王命婚
「最初に言っておくが、俺には関わるな」
今日夫となったはずの人物は、私に向けてそう言い放った。
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それは今朝のことで、あまりにも突然の出来事だった。
「リリアーナ・フィリア伯爵令嬢、王命により第二王子クライヴ殿下とご結婚して頂きます」
「……え!?」
王宮から遣わされたという男性の言葉に驚愕した。リリアーナはぱくぱくと口を開くが、困惑して言葉が何も出て来なかった。
「な、何かの間違いなのではないか?」
父が慌てた様子で確認する。
そうよ。貧乏伯爵家の娘の私が王族である殿下とご結婚なんてあり得るはずないわ。
そう考え直し、なんとか冷静さを失うまいとしていたリリアーナだったが、その可能性は一瞬で打ち砕かれた。
「いえ、間違いございません」
使者の男性ははっきりとした口調で告げた。
「こちらを」
そう言って渡されたのは国王陛下からの書状だった。そこには支度金なしで身一つで構わないとの文言と今後フィリア伯爵領に対し多額の支援を行うとの旨が記載されていた。そして……
「そんな!?」
書状を読んでいた父が突然声を上げる。
「どうされましたの?」
「今日、婚姻を結ぶように、だそうだ……」
「ええっ!?」
驚きのあまり、使者の前にも関わらず、つい淑女らしからぬ声を上げてしまった。慌てて口元を抑える。
しまったと思い、男性の方を見るが気にした素振りはない。ほっと一安心したが、内心混乱していた。
てっきりもう少し猶予があるものかと思っていたから。
「リリー……」
「……お父様、行って参りますね」
王命となると拒否権など存在しない。
それに、私が結婚すれば家族やここに住む人たちの助けになれる。支度金が用意できない以上、本来なら倍近く年上の方に嫁ぐか、どこかの後妻になるしか選択肢なんてなかったのだから。好条件で嫁げるのだから喜ばしいことだわ。
「すまない。うちが貧乏なばっかりに」
「大丈夫ですわ。驚きはしましたけれど」
「しかしっ……そうだな。リリー、もし何かあったらいつでも帰っておいで。待っているから」
「待っているって……。それではまるで何か起こることが前提みたいに聞こえますよ」
「そ、そうだな。何もなければそれでいい。実際にお会いしたことなどないから、どんな方なのか分からないしな」
そう言いつつも父は心配そうな表情でリリアーナを見つめる。それにも理由があった。夫となるクライヴは“悪虐王子”と呼ばれており、悪い噂が絶えない人物なのだ。常に女性を側に侍らせているだの使用人に暴力を振るっているだのという話まであるぐらいだ。社交界の噂に疎い私でも知っている。私も直接お会いしたことはなく、どのような人物か全く想像がつかない。
確か銀髪?の方だったかしら。
クライヴに関して、他にリリアーナが知っていることといえば、公爵位と領地を持つ領主だということだけだ。問題ばかり起こすクライヴの扱いに困った国王が追放したと言われている。それはクライブの領地シュテイン公爵領が王都から遠く離れた所に位置しているためだ。かつての王族は王家直轄領の中で最も王都と近い地域の領主となるのが常だったのだ。それゆえに、王族という身分であるため公爵位こそ与えられたのだろうが実質追放されたのだろうと言われている。
「ご心配には及びませんわ。領民のためにもしっかり役割を果たしますから」
「リリー、本当に大きくなったなあ……」
感激したように父は言う。
「私だってもう成人していますもの」
リリアーナは笑顔で言った。
当然不安が全くないわけではない。夫となるのは顔も分からぬ、しかも悪名高い人物だ。
でもあのお噂が本当かなんてまだ分からないもの。きっと大丈夫よ。
そう自身を鼓舞する。
馬車の中から、父が寂しそうな心配そうな顔で見送る姿が最後に見えた。
クライヴ殿下からのご希望で結婚式は開かないこととなっている。おそらく、望まれた結婚ではないのだろう。
本来王族の婚姻とは大々的に行なわれるものだ。例え王位に関係がない王子であれだ。それを全て省略したのだから例外中の例外と言っていい。
王命とはいえ、夫婦になるのだから、せめて普通にお話しが出来る程度には仲良くなりたいわ。
それから数時間乗り続け、ようやく馬車が動きを止めた。馬車から降りると、そこにはフィリア伯爵邸と比べ物にならないほど大きな屋敷があった。
「ここが……」
あまりの規模にリリアーナは言葉を失った。
「フィリア伯爵令嬢ですね」
そのとき、若い男性に話し掛けられた。
「は、はい」
リリアーナは緊張しつつも返事をする。
「私は当屋敷で執事をしておりますイザックと申します。どうぞ宜しくお願いいたします」
「えっと、よろしくね」
執事なんて初めてだわ。家には使用人の一人すらもいないものね。
「どうか気軽にお申し付けください」
「ええ、ありがとう」
リリアーナはイザックの案内を受け、客室に到着した。その間、使用人の姿は全くなかった。
「どうかされましたか?」
不思議に思い、辺りを見回していると、声を掛けられる。
「あっ、いえ、使用人の姿が見えないと思って」
「こちらで雇われているのは私と、料理人と庭師1名ずつのみですよ」
「えっ!!」
驚きのあまり、大きな声を発してしまった。
こんなに大きな屋敷だ。実家とは違って、多くの使用人が働いているものだと思い込んでいた。
「ご、ごめんなさい。つい……」
「いえいえ、普通驚かれますよね。騎士団長がたまにこちらに顔を見せるかもしれませんが、基本的に他には誰もおりません」
「騎士団?」
リリアーナは首を傾げる。
「ええ。ここには領地を守るシュヴァルツ騎士団がありまして。魔物が住まう森に隣接する領地では騎士団を作ることが陛下より許可されていますので」
「そうなのね」
そんな話初めて聞いたわ。
「それと後ほどご紹介させて頂きますが、リリアーナ様には専属侍女を付けさせて頂きます」
「えっ、別に大丈夫よ」
今まで、自分のことは自分でするのが当たり前だった。そう思い告げると、苦笑いを浮かべられる。
「いえ、そういうわけには参りませんから」
「そ、そうね。分かったわ」
いけないいけない。つい……。
「ありがとうございます。では暫くこちらでお待ちください」
イザックは退出し、この部屋にはリリアーナ一人だけになった。
リリアーナは目の前に置かれているクッキーを口に含む。
「ふふっ、美味しいわ」
こんなに美味しいクッキー食べたのは生まれて初めてね。
しかし、客室で待つこと数時間、肝心のクライヴは一向に来る気配がなかった。イザックはお茶が無くなった頃を見計らって、偶にお茶を注ぎにやって来るが。
随分と遅いわ。やっぱりこの結婚、クライヴ殿下はお望みではないのだわ。でも、このくらいなら全然平気ね。素敵なお菓子も用意されているのだから。
そのときだった。突然、客室の扉がバンッと激しい音を立て、乱雑に開かれた。
この方が……。
そこには輝くように綺麗な銀色の髪に碧眼のすらりとした長身の男性が立っていた。瞳と瞳が交錯する。
「……っ君が俺の結婚相手……なのか?」
彼の瞳が一瞬揺れたように感じた。
「はい。リリアーナ・フィリアと申します、殿下」
「そうか……。俺はクライヴ・ディ・シュテイン・リーツェンベルクだ」
クライヴはここリーツェンベルク王国の第2王子で王位継承権も持つ王族だ。ちなみに“ディ”は王族である証しで、“シュテイン”というのはクライヴが治める領地シュテイン公爵領のことだ。
「最初に言っておくが、俺には関わるな。関わりさえしなければ好きに暮らしてくれて構わない。以上だ」
それだけ告げるとクライヴは足早に部屋を出て行ってしまった。
「えっ!?」
「申し訳ありません。どうかお気になさらずに」
「ええ……」
私では仲良くなるのは難しいのかしら。いえ、まだよ。たった一回で諦めてはダメだわ。
頭を振って気を持ち直した。
「ご紹介させて頂きますね。彼女が奥様の専属侍女となるマイラです」
そう言うとイザックの隣に立っていた若い女性が頭を下げる。
「よろしくお願いいたしますね、奥様」
「ええ、よろしくね」
「実はマイラが率先してやりたいと申し出てくれまして」
「そりゃあ楽しみにしてたんですから。初めての女性のご主人様なんですよ!? このお屋敷で侍女として働き始めてから何年も経ちますがようやく、ようやくっ」
じっと話を聞いていたリリアーナは安堵の笑みを浮かべる。
年も近そうだし、話しやすそうなだし、良かったわ。
そういえばあの方、どこかでお会いしたことがあるような……。
先程、ごく僅かな時間ではあったが対面を果たした夫の姿を脳裏に思い浮かべる。
きっと気の所為よね。高貴な身分の方とお会いする機会なんて私にはなかったのだから。
そう判断し、リリアーナは一瞬頭の中に浮かんだ何かを消し去った。




