9-6. 平和、時々、騒動
12月の結婚式から時が立って、3月末にハリス誕生。
今話は七月スタートです。
ふくふくとしたお腹と、どこまでも柔らかな腕と足。
どんなに手足を伸ばしても小さく頼りない存在。
「キョー」
あやすように目の前で揺れていたサトの葉っぱに誘われ、ハリスの紅葉のような手が伸びた。
「ギョ!?」
「ミ」
すんでのところで葉っぱがハリスの手をすり抜ける。
子供の小さな手は、時折どこにそんな力を秘めているのかと問いたくなるほど容赦ない。
既に一度ちぎられた葉っぱは、サトとイーズの努力により復活した。だがこれ以上の被害を避けるため、サトはまるで強風を浴びてオールバックになったように葉っぱを全部後ろに倒した。
途端、ハリスは手の届かない所に行ってしまった葉っぱに絶望し、顔をくしゃくしゃにする。
そしてこの世の終わりのような泣き声を上げ始めた。
「ふえっ、うえっ、う、うぎゃあああああああ!」
「ギョー」
「ミー」
慌ててパタパタとマンドラゴラが走り出す。
だが二体が目的の場所にたどり着く前に、穏やかな声が響いた。
「あーら、あら。ハリス、どうしたの?」
「ぎゃああああああ!」
「ケキョ」
「ミョピュ」
「ケ?」
「ミィ、ミョン!」
「ケェ!?」
まるでサトが泣かせたと言うようにアモが葉っぱでサトを突っつくと、サトが驚きの叫びを上げる。
からかうように揺れるアモを、今度はサトがツンツンと突っつきだした。
ミミミミと笑うアモの声と、ケケケと文句を言うサト。
二体の様子に笑いながら、メラはハリスを抱き上げてゆらゆらと揺らす。
その手つきは慣れたもので、フニャフニャと頼りない体を一生懸命震わせるハリスを危なげなく支える。
そこに庭に向けて大きく開いた窓の外から、ハルがものすごい勢いで走ってきた。
窓からリビングヘと上体を突っ込み、あたりを忙しなく見回す。
「メラ! メラ! おおお、ハリス、元気に泣けよ。ね、メラ、イーズ見なかった?」
「見てないけど? どうしたの?」
「イーズが、また裏の森に変な置き物を置いてた! 冒険者に魔獣かもしれないって言われて見に行ったら、今度はレッドベアの上に斧持ったコボルトが乗ってた。金太郎かよ! 変な話、残すなよ、勇者ぁ!」
いったい誰に怒っているのか分からない状態に陥っているハル。
それでも泣いているハリスを気遣って、叫びは小声だ。そしておもむろにこめかみに手を当てて集中しだす。
「こうなったら意地でも見つけてやる。んーんーんー、ん! あっちが怪しい! それじゃ!」
また走りだすハルを見送り、くすくすと笑いながらメラはハリスを揺らす。
その足元ではサトとアモも一緒になって左右にゆらゆら揺れている。しばらくはハリスが元気に泣く声だけが辺りに響いていた。
「あー、ついにハルに見つかりました。完全に視えていないはずなんですけど」
「鑑定で周囲を視て、穴がある場所がイーズがいる場所ってのが分かったからな。これで俺の視界から逃げられるものはいない!」
「リビングもダメ、庭もダメなら、山の中にひっそりとオブジェを置くのは許してほしいです」
「ありゃオブジェなんて高尚なもんじゃない」
「芸術は理解されがたい」
「ちゃうし」
苦い顔で、ハルは食卓に並んだ料理の中から魚介のペスカトーレを自分の皿に盛りつける。
イーズは文句を言いつつ、ブル肉とジャガイモの炒め物を米の上に丁寧によそった。
リビングから続いているダイニングは大きな窓のおかげでいつも明るく、風通しも良い。
まだ新しい木の匂いが香るこの家は、三月にハリスが生まれる前に完成した。フィーダもハルももっとゆっくり建てて良いと言ったのだが、龍の提供した素材に大興奮した作業者たちがランナーズハイ状態で最後まで駆け抜けた。
建て終えた後、ひとしきり騒いでから職人全員ぶっ倒れたのにはイーズも呆れて、新しくできたリビングに寝かせて自然に回復するのを待ったのだった。
それから家に住み慣れる間もなくハリスが誕生し、忙しく過ごしているうちに季節は夏になってしまった。
「ロクフィムからここまでの道はもう半分完成らしい」
「え? もうそんなにできてるの?」
フィーダにハリスを預け、ゆっくりとご飯を食べていたメラが顔を上げる。
ハリスはがっしりとした父親の片腕と鍛え上げた胸に支えられて、安心した顔で熟睡をしている。
口元から垂れたよだれがフィーダの胸元をべちゃべちゃにしている。そんな姿すら微笑ましい。
「やっとメラもハリスも家から出られるようになって、この前ロクフィムに行っただろ」
「ええ、そうね」
「会いたいらしい」
「え?」
フィーダはこれ以上はないほどのしかめ面を作り、ハリスに当たらないように避けて大きなため息を吐いた。極悪な顔と、平和な赤ん坊の寝顔がとてもミスマッチだ。
「ははは。お前の嫁さんはモテモテで大変だなー。まぁ、メラもハリスも可愛いからしょうがないよなー」
苦い顔のフィーダを楽し気にからかうのは相変わらずのレアゼルド。
対外的には黒の森エグジールに水龍が行く際の窓口なのだが、最近はハルたちのターキュア商会も手伝っているため、丘の上の家に入り浸っていることが多い。
「まー、西部への開拓も一段落したし、こっちの丘の整備も残りわずかだし、人が余ってるから作業が早いんじゃないかな?」
ハルの「プライベートと仕事は分けたい」との主張で、この家に応接間や執務室はあるものの、ターキュア商会の業務は依然ロクフィムで行っている。
オレニスと彼の補佐フィランも、移動などの利便性を考えてロクフィムを拠点としている。
商会の仕事がある時は、ハルもしくは水龍の操る船に乗ってフィーダたちは出社していく。なんとも豪華な通勤手段だ。だがそれも道が通れば、もっと自由に行き来ができるだろう。
「賢者の隠れ家っぽいのも良かったんですけどね。誰もたどり着けない秘境に住む賢者ってカッコよくありません?」
「ハルが言いだしそうなことだな」
「あ、今の撤回します。聞かなかったことにしてください」
「ちょっとちょっと、お二人さん?」
イーズとフィーダの会話に、ハルは愕然とした顔で手を止める。
メラはくすくすと潜めた声で笑い、先ほどフィーダが言ったロクフィムの町の人たちが会いたがっているという話に話題を戻した。
「私とハリスが、もっと向こうに顔を出したほうがいいのかしら?」
「用事がある時でいいだろ。ただ、河を下るのも気分転換になるし、行きたいならいつでも言ってくれ」
「うん、分かった。もうハリスの首もすわったし、抱っこもしやすくなったからまた行こうかな」
「ああ」
フィーダは腕の中のハリスをそっと揺らしながら頷く。
毎日外を散歩したり、水龍にハリスを見せたりおしゃべりして気分転換はできているが、ロクフィムに顔を出すのも良いだろう。
メラはフィーダの提案に顔をほころばせた。
そんな会話から数日後、七月の暑い日中の時間を避けて、メラとハリスはハルの操縦する船に乗ってロクフィムに向けて出発した。
イーズは先に色々準備しておくと言って、今朝フィーダと共に出勤していった。何の準備なのかは分からないが、あまり良い予感はしていない。
「何度見ても綺麗ね」
途中にある洞窟の天井を見上げ、そこに広がる鍾乳洞や小さな滝を眺めながらメラが呟く。
水龍が通れるほどに広い洞窟の中は、通る場所や時間帯で表情が変わり、きっと死ぬまで見飽きることは無さそうだ。
「イーズじゃないけど、十分隠れ家っぽい」
「ハルの無茶ぶりかと思ったけど、さすが水龍よね」
「でもその前の無茶ぶりの対価と思うと微妙」
水龍に散々迷惑をかけられたからこそ得られた場所だと思うと、ハルは苦笑を隠せない。
やっと生活の場が整った。家が建ち、周りの環境も整ってきている。
ハリスの成長を見守りながら、時折裏庭からトレッキングがてら腐海の掃除。落ち着いた頃に、またアドガン共和国王都など行っていない場所に足を延ばすのもいい。
そんなことをハルは考えていた。
だが、物事はそうそう簡単には進まない。
一千年近くもの間、手付かずだった腐海。
今までは上流に拠点を構える第六堤防警備隊だけがそこに入り、その内情を知る者は限られていた。
だがハグレ大発生も落ち着き、ロクフィムという町もでき、そしてラズルシード王国への街道の整備完了も間近となった。
そうなれば集まるのは人やモノだけではなく、金と思惑も絡まりあっていく。
人は魔獣よりも貪欲。
そして魔獣には無い狡猾な知恵を持つ。
それはまだ未熟な町ロクフィムに辿り着こうとしていた。
現在の年齢
ハル: 21歳
イーズ: 21歳
フィーダ: 44歳
メラ: 36歳
ハリス: 0歳4ヶ月
サト: 6歳 (自我が生まれる前の年数含まず)
アモ: 2歳 (自我が……)





