夢咲杏奈
夕暮れの廊下。誰もいない静寂の中、青木は一人、壁にもたれてうずくまっていた。
拳を握りしめ、涙を必死に拭っても、頬の熱は消えない。
「……バカ。あいつも、私も……全部バカみたい。」
そんな青木の前に、静かに足音が近づいてくる。
顔を上げると、そこには夢咲杏奈が立っていた。
「泣いてるの?」
青木は思わず立ち上がり、涙を隠すように顔を背けた。
「……見ないでよ。」
夢咲は何も言わずに、そっと青木の隣に腰を下ろす。
しばらくの沈黙。聞こえるのは遠くのチャイムの音だけ。
「さっき、教室の前を通ったとき、聞こえちゃった。」
青木はぴくりと反応した。
「……全部?」
「うん。」
「……最悪。」
夢咲はポケットから、小さな紙片を取り出す。
風に煽られて校舎の端に舞い落ちた、それは――破れた写真の一部だった。
「これ、拾った。……捨てるなら私が持ってようか?」
青木は一瞬言葉を失い、それから小さくかぶりを振った。
「……あれは、もういいの。」
「そう?」
夢咲は紙片を見つめながら、静かに続ける。
「でも、それってさ。本当に捨てたくて破いたんじゃないよね?」
「……どうだっていいでしょ。私は……ただ、もう、無理で……」
「実ちゃん。」
夢咲の声が少しだけ強くなる。だけど、決して責めていない。
「好きだったんでしょ。治人くんのこと。」
青木の肩が、ぴくりと震える。
「……っ、何も、言ってないじゃん……」
「言ってなくても、わかるよ。だって、いつも見てたもん。」
夢咲は優しく笑った。
「実ちゃんが、どれだけ彼のこと見てたか。どれだけ頑張ってたか。私、知ってるよ。」
青木は唇を噛み、ようやくぽつりと口を開く。
「……私、勝ちたかったんだ。」
「うん。」
「“負けたくない”って気持ちだけで、ずっと一緒にいようとして……でも、結局、私はあの人の何にもなれなかった。」
「それでも。」
夢咲は破れた写真の破片を、そっと青木の手に乗せる。
「“なりたかった”んでしょ? それって、すごく大事なことだよ。」
青木は破片を見つめる。そこには、まだ笑っていた頃の自分たちのかけらが残っていた。
「……私、あんなこと言うつもりじゃなかったのに。」
「じゃあ、伝えにいけばいいじゃん。」
「……夢咲さんは、どうしてそんなに強いの?」
「別に、強くなんかないよ。」
夢咲は立ち上がり、窓の外を見つめた。夕陽が、校舎を赤く染めていた。
「強がってるだけ。でもさ、今は実ちゃんの番だよ。」
青木はその言葉に、ゆっくりと顔を上げる。
破れた写真を、そっと両手で包み込むように握りしめた。
「……ありがと。」
夢咲は笑い、軽く手を振る。
「行ってこい、青木実。」
青木はその背中を見つめて、小さくうなずいた。
その瞳には、もう涙はなかった。




