おまけ話「色鉛筆ころん」
色鉛筆セットの中身は。
しろきいろだいだいももいろあかちゃいろきみどりみずいろあおむらさきくろ。
たくさん在るし。1本くらい無うても気にせえへん。
ころんと1本転がって行って貰うたら。もう誰も気付かへんワ。
お母さんが泣きながら言うから。もう何も言えへん。
「ごめんな、みどり。
この家には愛人の女が住むから。お母さんは、おばあちゃん家に行くしか無いねん。
お姉ちゃんもこの子らも一緒にな。
おばあちゃん家は、伯母さんと従妹と。女の人しか居らんねん。
そんな家に、男の子のみどりを連れて行けへんから。みどりはこの家で暮らしてな」
そしてある日、お父さんも困った顔で言うんで。頷くしかないし。
「ごめんな、みどり。
今度生まれて来る赤ちゃんな、双子やねん。
この家やと狭いし、育てんのも大変やから。お母さんの実家近くに引っ越すんや。
そしたら学校遠なってまうやろ?あと1年半で卒業出来んのに。
せやから学校近くにアパート借りたるから。そこで暮らし。
もう17歳なんやし。1人でも大丈夫やろ」
みどりの色鉛筆は、誰も要らんねんて。
せやから、もっと遠くに。コロコロコロと転がって行ってまお。
「お、おにしまっ!コート戻ってくれっ。静かになっ!そおっとなっ!!」
月2回参加しているハンドボールスクール。
今日は特別に社会人チームに混ぜて貰って、かなりハードな練習を終えたばかり。
さっさとシャワーを浴びて、ギリギリ次のバスに間に合いたいところだけど。
社会人チームメンバーがロッカーで喋っていて、入り辛くて。廊下で待機中。
そんなトコへ、顔色変えた猿橋が走って来て。百架のジャージを引っ張る。
「戻る、て。オレら最終やろ。もお戸締りしとるやろ」
「雉場が拗ねとるんや」
「ええええ?こんな時間にかあ?メンドクサあっ」
眉間にシワを寄せながら百架は、猿橋とその場を離れる。
他のスクール生達に気付かれないように、さり気なーく。そーっと。
雉場はこのスクールに中学生の頃から通っていて。
点取り屋タイプ。イケると思ったら、どんなDFでも突っ込んで行くし。
体勢崩れても、押し込まれても。シュートを狙う。
そんな『オレにパス持って来ーい』な強引過ぎるプレーに、チーム内でも賛否両論。
だから犬塚と猿橋は、雉場を囮にして隙を作ってパス回ししたりする。
それくらい意識してシュートチャンスを分散しないと。チームが険悪になってしまう。
でも。
クラブリーグは、参加チームのレベル差が大きくて。
初戦からいきなり格上チームと当たって、テンションダダ下がりな時でも。
雉場だけはいつも通りで『オレにパス持って来ーい』とタフなDFに突っ込んで行くし。
負け試合なのが明白でも。最後まで1点でも多くシュートを狙うし。
そんな熱に、チームが助けられるのも事実だし。
だからチームメンバーは。
雉場のコトは苦手でも。ほんとはやっぱり頼りにしてたりする。
片付けが終わって静かなアリーナに入って行って。思わず百架は呟く。
「デカイ雀や」
「あほ雉場や」
「いや。判っとるけど。こー何言うか、認めた無い言うか」
こげ茶色とベージュがコンビになった雉場のジャージが、雀の羽模様みたいで。
膝を抱えて丸くなった姿で手摺に乗っているのが、雀が電線に止まってるようで。
そお。
観覧席の一番前には金属製の手摺がぐるりと巡らせてある。
応援用の垂れ幕とかを取り付けられるように、パイプみたいに丸みを帯びた形状。
その手摺の上に雉場がちょこんと乗っているのだ。
しかもこの体育館は少しでも床面積を広く明るくするために、観覧スペースは高い位置で。
普通の建物の2階と3階の中間くらいの位置に手摺がある。
落ちたら即死とは言わなくても。打ち所が悪ければ命に関わる大事故なのは間違いない。
そんな雉場を見上げる位置に栄先輩が立って居る。
その向こうに犬塚も見えたので。百架は猿橋を突いて小声で指示する。
「壁沿いにあっち回って。犬塚と一緒にネット運んどけ。
万が一落ちた時、たかがネットでも。床直撃よりマシやろ」
壁際には他コートのボールを遮るための吊りネットが、外された状態で積み上げられていた。
「そ、そやな」
青ざめた顔をしていた猿橋も、気を取り直して行動を始める。
雉場は気分屋、と言うか。感情を上手くコントロール出来ないコドモみたいなトコがある。
両親が離婚した時、姉と妹は母親が引き取って。雉場ひとりだけ父親に引き取られたものの。
その家には、父親と元不倫関係にあった再婚相手との間に生まれた子供が既に居たし。
その後にも妹が生まれたと聞いていたから。百架も犬塚も猿橋も。
いつも笑って怒ってはしゃいでいる雉場には、隠している重い感情があると判っていた。
「せやけど。こんなカタチで噴き出さんでも…」
ただただ機嫌を直して、自らぴょんと降りてくれと願うばかり。
もちろん降りる先は観覧席の方にして欲しい。
冷や汗を浮かべながら、百架は雉場を見上げる。
雉場は丸くて大きくて黒目勝ちな瞳をしていて。それが益々リスとか雀を連想させるし。
こんな状況だとそれが真っ黒過ぎて深過ぎて。感情が読めない気がしてしまう。
「みどり、なあソコから降り。
オレそっち行くから、帰ろ。そんで好きなモン食べに行こ」
静かだけどよく通る声で、栄先輩が雉場に声を掛ける。
「いやや。帰りたいトコなんて有らへん」
「いつもみたいにオレん部屋来ればエエやろ。みどりの好きなモン何んでも有るで」
「もお全部嫌いになった」
「そんなら、も1回揃え直そ」
「もお何んも好きなモン無うなった」
「オレんこともか?」
抱え込んでいた膝の間から、少し顔を覗かせて。雉場は栄をちらっと見る。
「みどりて名前がいっちゃん大嫌いや」
そう言うと。
いきなり雉場はガバっと立ち上がるので。犬塚と猿橋はムンクの叫びみたいな顔になるし。
キーパー習性の百架は、床に滑り込んで受け止めようかと身体が反応する。
でもさすがバランス良いジャンプシュートが得意な雉場は、ちょっとよろけながらも。
手摺に立って。そのまま歩き出す。
雉場の真下に、ネットを運ぼうとしていた犬塚達はオロオロ。
栄だけは相変わらず表情を崩すことなく。同じ歩調で同じ方向へ歩き出す。
たぶん手摺の幅は体操の平均台くらい。金属製で丸みがあるから滑り易さ抜群のはず。
「前のかーちゃんのばーちゃんが絵描きさんで。
絵描きの才能を受け継ぐよーにて、女の子には色の名前付けたんや。
瑠璃・蘇芳・花葉・白藍、親戚みんなこじゃれた名前ばっかりや。
オレがお腹ン中居る時、お医者が女の子や言うから。オレも色の名前になったんに。
男やったから。結局一緒に居られんくなったし」
よっとっと、と危なっかしく手摺を歩いて。雉場はいきなりUターン。
百架達は、やめえええっと声にならない悲鳴をあげそうになるけれど。
栄は目を離すことなく、同じようにUターン。その時ちょっと百架と目が合った。
少し動いた口元が「上あがれ」と見えて。百架はごくりと唾を飲み込むと、階段へ走った。
「女の子やったら良かったんに」
「そしたら男子校で会われへんかったで」
「みどりなんか嫌や。どおせ除け者ンやのに」
「そおか?オレは大好きやで。緑色はオレのラッキーカラーや。
みどりが居ったらオレは世界一幸せ者ンになれるんや」
栄の声が少しずつ優しく甘くなって。そして足を止めてまっすぐ雉場を見上げた。
「みどり。オレんトコおいで。学校なんか辞めたらエエ。
来年オレが大学行く時は、東京でも一緒に住も。
広い部屋で、大きなTV置いてHB中継いつでも観れるよおにして。
みどりに合うよおなクラブチームも探そ。猫も飼うて。
みどりの好きなモンばっかりにしよ」
いつの間にか雉場も歩くのを止めて、じっと栄を見つめると。
深過ぎる暗い瞳に、小さな光が反射して。雉場はにこっと可愛らしい笑顔になる。
「オレっ!
羽比良みたいな名前が良かったなあ!
嫌なコトからも、ぱああって!遠くまで翔んで行けそうや!」
そしてそのままポンと1歩を、宙へ踏み出す。
「うわああああっ!!」
犬塚と猿橋は絶叫して。栄は目を見開いて、その場で凍る。
でも。雉場の腰にはぶっ太い腕が回されていて。身体は宙ぶらりんになっていた。
「ぶえ~っぐるじい~」
きつく抱き留められ。自分の体重で圧迫されて。雉場はつぶれた声を出す。
「オレん頭に、腕回せっ。手摺持って。こっち寄れっ」
「え~」
「文句言うなっ!こン体勢やと、オレの脚が折れるワっ」
栄の指示で2階に駆け上がった百架は、雉場が手摺を歩くのを止めた時に。
その小柄な身体に腕を回していた。
そのままだと一緒に落ちるかも知れないので。片ひざは手摺の下に押し当て。
もう片足は、一番前の観覧席の骨組みに引っ掛けて。
それはキーパーが脚を上げてボールを弾く時の体勢みたいだった。
「鬼島が骨折したら、試合出来へんくなる」
「そお思うんなら。降・り・れ」
「うん」
あっけなく素直に。雉場は観覧席側へぴょんと降り立つ、と。
駆け上がって来た栄が雉場を抱き締める。
「はねひら」
「みどり、痛いトコ無いか?どっこもぶつけてへんか?」
「うん」
「みどり。もう1回言うで。
みどりはオレのラッキーカラーや。みどりが居らんくなったら。
オレは一生不幸や。せやから、みどり。
オレと一緒に居ってくれ。何処へも行かんでくれ」
ゆっくりとしっかりと、子供に言い聞かすような栄の声は。少し震えていた。
でも雉場はうっとりとその言葉に浸ると。栄の背中に腕を回して抱きつく。
「なあ、それ。
毎日言うて。朝起きてから寝るまで。あ、やっぱ寝ても。夢ン中でもずうっと言うて」
「もちろんや。今までの100倍ようけ言うワ」
「うん」
そおして。
1本だけ転がっていた色鉛筆は。コロコロコロと転がり続けて。
本当の持ち主の手の中に、無事収まったのでした。
そんなコトがあった数日後。
百架の怪我を聞いて、似古が様子を見に寄ってくれた。
「骨折はしてへんにしても。まだ結構腫れとるなあ」
百架の足首は内出血で変色して膨れている。硬い骨組みで圧迫されていたから仕方ない。
「しばらくは松葉杖で通学や」
「時間ある時は、オレ車出すし」
立ち上がろうとする百架を支える為に、似古が腕を出すと。百架は首を伸ばして、似古にキス。
「あー!ちゅうしとるうう」
雉場のはしゃいだ声が響く。
「うるさいワっ」
「ははは。やっぱり元気いっぱいの雉場くんがエエなあ。もおココの生活慣れたん?」
「うんっ!もっと早おに、こン家に住めば良かったワ」
雉場が、家族と上手く行ってないことが判ると。百架の祖父が提案した。
「こン家はボロイけど。部屋ならいっぱい在るしなあ。
ちょうど良えやないか。
庭でいつでも練習出来るし。みたらしもずんだも、雉場くんのコトお気に入りやし。
百架に合わせて食事もアスリート向けにしとるし。
練習場の芝生は、雉場くんのみどり色や。ぴったりやないか」
「ほんまや!
いつでも庭でキーパー付きのシュート練出来るワ!」
そんな感じで。いつの間にか。祖父と雉場の都合だけで全てが決まっていた。
「そおや鬼島。今晩はねひらが電話するんで、絶対出えや。て言うてた」
「何ンで栄先輩がオレの番号知っとるんや」
「オレが言うた」
「何ンでやねん!」
隣に似古が居なければ。百架は雉場に掴みかかっていたかも知れない。
「こないだ一緒に風呂入ったトコ、写真送ったら。鬼島と話しいたい言うんや」
「いっしょにふろ…?」
切れ長の綺麗な形の目で、似古がじっと百架を見る。
「いやっ!ちゃうんですっ!雉場っ!めちゃめちゃハナシ端折り過ぎやっ!」
百架は雉場を睨むと。焦った顔で似古の前で姿勢を直す。
「あの。説明させてください。
こないだ、ずんだとみたらしを風呂場で洗うたんです。
2人とも風呂嫌いやから大暴れして。雉場も手伝うてくれたんやけど。
途中から一緒ンなって遊びだして貰うて。泡だらけでびしょびしょで。
しゃあないンで、もお服脱いで。みたらしとずんだ抱っこしてシャワー浴びただけで」
「オレ、背中流したったやん」
「おまえが勝手に触ったんやろっ」
「うん。鬼島のん、羽比良より大きかった。言うか大き過ぎやんな。
今度ワンバウンドで狙うてみよかな。当て易そうや」
「なにアホ言うとるんやっ」
天然相手に敵う訳もなく、百架は汗噴出して喚くしか出来ない。
そんな百架を眺める似古は、ちょっと悪戯っぽい笑顔になって。
「まだ百架くんと一緒に入ったコト無いのになあ。雉場くんに先越されて貰うた」
「えっ。いや、あの。オレ似古さんとやったら、いつでも。あの」
「オレもー」
「もお邪魔すなーっ」
みどり色はきっとこれからも、あちこちで。
この調子でラッキーを振りまくに違いない。