第3章 血の付いた唇に触れれば
「私が猫族の継承者……」
ステファニー様は、私に手鏡を持たせ、合わせ鏡でうなじを見せてくれた。
ある…「١٣」の刻印が…
思い返せば…ディモイゼの空気が嫌いだったこと、ディモイゼに来てから不調続きだったことも、私が猫族だと考えれば納得がいく。
母の死からうなじが痛むようになったり、異様なほどに調子が悪くなったのは…
…母が猫族の継承者で、その死により私が継承者になったからでは?
でも…
「…猫族だとしても…私が…人を食べようとするなんて…さっきみたいに…」
ここにきて、ようやく私は重大なことに気付いた。
「今のお話だと、大王は、まだ13歳ですよね…?」
「はい、その通りです。」
「…じゃあ…さっき私が襲った子は…まさか…」
その時、廊下がざわめいたかと思うと、ノックもなく扉が開いた。
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「シリウス様!」
ロベルト様とステファニー様は、叫ぶと同時に私を拘束した。
コツ…コツ……静かな靴音が私に近づいてくる。
急激に湧いて出る憎悪と食欲にもがく私だが、ロベルト様の鋼鉄のような腕の隙間から、銀色に光る髪が見えるばかり。
ロベルト様が何かを呟くと、私の体に波動が伝わってきた。
おそらく私の動きを制圧する神通力。
私がぐったりすると、ようやく、ロベルト様とステファニー様は私を解放した。
パッと開かれた私の視界に、まばゆいばかりの銀髪とアクアマリンの瞳の美しい少年…
…私が襲って傷付けた、あの少年が涼やかに佇んでいた。
「私は、シリウス・ソイリと申します。貴女が、リヒト・ネコミヤ嬢ですね。」
少年大王は私を見つめ、澄んだ声で言う。私は微かにうなずいた。
「貴女が、僕が生きているかどうかを心配していると聞きました。僕は、この通り、無事です。」
首元には血がにじんだ包帯が巻かれていて、痛々しい。
しかし、私の頭が、ぐらぐらと煮え立ってきた。
この少年大王を可哀そうなどと思わない。ただ、食いたいのだ。
私は、ロベルト様の神通力で身動きが取れないのに、目の前の獲物を襲おうとして必死にもがいた。
しかし、少年大王はスッと膝をつくと、もがく私の唇に手を伸ばし、こびり付いた自分の血に触れた。
が、すぐにビクリと手を離した。顔が真っ青だ。
「ロベルト、神通力を緩めるな」
少年大王は短く命じると、もう一度、私の唇に手を伸ばした。
さらに、唇にこびり付いた血を、指でゆっくりこすり始める。
震えているが、少年大王の指は優しい。
「これが、恐怖…?」
少年大王は、鼻の頭がつくほど私に顔を近づけると、首を傾げてささやいた。
「ゾクゾクするんですね。」
顔から火が噴き出た。
「気安く、触るな、シリウス!!!」
ようやく声を絞り出した私は、顔を火照らせてシリウスを睨みつけた。
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シリウスを部屋に押し返し、神通力を解除したロベルト様は再び私に向き合った。
私はまだ、シリウスの残り香で血が湧き立っていたが、その勢いで切り出した。
「先ほどの再生計画ですが…」
ステファニー様は、私をソファーに深く座らせてくれる。
「自分を制御できるとは到底思えません。…大王が死んだらどうするんですか?」
「貴女がシリウス様を死なせる結果になったとしても、貴女に罪を問うことはありません。」
「シリウスが死ぬかもしれない!!!」
ロベルト様のカラスの濡れ羽のように黒い瞳が、私を見つめる。
「シリウス様が感情を取り戻し、神通力を安定させることは、国の存亡にかかわる重大な問題…
…今回のあなたへの依頼は、十二支会議の決定です。
そして……シリウス様は大王としての重責を負う、聡明な方。
この計画が重大な意味を持つことをよくご存じです。」
神殿の奥に座るシリウスの暗い影、恐怖に耐えて私に触れた震える手を思い出した。胸が苦しい。
「私が、この話を承諾したら…あの…」
「ええ、承諾していただければ、十分にお礼をします。それに…」
「私が承諾したら」
私はロベルト様を遮った。そんな話はしていない。
「シリウス…大王は、少しでも幸せになりますか?」
「幸せ…?」
ロベルト様とステファニー様は、苦しそうに顔を見合わせた。
「…それは分かりません。この計画は国の安寧を図るためのもので、シリウス様もそれを望んでいる。
その意味で、成功すればシリウス様は幸せになるかもしれない。
でも、結果的に、感情を取り戻せずに苦しむことも、感情を取り戻したことで苦しむこともあるかもしれない。」
「でも、国が乱れた場合に苦しむのは国民…
…私たち十二支は、シリウス様が幸せになるかどうかを考慮に入れることはできないのです。」
私は目を閉じた。
首を傾げて私を見つめる澄んだ瞳、優しい手の感触が蘇った。
私は拳を握りしめて、ゆっくりと言った。
「再生リザレクション計画が終わるまで、
私に、あの子を殺させないでください。」
「猫族」の野性が蘇らないよう、私は、必死に「自分の」理性にしがみ付いた。
「理屈は分かったつもりです。
でも、私は、あの子には死んでほしくない。
あの子の命が危なくなったら、
私の首を刎ねてでも、あの子を助けてください。」
私は、真っ直ぐ前を向いた。
「約束してください。」
「……分かりました。お約束しましょう。」
「では、承諾いたします。」
ロベルト様とステファニー様は立ち上がり、私に深く礼をした。




