殿下に料理のプレゼントを
リリアーナがクライブの元に嫁いで1週間が経った。あれから、クライヴとは一度も会えていない。リリアーナはというと、毎日図書室で趣味の読書をして、楽しく過ごしているだけで、妻らしいことは何一つ出来ていなかった。
妻としての私を求められていないことは分かってはいるのだけれど、これではただただお世話になっているだけじゃないの!? それにあの日、わざわざ謝罪までされて、これから少しは仲良くなれるんじゃないかって思っていたのだけど。せめて、お話しぐらい。お話しすらできないと仲良くなりようがないじゃないっ。何でもいいからお話しのきっかけがほしいところね。
きっかけ……実家では普段、植物を採取したり、農作業したり……。
何か活かせそうなもので、かつクライヴ様のお役に立てることはないかしら?
実家に多額の支援金を頂いていながらこれでは申し訳ない。そんなことを考えながら廊下を歩いていると、どこかから溜め息が聞こえた。
「はぁ、一体どうすれば……」
彼はこの屋敷の料理長だ。料理長、といってもこの屋敷の料理人は彼一人しかいないのだが。クライヴが公爵になった当初からこの屋敷で働いているらしい。
「どうしたの?」
「っ奥様」
彼はリリアーナの姿を見て目を瞬き、頭を下げた。
「何かあったの?」
そう尋ねると彼は暫し逡巡し口を開いた。
「それが……殿下がお食事を召し上がってくださらず。簡単なものでしたら召し上がって頂けるのですが」
「いつからなの?」
「……このお屋敷に来られる前からです」
「ええっ!?」
それってもう何年も経つわよね!?
「このままではお身体を崩されてしまうのではと心配で」
その通りよ。前にイザックに聞いたけど、クライヴ様って外にも出ず、ほとんど部屋に引き篭もってるとか。このままだと本当にお身体を壊してしまうわ。クライヴ様の私生活を何とか改善するわよ!!
メラメラとやる気が漲ってくる。
それにあんな美味しい料理を食べないなんて勿体無いわっ。クライヴ様は慣れてしまっているのかもしれないけれど。
「よしっ、食べやすいものでも私が作るわ」
実家の伯爵家では私も料理を手伝っていたし、経験はあるもの。頑張るわよ!!
まあ、プロの料理人の食事を取らない方が、私の手料理を食べてくれる保証はないけれど。
「よろしいのですか?」
「ええ、もちろんよ。でも、もしかして駄目だったかしら」
初めてお会いしたとき“関わるな”って仰っていたし。あの後、訂正はされたけれど、それでも望んでいない妻であることには変わりないわけだから。
「大丈夫に決まってますっ。奥様の手作りの料理ですよ!? 食べないなんてあり得ませんよ!!」
どこから話を聞いていたのか、いつからいたのやらだが、確信を持った表情でマイラが言う。
そう思うのはマイラぐらいね。
普通に拒否される可能性もある。
「もし殿下が嫌だって仰るなら代わりに私が食べるんですから!!」
「マイラ……」
「そうですね。奥様、お願いします。正直、私では殿下に召し上がって頂けるものをご用意できないと思いますから……」
そう言う料理長は悲しげに眉を伏せた。
「……分かったわ。任せてちょうだい」
その際にイザックからお薦めされた料理がオムライスだ。昔から大好物らしい。
失礼かもしれないけれど、少し可愛いと思ってしまったのは内緒だ。てっきり殿下の好物なんて、私の知らない高級料理でも言われると思っていたから。
「よろしくお願いいたします、リリアーナ様」
「ええ。よろしくね。絶対に召し上がって頂かないとね」
料理長にプロの料理の作り方を教えてもらい、暫くして完成した。
普段の料理より、美味しそうに出来たわ。でも、いつも頬が落ちるほど美味しい料理を作ってくれる料理長の料理には到底及ばないけれど。
「とてもお上手です。きっと殿下は喜ばれることでしょう」
「そうだと良いけれど」
「奥様っ、どうされたのですか?」
クライヴの食事を受け取りに来たのだろう。イザックが顔を覗かせると、驚いた顔をして、こちらを見ている。
「奥様が殿下にお食事を作ってくださったんです」
マイラの言葉にイザックはさらに目を丸くする。
「奥様が……。ありがとうございます。ではお届けして来ますね」
「ええ、お願いね」
ちゃんと召し上がってくださればいいけれど。
そんなことを思いながら、去って行くイザックを見送った。
* * * * * * * * * *
クライヴは執務室で朝早くから書類と向き合っていた。そのとき扉越しにノック音が聞こえ、イザックが顔を見せた。
「どうぞ」
イザックは笑みを浮かべて、料理を差し出す。
クライヴはその姿をちらりと見ると、何を企んでいるんだとでも言いたげな瞳を向ける。
「……要らない」
「まあまあそう仰らず、一口でも食べてください。リリアーナ様が殿下のためを想って作られたんですから」
「!?」
クライヴは驚き、目を見開いた。
「ほ、本当に彼女が料理を?」
「はい。お世話になっている殿下のためにと。ですから、さあお召し上がりください」
!!リリーが俺のために……。
その事実が嬉しくて胸がいっぱいになる。
しかし、世話とは……。これは妻として当然の待遇……ではないな。むしろ最低限だ。こちらにも事情があったとはいえ、結婚式をすっ飛ばし、さらに初夜も行わず、あの日図書室で2人きりの時間を過ごして以来、顔を合わせていない。今後リリーとどう接するべきなのか考え続け、まさかの一週間が経過してしまっていた。怒られても当然なことをした自覚はある。なのにわざわざこのようなことをしてくれるとは。彼女は本当に……。はぁ、とりあえず冷めないうちに食べるか。
「……美味しい……」
久しぶりに温かい料理を食べたな。優しい味がする……。
疲れていた心に染み渡り、癒されていくのを感じた。
いつもはイザックに食べるように急かされて、仕方なく冷めた頃に少量食べる程度だったが、もったいないことをしていたのかもな。
クライヴはあっという間に完食した。
その様子を見て、イザックは満足気な様子だった。
「ありがとう、と伝えておいてくれ」
「ご自分でお伝えされては。その方が喜ばれるでしょうし」
「……そうだな。リリーはどこにいる?」
リリアーナがいたのは音楽室だった。ピアノの優しい音色が聴こえる。部屋の外で曲が終わるまで待つことにした。今部屋に入ることは躊躇われたのだ。部屋に入ってしまえば音楽は止まってしまうだろうから。
「……懐かしいな」
昔、2人で弾いた曲だ……。一緒に演奏したくて苦手なピアノも頑張って練習したな。
暫くするとピアノの音がぴたりと鳴り止んだ。
「見事だった」
「え? クライヴ様!?」
リリアーナはクライヴの姿を見ると、慌てて立ち上がり礼をした。
「美味しかった。ありがとう」
リリアーナはその言葉を聞いて、笑みを零す。それには食べてもらえたという安堵も混ざっていた。
可愛いっ。昔も可愛かったが、こんなに可愛く成長してるなんて。いや、リリーだからな、当然か。にしても可愛すぎるっ。抑えろ……抑えろ俺……。
クライヴは必死に平静を保とうとするが、耐えきれず思わず笑みが溢れる。
「っいえ。そう仰って頂けて嬉しいです。またお作りしますね」
「ああ、楽しみにしている」
久しぶりに貴族令嬢とまともに会話をしたな。リリーが相手だからか嫌悪感も特にない。それどころかリリーのあまりの可憐さにまともに会話出来ているのか分からなくなってきた。
もう少しだけ近付いてもいいだろうか。それとも君は嫌がるだろうか。
クライヴはそんな懸念をしながらも、僅かに距離を詰めた。
「あっ、あの〜、クライヴ様?」
リリアーナはクライブの行動に驚き、困惑を隠せず、上目遣いに彼の姿を見る。
「っ!!」
可愛すぎるっ。無自覚なのだろうが、それでこの表情……俺がおかしくなりそうだ。
「え、えっと……今日のところはこれで失礼する」
なんとか言葉を振り絞り、その場を後にした。
「はっ、はい」
リリアーナは不思議そうに首を傾げていた。
「本当に驚きましたよ。まさか殿下が自ら女性に歩み寄るとは。奥様にお近づきになりたいのですね」
部屋に戻った瞬間、イザックにそう指摘される。
「なっ、何を言っている!?」
クライヴは真っ赤になって否定する。
「今までの殿下からは考えられない行動でしたし」
「確かに他の相手なら関わりを避けていたが」
彼女とはもう2度と会うことはないと思っていた。だが、そんな相手が目の前に現れたんだ。俺の意思も揺らいでしまっている。
「いつでも手放せるようにしておかないといけないのに俺はっ」
「殿下……」
「ああー、どうすればいいんだ!!」
クライヴは思いっきり、叫んだ。
「はぁ、俺のせいでリリアーナが悪く言われることだけは耐えられないんだ」
俺たちの結婚は社交界でかなり話題になっているらしく、悪虐王子と呼ばれている俺と結婚せざるを得なかったリリーに対する同情の声が集まっている一方で、『悪虐王子と貧乏伯爵令嬢でお似合いだ』との声もちらほら聞こえてきているらしい。前者は別に放っておいても害はない。だが問題は後者だ。リリーがこのことを知っているかは分からないが、彼女なら貧乏なのは事実だし気にしないと言うのかもしれないが、結婚して間もないこの時期にそう言われるということは、今後より酷い噂を広められる可能性が高い。噂とはいつの間にか尾鰭がついて広まるものだ。俺はその類の経験があるから、その辛さも痛いほどよく理解している。耳を塞ぎたくなることもあるほどだった。
「領内での殿下の評判は良いのですから、その根も葉もない噂の方をどうにかされては?」
「どうにか出来ると?」
「ええ。すぐにとはいかないでしょうけれど。こればかりは殿下次第では? 私としては殿下には幸せを見つけて頂きたいですね」
「イザック……」
俺の幸せ、か……。俺にとっての幸福はリリーと本当の意味での夫婦になること、ただそれだけだ。しかし、女性とまともに話したこと自体、数年ぶりだというのに一体どうすればよいのやらだが。
リリーには出来ることなら俺の傍にいてほしい。ずっと。
「イザック、リリーに伝言を頼む」
「承知いたしました」




