2-17. 久しく初めて
飯テロ警報発令中ナリ
秋が来て冷たい空気を湛える山間に高い声が響く。
畑のふちに腰をおろした爺婆たちは、元気よく走り回る子供らの姿に目を細める。
その一角に佇む木にイーズはおでこをつけ十までゆっくり数をカウントした後、異世界風にアレンジしたフレーズを唱えた。
「きゅ~う、じゅ~う! マンドラゴラが~、こ~ろんだ!」
「ケ」
「ミ」
「は!」
「ピ」
「くっっぷぅぅぅぅ」
合図とともに、マンドラゴラたちとハリスがぴたりとその場に固まる。
だがイーズの鋭い目は、足をもつれさせて盛大にピンクの花を揺らすマンドラゴラを見逃さない。ぴしっとウォーターリリーマンドラゴラを指さし、名前を高らかに呼んだ。
「はい! マリシェア!」
「……クプゥ」
「ピルッ!」
「あ、エゴリールも!」
「ピッ!?」
マリシェアを慰めようと葉を伸ばしたエゴリールの名もイーズは呼ぶ。容赦などこれっぽっちもない。
しょんぼりとした二体は手をつなぎ、イーズの足元にやってきてイーズを見上げる。
そっと指先で彼らの花を撫でて、イーズはもう一度数を数え始めた。
ダンジョン都市シィージェから慌ただしく戻ってきて一週間ほど。
風龍の運ぶ籠に乗った一行を出迎えた面々は度肝を抜かされたあと、初めての空旅に疲労困憊した一人ひとりをねぎらった。
そしてつい先日、残りの攻略メンバーを主とした村人たちも戻ってきた。
あと数日もすれば、フィーダたちはまた風龍の助けを借りてロクフィムに帰る。
あまりにも風龍を使いすぎだとどこかの赤い龍が文句を言いそうだが、風龍が普段住処にしている地域にバドヴェレスを呼ぶこともできない。
そう、本心ではバドヴェレスに運んでもらいたいとか思っていても、事情が許さないのだから仕方がない。仕方がないんだから、しょうがない。諦めてくれると信じている。
マンドラゴラとハリス、村の子供たちと思う存分遊び、家の中に戻ったイーズは寒さで顔を赤くしながら大満足した笑みを浮かべる。
「マンドラゴラが転んだと、マンドラゴラ版かくれんぼを伝授しました」
「マンドラゴラ版かくれんぼ?」
ただのかくれんぼと違うのかと首を傾げるハルに、イーズはささやかな胸を張って答える。
「土の下や川の中に隠れるのもオッケーなマンドラゴラかくれんぼです」
「土の下……」
それは探す方が大変ではないか。フィーダはハリスの鼻からあふれ出る鼻水を拭ってあげながらチラっと視線を足元に向ける。
「ケッキョ、ケケ」
「ピミュゥ、ミョッ、ミッピュ」
葉っぱを触れ合わせて何やら楽し気に戦略を立てているマンドラゴラ。勝つ気満々だ。
ここ数日でパオルの家にはウォーターリリーマンドラゴラの生活環境が整い、村人たちへの紹介、生態やタジェリア王国でのマンドラゴラの扱いについての説明も済んだ。ついでとばかりにシュガーマンドラゴラのサトとモンクフルーツマンドラゴラのアモの紹介もできたし、これでベッテドンナ村でマンドラゴラは大切にされるだろう。
イーズはブブブッと勢いよく鼻をかみ、ほっと息を吐く。雪はまだ降っていないが、外の気温は順調に下がってきている。
常夏のロクフィムに帰ったら体がまいってしまうかもしれない。
「ワンクッション、どこかで入れるのもいいかもしれないですよね」
「何の話?」
イーズの呟きに、ハルは家の中央に置かれた熱源の前に陣取って首を傾げる。
前面が温まったら背面とくるくる回る様は、巨大な肉がじわじわとローストされる光景を思い起こさせる。
ハルの丸々ロースト……残念ながら美味しくなさそうだ。
「何か失礼な事、考えてる?」
「いえ、何も?」
「人の顔を見て盛大にため息ついた上に首を振っておいて何も無いはずがない」
「気のせいです」
ふいっと視線を逸らすイーズをジトッと水分のこもった目で見てから、ハルは話題を元に戻した。
「それで、ワンクッションを置くってなんのこと?」
ハルの質問にイーズは先ほど考えていたことを告げる。するとハルはニヤリと笑って指を一本立てた手をすっと上げた。
イーズとフィーダの目から生気が失われようとした瞬間、天からの声が響く。
「はいはーい、晩御飯、できたわよ! お待ちかねのスノーフレークトード鍋!」
「待ってました!」
生気に溢れた笑顔になったイーズはサッと立ち上がり、そそくさとハルの隣から逃げだす。フィーダもハリスを伴って立ち上がれば、ハルも渋々と腰を上げた。
食卓に置かれたのは、澄んだスープがふつふつと小さな気泡を幾つも上げている鍋。
イーズは鼻をひくつかせてスープの香りをかぎ、首を傾げる。
「これは何のお出汁でしょう?」
記憶をかすりそうで、つかめない。
その隣でハルとフィーダも鍋の中を覗き込んで、鼻をスンスンさせた。
「あー、えーっと、あれだ、あれ。シイタケっぽい」
「鑑定使いました?」
「使ってない」
失礼なと鼻の上に皺を寄せるハルの横で、フィーダは「キノコか」とどこか遠い目をして呟く。
全員の頭に浮かんだのは黒の森で全身マッシュムルムになったキノコ男の姿。
メラもくすくすと笑いながら席について正解を告げた。
「ベッテドンナ周辺でとれるキノコから取った出汁ですって。あ、こっちが、薄くスライスしたトード肉ね」
「おー、綺麗です」
「へえ、ぱっと見、フグみたい」
薄くスライスして並べられたトード肉は、お皿の模様も透けて見えるくらいに透明だ。
フィーダとメラにフグの説明をするハルの横で、箸をぎゅっと握りしめてイーズはまだかまだかと体を小刻みに揺らす。
その目の前にメラは醤油やポン酢、ゴマベースなどのタレ数種と薬味を並べていく。
「大根おろし、大葉、ネギ、ショウガ、ニンニク、トマト、レモンね」
「へえ、和洋揃ってる」
「ここは全部挑戦しなければいけませんね」
「ハリスはトマトだな?」
「とまと!」
スノーフレークトード肉自体には癖がなく、薬味と合わせて食べるのが一般的らしい。
とは言ってもスノーフレークトードは滅多に出ない魔獣のため、多く市場に出回ることはない。
でも料理スキル持ちのメラも自信を持って出しているのだから、この調理法が最適解だ。
「あまり熱を通しすぎるとガリガリの氷みたいになるから、スープに潜らせるのはほんの数秒、表面が白くなったら食べごろよ」
「熱を通すと氷みたいになるって不思議な表現ですね」
「でも本当よ。一切れ、試したの」
そう言って、メラは氷砂糖のように少し濁った結晶が入った小皿をテーブルに置いた。表面からは湯気に見える気体がゆらゆらと立ち上っている。
ハルはそれをじっくりと眺め、小さく息を呑んだ。
「へえ、本当にトード肉だ。表面温度が変だけど」
「表面温度?」
眉を片方だけ上げたフィーダにハルは頷き、鑑定結果の数値を読み上げた。
「マイナス八十度」
「それは、冷たいのか?」
数字からでは冷たさが想像ができない様子のフィーダ。冷たいとか熱いの概念はあってもそれを数値と照らし合わせたことがないのだろう。
ハルは箸先でカランカランと固まってしまったトード肉を皿の中で転がして遊びながら答える。
「すっごい冷たい。触ったら一瞬で火傷になるから、ハリスはダメだよ」
「それは危ないな。で、それはどうするんだ?」
「放っておけばそのうち溶けて消えるみたい」
「そうか。とりあえず今はしまっておいてくれ」
「ほいほーい」
あまりに不思議なトード肉の性質に食事の前に勉強会が始まってしまった。
気を取り直して、調理しすぎない最適なトード肉しゃぶしゃぶのタイミングをメラに実演してもらう。
「まず、一切れ取って」
箸で持ち上げられた薄い透明な肉が、天女の羽衣のように煌めきながら宙を舞う。
「スープに入れて」
ヴィーナスの住まう泉よりも魅力的な鍋の中へと肉が身を踊らせた瞬間、表面が白く霜が降りたように染まる。
そしてメラは箸で持ったままの肉を鍋の中で半周させて引き上げた。ポチャンッと一滴、雫がまだ揺れるスープに落ちて波紋を広げる。
「これだけよ」
「おお、芸術的です」
「二秒もないくらいだった」
「簡単だがすぐに石にしてしまいそうだ」
先ほどの危険な塊を思い出してフィーダは眉を寄せる。
そんな愛する夫の姿に、メラは出来たてのトード肉のしゃぶしゃぶを彼の前にある小皿に乗せて微笑んだ。
「私がやるから任せて」
「ありがとう。助かる」
「おー、熱い熱い」
「あっちっちーですね」
「あちちー」
「……お前ら」
揶揄うハルとイーズにもうだいぶおっさん期終盤のフィーダは顔をうっすらと赤らめる。一般的な需要はないと思われるが、愛する妻は照れまくっているから局地的ニーズはあるらしい。
「ほら、フィーダ、早く食べてくれないと後が続けられないよ」
「……分かった」
全員で一斉に食べるのも良いが、せっかくの出来立てスノーフレークトードしゃぶしゃぶ。
まずはフィーダからという全員の視線に、彼は少しだけ迷って肉の端をわずかに醤油に触れさせて口の中に入れた。
モクモクと動くフィーダの口元に全員が注目するのを居心地悪そうにしてから、フィーダはふうっと大きく息を吐く。
「美味い」
短い言葉にハルとイーズ、メラは「それだけじゃないだろう」と心の中で呟く。
案の定、フィーダは一度閉じた口を再度開き滔々と語り始めた。
「最初はタレの味しかせずに素材が負けているかと思ったが、弾力のある肉からスープを含んだ肉汁が溢れてくる。肉は噛むと弾力があるのに、あれだけの短時間でスープをしっかりと吸っていて柔らかい。まるで肉汁を固めたゼリーを舌で溶かしているようにトロリと濃厚だ」
ごくり、と誰かの喉が鳴った。
一瞬の沈黙の後、「おおおお」と全員の口から感嘆と期待の声が漏れる。
「た、食べましょう、食べましょう!」
「お、俺、自分で挑戦してみていいかな!?」
「イーズのは私がやってあげようか?」
「お願いします!」
二番手を主張するハルに、イーズは両手でどうぞどうぞと次を譲る。
鑑定持ちのハルならば、完璧なタイミングでしゃぶしゃぶできるだろう。
少し迷っていたイーズはメラの提案に一も二もなく飛びついた。
「よし、では」
ハルは皿から一枚のトード肉を箸で取り、先ほどのメラと同じく鍋の中を半周させる。
そして選んだタレはゴマ。そこに箸の先でほんのちょっぴり気持ち程度のおろしニンニクを乗せた。
その間にメラの調理した肉がイーズの皿に置かれ、イーズは狙っていたポン酢にさっと肉をくぐらせる。
二人の口が同時に大きく開いて肉を迎え入れた。
「ん、んん、んんんー、っっっっっま!」
「ふふふふふ! うふっ! ぬふふふふふふ!」
パカッと口を開けて感動の叫びをあげるハル。
一方イーズは口を押さえて笑い声をあげる。足をばたつかせたい衝動をハリスの教育に悪いと必死に押しとどめた。
「すっごいジュワー、むっちり、トロトロ!」
先にハルが感動を言葉にした。
語彙が乏しい。でも感動は伝わる。
イーズは首を激しく上下に振って同意を示す。こちらは言葉すら出ない。
「私も味見した時に感動したわ。すごくあっさりしているように見えて、何にでも合うのに、全然お肉の味が負けてないの」
「これは滅多に出ない魔獣なのが惜しいくらいに美味いな」
フィーダの言葉にハルとイーズは悔しそうに顔を歪める。
厳しい冬の訪れを告げる魔獣。
ベッテドンナ村のような場所に住む人にとっては憎い存在だが、こんな肉が取れるなら羨ましくもある。
「感謝して味わって食べよう」
「そうしましょう」
「ハリスも食うか?」
「とまとと食う!」
それから四人はただひたすら肉を堪能した。
時折感嘆と賞賛の入り混じった声が出る以外、ハリスですら黙々と皿を空けていく。
最後、スノーフレークトード肉のふんだんに旨味を蓄えたスープにはご飯が投入された。
そして鍋の底にはスープ一滴、米の一粒すら残らなかった。
ベッテドンナ村での夜は静かな感動と共に更けていったのだった。
危険なトード肉はドライアイスのイメージ。ドライアイスが固まる温度は約−79℃だそうです。
フィーダの食レポ、ものすごく久しぶりな気がします。もしかしたら315話のタコ焼き以来かも。





