第8章 「神路開放」 少年大王の神通力
私は、書類を手に、賑わうキャンパスの広場を横切って事務棟に急いだ。
しかし、聞き覚えのある、耳障りな声に呼び止められた。
「久しぶりだな、リティ」
私と共にエクウスからこの大学にやってきた学友(友ではないが、呼び方がない)たち…
私を貶めないと呼吸もできない人々だ。
それにしても、呼んでほしくない人間に限って、愛称で呼んでくるのはなぜなんだろう。
「いつ、エクウスから戻ってきた?」
「ずっとここだろ?エクウスにも居場所ないしね。」
「あれ?リティちゃんは、故郷にも居場所ないの?」
「早いところ大学に居場所作らないとねぇ。ああ、窓際以外でね?」
いつもの嘲笑。怒りで血の気が引いていくのが分かる。
しかし、無理に笑って
「行くところがあるから、また。」
と通り過ぎようとすると、一人に腕を掴まれた。
「人付き合い悪いな。そういうとこでしょ、窓際にいるのは。」
「ちょっとは学習しなよ。」
新学期も初日から、人をこき下ろしていないと自分を保てないゴミ人間たち。
そして、その餌になるゴミの私。
「これ退学手続の書類じゃないか。」
一人の学友が私の手首を掴み、無理に封筒を覗き込んだ。
他の学友たちも覗き込んでくる。
彼らに囲まれて、私は容易に身動きが取れなくなった。
「とうとう退学?」
「エクウスの俊才も落ちたなぁ。」
「窓際学部ですら、ついていけなくなったか?」
もういやだ、ここから逃げ出したい……
「エクウスに名誉のご帰還だなあ、リティ。嫁入り修行でもするか?」
「女が俊才だと、嫁にもいけないだろ。」
「ここでも窓際なのに、嫁にも行けないなんて、色々不憫だな?」
怒りと屈辱と嫌悪感で、もう言葉も出せない。
「あれ?…リティ、なんか変わった?艶っぽくなった?」
腕を掴んだ学友が、私に顔を寄せる。
「お前、顔面は結構いいから、俺が持ち帰ってやろうか?」
絶対に涙は見せまいと思っていたのに、とうとう、目からあふれ出した。
助けて、シリウス……
その瞬間、
「誰を、持ち『帰る』んだ?」
静かな、鋭い声が響いた。
そこには、最上級の服とマントに身を包み、圧倒的なオーラを放つ美少年が、真っすぐに立っていた。
その場にいる全員が、息を飲む。
「離せ。」
アクアマリンの瞳が青い光を放っている……シリウス!!!
学友たちは反射的にパッと私から手を離した。
しかし、気圧されながらも、
「なんだよ!」
「何様?」
「あっちに行け!」
などと、シリウスに虚勢を張ろうとする。
しかしそれには目もくれず、シリウスは、コツ、コツ、と静かな美しい音で私に近づき、
スッと目の前に立った。
私はようやく、「シリウス…」と声を絞り出した。
「シリウス?」
「大王?」
「まさか!子供だぞ?」
「フリだろ!」
ゴミ男たちは、後ずさりしながら混乱している。
その間も、徐々に周囲に人垣ができ、私たちを取り巻いて、
「なんて美しい方!」
「神様?」
「王の紋章だ!」
「まさか…!」
とざわつき始めた。
「リヒトさん。」
茫然と立ちすくむ私に、シリウスが呼び掛ける。
「お迎えに参りました。大神殿に帰りましょう。」
シリウスが少し手を挙げると、親衛隊の一人が、私が手に持っている書類を受け取り、
事務棟に走って行った。
老いてなお精悍な親衛隊長ダンテスが、ズンズンとやって来て、
「お主ら、大王様とリヒト殿に非礼を働いたな?」
と言った途端、親衛隊が学友たちを捕捉した。
「何をするんだ!」
「離せよ!」
と叫んで抵抗するものの、屈強な親衛隊に片手一本で地面に抑え込まれている。
「黙秘は自白とみなす。大王様の面前冒涜……即刻処刑する!!!」
親衛隊長は大声で言い放ち、大刀に手を掛けた。
思わずアッと叫んだとき、シリウスが親衛隊長を静かに制止した。
「その必要はない。」
シリウスは左手を天に差し上げた。
「神路開放」
地響き……いや、地面も、空も、空気も、全てが震動をはじめた。
天に出現した巨大な青い光の渦がその左手に収束していき、シリウスの体…睫毛、髪の毛の一本一本までが光を放っている。
コツ…コツ…シリウスは、学友たちに近づいていく。
一歩進むごとに、シリウスの瞳から漏れ出る光が、残像を作る。
倒れないよう、必死に自分を支えながら、私はただ、感動していた。
いや、歓喜していた。
これがシリウスの神通力!なんという力!!こんな力の前では、何物も無力!!!
シリウスが右手を差し伸ばすと、同郷人らの前の空間がグラグラと歪み始めた。
学友たちは、
「助けて!」
「お許しを!」
と泣き喚き、頭を覆う。
シリウスは額の刻印の前で印を結んだ。
「神通力 幻」
次の瞬間、シリウスの体から青い光が解き放たれた。
「シリウス!」
とっさにシリウスの両手に飛びついたが、彼は微動だにしない。
初めて見る狂気じみた表情…これは「怒り」だ。
シリウスが、怒っている!
シリウスが、人を、殺してしまう!!!
…しかし、私の予想は、見事に裏切られた。
シリウスから解き放たれた青い光が縦横無尽に大学のテラスを飛び回ると、
瞬く間に木々が芽吹き、色とりどりの花が次々と咲いて満開になった。
建物からも石畳の隙間からも花々が咲き乱れ、緑が溢れ、蝶が舞い踊る。
人々の歓声が湧き起こった。
「リヒトさん。」
ハッと声の方を見ると、シリウスが私を見つめていた。
「改めてお願いします。どうぞ…」
シリウスはマントをふわりとなびかせて膝をつき、私の手を取った。
「僕と共に、大神殿に帰ってください。」
そっと手に口づけされた瞬間、私の呼吸は止まったかのようだった。
信じられない光景とその唇の感触に、ただただ硬直してしまったのだ。
シリウスは立ち上がると、私の耳に口を寄せて、優しくささやいた。
「駄目ですか?」
途端に、沸騰するほど熱い血が、全身を駆け巡る。
私は目を固くつぶると、声を絞り出した。
「帰ります。…大神殿に。」




