最後の花びら
夕暮れの光が、校舎の壁をオレンジに染める頃。
屋上へ続く階段、その踊り場に、治人は立ち尽くしていた。
ポケットの中。ぐしゃぐしゃになった、小さな紙切れを握りしめたまま。
「……なんで、あんな言い方……」
自分の声が虚しく響く。怒鳴り返した言葉も、机を蹴飛ばした音も、まだ耳の奥に残っていた。
――コツ、コツ。
かすかな足音。
「……あのさ。」
声に振り向く。そこには、青木がいた。
制服の袖をぎゅっと握りしめ、立ち尽くしている。目は赤く、でも、もう泣いてはいなかった。
「……っ」
治人は何も言えないまま、ただ視線を落とした。
「……昨日のこと。ごめん。」
先に頭を下げたのは、青木だった。
「私、ずっと言えなかった。いろんなこと、誤魔化して、黙って、勝手に期待して……勝手に拗ねてた。」
治人は驚いた顔で青木を見た。
「……それって」
「ほんとはね、ずっと言いたかったの。追いつきたかったって。あんたの隣に、いたかったって。でも、怖かったの。言って、壊れるのが。届かないのが、見えるのが。」
言葉を絞り出すように、青木は続けた。
「……でも、それでも、ちゃんと伝えなきゃって思った。じゃないと、ずっとずっと、すれ違ったままだと思って。」
治人の目が揺れる。
「俺のほうこそ……ごめん。あんなふうに言うつもりなかった。ずっと、何か引っかかってたのに、ちゃんと向き合わなかった俺が悪いんだ。」
「……ううん。向き合うのが怖かったの、私のほうだよ。」
沈黙。
それでも、どこかあたたかい空気がそこにあった。
青木は、ポケットから何かを取り出す。
破れて、端がボロボロになった、小さな写真。
「……これ。実は、拾ってた。風に飛ばされる前に、半分だけだけど。」
治人は驚いた顔をしたあと、そっと自分のポケットを探る。
出てきたのは、同じ写真のもう半分。
「ごめん。これ途中まで頑張って直したんだけど、半分なくなって……」
青木は目を見開いて、それから、ふっと笑った。
「……あっ、それ!私も持ってる!」
ふたりは、お互いの破れた写真を並べて、じっと見つめる。
小学生の頃の、照れくさそうに笑っている自分たち。何も疑わずに、隣にいることが当たり前だったあの頃。
「……ばかみたいだね。」
「ほんとにな。」
それは、心からの笑顔だった。
だけど、ふたりとも分かっていた。もう、あの頃には戻れない。
それでも――いま、ようやく並んで立てたことに、意味がある。
「……私ね、まだ変われてないと思う。泣いて、怒って、弱くて、ズルくて……そういうとこ、いっぱいある。」
「……いいよ、そんなの。俺も変われてねぇよ。たぶん、ずっと不器用なままだ。」
「……それでも、これからちょっとずつ……ちゃんと向き合ってみたい。そう思ったの。」
「……あぁ。俺も、そう思う。」
一歩、青木が近づく。
破れた写真の上に、そっと指先を添える。
「だから……もう一度、撮ろうよ。今度は、破かないように。」
治人は笑ってうなずいた。
「……うん。今度は、ちゃんと残しておこう。」
夕日がふたりを包み込む。
柔らかい風が吹いて、窓の外、最後の桜の花びらが落ちた。
第二章。これにて終了です。
 




