第4章 ランチタイムは突然に
1か月ほど経った。私は、大神殿で暮らしている。
残り2か月ある大学の休暇中、大神殿でシリウスと過ごすことになったのだ。
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私の一日は、鎮静薬を打つことで始まる。
この鎮静薬は、神殿で密かに研究されてきた、鼠族に対する猫族フェリスの憎悪、食欲を抑制する秘薬だ。少しずつ服用して体を慣らし、今では大腿部への自己注射に切り替えている。
この薬を服用してから、憎悪と食欲は湧くものの、シリウスを見るだけで襲い掛かる、ということはなくなった。
さらに、上京後に悩まされてきた体調不良がすっかり治った。
やはり、体調不良は、私が猫族フェリスだったことが原因だったのだろう。
最初からこの薬があれば、大学で、屈辱の日々を送らずに済んでいたかもしれない。
「体にだけは気をつけて。」
愛おしそうに私をディモイゼに送り出した、そして、それが最期のやり取りとなった、お母様の顔が思い浮かんだ。
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朝の支度。
ここでは、着替えや支度、入浴まで、メイドが手伝う。
最初は恥ずかしさで消え入りそうだったが、最近は少し慣れてきた。
体調も良く、質の良い食事を与えられ、身体のケアもしてもらい、
我ながら、健康そうな猫になったと思う。
「具合はいかがですか?」
これはステファニー様だ。
最初の日、トロス王であるロベルト様と対等にやり取りしている様子が不思議だった。
が、それも当然。
ステファニー様は神亥ハバリー州の現国王だったのだ。
ステファニー様は、6年前のシリウスの帰還以降、ロベルト様と共にシリウスを補佐するため、ディモイゼにいるという。
もちろん、補佐としての執務も行うが、その一方で、12人の子供を育てたステファニー様は、乳母のようにシリウスの世話をしてしまうらしい。
今では、大神殿のメイド長にもなっているんだとか。
私に対しても、何かと世話を焼いてくださるものだから、すっかり甘えてしまっている。
服は、私のために仕立てられたものが、あっという間に何着も用意された。
ドレスを仕立てようとしたステファニー様を全力で阻止し、なるべく簡素な平民服にとどめてもらったが、それでも上等な服である。
支度が済むと、壮麗な食堂で、シリウス、ロベルト様、ステファニー様と朝食を囲む。
普段はシリウス一人で食べているようだが、再生計画の一環として「ご一緒」ということだ。
もちろん、急に私がシリウスに暴言を吐いたり、襲い掛かろうとしたり、
シリウスが恐怖でフォークを取り落としたりするハプニングが頻発する。
今日もそう……
「シリウス!目の輝きを抑えろ!!!」
「生まれつきです。ああ、そんなに言われると、手が震えてナイフとフォークが持てません。」
「怖がっているのか?怖がってるフリか?!」
「フ…フリで…す。」
「嘘つけ!!!」
こんな具合だ。
当初は、食堂を引きずり出されたり、神通力で制圧されたりしたが、ある程度発散すると落ち着くし、
そもそも、シリウスの恐怖心を端緒に感情を取り戻す計画だから、基本的に生温かく見守られている…
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そこからは一緒に(かなり席は離されているが)講義を受ける。
先生には、各方面の専門家、実務家が招聘される。
嘲笑の的になり、見返すことを燃料に勉強したツヴェルフェト大学では得られなかった楽しさがある。
何より、シリウスが凄い。
13歳のシリウスの学力は、ツヴェルフェト大学レベルに優に到達している。
話には聞いていたが、実際彼は、天才だ。
1を聞けば10も100も理解し、自在に応用する。
そして、圧倒的な知識量。
記憶の神通力を持つ神鼠しんそだから、というだけでなく、1で100を知る頭脳があるからだろう。
そんなシリウスと先生方との議論は、言葉のやり取りを超えて、美しい音楽のよう。この先に何が展開されるかと心が躍る。
うっとりと聞き惚れて、気づけば、私は、それを語る知性に満ちた少年の顔に釘付けになっているのだった。
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シリウスの執務や剣技・神通力の訓練などの間は、大神殿に併設された「ツヴェルフェト国立図書館」の手伝いをしている。
書物の整理をしたり、書類を作成したり、掃除をしたり…これが楽しいのだ。
そのほかにも、毎日必ずあるのが、ステファニー様による「淑女のお作法」講義。
ステファニー様が「必ず役に立ちます!」と始めてくださったものだ。
お辞儀の仕方、歩き方、食事の作法などを教わっている。
シリウスとの食事、ロベルト様と話すときなど、ステファニー様の目が光っているわけだ。
夕食。
シリウスの予定がないときは、彼と一緒だ。
ステファニー様による淑女の講義も虚しく、朝食と同じ騒ぎが頻繁に起こる。
でも、最近は、どうも、ロベルト様とステファニー様が笑いを堪えているように思える。
気のせいだろうか…
それから、メイドに丹念にケアをしてもらう入浴。
昼も夜も一緒くたの服だった私が、柔らかい絹のネグリジェに着替えさせてもらう。
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それから一人の勉強時間。
…窓から見えるシリウスの部屋の明かりを見ながら。
執務か、勉強か…いつも遅くまで明かりは消えない。
明かりが消えるまで、私も起きて勉強をする。
二人で一緒に頑張っている気がするのだ。
明かりが消えると、私も就寝する。
ベッドはふかふかと整えられ、気持ちいい。
顔を合わせると、シリウスに憎たらしい言葉を投げてしまう。
でも、本当は、少しくらい、普通に、話してみたい。
枕に顔をうずめながら、心の中で「お休みなさい。」と言う。
シリウスの寝間着姿はどんな風なんだろう…きっと…きっと…
私は、こんな風に、シリウスや神殿の人々に囲まれ、慣れない、不思議な日々を送っている。
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ランチタイムは、私の休み時間だ。
ランチボックスに軽食を詰めてもらい、広大な庭園をぶらぶらと散策する。
趣深い彫刻や円柱が石畳に沿って点在し、荘厳な雰囲気を醸し出している。
古木の幹はこの大国の歴史を刻み、葉を落とした木々と常緑の草木が、池や東屋ガゼボを縁どる。
冬でも、すべてが味わい深い。
春になったら、どれほど素晴らしいだろう。
私は夢見るように周囲を見回した。
でも、春になったら、私はここにいない。
再生リザレクションは大学の休暇期間に限定された計画なのだ。
シリウス次第で、もっと早くお役御免になるかもしれない。
「シリウスが…」
ふとつぶやいた瞬間、心臓にチクリとトゲが刺さった。
トゲ?
シリウスが感情を再生リザレクションすることは望ましいし、そもそも私は神鼠を害する猫族フェリス。
お役御免になってここを去ることこそ、シリウスにとって幸せな……
「お呼びですか?」
「うわあ!!!」
猫だましに逢った猫のように飛び上がった。
振り返ると、少し離れて、マントに身を包んだシリウスが佇んでいる。
「シリウス!なぜここに?!」
「貴女に、お話があって来ました」
「話……」
心臓にブスリと錐が打ち込まれたように感じた。
シリウス直々に私に話しに来るとは…私が怖くて耐えられないとか…
…もう私は不要だとか…そういう話だろうか?
緊張感が高まり、いたたまれない。
耳を塞ぎたかったが、私の自尊心がそれを許さなかった。
平静を装ってシリウスに尋ねる。
「話って…?」
「貴女は私の感情を再生リザレクションするためにここに来ましたね。」
「ええ…」
「おかげで、僕は、既に【恐怖】という感情を取り戻している。
僕は、いつも神通力を操作する訓練をしているのですが、
【恐怖】を取り戻してから、大きく操作の質が上がったと思っています。
ですから…」
この流れはやはり……ああ、やはり耳をふさいでしまいたい!
「ですから、もっと【恐怖】を試そうと思います。」
「…え?」
私は面食らった。
シリウスは、巻き尺をするりと取り出すと、片方の端を私の方に放り投げた。
「今、貴女が鎮静薬を打ってから、5時間くらい経っていますね?
このタイミングで、僕がどこまで貴女に近づいて、【恐怖】をコントロールできるか調べましょう」
「いや、待って、そんな危ないことは…」
「十二支と私は」
シリウスは、輝く瞳で、私を凝視した。
「この計画のために、貴女の人生の貴重な時間を使っています。
その貴女に報いるには、私が、この計画を受け身で過ごしては駄目なんです」
私は巻き尺に目を落とした。
そんなことを考えるシリウスが可哀そうで、うっかり涙が出そうだったのだ。
「駄目じゃない」と叫びたい想いを喉の奥に飲み込んだ。
「さあ、見てください。
今、リヒトさんと僕の距離は3メートル。
具合はどうですか?」
「特に…異常はないと思う。」
「では、2メートルに縮めましょう。」
シリウスは近づいた。
「どう…ですか?」
「ちょっと…ゾワゾワする…シ、シリウスは?」
「僕も…ゾクゾクします。では1メートル。」
シリウスはさらに近づいた。
顔が青ざめている。
「ど…どう…ですか?」
「ゾ、ゾワゾワする…ものすごく……もう…もうやめよう、シリウス!」
「やめません。50センチ。」
シリウスはさらに近づいた。
巻き尺を持つ手が明らかに震え、既に顔は土気色だ。
私は、熱いうなじを必死に押さえつけた。
「リヒトさん…どんな…感じ…?」
「どんな感じも何もあるか!鼠め!!襲うぞ!!!」
しかし、シリウスはさらに近づいた。
私の顔からブワッと汗が吹き出し、ぐらぐらと目眩がする。
「30…センチ!」
「もう駄目だ!!!」
そのとき、シリウスはフワッと一歩近づき、私の手を優しくとった。
「0センチ」
シリウスは、優雅な仕草で、私の手を彼の額の刻印にそっと当てた。
しかし、次の瞬間、お互い跳ねのいて距離をとった。
「シリウス!!!なんて…なんて危ないことを!!!」
と声を荒らげる私に、
シリウスは顔中を笑顔にして、両手をパッと広げた。
「0センチ達成です!リヒトさん!!!」
それは幼い子供が宝探しで宝を見つけたような、あまりにも無邪気な笑顔だった。
初めて目にするシリウスの笑顔に、私はしばらく言葉を失った。
「ところで」
すぐにいつもの無表情に戻って、シリウスは言った。
「リヒトさんは、とても綺麗な顔立ちですね。」
「えっ?…は?」
「目鼻立ちのバランスが綺麗です。
これまでも思っていましたが、さっき近くで見て確信しました。」
耳まで血が上ってくる。
「リヒトさん、頬と耳が真っ赤です。熱があるんですか?」
再びシリウスが、私に近づいてくる。
「近づくな!私が襲ったらどうするってさっきから…」
シリウスは、触れるほどの距離で立ち止まると、真面目な顔で、私の顔を覗き込んだ。
「僕が、リヒトさんを襲うのではなくて?」
「ばッ、ば…馬鹿シリウス!!!」
私はその場から一目散に逃げ出した。
あの…あの、生粋の、天然王子!!!
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大神殿の庭園に、暖かな冬の光が降り注いでいた。




