨拶をするロイ。
――ロイ!?!?
「はっ!?!?」
驚きのあまり声も出なかった。
「どうしたの?」
不思議そうにいつもの調子で首をかしげるロイは、出かける前の姿となにも変わらなかった。
変わらないことが、おかしい。
いや、変わっていることがある。
彼の身体が、透けているのだ――
「死んだはずじゃ……?」
やっとの思いでそれだけを絞り出す。
「死んだよ。バーンって。一瞬過ぎて痛くもなかった」
「いやー参った参った。でも痛くなくてよかったよ」と言って笑っているロイに、徐々に状況を理解し始めたミリアは喜びと共に苛立ちを覚えた。
「あなた、なにか言うことはないわけ?」
「うーん……。ただいま?」
「おかえり……。ってそうじゃないでしょう!そうだけど!」
「あ、死んじゃってごめんなさい」
ペコリと頭を下げる姿に、申し訳ないと思っているのか、思っていないのかわからなくて、怒りのあまり涙が滲む。
「一人にしちゃって……ごめん。約束守れなくてごめんね」
そっと告げられた声。後悔が滲んだ、切なそうな声。
ミリアに伸ばされた半透明な手はすっと宙を切った。
ぎゅっと悔しそうに握られたロイの拳を見て、ミリアの涙腺は再び崩壊した。
「おかえり……なさい。帰ってきてくれてありがとう……」
ぽたぽたと溢れた涙は、次第に大きな雫となり、とどまることを知らなかった。
「泣かないでよー。僕触れないんだからさぁ」
「ロイが悪いんでしょー」
なぜかロイも泣いていた。幽霊も泣けるんだ。なんてどうでもいいことが頭に浮かぶ。
幽霊なんて現実的じゃないのに。
でも、魔術がある世界なら、幽霊だってきっといるだろう。
ロイが共にいてくれるならそれでいいのだ。
⸻⸻⸻⸻
二人で涙が枯れるまで泣いて、昨晩も泣いたミリアの顔は酷いことになっていた。
その顔を見てお腹を抱えて笑うロイに、一発頭を叩いてやりたくなるが、触れないものはしょうがない。
「誰のせいでこうなったと思ってるの!!」と怒鳴ると、「ごめんなさい」としゅんとした子犬のようになったため許してあげた。
「それで?なんで幽霊?」
「僕って天才魔術師だから?」
「冗談言ってないで、ちゃんと答えてくれない?」
「ごめんごめん」
そう言ったロイは、理由を語りだした。
飛んでくる魔術に対し、反射的に魔術を展開してしまったロイは、避けられないことを確信したらしい。
そこで、普段から身に着けていたドッグタグに転写魔術をかけて魂だけを定着化させた。発動する鍵はミリアの魔力だったらしい。泣きすぎて自我を失っていた自身はあるので、昨晩は魔力が漏れてしまったのかもしれない。それが鍵となったとのことだった。
理屈が分かるようで分からない魔術の説明をされた。
ミリアも魔術に関しては相当な実力だと自負していたが、やはり天才の考えることはよく分からない。
「つまり、僕はやっぱり天才だったってことだよ」
「まさか本当に成功するとは思わなかったけどね」と笑うロイの姿に、ミリアはがっくりと肩を落とす。
「ちなみに再現性は?」
「ミリアも相変わらずの魔術馬鹿だねぇ。試したりしないでよ?死ぬからね?」
「僕以外の人間がやっても100%無理だと思うよ。僕だってもう一度できるか怪しいレベル」という言葉に、魂の定着を解明することは諦めた。どの道、誰にも言うことなどできない。
「それで?どうするの?これから」
「あ、ミリアに頼みたいことがあって」
「頼みたいこと?」
「そう。あれなんだけど」
ロイが指さした先には、大きめな箱があった。
「これ?」
ミリアが近くまで寄って指さすと、
「そうそれ」
とロイはこくこくと頷いた。
「これをどうするの?」
「ミリアにとっておきのプレゼントがあってね。本当は僕の手で完成させたかったんだけど、仕上げを頼んでもいい?」
その言葉に、そういえば最近仕事から帰ってきてこそこそやっていたロイの姿を思い出した・
「なにをしているの?」と聞いても「教えなーい」と言って教えてくれなかったのだ。
「完成しなかったんだ?」
「仕上げがね。完成できなくって」
珍しいこともあるものだ。ロイは一度作り始めたら必ずどんなものでも完成させてしまうのに。それを人の目に触れさせるかどうかは別として。
「僕の指示に従ってやってくれればいいからさ」
そう言ったロイに、ミリアは小さく頷いた。死んでまで帰ってきたかったことが、”ミリアへのプレゼントを完成させること”なんて聞いてしまったら、叶えてあげるという選択しか選べなかった。
そこからは大変だった。
天才的な頭脳を持つロイは、感覚的に話すことが多い。
「そこの魔術回路をぐるーってやって繋げて」なんていうものだから、途中で何度も怒鳴りたくなった。すんでのところで我慢をしたが。
三日三晩ミリアは寝ずに頑張った。
途中で何度も「寝ていいよ」というロイに「大丈夫」と返し、完成させた。
一刻も早く彼からのプレゼントであるオルゴールの音色を聞きたかった。
「ん、完成!」
ミスがないか何度も眺めて確認をしていたロイから太鼓判が押され、「やったぁ」とミリアは万歳をする。
「よし、さっそくかけよう!」
「ちょっと待って!仕上げ仕上げ!」
「僕のドッグタグをオルゴールのここの部分にセットして」という指示にミリアは不思議そうな顔をする。
「いいからいいから」
それ以上答える気はなさそうなロイの姿に、しぶしぶ机の上に乗せたままのドッグタグをオルゴールの中にセットした。
「それじゃ、かけて」
その声に、オルゴールのネジを回す。
ギギっと回ったネジは、軽快な音と共に回り始めた。
「この曲……」
「そう、僕たちが初めに出会ったときにかかってた曲だよ」
ロイとミリアは魔術師団の任務ではなく、護衛として別々に参加していた舞踏会で出会ったのだ。
護衛対象が挨拶をした際に、同じ魔術師団の団員として軽く頭を下げた程度の挨拶。
その挨拶で、ロイはミリアに一目ぼれしたらしい。
嘘のような、本当の話だった。
過去の思い出に思いを馳せていたミリアは、目の前の光景に目を疑った。
ロイの身体が淡く発光し、光が散り始めている。
まるで、この世界から消えてしまうかのように。
「大丈夫だよ、ミリア」
優しく笑う笑顔は、「おはよう、ミリア」といった笑顔と同じだった。
だけど、同じな訳がない。
彼は、きっと、消えてしまうのだ。
また、私を一人残して。今後こそ。
「やだ、行かないで!私も連れて行って」
「それはできないな」
途端に眉を寄せ、難しい表情へと変化したロイは凛々しいが今はそんなことを言っている場合ではない。
光はどんどん増し、彼の姿は見えなくなっている。
「なんで!どうして!ずっと一緒にいればよかったのに」
「そんなこと言ってもねぇ」
「大丈夫、大丈夫」それしか繰り返さないロイに腹が立つ。
「行かないでって言ってるじゃない!ロイの嘘つき!帰ってくるって言ったのに!」
叫ぶように告げたミリアの言葉を聞いて、辛そうに眉を寄せたロイの姿にハッとする。
こんなことを言いたかったんじゃないのに。最後の言葉が、お別れがこんな言葉なんて。
そう思ったときには遅かった。
彼の身体は完全に光に包まれ、眩いばかりの光に包まれた。
ミリアは目を開けることが出来ない。
「大丈夫だよ」
そっと囁くロイの言葉が聞こえた。
それは、とても柔らかで穏やかな音色だった。
⸻⸻⸻⸻
光が収束し、部屋に静けさが戻っても、ミリアは蹲ったまま顔を上げることはできなかった。
彼のいない部屋を、見ることなんて、とてもじゃないができない。
コツン――
誰もいないはずの部屋に足音が響いた。
蹲っているミリアでは到底立てることのできない響きが。
「ミリア」
優しい、大好きな声がした。
少しだけ低い、ミリアという名前を呼ぶときにだけ混じる甘い響き。
「心配かけて、ごめんね」
その言葉にそっと顔を上げると、ロイが居た。
出かける前の姿となにも変わらない、ロイの姿が。
半透明ではない、身体がそこにはあった。
ゆっくりと指を伸ばす。
震える指先は、彼の身体に辿り着く前に空を切った。
怖くて触ることができなかった。
その指先を、そっとロイの温かな手が包み込んだ――
「ごめんね、ありがとう」
ユリアの口から、言葉が発されることはなかった。
ただ、震える息だけがユリアの唇を揺らした。
「成功するか分からなかったから。伝えられなかったんだ」
そう告げた瞳は、大きく揺らめいていた。彼も、不安だったのだ。
きっと自分よりも、もっと。
オルゴールの音色と共に聞こえた「大丈夫」の言葉はかすかに震えていた。あれは、ミリアだけではなく、自分にも言い聞かせていたのかもしれない。
「帰ってこないかと……思った」
「ごめんね」
「心配……した」
「うん、ごめん」
「もう、逢えないと思った」
「本当にごめんなさい」
「……帰ってきてくれて……ありがとう」
「待っていてくれて、ありがとう」
天才魔術師の頭の中は、いつまでたっても理解することが出来ないけれど、ロイが天才魔術師でよかったと初めて思った。
そんなことは関係ないと思っていたけれど、こんなことがあるなら、天才魔術師でいてくれて本当に良かった。
「私、初めてあなたが天才で良かったと思ったわ」
「それ、酷くない?」
ぐすぐすと鼻を赤くして泣いているロイの鼻先に背伸びをしてキスをする。
「だって私じゃこんなことできないわ」
「……こんなことをするような事態に陥ってほしくないね」
「それは確かに」
くすくすと二人で笑う。心の底から笑えたことは久しぶりだった。
柔らかな月の光が、そっと二人の姿を照らしていた。
二つの影は、音もなく一つに重なった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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現在、長編ファンタジー
【妖精に愛された亡国の王女、少年として軍に潜む】も毎日連載中です。
ちょうど第一部クライマックスに差し掛かるところです。
亡国の王女が少年として身分を隠し、軍で生き抜く物語となっています。
本作を気に入っていただけた方には、きっと楽しんでいただけると思いますので、ぜひ一度のぞいてみてください。
改めまして、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
またどこかでお会いできましたら嬉しいです。




