鮮血ノ花姫
今から4年前、東国と西国との間で戦争が始まった。戦闘に赴いたのは、剣や弓を扱う兵士だけではない。この戦争には、超常の能力を扱う能力者達が多く投入された。
能力者は貴族や平民問わず、突然変異で生まれる。その能力は多種多様だが、発動に何らかの条件が必要であることは共通していた。特定の色の物に触れる、歌う、など…。近年では、能力を増幅させるための個人専用の道具の開発も盛んだ。
能力者をより多く獲得したい。そんな両国の思惑からいつしか戦争へと発展した。が、争いに能力者が投入されると、当然失われるものも多い。より多くの能力者を得るどころか、自国の貴重な能力者を削っている…。これ以上の能力獲得競争は無駄なだけと判断した両国は、2年前にようやく争いを終結させ、和平を結んだ。
ーーー
「それでは、お願いしてもよろしいでしょうか。ファーリン様」
「ええ」
東国の小さな村の孤児院。やや陰鬱な雰囲気漂うその場に似つかわしくないような様相の少女がいた。孤児院の職員からファーリンと呼ばれた、美しい金髪を1つに束ね、真っ赤なドレスに身を包んだ派手な少女。スカートのあたりは大胆に切られていて、右脚はほぼ剥き出しになっている。包帯が巻かれた脚にはホルスターが取り付けられ、短剣が収められていた。
ファーリンは黒い長袖の羽織を脱ぎ、従者らしき別の金髪の少女に手渡す。露になった両腕には、右脚同様に包帯が巻かれていた。そして、少し迷ったような素振りをしてから、左腕の包帯を外す。その下には、古いものから新しいものまで、いくつもの切り傷の痕があった。
ホルスターから、短剣を抜き出すファーリン。その短剣は、抦の部分に薔薇の花の美しい装飾があった。
「まあ…この辺かな」
左腕を見て、比較的傷の浅い箇所を探ると、自ら短剣でスッと傷をつける。そこからじわじわと腕に流れ出す赤い血。ある程度流血したところで、ファーリンは念じるように目を閉じた。
すると、部屋中に芳しい香りとともにふわっと大量の薔薇の花びらが舞った。孤児院の子ども達や職員から歓声が上がる。
その様子を見て、嬉しげに微笑むファーリン。もう1度自身の腕に短剣を突き付けようとしたが、その手は従者の少女に阻まれた。
「はい、そこまで!止血するのでじっとしててください!」
「別にもうちょっとくらい大丈夫よ」
「そう言ってフラフラになったこと何回あると思ってるんですか!ほら剣収めて!」
「けど…」
「…あ、あの、十分です!みんなのあんな明るい表情、久しぶりで…。これ以上、身を削っていただくわけには…!」
「……そう」
孤児院の職員の言葉で、ファーリンは血を拭い、剣をホルスターに戻した。従者の少女は大きなため息をついてファーリンの止血を済ませると、彼女に水を手渡した。ファーリンは受け取った水を飲むと、職員の女性に言葉をかける。
「依頼を受ける前にも言ったけど、私の能力は怪我や病気そのものを治したり、負の感情を完全に消し去るものじゃない。…悪いわね」
「とんでもないです!こうして辺境の村まで来て能力を行使していただけただけでもありがたいです…。子ども達も…ほら」
職員の女性が顔を向けた先には、孤児院周辺の野原で摘んだであろう花を差し出す子どもがいた。
「いたいの、すくなくなった…。ありがとう、ひめさま」
「私姫じゃないんだけど…。…まあ、ありがたくいただくわ」
ファーリンはかがんで、子どもから花を受け取った。
こうして、一仕事終えたファーリンと従者の少女は、孤児院を後にした。その背に、孤児院の職員達の声が聞こえる。
「本当にありがたいことです…。何のお礼もできないどころか、寄付金までいただいて…」
「ああ、噂は本当だったんだな…。あれが、『鮮血ノ花姫』か…」
「あの変な二つ名みたいなのどうにかなんないの…。私姫じゃないんだけど…」
「そりゃ、あのクソ真面目女よりファーリンさんの方がよっぽど美人だしかっこいいし姫として崇めるにふさわしいですから」
「一国の姫に何失礼なこと言ってんの」
「ファーリンさんだって一国の姫とかそんな細かいこと気にしないでしょ?…あの女だから気にするだけで」
「まあそうだけど…。あんた本当にスィーバのこと嫌いね」
「嫌いですよ?」
孤児院からの帰り道。ファーリンと従者の少女は、いつもと似たような会話をしていた。
東西戦争の終結から2年。両国は平和を取り戻しつつあった。東国は戦争の最中にチュイー家から王家が交代し、現在はシンジー家が治めている。
そんな中、国内で1人の能力者の少女が噂になっていた。
彼女は皮膚に血を触れさせることで、花びらを発生させることができる。その花びらの香りには、痛みや不安な気持ちを軽減させる癒しの効果があった。『薔薇ノ剣』という短剣を使用することで、さらにその効果を高められるようだ。また、触れた血の量も能力に比例する。
そうして、己を傷つけ、人々に癒しを与える艶やかな少女ーファーリンは、いつしか『鮮血ノ花姫』と呼ばれるようになっていた。
平民であるファーリンが従者を連れているのは、表向きは国が慈善事業を行っている彼女の功績を称え、支援しているということになっている。だが実際は、彼女がとある縁で現王の娘であるスィーバ=シンジーと友人であることが主な要因だ。支援金を旅先で寄付してしまったり、能力の効果を高めるために自身を傷つけすぎたりするファーリンをスィーバ姫が心配して、治療(監視)役を連れて行くことを命じているのだ。
ファーリンの従者は専属ではなく、王宮に勤める者が代わる代わる務めている。中でも今回連れているエンシーという少女は特別ファーリンに懐いており、彼女に憧れて髪も同じく金色に染めていた。
途中で馬車に乗り、2人は報告も兼ねてスィーバ姫の部屋を訪ねた。王宮にも姫の部屋は備えられているが、ファーリンが訪れるのはいつも王宮から少し離れた宮の別室だ。
「お疲れ様、ファーリン。それにエンシーも。今お茶を淹れるから座って待っていて」
黒髪で知的な印象を与える美しい少女が、穏やかな笑みで2人を迎え入れた。スィーバ姫は自ら茶葉を入れたカップを用意する。そして、2人の目の前に立つと、その指先からカップに湯が注がれた。発動条件は公表されていないが、姫もまた能力者であり、彼女の能力は水を自在に発生させ、操ることなのだ。
「あら、綺麗な花ね」
「ああ。今日行った先でもらったのよ」
「今日は…頼まれて孤児院に行ってたのよね?…大丈夫だった?」
「ええ。まあ…たぶんちょっとは楽にしてあげられたと思うけど…」
「それもだけどそれだけじゃなくて。…貴女のこと。無理して力使いすぎてない?」
「え、ええ、もちろんよ!」
「アタシが止めたおかげでね」
「え?」
ファーリンとスィーバの会話に割って入るエンシー。その言葉に反応したスィーバの表情は笑顔だったが、どこか恐怖を感じさせるものだった。
「…また、無理したの?」
「だから止められたからしてないって!」
「つまり止められなかったらしてたと?」
「いや無理ってほどじゃないから!ちゃんと加減できるわよ!」
誤魔化すようなファーリンの言葉に、スィーバは大きなため息をついた。
「やっぱり従者をつけておいて正解ね。助かったわ、エンシー」
「そりゃファーリンさんのためなんで」
「意気投合してるくせにあんたはなんでそんなスィーバに対して態度悪いの…」
「別に?」
ここで意気が合うから嫌いなんですよ、とエンシーは心の中で呟く。
「っていうか、アタシに感謝してるんだったらアタシをファーリンさんの専属にしてくれません?」
「……そう…できたらいいんだけど…。ごめんなさい…」
エンシーの申し出を、暗い表情で申し訳なさそうに断るスィーバ。
エンシーの願いを聞き届けられない理由は2つ。1つは、1平民の慈善事業の支援ということでは、エンシー自身に多くの給金を払ってあげられないこと。そしてもう1つは、エンシーが戦闘力·能力共に優秀で、王国の方から他の護衛の依頼がくること。ここでスィーバが申し訳なさそうにしたのは、エンシーの能力の発動条件もファーリン同様、自身を傷付ける類のものだからだ。
本気で気を落としているようなスィーバの態度を見て、エンシーは逆に気まずそうに舌打ちをした。
「あーもー分かってますって。冗談ですよ、ジョーダン。いっぱい稼いでファーリンさんに貢がないといけないですしね」
「その言い方やめてほしいんだけど?」
「ファーリンさんが自分のためのお金もうちょい確保してくれたらアタシもここまでしなくていいんですけどねえ」
「それは…。っていうか、ちゃんとバイトして自分で稼いでるし」
「アタシが稼いでくるんで無理しないでくださいね」
「しないわよ」
「けど、明日はファーリンさんについて行きたかったなああああ…。明日船で行くんでしょ?貴重なファーリンさんとの船旅デートの機会が…」
ガクッと頭を垂れるエンシーの様子に、ファーリンは呆れ気味にため息をついた。
「遊びに行くんじゃないわよ」
「でも労いの食事とか出るんでしょ?」
「私は別にそういうのいいんだけど…」
「向こうの厚意なんだから、たまにはきちんと受け取りなさい…ね?」
「…まあ、スィーバがそう言うならそうするけど…」
ファーリンが自主的に国内を回ることもあれば、彼女の噂を聞き付けた者から、ぜひ彼女に来てほしいと国を通して依頼がくることもある。明日は、王国ご用達の商人からの依頼で、船に乗って遠方の地に赴くことになっていた。
「で、明日は誰がファーリンさんの付き添いなんですか?」
「それは…」
「俺だよ」
と、言葉とともに1人の人物が部屋に入ってきた。スラリとした長身にショートカットの茶髪の男性…のような格好をしている少女だ。
「あら。いらっしゃい、シュオシャン」
「失礼いたします、スィーバ姫様」
シュオシャンと呼ばれた男装の少女は、スィーバの前で跪いて頭を垂れた。
「げ」
シュオシャンの登場に、エンシーはあからさまに顔をしかめる。
「よりによってシュオシャンさんですか…」
「よう、エンシー。よりによって、って何だよ」
「いや何か単純にウザイんで」
「相変わらず厳しいな」
エンシーの冷めた対応も気にすることなく、シュオシャンはにこやかな態度を崩さない。
その整った外見と爽やかな笑顔で、シュオシャンは王宮の女性達から絶大な人気を誇っていた。見た目に反し、立場的には騎士などではなく、メイドに近い。医学の心得もあるため、従者としてファーリンに付き添うことも多かった。
「まあ、そんなわけで明日は俺だから、花姫」
「ああ、はいはい、よろしく」
本物の姫の前で姫とか呼ばないで、というのはすでに言ったことあるものの直す気配がないので、ファーリンもスルーするようになっていた。シュオシャンのファーリンに対する態度は決して冷たいというわけではないが、他の女性達と接するときと比べ、どこか素っ気ないところがある。そう感じつつ、この日も淡々と翌日の打ち合わせを行った。
翌日。待ち合わせ場所として指定された港にファーリンが赴くと、そこには大きな船が停まっていた。シュオシャンとは現地集合としていたが、ファーリンが予定より早く着いてしまったこともあり、まだ来ていないようだった。
普段見慣れない船を珍しがって眺めていると、中から人のよさそうな老紳士が出てきた。
「よくぞおいでくださいました、花姫様。朝早くからありがとうございます。私、ネイローと申します」
「ああ、どうも。よろしくお願いします」
どうやらこの老人が今回の依頼人らしい。
「さあ、こちらへどうぞ。船へご案内します」
「あー…あと1人来るんですけど」
「お伺いしております。うちの者を外に立たせておきますので、来られましたら案内させますよ」
「分かりました」
ネイローの言葉に頷くと、ファーリンは彼の後ろから船へと入っていく。内装も豪華で、まるで屋敷のようだ。そこの客間のような部屋へファーリンは通された。促されてソファへ腰掛けると、使用人らしき者から紅茶が出される。
「どうぞ。南方の島から取り寄せた茶葉で淹れた紅茶になります」
「へえ…いい香りね」
「はい。まだあまり市場に出回っていないものなので、ぜひ感想などお聞かせいただけますと」
「それは難しいかも…」
苦笑いで応えると、紅茶を口にするファーリン。彼女がその場に崩れ落ちるのに、時間はかからなかった。
「ん…?」
意識を取り戻したファーリンは、すぐさま異変に気付いた。
手足が縛られ、がっちり柱に固定されている。柱には柔らかな布が巻かれており、ファーリンの手には手袋がつけられていた。『薔薇ノ剣』はホルスターから抜き取られている。
「お、目覚めたか。花姫様」
目の前には、いかにもガラの悪そうな男が複数人。その内のボスらしき男が、ファーリンが目覚めたことに気付いて声をかけてきた。
「何?あんた達。賊?」
「まあそんなとこだ」
「あっそ」
見たところ、広い部屋に男が20人弱。内装の雰囲気を見るに、場所は先ほど乗った船。揺れを感じることから、どうやら動いているらしい。
「ネイローさんは?」
「あのジジイにはもう用はねえから船から降ろしてるよ。全財産奪われる代わりに命は助かったんだから、感謝してほしいもんだな」
「へえ…」
男の言葉から、ネイローは恐らく、脅されてファーリンを騙したのだろう。
(さて、どうしたものか…)
元々今日は船で遠方に行くことにしていたから、しばらく戻らずとも誰も不審には思わないだろう。
「あ、私の連れは?」
「連れ?知らねえけど?」
「そう…」
賊の言葉を信じるなら、船がすでに出航している異変に気付いた従者が、すぐさま助けを呼びに行ってくれているかもしれない。ただ、
(……あいつ、来るかな…)
エンシーなら確実に来る(というかそもそも家まで迎えにきていたはず)が、今日の付き添いはシュオシャンだ。彼女の日々の自分への態度を思い起こし、ファーリンは諦め気味に小さくため息をついた。
「…で?何の目的?私なんかさらってもろくな身代金出ないわよ?」
「金はあのジジイからたんまりいただいたからしばらくいいさ。欲しいのはあんたの血だよ、花姫様」
「血…?」
「俺の能力の発動条件は、他人の血を飲むことだ。誰の血を飲むかによって能力の質が変わってくるんだが…同じく血が能力発動に関わってる話題の花姫様の血を飲めば、さぞや素晴らしい能力が発揮できるだろうと思ってな」
賊のボスはご馳走を前にしたような目でファーリンを見つめ、舌を一周する。
「さ、やれ」
「はっ!」
ボスの命令で、部下の1人がファーリンに近付き、短剣を抜いて振り上げた。
「!」
斬られる!
そう思ったファーリンは目を見開き…内心ほくそ笑んだ。
……が。
「へ?」
次の瞬間、間抜けな声をあげてしまう。部下の男はファーリンの肌には一切傷付けず、彼女が身に付けていた羽織のみを斬ると、丁寧に両腕に巻かれていた包帯をほどいていった。
「斬らないの?!……って…っった?!」
突っ込んだ直後、露になった腕にチクリとした痛みが走り、ファーリンは思わず声をあげる。左右から男達がファーリンの腕に注射器を突き立て、採血し始めたのだった。
「賊のくせに地味な...」
「あ?大胆に斬って血が床とかに飛び散ったらもったいないだろ」
「それは…まあ…?」
「何だよ。斬られたかったとか、お前マゾか?」
「違うわよ!!」
「…ま、そうだろうな」
ボスの男は訳知り顔で頷く。
「大量に出血したかったんだろ?そうすりゃ、能力が使えるもんな」
「…能力であんた達を癒してやるつもりなんてないけど?」
「ほう、そう答えるか」
2人が会話してる間も、ファーリンの採血は続いていた。やけに手慣れている。
「だったらそうだな…。昔話…ってほどでもないが、ちょっとした話でもしてやろうか。2年前の東西戦争で『吸血鬼の女王(ヴァンパイア·クイーン)』って呼ばれたやべえ女が東にいたんだが…知ってるか?」
「…」
『吸血鬼の女王』、という名を聞いた瞬間、ファーリンの眉がぴくりと動いたが、男の問には答えなかった。男はファーリンの反応を無視して話し続ける。
「そいつは能力者の黒髪の女なんだが、真っ赤で微細な刃を無数にぶっぱなして敵を殲滅させていったんだ。しかも、そいつは血を浴びるごとに能力が高まるっていう厄介なヤツでな…。敵を倒せば倒すほど強くなる。そうやって、他人の血を貪り続けたから、ついた二つ名が『吸血鬼の女王』。おっそろしいよなー!俺は西の人間だから、いつそいつとぶち当たるかひやひやしたもんだ」
「……そう」
「だが、興味もあった。俺と同じように、他人の血で強くなる能力者がどんなヤツなのか、ってな。それで少々調べてみたら…なんとそいつは国民にお披露目前の東の国のお姫様だっていうじゃねえか!クーデターで倒された王家のな!親殺されたショックで戦争で憂さ晴らししてるっていうんだから、さらにヤバさが増したもんよ。けどまあ、それなら東の現王家にも恨みあるはずだからな。戦争が終わった後、仲間に引き入れられないかとそいつを探すことにした。仮にも革命で倒された王家の人間だから、牢にでも繋がれてるのかと思ったんだが…。まさか堂々と国内歩き回ってるうえに慈善事業やってるなんてな。つくづく驚かされる」
「…」
「あんたが『吸血鬼の女王』なんだろ、花姫様。いや…ファーリン=チュイー姫?」
「…やっぱり、バレてたのね」
ファーリンは、諦めたように暗い声音で答えた。
「もう誤魔化さないんだな」
「さすがに無理っぽいし。私が傷作って流血しないようご丁寧に柱に布巻いたうえに手袋までつけて…。おまけに採血中も血が広がらないようにこまめに止血するとか。私のこと知ってたからここまでしたってことでしょ」
「まあな。『吸血鬼の女王』の能力の正体は鋭利に硬化させた花弁、あんたの能力の発動条件は自他問わず誰かの血を浴びること、ってとこだろ。無慈悲な殺人鬼の『吸血鬼の女王』と慈善事業で他人の救済やってる『鮮血ノ花姫』が同一人物とはにわかには信じがたかったが…。実際会ってみてわかったよ。あんたには決して消えない他人の血の臭いがこびりついてる」
「…」
ファーリンは静かに男を睨み付けるが、覇気がない。血を抜かれ続け、目が虚ろになっている。
「なあ、俺達の仲間にならね?一緒にこの国潰そうぜ」
「…もうそんな気ないくせに…。…完全に血だけが目的の仕打ちでしょ…」
「ま、腑抜けたヤツ仲間にしても仕方ないしな。ラストチャンスってやつだよ。『吸血鬼の女王』に戻る意思があるっていうならここで血抜くの終わらせてやる。どうだ?」
「………ことわる」
「…ま、そう言うよな」
ボスが顎で指示を出すと、部下の男達はファーリンから離れる。ボスは立ち上がって腰に提げていた剣を抜くと、ファーリンを柱に縛り付けていた綱を断ち切った。そして、倒れてきたファーリンを片手で受け止め、そのまま床に寝かせ、彼女の上に覆い被さるように立った。
「その様子じゃもうまともに動くことも能力使うこともできないだろ。最期はお望みどおりその胸斬り裂いて直接血啜らせてもらうよ」
「…」
「贖罪のために慈善事業なんかやってるんだろ?だったらあんたが恨みを買ってきた西の人間に殺されるのは本望だよな」
ボスの男は、ファーリンの心臓の真上に剣を構える。ファーリンは、人形のようにぴくりとも動かない。
…そんな彼女の耳に、ふと、音が聞こえた。誰かの、足音。
「…ねえ」
ファーリンは身体を動かさず、そのままの姿勢で声を発する。
「あ?」
「このドレス、なんで半分切ってあるかわかる?」
「…は?」
突然の脈絡のない問いかけに、ボスの男は眉を潜めた。
「…それはね、」
足音が、すぐそばまできた。
「…あんた達みたいな外道を、いつでもぶちのめせるようにするためよ!」
「?!」
ファーリンは右脚で勢いよく男の手から剣をはじき飛ばすと、間髪入れず男の顎を蹴り上げた。まともに蹴りを食らった男は体勢を崩す。
「花姫!」
それとほぼ同時に、ファーリン達のいる部屋のドアを開け放つ者がいた。シュオシャンだ。
シュオシャンはどこかの部屋に置かれていたであろう『薔薇ノ剣』を手にしており、ファーリンが男の下から抜け出していることを確認すると、彼女に向かってまっすぐ剣を投げた。
「…遅いわよ!」
ファーリンは右手で『薔薇ノ剣』を掴むと、瞬時に己の左腕を斬りつけた。
流れ出る血液。そして、飛び出す紅の微細な刃達。
ファーリンは舞う花弁の中、血を流したまま動き出すと、能力による攻撃に混乱している賊の男達に次々と蹴りを入れ、気を失わせていく。
「ったく、俺らからしたら早すぎるご到着で困るんだけどな…。ってかなんでそんな動けてるんだよ」
「悪いけど、多少の貧血なんて慣れてるのよ。このくらい余裕だわ」
「マジ化け物じゃねえか。…仕方ねえ」
ボスの男はピンチを悟ると、まだふらつく身体でファーリンから抜き取った血液が入った注射器の1つを手にし、ぐいっと中の液体を一気飲みした。
「…ははっ。やっぱあんたの血最高だわ、『吸血鬼の女王』!力が漲ってくるぜ!」
男の言葉とともに閃光が走り、ファーリンは男から距離を取って動きを止める。
「稲妻…?」
「その通り!属性相性でどっちが強いかなんざ、一目瞭然だよな?」
「…」
男の能力で焼け焦げた花弁の燃えカスが、はらはらと床に落ちた。
「確かに、属性相性だけならそうかもね!」
そう告げると、ファーリンは再び動き出し、稲妻を避けながらボスの男に向かっていく。部下の男達は、ファーリンに気絶させられたり、ボスの攻撃の巻き添えを食らったりして、ほとんどが床に倒れていた。
ファーリンはボスの男の眼前に到達し、再び蹴りを食らわそうとする…が、その脚を片手で掴まれてしまった。
「!」
「惜しかったな!だが、自慢の体術も動きが鈍ってるようじゃダメだな。…さあ、終わりだ」
男はもう片方の手に能力を集約し、ファーリンに直接ぶつけようとする。…が。
「…あんたの方がね」
「?!な、…に…?」
ふと、男は意識を失い、その場に崩れ落ちる。その顔の上に、ひらひらと1枚の花弁が舞い降りた。
「確かに私は罰せられるべきだけど…。だからってあんたみたいな外道にやられるつもりはないわ」
ファーリンは上げたままの脚を下ろそうとしてバランスを崩す。床に倒れ込む前に、その身体をシュオシャンが受け止めた。
タイミングよく、シュオシャンと共にファーリンの救出にきたであろう王宮の騎士達が部屋になだれ込んできた。彼らはまだ意識のある者含め、スムーズに賊を捕らえ連行していく。
「ありがと。助かったわ」
「別に…。俺何もしてないし」
シュオシャンは若干気まずそうに、ファーリンから目を反らす。ファーリンに『薔薇ノ剣』を渡して以降、シュオシャンはただ、ファーリンが賊と戦っているのを見ているしかできなかった。
「短剣持ってきてくれただけで上等よ」
「あんだけ動けてたんなら、なくてもいけたんじゃねえの?」
「いやギリギリ。最後のも、剣で能力高めてなかったら多分無理だったわ」
「そういや、あれ一体…」
「ああ。私の能力案外応用利いてね。花の香りで精神癒すだけじゃなくて、催眠作用も出せるのよ。まあ剣なかったら焼け焦げた匂いに完全にかき消されてただろうけど…。ってかもう動けない」
「!止血する」
ファーリンを寝かせ、止血処置をするシュオシャン。ファーリンはその姿を見て、ふっと笑った。
「?なんだよ」
「いや…。正直さ、あんたが私のこと助けにくると思ってなくて」
「…は?遅いとか言ったくせに...」
「だってあそこはかっこつけるところでしょ」
「なんだそれ」
シュオシャンは呆れ気味にため息をつく。
「…ってか来るだろ。待ち合わせ場所に花姫も依頼人もいませんでした、って報告だけスィーバ姫様にできるわけねえじゃん」
「ああ…そっか、そうよね。スィーバに逆らうわけにいかないか」
「…何が言いたい?」
「ああいや、だってさ…」
ファーリンはふっと真面目な顔つきになり、真っ直ぐにシュオシャンを見つめる。
「あんた、私のこと怖いんでしょ?」
「?!」
ファーリンの言葉に、シュオシャンは目を見開いた。
「……なん、で…そう…」
「まあなんとなく?……あんたさ、私の正体知ってたでしょ」
「……」
シュオシャンの沈黙を、ファーリンは肯定と受け取った。
「…やっぱり」
「……兄貴が、チュイー王家時代に騎士やってて…。それで、会いに行ったとき、あんたのこと、見かけたことあった」
「へえ。…ってことは、あんたローラオの妹か。どっかで見た雰囲気の奴だと思ってたけど。…あいつ、妹が自分の真似して騎士になろうとしてる、って嬉しそうに話してたわ」
「……ああ。けど俺は……もう騎士にはなれない。…なりたいとも思わない」
「…」
「あんだけ強かった兄貴が、殺された…。俺、怖くなって、咄嗟に逃げたんだ…。兄貴に追い付きたくて、剣術も武術も一生懸命やってたのに、何もできなかった。騎士として国を守るってどういうことか、全然分かってなかった。…今でも、あの恐怖が頭から離れない」
「……ごめん」
「…なんで、あんたが謝るんだよ…。あのとき兄貴を殺したのは、あんたじゃない…」
「殺人鬼の従者なんかやらせてごめん」
「…それ、は…」
シュオシャンは言葉を詰まらせた。
「あんたが私に何か思うところあるだろう、って分かってたのに、スィーバにあんたを私の従者から外すよう言ってあげられなかった。…悪かったわ。帰ったら、私から言うから」
「!」
「…本当ね、遅いとか言っちゃったけど、私なんか助けにこなくても別によかったのよ。例え間に合わなかったとしても、あんたが責められることじゃないわ」
「…じゃあ、殺されてもよかった、ってことか…?」
「そうね」
「…!」
シュオシャンの問に対するファーリンの答えは恐ろしい程にあっさりとしていて、己の命にまるで関心がないようだった。
「けど、あの男に殺されるのはシャクだったから、あんたには本当に感謝してるわ。あいつらやたら慣れてたから、私以外の人間からも血抜き取って殺してたわよ。ああいう奴らを野放しにせずに済んでよかったわ」
「…あんたさ、自分のこと犠牲にしすぎじゃないか…?」
「そんなことないわよ」
「あるだろ!他人癒すために自分の腕も脚も傷つけまくって…ボロボロじゃねえか…」
「そんなの、ただの自己満足に過ぎないわ。身体の一部切断して差し出せとか言われたらやれる自信ないし。…私は、自分がやれる範囲のことやってるだけの、ただの偽善者。こんなことしたって、私が殺した人間が生き返るわけでも、その家族の苦しみが消えるわけでもないんだから」
「それでも…やれる範囲でやろうとしてんじゃん…」
「…まったく、あんたまで私に甘いこと言ってどうすんのよ。…今までどおり、恐れてくれるのでかまわない。スィーバやエンシーは私に優しいから、時々自分の罪を忘れそうになっちゃうのよね。…だから、あんたみたいな人がいてくれると助かる」
「…」
「…あ、さっき言ったとおり、スィーバにはあんたを従者から外してもらうようちゃんと頼むからもう関わらないかもだけど」
「……いや…いい」
「え?」
「スィーバ姫様に進言してくれなくていい。…ってか、俺があんたの専属になれるよう、頼んでみる」
「………は?」
シュオシャンの言葉が一瞬理解できず、ファーリンは遅れて反応をした。
「えっと…何をどうしたらそういう流れに…?」
「俺だってよくわかんねえよ。…あんたの言ったとおり、俺はあんたが怖い。さっき、戦ってるとこ初めて見て、ますますそう思った。…けど、それであんたを、殺人鬼っていうカテゴリーで遠ざけるのは…違う気がするから」
「何よ、それ…」
「ホント、何なんだろうな。…今日もさ、救援呼んだら俺来る必要性なかったと思うし、何なら危険なとこに自分から首突っ込むなんて絶対嫌なはずなのに、1番に飛び出してた。だから、俺自身それを確かめるためにも、あんたの側にいたいと思う。あんたとまともに話したの今日が初めてな気するけど、もっとちゃんと知りたいと思ったから。…ダメか?」
「いや、私は別に…いいけど…」
ファーリンはいまいち納得いっていないのか、戸惑いがちに答えた。
「とりあえず、俺らもこの船出るか。隣に救援の船来てるから。立て…ないよな」
ファーリンの答えを聞く前に、シュオシャンはファーリンをひょいと抱えた。
「それでは行きましょうか。お姫様」
「…そういう言動、兄貴にそっくりね」
「…ああ。まあな」
シュオシャンはファーリンを抱えて歩き出す。
2人は互いに相手への感情を探っているのか、そこからは無言だった。