8-6. それぞれが向かう未来
話が進むにつれ、死んでいくハルの表情をイーズは横目で眺める。
ルドヴィチカは終始淡々と、マユと会ってから今日村を出るまでの出来事を語っているはずなのだ。ただ空から金平糖が降り注ぎそうな甘さが散りばめられているだけで。
何を見せられ、聞かされているんだろう、自分たちは。
現実逃避をしようにも、目の前で語られる話を聞かないわけにはいかない。
「俺たちが今まで考えもしなかったことを、マユはたった一月で気づかせてくれた」
イーズは目の前に置かれたカップに手を伸ばし、一口飲んで顔をしかめる。渋さが足りない。今イーズが欲しいのは思いっきり渋くて苦いお茶、もしくはコーヒーだ。なんだったら激マズな青汁でも欲しい。何杯でも飲める気がする。
フーカは両手の指先を口元に当て、「くふっ、むふっ」という奇妙な音を立てている。その隣で真っ赤になって俯くマユ。ちょっとだけ安堵が入った複雑な顔をしているのはブランシェ。ライバルと思っていた相手の新たな恋の芽生えに、素直に喜んでいいのか迷っているようだ。
タクマはイーズと同じく口の中から吐き出しそうになる砂糖をこらえているし、カズトは純粋にマユの三ヶ月が辛いものでなかったことに安心している。
「勇者の役目を終えたのであれば、その役目に縛られる必要は無いのだろう?」
「それは正しい。今日こうやって集まったのは、これからどうするかを全員で話し合うためだから」
ルドヴィチカの問いかけに、ハルが無表情で返す。幸い、話はもう終わりまで来ている。
「あと少しで薬草畑が形になる。数年、季節ごとの土の温度や水量の調査をして、薬草の育ち方を記録に残す。その間マユがいてくれれば、植物の育ち具合を細かく管理できる。マユには村に滞在してほしい」
長かった前置きが終わり、やっとルドヴィチカから結論が出された。
つまり、何が言いたいかといえば、マユには村に来てほしい。とりあえず数年、彼の思いとしては、“一生”。
その場にいる全員の視線が、まだ顔を伏せたままのマユのつむじに集中する。あのつむじをグリグリしたい。できれば指の関節で。
ハルがコホンっと咳ばらいをして、やっとマユも顔を上げた。
「ルドヴィチカの村、えっとベッテドンナ村はタジェリアの第一級ダンジョンに近いんだよな?」
「そこまで近いわけではない。徒歩で二ヶ月、馬なら一ヶ月はかかる」
「了解。んで、定期的にダンジョンに食材を回収しに行ってる?」
「ああ」
「それにマユを利用するつもりは?」
「ない」
ハルの質問に、一瞬マユが体を揺らす。だがルドヴィチカは表情を変えることなく即座に返答した。
彼の中でその考えが全くなかったのだろう。とても正直だ。
「マユは?」
「え?」
「どうしたい? 俺は、マユの意思が全てだと思う。村の事も、薬草の事も、ダンジョンの事も全部忘れていい。それらがマユにとって重要ならば、それを入れてもいい。マユの中で残ったもの、それがマユの幸せに繋がるのなら」
まっすぐなハルの視線がマユの瞳とぶつかる。
ルドヴィチカがそっと膝の上で両手を握りしめるのが見えた。
マユは小さく頷き、自信を持って答えた。
「私はあの村にいたい。薬草を育てて回復薬として活用できるまでを定着させたい。それでいつか、実際にダンジョンに入って回復薬の効果を調べて、効果を長引かせるとか改善できるようにしたい」
植物魔法を使って薬草を育てるだけではない。その先を覚悟した眼差しが一人一人に向けられる。
数年ぶりに集まった仲間。ずっと一緒にいたいと思っていた。
でもやりたいことが見つかった。ずっと自分の中でくすぶっていた魔法が、あんなにも人の顔を輝かせることができると知った。そしてその魔法が、誰かの命を救うことに繋がるのならば、マユはあの村にいたいと願う。
「そっかー。そうなると、全員ばらばらだねー」
軽い声でフーカはテーブルに頬杖をついて言う。
明るい声は残念というより、お互いの決めた進路を祝福するものだ。
「全員? タクマとフーカも?」
「あ、あたしたちは一応一緒? 方向だけだけど」
「俺は南部の開拓に行く。腐海南西部の開拓を進めて、そこに人が住めるようにする。ハグレが大発生した時にお世話になった商人が協力してくれるそうだ」
「へえ、凄いね。町を作っちゃうってことだよね」
「ああ、最初はそれでいい」
「最初は?」
タクマの言い方に引っ掛かりを覚えたマユが追及する。
ハルは渋い顔をして、渋くもないお茶を飲む。
タクマが望んでいることは、南部開拓だけじゃないのを知っているから。
「その後は南部の貴族、この前知り合ったソウって奴と婚約者の所に行く」
「貴族の知り合いができたんだ。そこに住むの?」
マユが水饅頭に楊枝を刺しつつ首をかしげる。
イーズは、この話の時にそれを食べるのはまずいのではないかと冷や冷やしながら、じっと不安定に揺れる水饅頭を見つめる。
「いや、南部の開拓をきっかけに、自治区を作って、そっから南部を一気に独立に持ってく」
「独立? どういうこと?」
「つまり、南部貴族で反乱を起こす」
「反乱!?」
マユが驚きの声を上げる。それと同時に楊枝から水饅頭がずるりと落ちた。
イーズは慌てて準備していた小皿をマユの手元に差し出す。
――ポテン
見事、皿の上に着地した水饅頭がプルルンと震えた。
「ふう、間に合いました」
「瞬足まで使うかね」
「スピードは大事ですから」
「あ、ありがと?」
「いえいえ」
コトリと小皿を置き、イーズは満足気に椅子に腰を下ろす。
呆然としたままマユは機械的に礼を口にして、タクマとフーカを見つめた。
「あたしたちはね、色々知りすぎちゃった。南部に全く興味のない王族とか、勇者や冒険者の命を大事にしない王都の兵士たちとか。
それなのに、一級ダンジョンや他のダンジョンから集められる物で王都は動いてる。商会の荷物を見て胸が痛くなった。これを集めるのにどれだけの人が命を危険に晒してるんだろうって」
発展した大きな都市を通り過ぎるだけでは、煌びやかな生活をしていては気づかなかったこと。
南部の商人に出会って学び、そして北部を商人と共に旅をして改めて気付かされたこと。
ラズルシード王国の歪さ――一方的に搾取する王族と北部、搾取される側であり続ける南部。
フーカがいつになく真面目な顔で語れば、タクマもそれに続いた。
「一級ダンジョンの復興も、動くのは金だけ。その場にいる人たちには補償も何もない。南部に、王族の、王都の支配は何の必要もない。
それをソウは、南部の貴族たちは今回のダンジョン氾濫で思い知った。一級があの状態なら、二級は、三級は……小さな村にある四級や五級のダンジョンはどうなのか。見捨てられる未来しかない。だったら、自分たちの力で自由に動けるようにしなくてはいけない」
「それが、反乱?」
硬い声で呟いたマユに、タクマとフーカはしっかりと頷く。
マユは今度は顔をカズトとブランシェに向けた。視線を受け止め、カズトは首を横に振り口を開く。
「俺たちは黒の森と呼ばれる秘匿された場所に隠れる。ブランシェは元王族だし一人で動くのは難しいから、まずは他の人と協力して生活する基盤を整えようと思う」
「反乱には参加しないの?」
「俺たちは無理かな。そこまでの……なんて言うんだろう。反抗精神はないから。ただ協力できることがあればするけど」
「無理に巻き込むつもりはねえよ。安全なとこに隠れててもらった方が安心だ」
「ってことらしい」
タクマの言葉に、カズトは肩をすくませる。
カズトの中では、今の優先順位はブランシェの心と体の安全を守ること。そして彼女との生活基盤を整えることだ。
ラズルシード王国への恨みはあれど、何か大きなことを成し遂げたいという気持ちはない。
マユはそれを聞いて、ポスっと椅子の背もたれに体を預ける。続いて大きなため息をつき、長い黒髪をかき上げた。
「びっくりした。自分だけが勝手な道を進むのかと思ってたら、もっと無謀なのがいた」
「無謀ってしつれー」
「無謀だし。タクマの馬鹿が馬鹿をやるのはいつもだけど、フーカまでそれに乗っかるとは思わなかった」
「おい」
「馬鹿をやる馬鹿を、程良いところで止める人も必要だしねー」
「おい」
女性二人にけなされ、タクマが情けない顔をする。
先ほどラズルシード王国への怒りと不満を、鋭い表情で語っていた彼とは同一人物に見えないほど崩れている。
「えっと、ハルさんとイーズちゃん? はどうするの?」
「呼び捨てでいいよ。俺たちはアドガン共和国の南部で腐海の開拓を進める。俺たちの開拓方向はどっちかって言うと北向きかな」
「かっこいいおうちを建てるんですよ。水龍が最高の場所を見つけてきてくれました」
この中で一番平穏な未来を描く二人に、マユは安堵のため息をつく。
龍たちと懇意にし、勇者を王城から救った二人ならば何かすごい事をしでかすのではないかと危惧していた。
どうやら無謀なのは自分の仲間だけなようだ。
反乱に、王族と駆け落ち。
これだけでもう十分にお腹いっぱいである。
「マユ、疲れたか?」
「あ、ううん。大丈夫。ごめんね。なんか身内の話ばかりでつまらないでしょ」
「いや。聞いていて楽しい。勇者にもそれぞれ違いがあるのだと知れる」
「そっか。良かった」
ルドヴィチカから気遣う声をかけられ、マユはふわりとほほ笑む。
直球で正直な彼の言葉がマユの心をほぐす。
「さ、今日はどうする? ウレスク村に戻ってもいいし、ここで一晩語ってもいいし」
「ここで?」
ハルの問いかけに、マユは周囲を見回す。
気持ち良さそうにごろ寝をする風龍ウェンディ。
だが、周囲は河原でごつごつしているし、ちょっと歩けば腐海の森が見える。
どうするのだろうか。魔獣は風龍がいるから心配ないにしても、テントで過ごすにはどうにも心もとない。
首をかしげるマユに、イーズが自信満々で心配ないと言い切る。
「大丈夫ですよ。ちゃんと寝る場所を作れますから」
そう言って立ち上がったイーズは、周囲を見回して良さそうな場所を見つけて立ち止まる。
コンテナハウス、お風呂、そして男子用・女子用のトイレ。
次々と取り出して設置が終わったイーズがドヤ顔でマユを振り返る。
それを見てマユはこう思った。
――一番平和だけど、まともじゃないのは分かった。
そしてその後にとある二体の存在を紹介され、マユはハルとイーズが一番まともだという考えは完全に捨て去ったのだった。





