2-10. 風龍便
ちょっと長いです。
前を走るイーズを追うように、ハルの出した氷の槍が馬車の後輪を砕く。
──バギ、バギィ!!
派手な破壊音が、マユの意識を揺さぶり起こした。
「ルー!」
ルドヴィチカの名を叫び、剣に突き倒され崩れ落ちる彼の体に手を伸ばす。
しかし逞しく成長したルドヴィチカを支えられるはずもない。
共に地面に倒れこむ二人。男の手が、マユただ一人へと伸びた。
「勇者さ、ぐはっ!?」
「邪っ魔!」
イーズの瞬足の勢いを乗せた体当たりが男を弾き飛ばす。
衝撃で男の体は数十メートル先まで吹っ飛び、ゴム毬ように何度も跳ねた。
慌ててよける人々の悲鳴がそこかしこで上がる。
「治癒! おっとととととぉぉ、おっ、おっ、おおお?」
片足を軸に華麗なターンを決め、イーズは治癒魔法を放つ。
だが、暴走イーズは急には止まれない。
緊張感のない声を上げながら空中背泳ぎを繰り返し、後ろ向きのままその場を退場する。
数秒で目まぐるしく変わる状況に、残った二人の男たちは足を止めて手に持った剣を構える。
「おい! おま、ぐわぁ!?」
「今度は何だ!?」
突然現れた高速回転する風の壁。
自然と男たちの足が止まる。
「動くな。その場から動けば顔を削るぞ」
ハルは男たちの周囲に竜巻を展開させつつ、ニヤリとやや暗黒臭滲み出る笑を浮かべる。
イーズも小走りでその場に戻り男たちを闇魔法の縄で拘束した。ついでにハルに向けて浄化魔法も放つ。「なんで?」なんて声が聞こえたが気にしない。ただの優しさ溢れるサービスである。
「ルー! ルー!」
「……問題ない。マユ、大丈夫だ」
マユの呼びかけに、ルドヴィチカは胸に手を当てて地面から起き上がる。
イーズはかがんで彼の手元を覗き込み、首を傾げた。
剣を突き立てられた場所に空いた服の穴。だが血の跡は一滴も残っていない。
「治癒の手ごたえが軽かったんですけど、防具でも着こんでました?」
「いや、不審だったから、話している間に土魔法で急所の防御をしておいた」
「へえ、すごいな、ルドヴィチカ!」
「おい、話よりも先に事態の収束をしろ」
追いついてきたフィーダが呆れたように告げる。
メラにハリスを預けて離れた場所で待たせているようだ。
ハルは鑑定でルドヴィチカの怪我はもう問題ないことを確かめ、視線を襲撃してきた三人へと向けた。
「何が目的やら。勇者に手を出しておいて無事で済むはずないのに」
イーズの瞬足で跳ね飛ばされた男と、影縛りで拘束されている男二人。最初の男は衝撃で腕を折ったらしく、右腕を押さえて脂汗を浮かべて呻いている。
煌びやかな馬車にふさわしいと言うべきか、三人の中では一番金がかかっている服装だ。
フィーダはハルの意見に頷きつつ周囲に顔を巡らせた。
突然起こった事件に、周囲から興味津々な視線を感じる。
その中から村人が衛兵を連れて走り寄ってくるのを見つけ、フィーダはほっと息を吐いて片手を上げようとした。
瞬間、男が突然叫んだ。
「勇者様、ラズルシードへお戻りください!」
男の言葉に、場の空気が凍る。
「ラズルシードに?」
誰かの呟きが、やたら大きく響いた。
男は折れた腕を押さえ、苦痛をあらわにしながら尚もわめきたてる。
「ラズルシードを繋栄させるのが勇者様がこの世界に降り立った使命! こんな場所では、ひぃっ!?」
──シュン!
何かが、男の顔の横を通り過ぎた。
タラリと赤い筋が男の頬を伝う。血だ。
何が起こったのかとイーズが疑問を浮かべるよりも早く、高い声が響いた。
「なんで、ルーを刺したの!? 私に用があるなら私に言えばいいじゃない!!」
叫びと共に、マユの出した鋭い風の刃が渦を巻いて男を襲う。
男の全身に細かな傷が刻まれていく。切り裂かれた服の隙間から血が滲む。
「うわあっ! ゆ、勇者様!」
男は唯一動く左腕で顔をかばいながら叫びをあげる。
激高するマユの様子にハラハラしているイーズの耳に、「いいぞー、もっとやれー」なんてハルののんきな声が届く。
緊張感も何もあったもんじゃない。
感情の高ぶりからか、マユの瞳から次々と零れ落ちる雫。
響く男の悲鳴と赤く染まっていく体に不安になって、止めなくていいのかとイーズはハルを見上げた。
だがハルは肩をすくめて顎でくいっとマユの後ろに立った人物を示す。
彼はマユを背中からそっと抱きしめながら告げた。
「マユ、落ち着いて。ほら、大丈夫だから」
マユを包み込んだまま、ルドヴィチカは固く握りしめたマユの両手を取る。
細い指の間をこじ開けるように、強張ったマユの体をほぐすように、ルドヴィチカの指が入り込む。
ヒュンヒュンと音を立てて渦巻いていた風がゆっくりと速度を落とし、空気の中に溶けて消えていった。
ドサリと地面に崩れ落ちた男を衛兵たちが拘束する。
血まみれになって蒼白な顔でガクガクと震える姿は痛々しい。だがイーズに彼を癒す義理もないし同情の余地もない。自業自得だ。いや、体当たりで腕を折ってしまったのは、ちょっとだけ、申し訳ないとは、思っていたりしなかったりするかもしれない。
「立て! 行くぞ」
衛兵が男を引っ張り上げる。
血まみれになり、汗をにじませながらも男は顔を上げ、すがるような目をマユに向ける。
一方のマユはルドヴィチカの腕を抜け出し、一歩男へと近づいた。
そしてわずかに喜色を浮かべた男へと、凍り付くような眼差しを突き刺した。
「私はラズルシードには戻らない。今、私がいるべき……いたい場所は、ベッテドンナだけ。もしあの場所を、ベッテドンナの人たちを、ルーを傷つけるんだったら、ラズルシードの全部をぶっ壊してやる」
涙のあとが残る頬で言い放ったマユ。切れ長な瞳に力と怒りをにじませた姿は周囲を圧倒させるほど美しい。
そうだ。マユは決してか弱い女性ではない。
恋に憶病な姿を見て勘違いしていた。
王城を去ると決めた時の彼女を思い出す。
立つ鳥後を濁しまくって空高く消えたマユのことを。
「かっこいい」
「だな」
衛兵たちが三人を引きずるようにして連行していくのを見送る。
その時、太陽の光が遮られ大きな影が人々の頭上に広がった。
『ルールー、何かあった!? さっき羽がすっごいむずむずした!』
空から降り注いだ気の抜けた声。
突如現れた龍の姿に驚く者たちもいる中、フィーダは肩を落とす。
「次から次へと……」
「いや、状況を教えとくのもいいかも」
「なんでだ?」
「ごみを返却するには、ウェンディに運んでもらうのが手っ取り早いかなと」
「ああ、それは良いかもな」
口元を歪めて笑うハルの考えに思い当たり、フィーダはあっさりと同意する。
ルドヴィチカはマユと寄り添い、苦笑を浮かべてウェンディに届くように声を張り上げた。
「ちょっと怪我したけど大丈夫だ!」
『本当? 風の子もゾワゾワしてたけど!」
「私も大丈夫だから!」
ウェンディに向けて手を振るマユ。顔には笑みが浮かんでいて、落ち着きを取り戻しているようだ。
ハルは両手をメガホンのようにして口元に当て風龍へと叫ぶ。
「あのさ! ウェンディに頼みたいことがあるから、また来てよ!」
『僕に? いいよ! なんでも言って!』
「ありがとう! ウェンディにしかできないことだから!」
『へへへ! ふふふふ、分かった! 前にあげた羽根を飛ばしてくれればすぐ来るからね!』
「了解!」
張り切って両翼に力を込めて飛び去って行くウェンディ。
満足げな笑みを浮かべるハルの姿に、フィーダとイーズは顔を見合わせて肩をすくめた。
その後の調査で、男たちはラズルシード出身の商人たちだと知らされた。シィージェには取引で訪れていたらしい。
そこで勇者マユがタジェリア王国のベッテドンナ村に今はいること、その村で希少な薬草の栽培をしていることを知った。
マユがラズルシード王国にいたら受けていたであろう恩恵。
召喚をしたのはラズルシード王国。マユはラズルシード王国のために来たはずの勇者。
それであるならばラズルシード王国に戻って、ラズルシードの繁栄のために注力すべきではないか。
せっかく近くにいるのだから、マユに会って説得したい。そう願ったのだが、立ちはだかった存在がいた。
それがルドヴィチカ。
商人からマユに宛てた手紙が宿に届いた時から、ルドヴィチカは警戒していたようだ。
まずはシィージェ市の役人やギルドに、マユに接触してきたラズルシード王国の不審者として報告した。
これを受けた上層部や各ギルドは、商人たちの動きを妨害したり取引を拒否したりした。彼らは宿から追い出され、その後も何度も場所を転々として最終的には対岸のさらに遠い地区へと追いやられた。
その後もルドヴィチカはダンジョン攻略以外は終始マユに張り付いて、商人が近づかないようにしていた。”張り付いて”の部分は恐らく商人たちのことがなくてもそうしていただろうが。
結局、滞在期限が迫り、焦れた商人はついに今日直談判に訪れ、強硬手段を取ったのだ。
ゴリゴリパキパキと軽快な音が部屋に響く。
魔獣の皮という名の、砕いた乾燥肉を練りこんだ薄焼きせんべいを頬張りながら、フィーダの説明にイーズは首を傾げる。
ほんのりと香ばしい肉の香りと軽い食感。油は控えめなので食べる手が止まらなくなりそうだ。無限にいける。
「マユさんが勇者だってこと忘れてません? 本人が拒否したら連れていけるはずがないじゃないですか」
「忘れてはいないだろうが、城に閉じ込められていたという噂から力が弱いとか、大人しい性格だとか思われていたのだろう」
「ルドヴィチカが囲い込んだのも原因っぽい」
「どういうこと?」
柔らかくした魔獣の肉を頬張るハリスを見守りつつ、メラはハルに尋ねる。
ハルは魔獣の骨焼きという硬さ自慢のクッキーをバキバキと噛み砕き、ちょっと待ってというように指を一本立てた。多分、これはいつものアレではないはずだ。
「んんんっぐ。歯が折れそう。あー、だから、ルドヴィチカが邪魔するのは、マユは他のところに行きたいと思っているのを妨害しているって裏の意味にとったのかも」
「あ、そういうことなのね。でもちょっと見ていればそんな勘違いしないでしょうに」
「人は見たいものしか見ないからねぇ。でもルドヴィチカも俺たちにくらい教えてくれてれば、イーズの感知マップでもっと上手く動けたはずなのに。自分だけで解決しようとするのは若さかな。村長としての責任感も強いし、これからの課題ってとこか」
イーズの差し出したお茶を受け取り、ハルは口の中をさっぱりさせる。
それからテーブルに並んだお菓子を指さして意見を述べた。
「魔獣のパーツで組み立てクッキーとか作るのはどう?」
「組み立ててからまた食うのか? 面倒だな」
「子供は好きそうですけど。あ、ほら、スペラニエッサのおもちゃみたいなのはどうです? リアル魔獣クッキー。魔獣をリアルに再現したクッキーです」
「意外とまともな意見が出てきた」
「失礼です」
周囲の森に出没する魔獣が多いせいか、シィージェには魔獣をモチーフにしたお菓子や食べ物が多い。
ロクフィムのためと称して集めたそれらを並べ、四人はアイデアを出し合う。
「参考になりそうな商品は買って帰って、ロクフィムのギルドメンバーと研究だな」
「運試しの卵ももう一度買いに行こう。今度は鑑定をして中身があるやつ見つけるから」
「ロクフィムでは魔獣の卵は取れませんよ?」
「そこは別のものでさ。バラエティ番組とかでもあるじゃん。ロシアンルーレット寿司的な」
「なるほど」
首を傾げるフィーダとメラに、ハルは簡単にルールを説明する。フィーダは呆れた顔をしつつ、髭をこすって眉を上げた。
「それは冒険者が盛り上がりそうだな」
「甘いソース増量のお菓子とかはどう? ジャムやクリームたっぷりのパイの当たりがあるって分かったら、たくさん買ってくれるかもしれないわ」
メラの意見にイーズは顔を輝かせる。運試しの結果は嬉しくなかったが、本当に当たりがあるなら必要以上に買ってしまいそうだ。
これが販売戦略というものか。見事に騙されるところだった。いや、分かっていても騙されるだろう。人の欲望をくすぐる悪魔的な考えだ。
「メラ、恐ろしい子!」
「え? イーズ、突然なに?」
「いえ、何でもありません」
魔獣の尻尾と名付けられたただのジャーキーを噛みちぎりながらイーズは首を振る。
ハルは食べ物以外の魔獣の利用法も考えないとと呟きつつ、次の休みにどの店を回るかフィーダと相談を始めた。
素材の有効利用法を確立すれば、今後のロクフィムに欠かせない産業になってくれるかもしれない。
腐海の恵みがいつか得られなくなったとしても、ロクフィムに誇れる技術が残るように。ダンジョン休眠を何でもないことと言い放ったソーリャブの議員のような強さが育てていけたらと願う。
自分たちが選んだ安寧の地が長く栄えていけるように、遙か先の未来へと思いを馳せた。
後日、マユの誘拐未遂、ルドヴィチカの殺人未遂の罪で襲撃者三人は商人ギルドからの除名、商売の権利はく奪、所持品も没収されて本国ラズルシードへと送り返された。
その際、護送車、いや、護送龍は張り切りまくって、超絶飛行テクニックを披露したとか。
生憎彼らから乗り心地を聞くことは叶わないが、きっと心から感謝したに違いない。
戻ってきたウェンディは、大きな翼を揺らして得意げにこう告げた。
『前にマユを迎えに行ったところに届けてきたよ! 下に降りるとまたお城を壊しちゃうかもしれないから、人がいっぱいいるところに置いてきた!』
故郷のために勇者を連れ戻そうとした彼らのことだ。あっという間に国に戻れてさぞ喜んだことだろう。
たとえ城のさらに上空から紐なしバンジーをさせられたとしても、風龍の絶妙な風のコントロールにより、地面と柔らかな抱擁を交わせたはず。
気を失って状況説明ができなかったとしても問題は無い。
彼らの背中には、今回の事件のあらましが記された封書が張り付けられていたのだから。
愛国心あふれる彼らの今後はラズルシード王族に託された。
王族がこの件に関して、勇者やタジェリア王国にどのような対応をとるのか。それを想像して暗黒の笑みを浮かべた賢者がいたとかいなかったとか。





