10-3. 忘れていた大事なもの
地面から飛び出た赤い大輪の花が、風もないのにふわふわと揺れる。
薄っすらと漂う甘い香りに、イーズはハムスターのように鼻をひくつかせた。
「あれは、クオリティが低いですね」
十メートルほど先にある花を見てコメントするイーズ。
ハルも花を観察してうむと一つ頷く。
「サンドフットボールフィッシュ。チョウチンアンコウの魔獣で頭についている花の香りで敵を誘い込む。地面の下を泳ぐ特殊なスキル持ち。んーっと、弱点は……」
「チョウチンアンコウ。アンコウの肝って美味しいって本当です?」
「アンコウの肝は美味いけど、ドロップしないかもよ? んで、弱点は花に水をかけられたらダメだって。魚なのに水がだめって、おい」
「お花に水をあげたらダメってのも残念ですね」
イーズのコメントに苦笑しつつ、ハルは手の上に水球を浮かべる。
続けて出した幾つもの水球をお手玉のように動かしながら、後ろを歩いていたフィーダを呼んだ。
「フィーダ、ほら、さっさと行くよ」
「ああ」
「フィーダ、早くしないと、ロクフィムに帰れませんよ」
「ああ、分かっている」
ずんっと肩を落とすフィーダ。まるで彼の周りにだけ雨雲が立ち込めているような雰囲気に、ハルとイーズは顔を見合わせて仕方がないとため息をつく。
「ほら、フィーダ、号令かけて」
「ああ……はぁ、よし。行くぞ、スリー、ツー」
どうにかして顔を上げたフィーダが片手でカウントを始めた。
「ワン」
最後のカウントに合わせて、ハルの手から水球が飛び出す。
――バシャバシャ!
赤く大きな花の中心に、水球が軽い音を立ててぶつかる。
直後、頭に花をつけた魔獣が土の中から雄叫びを上げながら這い上がってきた。
「ググエエエエエ!」
「出たぞ!」
茶色く、どこかしら丸っこいフォルムの魚の魔獣。だが左右に大きく開いた口の中には鋭い牙が並んで光っている。
マンドラゴラが地面から出てくる姿は可愛いのに、とイーズは心の中で嘆く。その感情をぶつけるように、イーズは魔法を魔獣に向けて放った。
「浄化!」
「ギュアアアア!」
イーズの魔法を浴び、サンドフットボールフィッシュは苦し気に体をよじらせる。頭の上にある花の色が徐々に鮮やかな赤から茶色に変色していた。
「体力五割!」
「はあ!」
引き続き花に水球を当て続けながらハルが叫ぶ。
フィーダは迫りくる魔獣の前に立ち、その突進を避けながら胴体に剣を滑らせた。
「ギャアア!」
「んっしょ! や!」
イーズも短剣を握り、瞬足で周囲を駆けまわりながら魔獣の足を狙って機動力を削いでいく。
「アンコウっていうか、サンショウウオっぽくありません?」
四本の足が生えている魔獣に、イーズは少し距離を取って呟く。
ハルも剣を片手にフィーダとは反対側の胴体へと攻撃を加えた。
「足がない状態で動いてたらそれも微妙でしょ」
「お前ら……せっ!」
戦闘中にもかかわらず軽口を叩く二人にフィーダは呆れつつ、再度サンドフットボールフィッシュの腹へ剣を走らせる。
チラリと見上げれば、頭上の花の花弁は茶色く枯れてハラハラと散り始めている。
「残り二割!」
「ギュアアア!」
「浄化!」
「よっと」
「はっ!」
イーズとハルの魔法に続き、フィーダが三度剣を大きく構えて左右に振り抜いた。
「ゲエエエエ!!」
大きく叫び声を上げて体をくねらせる魔獣から三人は距離を取る。
魔獣の頭に咲いた花弁は全て散り、茎までが茶色く水分を失ってパキパキと枯れていく。
「ぼく、お水いっぱいあげたのに」
「泣かないでください。できる限りは尽くしました」
「白々しい」
泣くふりをするハルと慰めの言葉をかけるイーズに、フィーダはちらりと白けた目を向ける。
ハラリと枯れた葉が落ち、魔獣は一度大きく震えてドロップへと変化した。
「お、良い感じ良い感じ」
地面に転がる物を見てハルはご機嫌に足を進める。
イーズも肉ではないことに不満を表わすこともなく、同じように地面に落ちた物をのぞき込んだ。
「澄んだ綺麗な黄色です。メラに合いそう」
「形も完璧な球体。これまでで一番かな。フィーダはどう思う?」
「ああ、これは良さそうだ」
フィーダが口の端を上げてホッと息を吐く。やっと機嫌が上向きになったフィーダにハルとイーズは潜めた声で笑い合った。
三人がベレマーズの南にあるダンジョン「キュゼドバリェンジドガエシャ」、通称“潮吹きクジラ”ダンジョンの攻略を開始して二週間。
ここは三級ダンジョンで階層は五十三階。
ダンジョン入り口は海にほど近いベレマーズの中にあるが、最奥は海のど真ん中。最奥を攻略すると海上に打ち上げられるというアトラクション要素もあるダンジョンだ。
「あとらくしょん?」
「娯楽要素のある乗り物、みたいな?」
「なるほど。遊具か」
「そんな感じ」
フィーダはドロップを拾い、小さな布巾にそっと包んで自分のマジックバッグに入れる。
目元を緩ませ、口もわずかに弧を描いている。どうやら彼の理想に合ったドロップが入手できたようだ。
潮吹きクジラダンジョンは海にあるからか、出現する魔獣は海洋生物に似た物が多い。
魚だけにとどまらず、うねうね動く海藻だったり、木の上から貝殻をカチカチならせながら貝が落ちてきたり。
ナマコの群れにはハルが悲鳴を上げていた。虫ではないはずなのにフォルムがダメらしい。
「五十階まで来てやっと満足するのが出ましたね。良かったです」
「フィーダの機嫌がこんなに悪くなるのは初めて見たかも」
「悪い。もう一度周回しないといけないのかと思い始めていた」
「大丈夫。早くロクフィムに戻りたいのは俺も同じだし」
パンパンとハルはフィーダの肩を叩く。これくらいのことでハルもイーズも気を悪くするはずもない。
それは三人がこのダンジョンを攻略している理由に大きく関係している。
潮吹きクジラダンジョンでは、完全な球体や色付きの魔石がドロップする。
通常の魔石は透明で不規則な形をしているため、質の良い物は高額で取引される。
だがフィーダが良い魔石を求めているのはお金のためではない。
ロクフィムにいるベレマーズ出身の冒険者から聞いた、色付き魔石にまつわるとある習わしのためだ。
ベレマーズ周辺では、プロポーズと共に高価な魔石を恋人に贈る。
それは自分の経済力を見せるとともに、万一経済的な苦難に陥っても蓄えがあることを保証するものとなる。一昔前の日本の婚約指輪のようなものだ。
「プロポーズの時に贈るらしいけど、ま、順番が前後したのは仕方がないよね」
「ぐうっ」
フィーダの喉奥からくぐもった音が漏れる。
冒険者から潮吹きクジラダンジョンの魔石について聞いた時、フィーダはあることに気づいて呆然とした。
彼がメラにプロポーズをしていなかったということを。
その話を聞いてから気落ちしていたフィーダに気づいたのはハル。誰にも悟らせないようにしていたようだが、ハルの観察眼を誤魔化すことはできなかった。
そしてハルとイーズは早速彼の悩み解決に乗り出した。
プロポーズ大作戦――つまり最高の魔石をゲットし、改めてメラにプロポーズしようというものだ。
「水龍からもらった鱗と一緒にネックレスに加工してもらったらきっと綺麗です」
「首から一財産ぶら下げてるって知ったら、メラが発狂しそうだけど」
「メラはそのあたりの金銭感覚は疎いから大丈夫だろう」
黒の森出身者の妻は日用品や食料品の価格は分かっても、武器や装飾品に関しては全くの素人。
ハルとイーズの協力ですぐに入手できたなどと言えばすんなりと騙され、いや、納得してくれるだろう。
純粋すぎるところを少し利用させてもらうだけだ。
「ここからだと、戻るよりも最奥まで行っちゃったほうがいい?」
「そうだろうな。完全攻略もできるならそれがいい」
「海上に打ち上げられるの、楽しみです!」
ベレマーズ沖に冒険者が打ち上げられる姿はすでに何度か目撃している。
海の真ん中に高く飛び出してくる冒険者は、町では名物であり、ちょっとした名所でもあるようだ。
幸い潮吹きクジラダンジョンは十階層ごとにポータルがあり、一階への帰還が可能となっている。
昨日も一度水龍アズリュシェドに協力してもらってロクフィムに帰り、また今朝ダンジョン攻略にやってきた。
そんな風に頻繁に水龍が訪れるためか、最近では水龍を一目見ようとベレマーズを訪れる人が増えた。
毎年秋に行われる船のレースでは、水龍をモチーフにしたボートも多く出場していた。
そして水龍を模した置物や絵、タペストリーなども販売されるようになった。
そのうちの一つ、イーズが購入した精巧な水龍の置き物は、イーズが選んだもので唯一、家のリビングに飾られている。
「最奥のボスを倒してすぐに打ち上げられるのかな?」
「少しは準備する時間があるらしいぞ。怪我しないように大剣や盾をしまったりするそうだ」
「確かに、空中で手放しちゃったら危ないですもんね」
次の階へつながる方向をフィーダが俯瞰で確認し、移動を始める。
所々にサンゴに似た植物が生えている。まるで海底を歩いているようでイーズは目を輝かせて周囲を見回す。
「海の中だとマンドラゴラは無理でしょうか」
「実際には海じゃないんだからいるんじゃない?」
「少なくともこの階にはいなさそうだったな」
この階に到着した直後、サトとアモにマンドラゴラがいないか探ってもらったが答えは「いない」だった。
二体が探るように葉っぱを揺らす姿を見てハルは「ダウジングっぽい」と呟いていた。何やら過去流行った探索方法らしい。
首を傾げたイーズに暗い顔でなんでもないとハルは返したのだった。
短い休憩をはさんで、最奥階一つ前の階にたどり着く。
前の階がどこか南のサンゴ礁がある明るい海辺だったのに比べ、深海のように周囲は青く仄暗い。
「チョウチンアンコウ、出るんだったらこっちの方が雰囲気ありません?」
「でもあの魔獣の頭にあったでかい花って、南の島に生えてそう」
「確かに。じゃ、深海に出る魚って他に何かいます?」
「なんだろ。フィーダは何か知ってる?」
「深海の魚なんて見る機会ないから知るわけねえだろ」
「そりゃそっか」
地球のようにネイチャー番組もなければ海洋生物図鑑もない。実際に見たことがないのは当たり前だ。
そして魔獣の姿で現れればそれはただ単に魔獣で、実際の海の奥深くに住んでいる生物とは結び付かないだろう。
「深海魚、深海魚……あ、シーラカンス?」
「生きた化石? 確かにいそう」
「おい、マンドラゴラの確認をしてさっさと進むぞ」
「「はーい」」
延々と話を続けそうな二人を止め、フィーダが指示を出す。
イーズはさっそく腕の中にサトとアモを出し、これまでと同じ質問をした。
「サト、アモ、この階にお友達はいる?」
その問いに、サトの大きな葉っぱがバサバサと揺れ、イーズの顔の前を勢いよく通り過ぎた。
「ミョウ!」
「ケ……」
ペシっとアモの小さな葉っぱがサトの葉っぱをけん制して、サトがしょぼんとした声を出す。いつの間にやらアモの方がしっかり者に成長したようだ。
「ふふっ、ありがとう。この階のどっちの方?」
「ケーッキョ!」
「ピョミュ!」
サトの大きな三枚の葉っぱと、アモの小さな四枚の葉っぱがささっと同じ方向を示した。
フィーダは目を細めて俯瞰でその先にある景色を確かめる。
「最奥までの道からやや外れるな。だが問題ないだろう」
「おっけー。サト、アモ、ありがとうな」
「それじゃ、また方向の確認に出てきてもらうね」
「ケキョン!」
「ミ」
さらりと葉っぱを撫で、イーズはサトとアモをマジックバッグの中に戻す。イーズが顔を上げてフィーダとハルに向けて頷くと、三人はダンジョン奥に向かって歩き始めた。





