第9章 僕は嬉しいです…貴女と共に帰ることが
シリウスが私をエスコートして歩き始めると、正門まで自然と道が開く。
呆気に取られて、ただ見送るばかりの人々。
左を歩くシリウスを見たかったが、その横顔があまりにも美しく、心がくじけて下を向いた。
「前を見て歩いてください。それで大丈夫です。」
何が大丈夫か一瞬分からなかったが、二、三歩進んですぐに分かった。
シリウスのエスコートに任せれば、この私でも、お姫様のように優雅に歩けるのだ。
手を掛けたシリウスの腕は、予想外に固くて、頼もしい。
背丈も私を少し超えたようだ。
私より3つも年下のこの少年は、どうしてこうも、見事に予想を上回るのだろう。
私は、こんな夢のような道のりが気恥ずかしくなって、落ち着きなく話しかけた。
「初めて見た…シリウスの神通力…あんなに凄いと思わなかった。」
「あれはほんのお遊び…幻を見せただけです。」
「それに…どうして私に見えたの?…私には、神鼠の神通力は効かないはず…」
「気付きましたか?」
シリウスは目を細めるようにして、私をちらりと見た。いたずらっ子のようだ。
「貴女に、少しでも僕の神通力を見せたくて、色々研究していたんです。」
正門で、衛兵が馬車が用意して待っていたが、シリウスは近くにいる馬に素早く飛び乗り、
「こちらで帰りましょう」
と私に手を差し伸べた。
その手を取った瞬間、どうやったのか、私の体はふわりと宙に浮き、自然に馬上に収まっていた。
信じられない筋力だ。
シリウスが額の刻印に触れながら何か呟くと、満開の花が一斉に舞い散り始めた。
ワアッと歓声が上がり、拍手が起こる。
しかし、シリウスは、人々や慌てふためく衛兵には目もくれず、馬に鞭を当てた。
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馬は加速し、街の景色が後ろに飛び去って行く。
シリウスの呼吸がうなじの刻印にかかるのを感じ、胸が高鳴る…
…と同時に、猫族としての憎悪と食欲が湧き立ってくる。
「すぐ降ろせ、シリウス!君を襲ってしまう!」
「この姿勢なら襲えない。」
「震えているじゃないか!」
「馬が怖いだけです。」
「嘘をつけ!」
シリウスは私を乗せて、巧みな馬術で走っていく。
道行く人の驚嘆のまなざしも一瞬で飛び去る。
シリウスは人気のない道に進路を向けた。
しかし、シリウスの呼吸の乱れ、体の震えがひどくなっている。
…こんなにも猫族が怖いのに、
私はひどい言葉を投げつけたのに、
この国の大王なのに、
君は、私を助けに来てくれたんだ。
連れ出してくれたんだ。
本当は、私が、君を助けなければならないのに!
私は自分の手に噛みついた。
こんなに痛いのに、ほんの少し血が出ただけだ。
最初の日、シリウスはどれほど痛かっただろう。
私は、もう一度、思い切り噛みついた。
まだだ。
もう一度、もう一度…
「何をしているんですか!リヒトさ…」
「ごめんなさい。」
必死に紡いだその一言は、私の心のドアを開けた。
「シリウス、ごめんなさい。」
「…あの日のことですか?」
耳元で優しい声がする。
涙が溢れてきた。私は何度もうなずいた。
「あの日のこと…ごめんなさい…ずっと謝りたくて…でも謝れなくて…」
シリウスは馬の速度を落とした。
「僕は怒っていません。」
「でも、傷ついた。」
シリウスはふっと黙ってから、ポツリと言った。
「感情がないから、傷つきません。」
「だから、だから、ごめんなさいって言ってるの!」
私は耐え切れずに泣きじゃくった。
「リヒトさん…」
シリウスは、私の耳にそっと口を寄せた。
「ごめんなさい…どうか泣かないで。」
私は激しく首を横に振った。どうして君が謝るの?
猫族の憎悪と食欲が嘘のように引いていくのを感じた。
でも、涙だけは止まらない。
「大神殿に帰りたくないですか?」
私はまた首を横に振った。
シリウスは、その頬を、私の頬にすり寄せるように近づけた。
シリウスの震えも止まっている。
「言葉で聞かせてください。」
「帰り…たい。」
林の小道に、馬の足音だけが流れていく。
この時が一瞬でも長く続くことを祈ろうとしたとき、
馬車の中の自分の願いが、針のようにこめかみを刺した。
小道が終わりに差し掛かり、遠くに大神殿の影が見えるところになると、
シリウスが小さな声で言った。
「僕は嬉しいです……貴女と共に大神殿に帰ることが。」
ボロボロッと音がしそうなほどの大粒の涙が、私の目からこぼれ出た。
シリウスは、きっと遠くないうちにすべての感情を再生し、歴史に名を残す大王になるだろう。
手への口づけも、
私を包む長い腕も、
刻印への吐息も、
耳元でささやく優しい声も、
共に帰ることを喜ぶ気持ちも、
…じきに、私から離れていく。
私は、全身でシリウスの感触を覚えておこうと、
なるべくシリウスに体を寄せ、ほんの少しだけ顔も傾けた。
シリウスも、私に触れ合わせるように顔と体を寄せたと感じたのは、気のせいだったろうか。
夕暮れの一番星の下、神鼠と猫を乗せた馬が、大神殿への帰路をゆっくり進んでいた。……




