第2章 十二支は神鼠の再生を猫に「乞い」
ふと目を開けると先ほどと同じ天蓋が見える。
私が、少年を襲い、首元に嚙みついたのは…夢だったのか…?
ふと口元に手をやると、何かがこびり付いている。舐めると鉄のような匂いが鼻に抜け……
私は飛び起きた。私の服には血が飛び散っている。
…夢ではない!夢ではない!!
私は、少年を襲ったのだ。首元に噛みついたのだ。
血が噴き出ていた。あの子は死んだのではないか?
全身が氷のように冷え、自分の首を引き掴んだ。
エクウスでの勉学の日々、嘲笑われながらも、必死に過ごしたツヴェルフェト大学。
世のため人のためになるよう、知性と理性を磨いてきたのに、結果は、知性も理性も何もない、狂気によって罪のない少年を殺したのか。
美しい銀髪とアクアマリンの瞳が脳裏に浮かぶ。
喉の奥がカサカサに乾いて、氷水を浴びたように震えが止まらなくなった。
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「大丈夫ですか?リヒトさん?」
優しい声が近づいて、ふわりと私を包んだ。
「まあ、真っ青よ。誰か、気付け薬と葡萄酒を持ってきてちょうだい。あと、暖かい毛布も。」
慌ただしく足音が行きかう。
「可哀そうに。さあ、これをどうぞ。」
私は、美しいグラスに注がれた液体を口にした。少し視界が広がる。
目を上げると、栗色の髪を品よくまとめた貴婦人が、横を向いて誰かと話している。
「だから申し上げたのです。謁見前にリヒトさんに事情をお話するべきだと。可哀そうに、息も絶え絶えではないですか!」
「ステファニー様、私の落ち度です。事前に鎮静薬を投与したので、油断しまい…」
ステファニーと呼ばれた貴婦人が、私を覗き込んだ。
「具合はいかがですか?…どうしましたか?苦しいのですか?」
まだ震えは止まらない。しかし、私は、声を振り絞った。
「私が襲った、あの子は…死んだのですか…?」
「あの子?…ああ、それは大丈夫ですよ。傷を負いましたが、命に別状はありません。」
私は、貴婦人に飛びついた。
「生きているんですか!!!」
「ええ。」
貴婦人は私の肩に優しく手を置いた。
「生きていますよ。」
私は手を揉みしだいて崩れ落ちた。
「ああ、神様、神様…もう処刑されても構いません」
涙が溢れた。ただ、ただ、良かったと思った。
今後、私がどのような罪に問われても、あの子が死なずに済んだ。それがどれほどの救いか。
抱き起されてソファに座ったときには、震えは止まり、私の心は静謐になっていた。
「お話しても大丈夫ですか?」
「はい。あの子に許してもらえるとは思いませんが、処刑の日まであの子の傷が早く癒えるよう、祈り続けたいと思います。」
貴婦人とロベルト様は、驚いた表情で顔を見合わせた。
気を取り直したように、貴婦人は優しく言った。
「お話というのは、先ほどの事件の処罰などではありません。あの件は、貴女に何一つ責任がないのですから。」
「え…?」
貴婦人はロベルトを軽く睨むようにしたが、私に向き直って、丁寧に頭を下げた。
「貴女にお手伝いいただきたいことがあるのです…
…この国の大王、神鼠シリウス様の感情を再生リザレクションする計画に、協力していただけませんか?」
貴婦人はゆっくりと話し始めた。
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13年前ー
当時のツヴェルフェト王国の女王である神鼠テミスは、第一子を出産すると同時に死去した。
国家の非常事態である。
ツヴェルフェトは、神の呼びかけに応え、神の山ゴテスベルクに参集し、神獣となった十二支ー
鼠(子)・牛(丑)・虎(寅)・兎(卯)・竜(辰)・蛇(巳)・牛(午)・馬(未)・猿(申)・鳥(酉)・犬(戌)・猪(亥)
により建国された王国である。
国土は、神の山ゴテスベルクを中心に、十二の州に分割されており、神獣の神通力の継承者が各州を治めている。
各州の王位継承者は、「神通力の継承者」と決まっているのだ。
神通力は、神から十二支にそれぞれ与えられるが、各代に一人しか発現しない。
先代が死亡すると、各神獣族に属する者の誰かに継承される。
直系、年齢は無関係。
誰に継承されるかは、神のみぞ知り、誰も分からない。
神通力が継承されると、顔に「刻印」が発現し、それで判明する。
その者が、各州の王位を継承するのである。
テミス女王が死去したとき、生まれ落ちた赤ん坊の顔にはくっきりと神鼠の刻印が発現していた。
これが、現在のシリウス大王だ。
生まれたばかりの赤ん坊に刻印が発現することは前代未聞だった。
しかも、赤ん坊が継承したのは、神鼠の神通力。
各神獣の神通力は、基本的に同列だ。
しかし、ゴテスベルクを第一位で登頂した神鼠は、別格。
突出した強大な神通力を有する上、他の神獣の神通力を無効にする力も持っている。
このため、ツヴェルフェト王国の首都は、神鼠が治めるディモイゼと定められ、各州を統括する大王は、代々神鼠が継承しているのである。
十二支会議は、赤ん坊…すなわち、シリウス大王の神通力が安定するまで、女王の死去を秘匿することを決定。
大王の補佐にトロス州の王、神牛ロベルトが就くことになった。
シリウスの神通力は、「千年に一度」ともささやかれる強大さだった。
しかし、天賦の才に恵まれ、自身の成長と共に、自然と神通力を使いこなし、3歳ごろには安定的な神通力の操作が可能になっていた。
神通力の才、抜群の頭脳と身体能力、日を追うごとに光り輝く美貌……大王となるべくして生まれた子だと、思わない者はなかった。
シリウスが5歳になったとき、テミス女王の死去とシリウスの神通力の継承が公表された。
盛大な就任式を催されることも決まり、国中がお祝いムードに包まれていた。
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しかし、就任式の日、隣国クラウンが隠密裏に決行した奇襲作戦により、シリウスは誘拐されたのだ。
クラウンは、直後、ツヴェルフェトに宣戦布告を行った。
これが「誘拐戦争」である。
大王の命を条件に数々の要求を出すクラウン。
それは、ツヴェルフェトの要衝や鉱山の所有権や利益の移譲、十二支の各獣族からの人質などを求めるものであり、国家・国民に甚大な被害を及ぼす厳しい要求だった。
しかし、クラウンの要求を飲んだところでシリウスの命が助かる保証はない。
その一方で、大王が殺害されたとしても、神鼠の神通力は同族の誰かに継承される。
結局、十二支会議はクラウンの要求を拒否し、全面戦争に突入。
ツヴェルフェトは、戦況を有利に進めていった。
クラウンが見誤ったのは、十二支の神通力だろう。
十二支の神通力の詳細は公にはされていない。
神鼠の神通力に気を取られていたクラウンは、神鼠以外の十二支の力を正しく予測できなかったのである。
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2年後…クラウン敗北が必至の状況の中、同国は、
「既にシリウスは、クラウンの愛国者に育っており、同国に有利な終戦条約を結ばなければ、シリウス自身がツヴェルフェトに神通力を発動する。」
と通達してきた。
シリウスの神通力は、ツヴェルフェトを殲滅させるに十分な強大さ。
そして、彼には他の十二支の神通力は無効。
一時、ツヴェルフェトはクラウンの要求を飲まざるを得ないかと思われた。
しかし、ここにきてようやく、二年間探し続けたシリウスの居所が判明。
十二支の王による、決死の救出作戦が行われた。
そして、地下牢に到達したロベルト達十二支が発見したのは…
全身傷だらけでやせ細り、
今まさに、おぞましい虐待の最中にいた、
シリウスの酷い姿だった。
……シリウスを奪還されたクラウンは完全に敗北し、滅亡した。
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クラウンから帰還したシリウスが、初めて発した一言は
「就任式はいつだ?」
だった。十二支は耳を疑ったが、その理由はすぐに判明した。
誘拐されていた2年間も、シリウスはツヴェルフェト王国、自身の立場など全てを覚えており(クラウンへの愛国心が育ったというのは虚偽であった。)、天賦の頭脳も失われていなかった。
しかし、その感情は完全に失われていた。
彼は、虐待の苦しみも、帰還した喜びも、感情と名の付くものは全て感じなくなっていた。
だから、2年前に途切れた自分の役割を、淡々と続けようとしたのである。
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少年大王は、驚異的な回復力により健康な肉体を取り戻していった。
彼は、「失われた」2年間が「失われていなかった」かのように、勉学や剣技を極め、さらに、大王の執務も着実にこなした。
しかし、何年経っても、少年大王の感情は再生しなかった。
どのような美しいもの、楽しいもの、可笑しなもの、美味な料理、人々の気遣い、敬愛も、少年大王の感情の再生リザレクションには、何一つ役立たなかった。
神鼠は、多種多様な神通力を使えるが、最も得意とするものは「記憶」の操作。
人の脳に、虚構を記憶させることもできれば、重要なことを忘却させることも自在にできる。
さらに、シリウスの神通力は「千年に一度」の威力。
広範囲の人間を一挙に廃人にすることも、狂戦士にすることも可能だし、その対象は人のほか動物にも及ぶ。
この神通力が暴走したとき、制圧することはおよそ不可能なのだ。
十二支の王たちは、シリウス大王が国家や国民を「害する」野獣ではなく、「守る」神獣となるよう、その教育に力を注いだ。
しかし、感情を失った人間が、その死に至るまでの長期間、強大な力を正しく使いこなすことは困難……少なくとも、国家、国民にとってあまりにも危険だ。
十二支の王たちは、あらゆる手段でシリウス大王の感情を戻そうと試みたが、いずれも功を奏さないまま、幾年も年月が流れていった。
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ここで、十二支は一つの計画を立てた。
それが、猫族による感情の再生計画である。
古の、神の山ゴテスベルクへの登頂レースのとき、猫族の王は、神鼠の祖となる鼠の謀たばかりにより参加できず、神獣になり損ねた。
このため、猫族は鼠族、特に|神鼠に激しい憎悪を抱き、両者は不思議な属性を有することになった。
…猫族は神鼠に激しい憎悪と食欲を抱く。
…猫族は神鼠を捕食する。
…神鼠は猫族を極度に恐れる。
…神鼠の神通力は猫族に効かない。
この属性を逆手にとって、シリウスに「恐怖」という感情を呼び起こし、これを端緒に感情を再生するのが、今回の計画なのだ。
シリウスが殺害される可能性は否定できない。
しかし、仮にそうなったとしても…
…感情が復活せず、神通力を操れない神鼠は、次世代に神通力を継承することが、その究極的な務めなのだ。
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猫族の継承者…うなじに猫族の刻印「١٣」を持つ者の探索がはじまった。
が、探索は難航した。
猫族は、200年前の神鼠テレシウス大王の「猫族狩り」により、ほぼ壊滅しているのだ。
生き残りがいたとしても、自分が猫族であることに気付かず、気づいたとしても秘匿することが多い。
事態が動いたのが、今年……鼠年の大晦日。
鼠年の大晦日は、「猫族狩り」で犠牲になった猫族の鎮魂を祈る、12年に一度の「猫の聖祭」の日でもある。
探索の神通力を展開していたシリウス大王が、ツヴェルフェト大学の建物上部に「光る違和感」を感じたという。即座に探索部隊が投入され、ロベルトも街に向かった。そこで…
…行き倒れた、うなじに「١٣」の刻印をもつ少女リヒトが発見されたのである。




