3-5. 永遠に
前脚を揃え、後ろ足もきっちり揃えて座る。
長い尾は地面に沿って這わせ、ぴくりとも動かさない。
目の前には着飾った女傑、ディエドラ。その隣にはそこそこ飾り立てた装いのソウ。
タクマとフーカも珍しくこの世界の貴族のような服装に身を包んでいる。もっともその煌びやかな格好には全くそぐわないしょっぱい表情をしているが。
パシリッと小さな、だがその場にいる者たちの注目を集める音がする。
ディエドラが扇子を軽く掌に当てた音だ。
「土龍様、お話を伺ってもよろしいかしら」
あくまで上位の者への嘆願のようにも聞こえるがこれは違う。「言え」という命令に近い。
横に逸れてしまいそうな目に力を入れてゆっくりと顎を下げる。
途端、背中がビシリと音を立てて「グルゥ」と喉を鳴らした。
「ツッチー、体が痛かったら寝たら?」
タクマの言葉にゆっくり首を振る。これは「お座り」と言う、人間の庇護下にある動物がとる屈辱的なポーズだと聞いた。
つまり今のワシは屈辱に耐えなくてはいけないのだ。
理由は──
『腐海の土を必要としたのだ』
「腐海の?」
眉をピクリとも動かさず、ディエドラが広げた扇子の奥で目を細める。
とっとと全てを話せと言外に要求してきている気がする。これが嫁っ子であれば「ゲロゲロゲー」などという呪文を吐いたことであろう。ハルに向かってこの呪文を唱えるとハルが大人しく企み事をゲロ……白状していた。
あの時は確か、フィーダの嫁の子供に買うお土産を勝手に商人リャインと決めていた時だったか。
どうも土産物に関してはハルは嫁っ子を信用しておらんようだ。ワシは夫婦になるには信頼は大事なのではないかとハルに告げたが、微妙な反応をしておった。ハルだから浮気などしないとは思いたい。
前代の龍だった頃、恋人同士だった勇者が喧嘩をして都市を半壊させたことがある。
それ以降、勇者同士で付き合ったり結婚したりする場合、「私闘に魔法を使わない」という誓約を立てると聞いたことがある。あれはこの時代でも有効なのだろうか。
「土龍様?」
『うむ……まぁ、あれだ。マンドラゴラの成長の一助にと思い、腐海の土の採取をしに行った』
「土を?」
『マンドラゴラは通常ダンジョンで育つ。腐海の魔力を含んだ土であれば成長を促せると思ってな。だがワシは腐海に入ることはできん。それで地下に作った空洞に腐海の土が落ちてくるようにしたのだ』
当初ワシの計画は上手くいった。
腐海の下に作った空洞に土が落ちてきた。しかし、それを直接触れぬようさらに土で包み込み運ぼうとしたのだが、そこで失敗した。
動かした土にはワシの魔力が含まれておる。ゆえに、腐海の土を包もうとした瞬間、魔力同士が反発し、地面がはじけ飛んだ。
首をその爆発があった方へ向ける。
そこにはつい先日までなかった高い壁が出来上がっていた。腐海の端と人の子の町の間に直立にそびえたつ壁。
あれはさすがに景観を損なっておる。魔力の荒れが落ち着いたら片付けなくてはならぬだろう。
「……お話は分かりました。土龍様が良かれと思ってされたということも理解いたしました」
女子はふうっと息を吐く。
ゆらりと扇子が揺れる。小さなそよ風すら起こさない静かな動作。
それなのに背筋にヒヤリとしたものが走った。
「本日は、我が町が自由都市としての一歩を踏み出す、重要な式典を催すはずでした」
『ふ、ふむ』
なるほど。確かに、そんな話は数日前にフーカとアシェラから聞いていた。
ドレスを着なくちゃいけないから面倒だと言うフーカに、アシェラは心のこもらない声援を送っていた。
そんなことを、ついさっきここに集まった人の子らの装いを見て思い出した。
「ですが大規模な地の揺れに続き、腐海の中から魔獣が飛び出てきたため延期となりました。見慣れぬ壁も突如出来上がっておりましたし。詳細な調査をし、腐海の安定するまで待とうと」
『ふ、ふむ……それは、申し訳ないことをした』
頭を僅かに下げる。ピシリとまた背中が痛む。喉奥でギュグゥと情けない音が鳴った。
その時、フーカが邪魔なドレスの裾をたくし上げ、ワシの前に進み出た。
「ツッチー、動かないで」
『む?』
そしてそのままぐるりとワシの周りを一周する。
それから正面に戻って地面を指さして告げた。
「もう! 背中、怪我してんじゃん! 早く寝そべって! 痛いんでしょ?」
『いや、これはそれほどでも』
「グダグダ言わない! 早く!」
『わ、分かった。仕方ない』
地面に向けて人差し指を向けるフーカ。
言われるがままに、地面に顎をつけ、ゆっくりと体を伏せる。突っ張っていた背中が多少痛んだが、座っている時よりかは楽だ。
魔力がぶつかり合った時、咄嗟に周囲の影響を最小限にするために魔法を広げたため、自分の体を守るのが遅れた。そのせいで背中の肉の一部をえぐられてしまった。
数年もすれば傷口が癒えるだろうが、さすがに今日はまだ痛みがある。
火のやつも、水のやつも、よく自身の体の一部を失って耐えたものだ。だがあ奴らが痛みを乗り越えたのであれば、ワシが泣き言をいうわけにはいかぬ。そんなもの、ワシの矜持が許さぬのだ。
ふううっと口から漏れた息を浴び、正面に立つフーカが僅かに体を揺らす。
「無茶、しないでよ。ツッチー」
伸びた手が鼻先に触れる。
地面にもぐった時に付いた土を払うように、二度三度と指先が表面を滑る。
『こんな傷ごときではワシは死なぬぞ』
「生きるか死ぬかってことじゃないの。怪我しないでよ」
『ワシは強い』
「知ってま〜す〜」
ペチッと軽く鼻先をはじかれる。痛みはない。
だがその場所をまた優しくフーカの指が撫でた。
「ねぇ、勇者は強いでしょ。強いって思われて、色んなことを期待される。でも怪我をすれば痛いし、人に裏切られたら心が痛い」
ワシの目線の高さほどしかない小さな女子の言葉に耳を傾ける。
ワシの目からすれば、勇者も人の子である。強大な力を持とうとも、一人でダンジョン氾濫を乗り切ることはできぬ。
力を持った者同士で手を取り合い、魔獣に挑む姿は、女神さまが人に求めた理想の形だ。一人で立つことではなく、寄り添いあい、導き合い生を送る。
お互い近づくこともままならぬ龍とは違う生き物である。
「ツッチーたち龍もさ、そうだよ」
ぱちりと一度、瞬きをする。
龍と人とは違う。
それは紛れもない事実である。
「ツッチーが強いのは知ってる。でもさ、痛みはあるんでしょ? 痛いって思う心があるんでしょ? そこはあたしたちと一緒だよ」
分かるようで分からぬ。
それを感じたのか、フーカが小さくため息をついてペチッと鼻先をはたいた。
続けて言葉に合わせてペチペチペチと何度も叩く。痛くはないが、一体なぜそんなことをする必要があるのだ。
「だ~か~ら、心配だって言ってるの! 痛いなら痛いっていうの。二歳の子供でも知ってることでしょ!」
『ぬ? ワシを幼児と一緒にするか』
「赤ん坊より厄介! 森ぶっ壊す子供なんていないじゃん!」
『壊しておらぬ。それにまた戻すからよいでないか』
全く、ワシの傷を心配するとは。
無駄なことを。
だが、どうも腹の中がくすぐったい。石の塊が胃の中でコロコロ転がっているようだ。
いつの間にか変なものを飲み込んでしまったのだろうか。いや、食いしん坊な嫁っ子ではあるまいし。
「フーカ、そんくらいにしとけ。今日はまだやらなくちゃいけないこともあるし」
「しょうがない。続きはまた今度ね」
タクマの言葉に、最後にもう一度鼻先を強く叩いてフーカは告げる。
続き? 続くのか? もう十分ぞ?
同じことを思ったのか、呆れた顔をしたタクマと目が合う。
「ツッチーもさ、勝手に無茶すんなよ。腐海の土取ってくるくらい、俺たちだってどうにかできるんだし」
『うむ……分かった』
「俺たちも勇者だった時、誰かを頼るのが全然できねえでいたけど、最近は“自分のできること”と“できるけど他の人に任せること”を覚えてきた。ツッチーもさ、そうすればいい」
『ワシが、人の子を頼ると?』
「人間は弱いけど、その代わり色々持ってるスキルも違うし知識も違うから、集まったら強いよ。ま、これもおいおいだな」
なぜかタクマまでフーカと同じように鼻先を軽く叩いた。
ワシの鼻を何だと思っておるのだ。
ペロリと舌で舐める。
「土龍様、一つよろしいかしら?」
ディエドラの声に、ワシは地面に顎をつけたまま小さく頷く。ザリリと土がえぐれた。
「我が都市は南部の交易中心地として栄光と繁栄を極めるでしょう。そしてその存在はラズルシード王国だけでなく、大陸全体に届くものとなります」
まるで決定した未来かのようにディエドラは告げる。
扇子が揺れ、その奥の強い意思を持った両眼が細められた。
「永久に存在し続ける強さを誇る都市になって欲しいと願い、私は少しばかり土龍様のお力をお借りいたしました」
『ワシの?』
「ええ」
確かに、町の建設にはワシの魔法で基礎を作ったり、必要となる石や土などを切り出したりした。
だがディエドラはワシの考えを読んだかのように、ゆるくかぶりを振って言葉を続けた。
「名を、いただきましたの」
『名を? ワシの?』
「ええ。本日公開する予定だったこの都市の新たな名前は──ドズガルジェ自由貿易都市でございます」
『ドズガルジェ……』
確かに、ワシの名である。もっとも、ワシの高貴な名のほんの一部ではあるが。
『ワシは人の子の政には関与せぬ。それにここに居続けることもせぬぞ』
「存じておりますわ。これはあくまで私たちの勝手な願いでございます。この都市が土龍様のように長く続くように、雄々しく強くあれるように、そして願わくば……土龍様がお心を寄せる土地となりますようにと」
扇子を持った手が下ろされ、ディエドラは完璧な笑みを浮かべる。
それから膝を曲げ恭しく頭を垂れた。
「ドズガルジェ自由貿易都市総帥、ディエドラ・ストゥティフ。土龍様への絶えない信頼と変わらぬ敬愛をここに誓います」
隣に並び立つソウも同様に頭を下げた。さらには周囲の護衛達が膝をつき礼をとる。
ちろりと瞳を動かせば、タクマとフーカは同時に首をすくめて片膝をついてワシを見上げる。
「俺たちがここにいる間だけでも、よろしく頼むよ」
「家があるっていいもんだって、ハルとイーズも言ってたし。ほら、バドヴェレスもアズリュシェドもウェンディもみんなお家があるでしょ?」
『うむ……そうか、そうだな……悪くない話だ』
他の龍たちがすでに贔屓している場所があるのであれば、ワシがここに留まるのも悪い話ではない。いや、良い話であろう。人の子らにとっても。
『分かった。ワシの名を勝手に使ったことは許そう。ワシもせっかくの式典をぶち壊してしまったようだからな。人の子らが道を曲げぬ限り、人の子としての心を持ち続ける限りワシはここをワシの棲家としよう。我が名──ドズガルジェ・イエンセッツァーク・アバエズグ・ラオガエンド・ジュゼガブズ・ハスィントゥフリューガ・エーバンドル・ベラスクーファに誓う』
ワシの言葉に、一斉に人の子らが深く頭を下げた。
そうか、ここがワシの家か。
土の中を彷徨い、誰も足を踏み入れぬ砂漠の土深くで微睡んでいた日々が終わる。
コロコロと胃の中を転がっていた石ころが、カランと音を立てて止まる。
動きを止めた石はやがて、大地の一部となるだろう。
数千年と続く龍の命、ここでしばし過ごすのも悪くない。
ああ、そうだ。
ここが、ワシの安寧の地だ。
「446話 第四部8-11.根ざす場所」の最後に繋がる話となります。
さて、採取した土はどうなった……?





