2-16. 名無し
いつも通りの休日スタイルに手ぶらで宿を出る。
最初の目的地のギルドで換金の手続きを済ますと、一枚の紙片を渡された。
「生産者ギルドからメッセージが入っておりました」
「ありがとうございます」
ドロップの査定に席を離れたギルド職員を見送り、二人で紙片を覗き込む。
――ご注文の品、完成間近。納品方法の確認のため、ギルドに来られたし ゾッドア――
「早いな」
「風呂より小さいから?」
「それでも二台だぞ」
「確かに」
風呂と違ってトイレは個人で持ってた方が色々気にしないでいいということで、今回二台注文した。
発注からまだ四日ほどなのに仕事が早い。
「どうする? 今日行っても大丈夫か?」
「はい。問題なしです」
戻ってきた受付女性にお願いして、査定結果の全額を口座に入れてもらう。
そうして移動した先の生産者ギルドでは、少し偉そうなおっさんが二人を待っていた。
「君たちがゾッドア殿との契約者かね?」
「はい」
「じゃあ、ま、こっちに来たまえ」
自己紹介もなく、なんか偉そうだ。
マップでは黄色。今のところ、可もなく不可もなく。
「ゾッドア殿が作品を完成させたということで、その納品と、また新たな契約が必要だと連絡がきておる。
――これが契約書だ」
おっさんは部屋に入って自分だけさっさと椅子に座り、ベラベラ喋った後、バサリと紙の束を机に放った。
チロリと横を見るとハルは無表情で契約書に目を通している。
「――これはゾッドアさんが?」
「そうだ」
「この契約書には“生産者ギルド所属のハル”とありますが、これは私を指していません。
私は冒険者であり、生産者側ではないので、この契約書では署名できません」
「なんだと?」
「――失礼。これは以前ゾッドアさんと結んだ二つの契約書の写しです」
そう言ってハルはバングル型のマジックバッグから堂々と契約書を出す。
「お分かりでしょうか。こちらの私を指し示す箇所の表現、そしてこちらの私の弟を指し示す表現。いずれも冒険者ギルド所属とされています。
また我々が冒険者でなくなった場合の身分の証明を、ベズバロ村のゾッドアさん及びベズバロ村の生産者ギルド長が保証するとなっています」
ハルが数カ所、契約書の上にトントンと指を走らせる。
「これらの記述が、今回の契約書には全く見られません。代理でこちらの生産者ギルドが作成したのであれば、作成のし直しを要求します」
「わ、我々が杜撰な契約書を作ったと言いたいのかね!?」
「いいえ。契約とはお互いの合意で結ばれるものです。この契約書に私は署名できないと申しているだけです」
「な! そんな発言をして許されると思ってるのか!?」
「――ハル、赤」
「分かった。
――今の発言はどのような意味でしょうか、ガリュエズ副ギルド長」
「な、なんで名前を!」
「さぁ、そういう人もいますよ。ご存じでしょう?」
「か、鑑定持ち……」
「こちらの契約書を商人ギルドに提出しても、何の問題もないと判断いただければ良いのですが。ね、どう思います?」
「わ、私はし、知らん! 知らん!」
そう言っておっさんは部屋から走り出て行ってしまった。
「うーん、やりすぎたかな?」
「いいえ、全く」
「どうしよう。ゾッドアさんがトイレの件を契約しようとしてるのは、恐らく本当なんだよね」
「そうなんですね。それをあのおっさんが着服しようとした?
――誰か来ます」
イーズがつぶやいた後、誰かが扉の向こうに立ち、軽くノックする音が部屋に響く。
「どうぞ」
「失礼する」
入ってきたのは先ほどのおっさんではなく、作業着を着た工場のおじさんといった出立ちの人だった。
「先ほどは副ギルド長が失礼した。ワシはここのギルド長のハッセンと言う。そちらの契約書を預かりたいのだが、良いかね?」
「これをどうするおつもりで?」
「もみ消したりせんよ。身内の恥を晒すが、お二人をもう巻き込んでいるので話すと、あやつは他にいくつかやらかしておってな。近々裁判所に一式こちらで集めた証拠を提出する予定だった。
大人しくしておればよいのに、また馬鹿をしよって。しかもゾッドア殿の契約を改ざんなどと、傲慢にも程がある」
「分かりました。我々には不必要なものですので、持っていって構いません」
「おう、助かるぞ」
――コンコン
再び部屋の扉がノックがされ、二人の男性が入ってきた。
一人は偽の契約書をギルド長から受け取って部屋から退出し、もう一人はハルの前に新たな紙の束を置いて席に着いた。
「こいつが正式な契約書の発行担当者だ」
「ウェイリーと申します」
そう言って深々とお辞儀をする担当者に、二人も軽く会釈を返す。
「こちらが契約書と、今回の商品の運搬に関する計画書となります。ご確認お願いします」
「失礼します」
ハルは契約書を手に取り、先ほどと同じように一つ一つ頷きながら確認をしていく。
「確認しました。問題ありません。こちらで契約をさせていただきます」
「ありがとうございます。ではご署名を」
きびきびとした動作でウェイリーが契約書を取りまとめ、あっという間に完了させてしまった。
続いては運搬計画書。すっかり自分達で取りに行くつもりだったが、実際は違うようだ。
「ベズバロ村からは定期的に多数の商品を納品いただいております。ゾッドア殿の案では、その便に同梱させてほしいというものになります」
「その場合の代金は?」
「定期便ですので、荷物の量に関わらず同額をギルドが支払っています。こちらとしてはハル様にお支払いいただく必要はないと考えております」
「それは、こちらに利がありすぎでは?」
「いえ。同梱の場合、商品の配達先が様々のため、こちらへの到着に時間がかかる可能性があります。
ゾッドア殿の作品ですので、出来るだけ優先で配達するように手配いたしますが、ギルドにも損が出るわけではございません」
「作品……失礼ですが、お二人は今回我々が注文した品をご存じなんですよね?」
なんかあまりにも大層な品が届くような雰囲気を出され、ハルは心配になって聞いてしまう。
なんたってただのトイレだ。しかもマジックバッグに入れて運ぼうなんて、酔狂の考えだ。いや、考えたのはイーズだが。
「もちろん、存じております! 先月提出された移動用風呂の仕様も画期的でしたが、今度はトイレとは! なぜ今まで考えなかったかと、私は机の角に思いっきり自分の頭をぶつけたくなりました。スライムを使った浄化方法はすでに冒険者でも広まっておりましたが、貴族には恥とされる方も多く、旅の間に我慢して体調を崩す方もいると聞きます。この需要は風呂以上に大きいですよ!」
「ウェイリー、ウェイリー、落ち着きなさい。ハル殿とイーズ殿がびっくりしておる」
「は! 失礼いたしました」
数秒前の興奮が嘘のようにウェイリーはストンっと無表情になる。
これは、あれだ。あのタイプだ。
ハルを見上げると彼にも心当たりがあるのか、口の端を引き攣らせている。
――ウェイリー氏、オタクだ。
とりあえず運搬計画に異論はないので、そのまま進めてもらうことにして、ハルは何とか言葉を絞り出す。
「自分たちが欲しいなと思ったものを、形にしてくださったゾッドアさんはすごいと思います」
「――ハルさんは、ゾッドア殿がジャステッドにどのような貢献されたかご存知か?」
「いいえ」
「こちらを」
そう言ってハッセンは部屋の隅の箱を指し示し、蓋を開ける。
そこにあったのは折り畳まれた梯子と金具だった。
ハッセンはそれを手早く組み立てると、やにわに窓から身を乗り出す。
「え? ハッセンさん?」
「ほら、見とくれ」
そう言って体勢を元に戻すハッセン。手は梯子から離れているのに、窓枠の上部からぶら下がったままだ。
「この梯子は、家の窓の上部に取り付けられた金具と繋げられる。そして、この梯子を伝って屋根の上に逃げるのさ」
「逃げる……何から。魔獣から?」
「その通り」
これはジャステッドの各家庭に設置されている避難用具だそうだ。
ダンジョン氾濫の際に万一逃げ遅れても、魔獣が入ってこられる家の中から梯子を使って屋根に逃げることができる。
さらに、屋根の上にも類似器具があり、隣の家の屋根伝いに避難所へ駆け込めるように設計されている。
「これは、ジャステッドの真心」
「真心?」
「自分だけが逃げるのではなく、万一逃げ遅れた人がいた時のため、この梯子を隣の屋根につなげてから逃げる。貴重な時間を使って」
「他の人の命を救うため」
「そう。これは下手したら犯罪に悪用される心配もあった。だがな、領主様がお触れを出した。
――これを悪用するものは、ジャステッド市民全員を対象にした無差別殺人を犯したと同等の罪に処す。
氾濫が起こった際、これがなければどれだけの市民が犠牲になるか、領主様は分かっておったのだ」
「すごい物を作ったんですね、ゾッドアさんは」
「ああ。ジャステッド市民の命を救い、その心を信じた作品だ」
そう言いながらハッセンは梯子を窓から外し、箱に戻した。
「これは氾濫以外でも役立っとるよ。火事だったり、子供が窓から落ちそうになったり。隣人を助けるために何度も活躍しとる」
嬉しそうに目を細めてハッセンは箱を撫でる。
どうやら彼もゾッドアの大ファンのようだ。
大幅な寄り道となったが、ジャステッドとその市民を知ることができた貴重な時間だった。
通りの家一軒一軒を見上げながら、どんな構造になっているか思い巡らして歩く。
上を見過ぎて時折ふらつくイーズの手を引っ張りながら、ハルは真っ直ぐ前を行く。
「学ぶことがいっぱいです」
「そうだな」
「一つ思ったことがあるんです」
「ん〜?」
「この世界には賢者じゃなくっても立派な人がいっぱいいるんだろうなって」
「そうだな。無名の賢者たちだ」
「ふふっ、旅が楽しみになりました」
きっと地球にたくさんの偉人がいたように、この世界にも立派な人たちがいる。
異世界人ばかりがこの世界を支えているわけではないのだ。
旅先で無名の勇者と賢者を見つけられるかもしれない。なんて厨二病が疼きそうな話!
隣のハルを三日月形の目でチラッと見てから、イーズも視線を前に戻して歩き出した。
フィーダがなかなか現れない。おかしい。こんなはずでは。
ゾッドアがどこかの誰かにビビって頑張りすぎたせいだと思います。つまりはどこかの誰かさんのせいです。





