2-2. 我が家へようこそ
相変わらず呑気な龍だ。
風に吹かれる白い雲のように上空で揺れる風龍を見上げて思う。
見えるかどうか分からないが大きく手を振り、二人は先ほど駆け上がった坂を降り始める。
ふわりふわりと風龍の翼が動き、まるで光を浴びた雪みたいにチカチカする。
『とうちゃーく!』
こちらの気も知らず、風龍がのんきな声とともに地面にそっと脚を下ろした。
おおざっぱそうな風龍のこんな仕草は、ルドヴィチカの教育の賜物のような気がしてならない。
ハルは龍に対しても容赦のない青年を探し、ふと首を傾げた。下から見上げる限り、その背中には誰も乗っていないように見える。
「あれ? ウェンディだけ?」
「いえ、マユさんがいると思います」
「ん?」
『マユー、着いたよー』
イーズがマップを見ながら告げると、ウェンディも両翼を揺らして背中に声をかけた。
するとウェンディの白い毛の間からマユがひょっこりと顔をのぞかせる。
こうやって会うのは三年ぶりほどか。突然だが嬉しい訪れにイーズは彼女を見上げて笑みを浮かべた。
「マユさん! お久しぶりです!」
手を大きく振り、マユへと声をかける。
それに対してマユは少し戸惑ったような顔をしておずおずと片手をあげた。
「あの、突然、ごめんなさい」
小さな声で彼女は謝る。
確かに風龍が突然来たことは驚きだが、マユが来たこと自体は嬉しいことだ。
だがイーズが口を開くより前にマユは早口でそのあとを続ける。
「フーカたちはきっと内緒で行動してるだろうし、カズトも隠れ里みたいなところにいるし、行けるところってここしかなくて」
風龍に乗ったままマユが言い訳のようにまくしたてる。
ハルとイーズは一瞬顔を見合わせ、説明を求めるように風龍へと視線を向けた。
その眼差しの意味をしっかりと理解し、風龍は肩をすくめるようにして翼を揺らす。
『マユはねー、ルールーと喧嘩したんだよ』
「ちょ! ウェンディ!」
ボスっとなかなかに大きな音が上からする。
マユがウェンディの背中を叩いたのだろう。容赦ない。まるで誰かさんのようだ。
「マユ、とりあえず、降りてきて詳しいこと聞いていい?」
「あ、うん、ごめん」
とりあえずそこにいられてもこちらの首が痛い。特にイーズの。
「何か?」
「んにゃ、何でも」
何かを感知したイーズがギロッとハルに鋭い視線を送る。
だがハルはそちらを見ることなく、そそくさとウェンディの首元に抱き着いてその体毛を堪能し始めた。
「おー、ふかふかー。これもまたいいねえ。暑いアドガンだとアズのひんやりが便利だけど、やっぱりもふもふへのロマンも捨てがたい」
「そんなこと言うとまたアズがすねちゃいますよ」
『僕の毛がやっぱり最高だよね!』
「ちょっ! ウェンディ! 降りようとしてるときに翼を揺らさないで!」
『あ、ごめん』
自慢げに両翼をばさっと広げたウェンディがマユに怒られている。
申し訳ないが容赦のないマユのつっこみが面白い。
二人で顔を見合わせて笑っていると、やっと地面に足をつけてマユがため息をついた。
「あー、もう。本当にごめんね。勢いで出てきちゃって、ここしか思い浮かばなくて」
乱れた髪を直しながらマユは眉を寄せる。
ダジャレではない。そんなおっさんなセンスを持っているのはハルだけだ。
「何か?」
「何も。えっと、それじゃマユさん、着の身着のまま?」
イーズはマユの全身をさっと見て尋ねる。
アドガンでは夏でも、マユの住む地域は寒いのだろう。厚手のセーターと何枚も重なったキルトスカート、それから重そうなブーツを履いている。見るからに暑苦しい。
素直にうなずくマユに、イーズは慌てて彼女の手を取る。
「話を聞くにしても、そのままだと熱中症になっちゃいます。家に入って服を着替えましょう。私のよりもメラの服のほうがきっとサイズが合いますね」
ぐいぐいとマユを引っ張って進み始めるイーズ。
その後ろからハルは大声で呼びかけた。
「もう少し話聞いとくから、先行ってて。多分そのうちフィーダが来るだろうし、そしたら俺たちも中に入るから」
「了解でーす」
ハルに大きく手を振り、イーズはマユと一緒に丘を登る。
「あっちです!」
指さす先にはみんなで建てた家。
イーズは時折振り向いて、風龍が降り立った川辺やその先にある洞窟、さらに南のロクフィムの場所を解説する。
「ここでみんなで住んでるんですよ」
「メラさんと、フィーダさんって人も?」
「そうです。あと、二人の子供のハリスとマンドラゴラのサトとアモ。フィーダの愛馬のヒロとタケもいます」
「ハルも?」
「もちろん、そうですよ?」
イーズに当然だろうという顔で見られ、マユは口を閉じる。
仲がいい二人だとは分かっていたが、もともとのハルの年齢のこともある。
どう言おうか考えあぐねていると、イーズはポンっと手を打ち合わせてあっけらかんとした顔で告げた。
「あ、ハルと私、付き合ってますから。んーっと、一年半くらいになります」
「あ、そうなんだ。良かったね」
「はい! 私の粘り勝ちです」
ふふんっとささやかな胸を張るイーズ。
マユは出始めた汗を拭って笑みを浮かべた。
「いいね。イーズ」
イーズは体半分振り返り、ちょっとばかり上にあるマユの顔を見上げる。
笑顔だが、どこか暗い。ハルとイーズの関係に純粋に喜んでいるようには見えない。
数度瞬きをして、イーズは視線を正面に戻す。
マユとは一ヶ月ほど一緒にいただけで、お互いにまだ距離がある。フーカだったらぐいぐいと踏み込んでいけるところも、マユにはためらってしまう。
ここはもっと大人な女性が話を聞いてあげるのが良いだろう。
そう結論付けてイーズは玄関ドアを開けた。
「たっだいまー! お客さんだよー!」
「いーちゃ! りゅう! りゅう!! りゅうきた!?」
「うごっ!」
二歳のハリスに強烈な足タックルをされ、イーズはその場に尻もちをつく。
普段であれば後ろからハルが支えてくれるところだが、今はどうしようもない。こんなところにも一家に一台便利なハルの存在の普及が必要だ。
衝撃を受けたクッション性の低いお尻を癒しつつ、イーズはハリスの頭を撫でる。
「あとで風龍を見に行こうね。今はこっちのお姉ちゃんに挨拶だよ」
「ねーちゃ?」
ハリスは転んだイーズの足にしがみついたままマユを見上げる。
それからくりくりの丸い目をさらに広げて大きな笑顔を浮かべた。
「ママといっしょ!」
「え?」
「ママー! ママママママママ! ママー! いっしょー!」
とてとてと勢いよくハリスはリビングへと走っていく。
イーズはよっこらせと言って立ち上がりながらマユを手招きした。
「何なんでしょうね? あ、マユさん、靴はこっちで。ブーツが脱ぎにくかったらこっちの椅子使ってください」
「ありがとう」
ハリスを追いかけるように移動し始めながら、イーズは玄関周りの説明をして去っていく。マユのお礼の声が聞こえたかどうかも怪しい。
喧騒が去って、マユはほっと息を吐く。
子供用の小さい椅子に腰かけ、ごついブーツの紐を手早くほどいた。それから床に並べられたスリッパに足を入れ、ブーツを玄関の端に揃えて置く。
背中を微妙に縮こまらせて小さく口の中で「お邪魔します」と呟き、きょろっと家の中を見回す。
玄関には額に入れられた刺繍やドライフラワーが飾られており、棚の上には子供用の小さな麦わら帽子や使い込まれた手袋が置かれている。
それらを眺めながらマユは先ほどイーズが入っていった扉を開ける。途端、にぎやかな声が聞こえてきた。
「イーちゃとはちがうの」
「でも、メラとマユさんが同じ黒髪なら私もだよ?」
「ちーがう、の!」
「えー、どういう違い? 分かんない」
何やら子供が主張しているのは母親とマユの髪の毛のことらしい。
ツンツンと自分の髪の毛を引っ張るイーズと、その隣に座る黒髪の女性。目が合ってマユは慌てて頭を下げた。
「突然来ちゃってすみません。マユと言います」
「いえいえ、ようこそ。私はメラで、この子、ハリスの母親です。最後の一体の風龍さんと会えて嬉しいわ」
「りゅう! りゅう!」
メラの膝の上でぼんぼんと跳ねるハリス。その度にメラはごすごすと頭突きをくらっている。本人は平気な顔をしているが、相当痛そうだ。
「お茶出しますね。んーっと、何があるかな。お菓子も欲しいですよね」
「あ、フィーダとハリス用に作ったゼリーがあるわよ」
「いいですね、それ。北のほうだと冷たいお菓子はあまり食べないでしょうし」
「あ、お構いなく」
マユの遠慮する声をさらりと無視して、イーズはキッチンに移動して手早く飲み物とデザートを準備し始める。
ゼリーの中身はライチだ。これはフィーダの大好物だが、懐の深いフィーダであれば許してくれるだろう。
肉への執着が激しい誰かさんとは大違いだ。
そこまで考えてイーズはそっと周囲を窺う。大丈夫、あのやたらと勘の働くハとルのつく人はまだ戻ってきていない。
大丈夫、大丈夫。
(――イーズ! あのさ、フィーダが)
「うっひゃい!?」
突然、ハルから呼びかけが入り、イーズは叫び声をあげて文字通り数センチ飛び上がる。
カップに注いでいたお茶がびちゃびちゃとキッチンカウンターにこぼれた。
(おーい? どうした?)
「いいいいいいえ! 何でも!」
思わず声に出してイーズは返事をする。声も言葉も、動揺が全く隠しきれていない。
案の定、勘の鋭いハとルのつく人からいぶかし気な声が返ってくる。本人がここにいたらジト目になっているはずだ。
(どうせ俺のこと考えてたんでしょ。俺がかっこよすぎるとか背が高くてかっこいいとか、論理的で……)
(話は!? 話は何ですか!? フィーダがどうしたんです!?)
全く見当違いのことを言い出したハル。
指を一本一本立てている姿が目に浮かび、イーズは早口で用件をせかした。
(おー、なんか、さっきフィーダが戻ってきたんだけど、ロクフィムからでも風龍が来るのが見えたから後で領主も来るってさ)
(了解です。ていうか、なんで本人が会話に入ってこないんです?)
(あー、まあ、それは後で説明するわ。んじゃ)
(はいはい)
念話が繋がっている感覚が途切れ、イーズはほおおおっと長く息を吐きだす。
繊細な心臓が破れてしまうではないか。
カウンターの上を拭いた後に浄化もしてリビング側に戻れば、マユの姿がない。もっと言えば、メラもハリスもいなくなっていた。
首を傾げつつマップを確認するとどうやら二階に上がっているようだ。
おそらくメラがマユの服装を見て着替えが必要だと気づいたのだろう。
先ほどの連絡はメラも聞いたはずだから、あとは男性陣が戻ってくるのを待つだけだ。
そう結論してイーズがローテーブルにデザートを並べていると、三人がリビングに戻ってきた。
「マユちゃ、ママとおなじになった!」
その声に振りかえれば、ハリスの言う通りマユはメラの服を着ていた。
ほっそりとした体つきと長く流れる黒髪で、確かにマユはメラと雰囲気が良く似ている。
メラが華やかな美人さんとすれば、マユは清楚な美人さんだ。
とすると、二人を同じとして、イーズは違うと言い切ったハリスの言葉の意味は何なのだろう。
いや、深く考えてはいけない気がする。そう、子供の言うことだから、特に意味はないはずだ。おそらく、そのはず。
「やっぱり、メラの服がぴったりでしたね」
「メラさん、ありがとうございます」
「気にしないで。ハリスが生まれてからは楽な服ばかりになっちゃって、着ていない服も多かったから」
確かにハリスが生まれてからは汚れを気にしない服を着ることが多くなった。
ハルやイーズがいればすぐに浄化したり水洗いしたりできるのだが、メラは魔法に頼ってばかりもダメだと、自分の手で家事を楽しそうにこなしている。
「着ていた服とかは、着替えに使ったハリスの部屋に一旦入れて置いたから」
「そうなんですね。私の部屋を使っても良かったですよ」
「えっと、そう、よね。でも、私の服を取りに行くのにも近かったし」
ハリスが将来大きくなった時に使う部屋はまだ家具ぐらいしかない。
マユがこの家に泊まるかどうかは決まっていないが、イーズの部屋にも空きスペースはある。
だがメラがそのほうが楽だったのならばそれでいいとイーズは納得した。
ちなみに、後にイーズの部屋を見たマユは、
「メラさんに別の部屋に案内してもらっていて正解だった」
と言ったという。
着替えのために一人で残るには、イーズの部屋はいささか、そう、ほんのちょっとばかり、落ち着かないそうだ。
「毎日あの部屋で寝るイーズはすごいね」
マユの全く他意のない褒め言葉に、イーズは首を傾げたのだった。





