初めてのお出かけ
私リリアーナは今日、なんとクライヴ殿下と、彼が領主を務める領地シュテイン公爵領にお出掛けしているのです。
嫁いで来てからというもの一度も屋敷を出ていなかったリリアーナはシュテイン公爵領を見てみたいと、今朝の支度中にちらりとマイラに話したのだ。気楽なお出掛けのつもりだった。「案内出来る方を連れて来ますね」と言った彼女はあろうことかクライヴを連れて戻って来た。慌てて「お忙しいのでは?」と尋ねたのだが「大丈夫だ。今は妻が最優先だ」とさらっと言われ、思わずどきっとしてしまった。
うっかり勘違いしてしまいそうになるわ。きっと殿下は女性に慣れているからそういうことをさらさら言えるのよ。でも女性に囲まれているところ見たことがないのよね。『多数の女性を侍らせている』って噂もあるけれど、もしかするとあれも所詮噂でしかないのかしら。
最初に案内されたのは公爵領全体が見渡せる高台だった。
「凄い……」
思わず感嘆の声を漏らす。沢山の家や店が立ち並んでいる姿が確認できる。
「ここから見える場所は全て公爵領だ。壮観だろ」
「はい。こんなに広いなんて思いませんでした」
「俺も初めて見たときそう思った。てっきり俺に与えられるところなんて小規模な領地だとばかりな」
その横顔はどこか嬉しそうに思えた。
フィリア伯爵領と比べるとその大きさがよく分かるわ。一体何倍? いいえ何十倍ぐらいあるのかしら。ここに嫁ぐなんて私……。
いざ公爵領の広さを目の当たりにすると若干不安を覚えていた。
「リリアーナ? どうかしたか?」
「その……私にここの領主夫人など務まるのでしょうか……」
「大丈夫だ。何も心配いらない」
……クライヴ様はどうしてそう仰るのかしら。
「ああそうだ、あそこには近づかないようにしてくれ」
そう言ってクライブが指し示した場所には大きな山が聳え立っていた。
「あそこはもしかして」
「ああ、魔の森だ」
「街は騎士団が巡回しているから安全だが、あの付近は安全とはいえないからな」
「承知しました」
次に二人は街へと向かった。
「おっ、クライブ殿下じゃねぇか」
領民の男性が声を掛けて、歩み寄ってくる。
「最近どうだ?」
「特に問題はありませんな。ところで、そっちの美人さんはもしかして」
そう言って、彼はリリアーナの方に目を遣る。
「ああ、妻のリリアーナだ」
「やっぱりそうだったのですな。結婚したって本当だったんだなぁ。よろしく頼みますぜ、奥様」
「はっ、はい」
随分、領民との距離が近いわ。なんだか懐かしいわ。
フィリア伯爵領でも伯爵家の人々と領民は親しい関係だった。
「あっ、クライブ殿下だ〜」
どこからか今度は男の子の声が聞こえる。二人の会話が聞こえたのか、次から次へと人が集まってくる。
「殿下は慕われているのですね」
「そりゃあなぁ。あの方が領主になってくださらなかったらこの街はどんどんダメになってたでしょうからな」
そう先程の領民が教えてくれる。
「え?」
「そうか。来たばかりじゃ知らないか。この辺りの前領主は酷いお人でなぁ、俺らの生活は苦しいってのに、贅沢三昧を繰り返して。俺の知り合いも何人も病気で治療も受けられずに死んじまったさ」
「そのようなことが……」
「ああ。で、そんなときに領主は国に納める税を誤魔化してたとかで捕まえられて、新しい領主にクライヴ殿下が就いたんですよ。そりゃあ、初めは噂もあるし、どうなることかと思いましたけどね、すぐに環境の整備とか諸々行ってくださって。お陰で命拾いしたっつう領民も多いんですよ」
「だから慕われているのですね」
「おおよっ。それに加え、凄腕の魔術師でもある凄いお方だ」
こんなに慕われている領主様……ますます噂とは当てにならないと思い知らされるわ。
「じゃっ、俺は失礼しますぜ」
そう言うとその男性は去って行った。
「奥様もどうぞ」
「え?」
声がした方を向くと、果物を手渡される。
「あ、ありがとうございます」
ふとクライブを見ると、果物やら何やらで既に腕がいっぱいになっていた。魚の頭らしきものまで覗いている。
「えっと……帰るか」
「はい、そうですね……」
これではどこにも行くことはできない。
屋敷に戻り、食材を料理長に渡した。夕食はその食材で料理を作ってくれるらしく、それまで部屋で楽しみに待つことにした。
「ねぇ、マイラ」
「はい、奥様」
「クライヴ様ってどんな方なのかしら?」
「!!奥様がついに殿下にご興味を……。お教えしましょうっ」
マイラは興奮気味に語り出した。
「殿下が公爵位を賜る前、王家が所有する別邸で暮らされていたことはご存知で?」
「ええ、知ってるわ」
「では、そのお屋敷に追放される形で王宮から移り住まわれた、という噂をお聞きになったことは?」
「あるわ。確か10年ほど前のこと、よね?」
「ええ、その通りです。で、す、が、実は追放されたわけではないのですよ」
「やっぱりそうなのね!?」
「奥様もお気づきに?」
「ええ、そんな噂とはまるで別人だもの」
その言葉を聞いたマイラは大きく頷いた。
「そうですね。これはイザックさんから聞いた話しではありますが、殿下がそのお屋敷を気に入りまして、あそこで暮らしたいと仰られたとか」
「それで……」
そういえば、“殿下追放説”なんて初めて聞いたのは、クライヴ様が公爵になられてからだわ。もしかして色々悪い噂が出て来て、尾鰭が付いて広まったのかしら。
今となっては噂だらけで最初の噂がどれかすら全く分からない状態だ。
そういえば“人間じゃない”とかいう噂もきいたことがあるような……。尾鰭どころではないわね、これは。
リリアーナは噂の数々を思い出し、苦笑いを浮かべた。
**********
夕食の時間になったリリアーナはすぐに食堂に向かった。クライヴと向かい合って食事を始める。
「美味しい……」
つい頬を綻ばせる。
「ああ、毎度のことながら美味しいな」
毎度……いつもああなるのかしら。
リリアーナは昼間の、領民からのプレゼントの数々で腕が一杯になっていた光景を思い返した。
「あっ」
「どうした?」
リリアーナはまだきちんと言えていなかったことを思い出した。
「いえ、お伝えしたいことがあって」
「なんだ? っまさか…………離婚?」
「え? しませんよ!? 殿下がそう望まれるのでしたら別ですが……」
それなら仕方がないけれど。
「ち、違うっ。望まないっ!!」
慌てた様子で叫ぶクライブ。
「良かったです」
「俺はてっきり……初対面がああだったから。今思い出しても申し訳ないことをっ。ううっ……」
そう言って項垂れている。
「お、お気になさらないでください。もう気にしてませんからっ」
「ということは一度は気にして……。うぐっ、俺は最低だ」
「あのっ、クライブ様!! 私はこのように素晴らしいところに嫁いで来れたこと、とても嬉しく思っております。そうお伝えしたかったんです」
「……本当?」
顔を上げて尋ねられる。
「はい、本当です」
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しい」
彼は優しくはにかむように微笑んだ。
「その、俺も……嫁いで来てくれたのが君で良かったと思っている」
クライヴのその笑顔にどきどきと胸の高鳴りが止まらなかった。




