3-6. 色々染まる
水が溜まったくぼ地から、水路が都市に向かって引かれている。
池と呼ぶには大きすぎ、湖と呼ぶにはやや小さく浅い。
突如現れたこの湖沼と呼ぶべき水の塊は、地下に開いた大規模な穴……厳密にはワシが開けた穴から地下水が湧き出てできたものだ。
自由貿易都市ドズガルジェは海に近いとはいえ、川からは離れている。
そこでこの水に目をつけたディエドラは、ワシに更なる地下水の有無を調べさせ、人の営みを支えるには十分の水量があると判断した。
そして今、この場所から周囲の田畑に水を引くための水路づくりが推し進められている。ちなみに、これの手伝いをワシもさせられた。
魔力反発による爆発で隆起した地面を均す”ついで”に、土地の傾斜をつけたりしたのだ。
本当にあの女子は龍への敬意を示しつつ、自分の良いように使い過ぎではないか。ソウとタクマが愚痴るのも分かる。今度からはもう少しあ奴らの話を真剣に聞いてやろう。
またワシも想像していなかったことではあるが、水の中には腐海の魔力とワシの魔力が混ざっているためその水で育った草木は成長が著しいらしい。ディエドラはもっとワシに感謝すべきである。
「腐海と龍の魔力って相性が悪いんじゃないの~?」
水を覗き込みながらフーカがこぼす。
ワシは念のため水辺から離れた位置に寝そべり、魔力の揺れを観察する。
『今の状態であれば問題ないであろう。もっと密度が高い状態でぶつかれば反発するであろうが』
「ま、爆発しないならそれでいいけど。今の状態で十分楽しめるし」
『うむ』
まるで泡のようにぱちぱちと水面で魔力が輝く。通常であれば目に見えない魔力が、反発を起こして光のように散っている。
七色の光が踊る。チカチカと輝き、小さな渦を起こす。風もないのに水面に小さな波がたつ。
まるで水の中で生き物が動いているように見えるが、まだここには水草すら生えていないはずだ。
集まった人の子らも眩しそうに水を見つめている。
「夜に来たらロマンチックそう~」
「腐海に近すぎで無理だろ」
「確かにそっか」
流石にワシもあれ以降は腐海に近づいてはいない。それに目的が果たせればそれでよいのだ。
そう、マンドラゴラを目覚めさせるという目的が。
フーカの隣にしゃがみ込み、アシェラはそろそろと懐から小さな袋を取り出した。
中に入っているのはもちろんマンドラゴラの種だ。
地下の空間に腐海の土を持ってくることは諦めた。その代わり、ここの水や土で成長を促すことに決めたのだ。
フーカが鼻歌に乗せて魔法を発動させる。長閑な風景にふさわしいゆったりした曲。
アシェラは種を隠した両手をそっと額に寄せ、祈るように目をつむってからゆっくり、一節一節を噛みしめるように詠唱をとなえた。
「光の僕の願いを告げる。力の源よ蘇れ」
柔らかな声が伸びる。
人の子の魔力が動く。
一年をかけて何度も回復魔法を浴びた種たち。
厳しい冬を乗り越え、春の温かさに促されて目覚めるように。
溜めた力を開放する時が来た。
必要なのはきっかけ。
今こそ、内にこもって実を守ろうとする硬い殻を破る時だ。
アシェラの手がゆっくり下される。
腐海の魔力を含んだ水へと。
「……お願い」
囁くような声。
指の間から、透き通った水がアシェラの手の中に満ちる。
その瞬間──種が真っ赤に染まった。
「えええ!?」
「あ!」
「おお」
驚きの声が重なる。だが変化はそこで止まらない。
グググググッと種が膨らむ。
人の子らの瞳よりも小さな種が、生まれたての赤子の拳ほどの大きさにまで一気に成長した。
あまりにも突然の変化。予想していなかった事態にアシェラの体が大きく跳ねる。
その拍子に、膨らんだ種が水の中へと転がり落ちた。
「あ!」
アシェラが手を伸ばす。
だがその指先が触れる前に、種がクルリと水面で回った。
「ちゅ」
「ぽ」
「うぇ」
「は?」
「え?」
「あん?」
『ぬ?』
不可思議な声がした。
クルリ、クルリと赤い実が回る。
透明な水の中で、赤く艶やかな実が。
「ちゅええ」
「ぷぽっ、ぽぅ」
「うぇぅ」
……若干間抜けな声と共に。
「ぷっくくく、ふっ」
フーカの肩が小刻みに揺れる。
その隣でタクマも腹と口を押さえ、器用に声を出さぬまま笑っている。
「え? え? 何? え?」
「ちぃ~ぢ」
「ぽっべぇ」
「うぇぇぇぁ」
事態を理解していないアシェラの戸惑う声と、マンドラゴラたちの気の抜けた声だけが続く。
『アシェラ、早く水の中から出さぬと、そやつらは泳いで行ってしまうぞ』
「え? 泳ぐの? 種が!?」
「どっちかっていうと流されるっていうんじゃね?」
「サトは沈んでたよね~」
慌てたアシェラがまず一つ目のマンドラゴラを拾いあげる。
「ち!」
『不満そうであるな』
いっぱしに不服だと主張するマンドラゴラの声。
二つ目はフーカの手に。
「ぽぅ」
「ん、いい子」
最後のマンドラゴラはタクマが指先でつまみ上げた。
「……う」
「こいつ、鈍そう」
「うぅぅ」
タクマの呟きに、マンドラゴラは鳴き声なのか泣き声なのかは分からぬ声を上げてふるりと揺れた。
タクマが服の裾で濡れたマンドラゴラを拭う間も小さな声が漏れる。
「葉っぱはまだか」
「アモの時は葉っぱが先だったって聞いてるけど」
お互いの手の中のマンドラゴラを見比べながら語るタクマとフーカ。
アシェラは言葉を失ったように呆然とマンドラゴラを凝視している。
「ちぃぃ」
視線を感じたのか、マンドラゴラがふるりと身を、いや、実を震わせた。
その動きに意識を引き戻されたアシェラは、両目を限界まで広げて意味不明な叫びをあげた。
「ひぇ、ひょへえええ!」
「ぷっ」
「くはっ」
アシェラのあまりの動揺っぷりに、二人はたまらず吹き出す。
前からマンドラゴラは動くし声も出すと教えておったのに、もっと冷静にどしっとかまえてられぬものか。
それにしても、あまりここで騒いで注目を浴びても良くない。そもそもワシと勇者という存在自体が人の耳目を集めてしまう。何を騒いでいるのかと勘繰られるのも避けるべきであろう。ワシは配慮ができる龍である。
『ほれ、とりあえずここから離れるぞ』
「はーい」
「おう」
「ひゃ、ひゃい!」
三人は今更ながらにマンドラゴラを両手で隠すように包み込む。
その姿勢のまま進むのか? そうか。明らかに何かを持っているとバレバレではないか。まったく、知恵を働かせることならばゴブリンでもできるであろうに。
三人の手の中にあるマンドラゴラからはうっすらと意識というか、自我は感じられる。
人の子らの赤子が自分の機嫌だけは表現できる状態、と言ったらいいのか。
サトとアモのように、意思を持った考えを伝えるほどの力はない。これからもしばらくは成長に魔力が回されるのであろう。
「葉っぱがないね~」
「だよな。マンドラゴラって言ったら葉っぱなのに。偽もんか?」
「うぅぅ」
「あー、タクマ、泣かした~」
「泣かしてねえって!」
タクマの手の中からか細い声が聞こえ、フーカがそれをからかう。
アシェラは時折自分の手の隙間から中を覗き込み、マンドラゴラを確認している。そのたびに転びそうになるのだからワシとしても気が気ではない。
本当に手のかかる子らだ。
水辺からある程度離れたところで、三人はワシの体の陰になる位置に集まる。
それから示し合わせたかのように、同時に両手をそっと開いた。
「ちぃ」
「ぽっ」
「うぅ」
途端こぼれたマンドラゴラの声。
三人の顔がでれりと溶ける。間抜けな顔である。
「よかったね、アシェラ。まだこれからも定期的に回復魔法は必要だけど、一番大変なところは乗り越えた感じじゃない?」
「……ありがと、フーカ」
「それにしても三体か。全部アシェラが面倒みるのか?」
「それは 今度ディエドラ様に相談してみる。私としては、できれば自分で育てたい」
「そうか。ここまで頑張ったのがアシェラだってのはディエドラも分かってるから、お願いしたら聞いてもらえるだろ」
タクマの意見にフーカも賛同し、アシェラは安心したように頬を緩める。
アシェラが引き続きそうしたいというのであれば、ワシもディエドラに会った時に口添えしておこう。一年という期間、絶やさず魔法を施し続けた責任感と忍耐は報われるべきだ。
『マンドラゴラはダンジョンの土を好むという。元々はダンジョンで育つ魔植物であるからだろうな。これからも定期的にあの場所に連れて行くと健やかに育つだろう』
「ツッチー様、貴重なご意見感謝します。これからも通います」
しっかりと頷くアシェラの横で、フーカがマンドラゴラを乗せていない方の手を勢いよく上げた。
「はいはいはい! あたしも一緒に行くよ。アシェラだけだとマンドラゴラ流しちゃいそうだし」
「し、しないよ! 何それ!」
「さっき落としてただろ」
「さ、さっきはびっくりして!」
「ぢ?」
「ぽ~お」
「うぃ」
まるで「本当か?」と訝しむような声がマンドラゴラから漏れる。
自分が魔力で育てた子らに不信感を抱かれるとは、アシェラは親としてまだまだであるな。
「葉っぱもまだだけど、これからかな。手と足も出てきたら自分たちで動き回れるね〜」
「ぽぽ」
ついついと手の中のマンドラゴラをつつくフーカ。
そんなことをしても葉が伸びるわけではなかろうに。
タクマはマンドラゴラをアシェラの手の上に移動させつつ、わずかに眉を寄せる。
「こいつら、どこまで成長するんだろ。サトくらいデカくなったらうるさそうだな」
「ちぃ」
「うぅ」
「サト……さんは勇者様の魔力を何年ももらっているからでしょ? 私の魔力だとそこまで育ててあげられないかもしれない」
力無く笑うアシェラに、フーカはふざけるように肩を軽くぶつけて言う。
「いいじゃん、それで。カムカムたちは手のひらサイズくらいが可愛いと思うよ? こんなに真っ赤でツヤッツヤな子、一緒にいてくれるだけで楽しいって」
「そう、かな?」
「そうだって〜。育たないかもって言ってた子たちの声が聞こえて、動いてくれただけでも十分十分!」
最後の一体がフーカの手からアシェラの元に戻される。
アシェラは実を寄せてふるりと揺れるマンドラゴラをじっと見つめ、覚悟を決めたように深く一度頷いた。
「うん、そうだね。欲張らないようにしないと」
「ん、それでヨシ! それに不安なことがあったらイーズたちに聞くとか、あたしたちも手伝うから」
「ふーかぁぁぁ、ありがとぉぉぉぉ」
目を潤ませるアシェラに、屈託のない笑顔をフーカは向ける。
「こういうのは誰か一人じゃなくって支え合うの。ツッチーもいるし。タクマも……一応いるし」
『自我が芽生えたら、何を考えているかはワシが念話で聞いてやれる』
「お! さすが、ツッチー。タクマと大違いだね」
「失礼だぞ。俺はベッドと風呂と遊具なら作る」
助けになるのかならないのか、判断し難い発言をするタクマ。
だがそれで良い。
二人に信頼できる友、助け合える仲間ができたことを喜ぶべきだろう。
自分たちだけで何もかも背負っていた勇者たちが、力を貸したいと思う友人ができたこと。
アシェラを助けることを当たり前のように選ぶその姿勢。
女神が選ぶ勇者たちは、皆そのような気質を持っておる。誰かを救い、導き、助けることを自然と選び取るような気質だ。
きっとそれは我ら龍たちとも通じるのではないだろうか。
そこまで考えて、自分の勝手な想像にワシはむず痒さを感じて体を震わせた。
『では、そろそろワシは潜る』
「オッケー。ツッチーまたね〜」
「また今度な」
「ありがとうございました」
「ち〜」
「ぽぅ」
「うぃえ」
口々に別れの言葉が飛んでくる。
それを聴きながら、ワシはゆっくりと柔らかく温かな大地の下へと体を潜り込ませた。
そろそろツッチー編も終わりです。





