変わらぬ意思
帝国の首都ベルレーヴェ。街は帝国の威光を誇示するかのように、威厳に満ちていた。シュタイン・ブラッハ・モーアは、かつてその威光の象徴とされる男だった。彼は帝国議会の若き雄弁家として名を馳せ、鋭い言辞と冷徹な論理で敵を圧倒していた。
「政治家ってのは、どんな逆風が吹こうと信念を曲げずに通すべきだと思ってた。だが、嘘をついてまでやる仕事なんてまっぴらごめんだ。詐欺師みたいになるくらいなら、潔く消えたほうがマシだ。」
その言葉は、政治家である彼の誇りと力を象徴していた。しかし、時は流れ、世界は変わり始めていた。帝国の外では列強の競争が激化し、内では社会主義者や労働者の声が高まっていた。
シュタインのかつての盟友たちは、社会主義者や労働者たちの叫びが日に日に大きくなる帝国内の嵐を前に、新たな政治的立場へと身を寄せていった。彼らは帝国の伝統を守ると口では言いつつも、現実の変革を否応なく受け入れ、時には「嘘も方便」と口先で誤魔化しながら、巧みに立ち回った。だがシュタインだけは違った。彼の胸には帝国の栄光と伝統が不動の聖域として刻まれ、労働者の叫びも、時代の波も、すべては裏切りの兆しに見えた。変化を受け入れることは、己の誇りを捨てることにほかならなかった。
ある晩、ヴァルデンの酒場で、シュタインはかつての仲間と再会した。彼らは新たな政治的立場を語り合い、未来へのビジョンを共有していた。酒場は、かつての仲間たちが集まり、政治的な議論を交わす場として最適な場所だった。しかし、シュタインはその会話に参加することなく、黙って酒を飲んでいた。
「シュタイン、お前も変わらなければならない時が来たんだ。」
仲間の一人が言った。
「変わる? 我々は変わる必要などない。帝国は変わらず、我々も変わらず、鉄の意志を持ち続けるべきだ。このままじゃこの国はエリオスにも劣るぞ。
エリオスに舐められてたまるか。」
シュタインはそう答えたが、その声には自信がなかった。彼の中で、かつての確信が揺らぎ始めていた。
その夜、シュタインは一人で帝国議会の議事堂を訪れた。重々しい木の扉を押し開くと、冷たい空気が彼を迎えた。空っぽの議場に立ち、彼はかつての演説を反芻した。あの時の力強い声、断固たる決意。だが、今はただ虚ろで、言葉は空回りし、重みを失っていた。
「政治は信念だ、だが...」と、かつての自分の言葉を呟いた。だが今の彼には、それがどこか偽善的で、時代遅れの台詞に思えた。
鏡の前に立ち、自分の顔を見つめた。そこには、かつての鋼のような意志を宿した男の影はなく、代わりに疲れ果てた老政治家が一人、曇った目でこちらを見返していた。
「……何が間違ったのか、もう分からん。」
シュタインは呟いた。その声はやがて低く、独白へと変わる。
「とある政党が『これは労働者の集いだ』と胸を張る。だが現実は、皆が調子に乗り、壇上で踊らされ、丸め込まれ、満足げに笑って議場を去っていく。未来というものを少しでも考えるなら、こんな茶番に耽っていてはならない。……これではいけない。」
そして、沈黙の中でひときわ小さな声がこぼれた。
「みんなは……ほんとうにそれでいいのか。」
声は震え、言葉はつまずいた。あの頃は「自分が帝国を守る砦だ」と思っていた。今は、ただ誰かの影を追い、後手に回るだけの男に成り下がっていた。
背後の壁には、彼がかつて掲げた「真実を貫く」という標語が色褪せて貼られている。皮肉にも、その標語が今の自分の無力さを嘲笑うようだった。
「私は何を守っているのか?」
シュタインは呟いた。
その答えは、彼自身にもわからなかった。