2-3. 幸せになるのが辛いなら
女性三人プラス幼児一人がまったりと時間を過ごしていると、玄関扉が開く音とボソボソした低い声が響いてきた。
「……疲れた」
「領主、来るの早すぎ」
僅かに聞こえるフィーダとハルの声。どこか疲れが滲んでいるようで、イーズとメラは視線を交わす。考えていることは同じ。
──風龍かしら?
──風龍でしょうね。
念話がなくとも二人の心は一致した。
女三人でリビングのドアを見つめていると、そこから肩をぐったりと落としたハルとうつろな顔をしたフィーダが入ってきた。
「パパ! おかえりー!」
「お帰りなさい」
「お帰りなさーい」
「お邪魔してます」
ハリスの明るい出迎えの声に、フィーダの疲れた顔がほっと緩む。
ハルもイーズと目が合うとほにゃりと力の抜けた笑顔を浮かべた。
「あー、くっそ。龍って奴らは本当に」
ブチブチと文句を言いながら、フィーダはメラの隣に腰を下ろす。即座にハリスがその膝に乗り込んだ。途端にボンボンと跳ねる姿が猛烈に可愛らしい。
「何があったんです?」
先ほどの念話の際、フィーダは取り込み中の様子だった。
原因は分かっていても詳細が分からないから、イーズは確認のために質問する。
ついでにフィーダの眉間に深く刻まれた皺に「何枚紙が挟まるかチャレンジ」をしてみたい。
「あの、アホ龍が」
「アホ龍。水龍もアホなのでバリエーションが欲しいです」
「イーズ、そういう問題じゃないからね?」
「失礼」
フィーダが話し始めた瞬間、全く関係ないことを呟いたイーズにハルの至極真っ当なツッコミが入る。
謝罪の意を込めて顔の前にピシッと手を立てたイーズにため息をつき、フィーダは言葉を続ける。
「俺の火龍のアミュレットと水龍の鱗のペンダントを見て、ずるいと言い出して」
「あー、はい」
「河辺が真っ白になるくらい大量に羽を降らせやがった」
「あら、それは綺麗そうね。ちょっと見たかったかも」
「羽ー!」
妻子ののんきな反応にフィーダは喉奥で笑い、くしゃくしゃとハリスの髪の毛をかき混ぜる。まだまだ毛根が強いうちならば大丈夫だろう。高い声で笑うハリスの将来はきっと輝いているはず。頭皮以外は。
「あたっ」
「変なこと考えない。んで、まぁ、全部は回収してきたけど、どうしようかねぇ。前にも羽毛布団はもらってるし」
胡坐をかいた膝の上に右肘を立て、ハルはため息をつく。
確かにフィーダとメラの結婚の祝いに高級羽毛布団をもらっている。
年中温暖なこの場所だが、水辺に近いせいか朝晩は若干気温が下がる。ふわりと軽い羽毛布団は最高の寝心地だ。
「本当にごめんなさい。私がいたら止めたんだけど」
正座で体を縮こまらせるマユ。
ハルは左手をぶんぶんとおざなりに振って、気にするなと告げた。
「この家は土龍が持ってきた素材でできてるし、ウェンディも何か対抗したかったんでしょ。ま、もらえるもんは有難くもらっとく」
「これでハリスが寝しょんべんしても大丈夫だぞ」
「うきゃー!」
「サトとアモにも小さいふかふかクッションができますね」
「ケケッキョ」
「ミュー」
イーズの提案に、窓辺のお気に入りスポットで日光浴をしていたマンドラゴラたちが喜びの声を上げる。
以前もらったものは人間サイズなので、今回は中身の羽だけなら加工の仕方に自由が効く。カブ型がいいかもしれない。カブ型クッションでくつろぐマンドラゴラ。素敵すぎる。
もちろんイーズに裁縫技術はないので、メラに教えてもらいながらになるだろう。それも楽しみだ。
「ああ、マユ、紹介する。このおっさんがメラの旦那で俺とイーズの仲間、フィーダ」
「フィーダだ。龍のことは気にするな。今までの火のバカと水のアホと土のドジに比べれば、空から大量の羽が降ってくるくらいなんでもない」
「マユ、です。その……お気遣いありがとうございます」
これまでの龍の暴挙を思い出してしかめ面したフィーダに、マユはおずおずと挨拶する。
良い意味でフィーダは勇者にも龍にも全く態度を変えない。変えたのはたった一度、ハルとイーズが初めて正体を告げた時だけだろう。思えば遠くへ来たもんだ。
「んで、今、外にデカくて暑苦しくて存在感だけで既に煩くて声もでかいおっさんが来てるからあとで紹介する。領主で一応偉い人だけど、今は大興奮で風龍のそばから離れないから置いてきた」
「あー、それで、さらにお疲れなんですね」
「暑苦しくってたまんねえ」
家に入ってきた時に二人が愚痴っていたのは領主キリアンのことか、とイーズは納得する。
玄関ドアを開けた先の景色に風龍とキリアンが並んで立っているのが見えたら、思いっきり目を逸らしそうだ。暴力的すぎる。精神力がいくらあっても足りない。
「それで、マユは北の一級ダンジョン近くにいるんだったか?」
イーズがいそいそと取り出したデザートに早速手を伸ばしつつ、フィーダは話題を振る。疲れたメンタルには甘い物一択だ。
「はい。ダンジョンからさらにひと月はかかる山奥ですが」
「風龍も普段からそこに?」
「ウェンディはもっと奥の万年雪が積もる山にいます」
「なるほど。一緒にいない方が平和か」
実感を込めてフィーダが呟く。
なんだかんだで毎日家の庭先で水龍アズリュシェドは寝そべってゆったりとくつろいでいる。フィーダだってロクフィムに行く時には水龍と一緒に出勤しているくせに、龍に対してはどこまでもツンデレだ。
「今はもう夏で雪は無いのか?」
「夏でも寒い場所だと雪は残ります。冬は雪のせいでどこも行けなくなるので、夏から秋にかけて一級ダンジョンに行って冬用の食糧などの準備をするんです」
マユの発言に顔をガバリとあげて会話に横入りする。
「っていうことは! 一級ダンジョンは食料がいっぱい出るんですね! 肉は出ますか!」
「う、うん。もちろん」
「おおおお、ブラボー!」
突然の質問と、マユの答えに目を輝かせるイーズに、マユはたじたじと返した。
その隣でハルも腕を組んで満足げにうんうんと重々しく頷く。
毎年食料調達にダンジョン攻略をしているのなら、少なくない情報が蓄積されているはず。攻略方法だけでなく、どの階で美味しい肉、もとい魔獣が出現するかも。もちろん、肉以外のドロップもしかり。
今は夏。これから秋にかけて一級ダンジョンの攻略が始まる。タイミングとしては最高だ。
「イーズ君」
「はい、ハル殿」
「どうだい?」
「ふふふ、愚問、愚問ですよ」
「おい、お前ら」
フィーダの低いガラガラ声がする。ぴくんっとハルとイーズだけでなく、ハリスまで体を硬くさせた。フィーダはそんなハリスの頭をポンポンと撫でながら目を細める。
「先にこっちの状況確認だ。風龍が来たことはロクフィムでも騒ぎになっている。簡単に話を聞かせてもらえると助かる」
そうフィーダが言えば、マユは徐々に視線を下げ、最後にはがっくりと首を落とした。
彼女はたっぷり数分は悩んだ後、ゆっくりと真っ赤になった顔を上げる。
「あの、本当にくだらないことなんですけど」
「ああ」
切り出したマユの言葉に、フィーダが短い返事をする。その声にピクリと体を揺らし、それからマユは口を開いた。
「ルドヴィチカと、喧嘩を」
「ルド?」
「ルドヴィチカ。北部の村の次期村長。えっと、今は二十二歳くらいだったと思う」
「なるほど。マユが身を寄せている家の息子か。何か無理矢理な要求をされたのか?」
ハルの簡単な説明に頷き、フィーダはマユに心配そうな眼差しを向ける。
だがマユはぶんぶんと勢いよく首を振った。長い黒髪がふわっと浮き上がって、それからさらりと肩の上を流れた。
「ルーはそんなことしません」
強い眼差しでフィーダを見つめるマユ。そんなマユの姿にメラとイーズは目くばせをする。
ついでにハルも状況を理解し、鈍感で邪魔な二人を追い出しにかかった。
「おっし。マユ、今日は泊まってくんだよね? 女子会してきなよ。あー、イーズの部屋はちょっと女子会の雰囲気には合わないから、客間かリビングで雑魚寝もいいかもね。ってことで、フィーダも出た出た」
「ああ? 急にどうした?」
「いいからいいから! あ、イーズ、俺たちは一度ロクフィムの先まで行って、水龍の様子見てくるから。もしかしたら商会のほうに泊まるかも」
「了解です。気を付けて」
全く状況を理解していないフィーダの腕を引っ張って立たせるハル。ハリスはそんな父親を見捨ててとっととメラの膝に収まった。
イーズは二人に向けてひらひらと手を振り、パンっと両手を合わせる。
「さって、女子会! 思いっきり楽しみましょう!」
その掛け声にメラは顔を輝かせ、マユは首を傾げて目を瞬かせた。
何事を成すにも腹ごしらえがまず大事である。有事に食べることができる人こそ、生き残れると誰かが言っていた気がする。
と言うわけで、女子会の前に夕食会。マユのリクエストで純和食メニューが並ぶ。
ホッカホカのご飯とみそ汁、豆腐もどきのマッシュムルム、魚の干物、お芋の煮っころがしやオーク肉の角煮。もちろん庭でとれたトマトを使ったサラダや、葉野菜の和え物もある。
「うわぁ! メラさん、ありがとうございます!」
目を輝かせるマユにメラは優しく微笑む。ちなみにマユはファナットーが苦手だということを聞いて安堵したばかりだ。
「メラのおかげで私とハルは最高に幸せです。あ、もちろんフィーダとハリスもですよ」
「ふふっ、ありがとう、イーズ」
いそいそと食卓について早速角煮に箸をのばしながらイーズは言う。食材だけならハルとイーズでも大量に持っているが、それを調理して食べられる状態にしてくれるメラには感謝しかない。
一緒に住むようになって一通りの家事はハルとイーズもできるようになった。それでもやはりメラの手料理が一番だ。なんというか味の深みが違う。コクというか、じんわりくるものがある。もしかしたら、あの手からスープがにじみ出てるのかもしれない。
イーズはみそ汁の椀に口をつけながらメラの手をじっと見つめる。
「村ではどんな料理があるの?」
そんなイーズの視線に気づくことなく、メラはマユに話題を振る。
「夏にダンジョンで食材を集めて、秋までに保存食に加工したり煮込んだりして、村長の持つマジックバッグに保存します。寒い場所なので体を温める煮込み料理が多いですね。冬の間の燃料を節約するためにも、秋に一気に食料を調理する作業は大変ですけど面白いです」
「村が総出で作業するのは楽しそうね。お祭りみたい」
「半端に余った食材で宴会をするので、ほぼお祭りです」
マユは朗らかに笑って同意する。その笑顔は王城で最初に会った時よりもはるかに自然体で、楽しそうに見える。
ルドヴィチカの村に住むことに決めたのは、マユにとって良い決断だったのだと感じる。
その後も本題にはぎりぎり触れないような会話が続く。イーズとしては直球で聞いてみたいのだが、メラはマユが話し出すのを待っているようだ。
「メラさんは今カズトがいる島の出身なんですよね」
「ええ、エグジール島、通称黒の森っていうところ」
大満足の食事の後、テーブルにはフルーツや焼き菓子、和菓子など様々なデザートが並ぶ。マユはその中から小ぶりのエッグタルトを選び、嬉しそうにフォークを突き刺した。
「ハリス君を連れて里帰りとかするんです?」
その問いかけにメラは少し困ったように微笑む。
考えるようにハリスのイチゴで赤く染まった口の周りを綺麗にして、メラはハリスの茶色い柔らかな髪をふわりと撫でた。
「そうね。ハリスにも島を見せてあげたいから、いつか行くかもしれないけど……」
言葉を濁すメラに、マユの手が止まる。
イーズはその先にあるメラの思いを知っているから、口はもっぱら最近見つけた豆で作ったずんだ餅を食べるために動かす。良い女は黙して語らずなのだ。
一方のメラはマユを見て、それから突然彼女に謝罪をした。
「マユさん、ごめんなさいね。あなたの事情は断片的にだけどハルとイーズから聞いているの」
メラの言葉にイーズも口の中のものを飲みこみ、視線を下げてマユに謝る。
マユはわずかに俯き、こくりと頷きを返した。
「それで……私、あんまりこの言葉が好きじゃないんだけど、マユさんの気持ち、少しは分かるつもりでいるの」
そう言ってメラはゆったりとハリスを揺らす。今日一日の興奮と、満腹感、それと母親の腕の中の安心感に、ハリスはイチゴを握ったままうとうとと微睡み始めた。
「辛いことがあった。でもそれが解決したならそれでいいんじゃないか。これ以上の幸せを望むなんて、欲張りなんじゃないか。もし欲張って、今感じている些細な幸せすら無くしてしまうんじゃないかっていう恐怖」
マユが両目を見開いてメラを見つめる。メラはハリスを見つめる時と同じ温かなまなざしを彼女に向けた。
メラとマユはどこか同じ痛みを抱えている。慣れない土地で優しくしてくれた相手に心を寄せ、そして手ひどい裏切りにあった。その結果、大切な命が失われてしまった。
「私も苦しくてもう立ち上がれないと思ってた。真っ暗な中で閉じこもって、過去を嘆いてた」
メラの視線がイーズへと向けられる。イーズは次の餅に伸ばしかけた手を止めて小首を傾げた。
そんなイーズを見てメラは口元を緩める。
「でもね、せっかく助かった命だから存分に楽しまなきゃって、私の手を取ってくれる人たちがいたの。明るく笑って過ごす人の前で鬱々とした顔なんてしていられない、なんて思ったりして」
メラはふわりと微笑み、まだ迷いを見せるマユに「おせっかいかもしれないけど」と前置きして最後にこう言った。
「自分が幸せになるのが辛いなら、幸せになって欲しいと思う人を幸せにしてあげればいいのよ。その人が美味しい料理が好きなら作ってあげればいい。忙しそうなら手伝ってあげればいいし、疲れているならそっとしておいてあげるとか。自分より相手の幸せを中心で考えれば、少しは気が楽になるかもしれないわね」
マユはメラの顔を見つめ、ぎゅっと口を引き結ぶ。それから何かを迷うようにゆっくりと頷いた。
マユが抱える感情はマユだけのもの。
それでも、メラの言葉が彼女が一歩前に進むための勇気づけになれば良いとイーズは思った。





