4-6. これから
素朴な木の皿の上に乗った分厚いステーキ。
両面はしっかりと焼かれているのに、中は鮮やかなローズ色を残している。最高の職人技。
じっくりとその佇まいを堪能した後、一口サイズに切られた肉を口に入れ、ハルとイーズは感動の声を上げる。
「美味いっす。天才」
「肉汁が濃いです。天才」
「こっちも食うか?」
「俺は貰おうかな。イーズは?」
「ハルのを一口だけ欲しいです」
「おけ」
ドーラウがハルの皿の上に別の肉の欠片を手早く乗せると、ハルとイーズは顔を最高潮に輝かせる。
二人はさっそくフォークを肉に突き立て、口に入れたとたんに頬をとろけさせた。
階段を下りてきた途中でそれを見たフィーダは苦笑を漏らし、ドーラウとアンヌに目礼をする。
「お帰りなふぁい」
「あれ? メラは?」
「ああ……イーズ、それ食い終わったらでいいから、メラの所に行ってくれるか?」
普段より落とした声でフィーダに告げられ、イーズは口の中にフォークを入れたまま首をかしげる。
ハルはじっとフィーダを見つめた後、自分の右手親指を胸元に向けた。
「フィーダ、防具を脱いだのは、なんでかなぁ?」
そんな言葉に、イーズはもう一度フィーダをじっくりと観察する。
ついさっきまで着ていたはずの革の防具は外され、木綿の清潔なシャツだけだ。
なぜなのか。
モギュッと肉を飲み込み、イーズは右手の指をL字型にして顎に当てる。
「ほうほう、ほう、ほう。分かりました。イーズ、行ってまいります」
そう言ってイーズは今度は指先を揃えて敬礼をし、颯爽と階段を登りだす。
部屋の場所を教えようとフィーダは声を掛けようとして、イーズならば感知スキルで分かると気づいてやめた。
ふっと息を吐いて、さっきまでイーズが座っていた椅子に座る。
ハルはその前に冷えたお茶を置いた。
「助かる」
「いえいえ。んで? 男の勲章の原因は?」
そう言ってハルは先ほどのように胸元をトントンと指す。
以前“胸元に残る女の涙は勲章”だなんて言っていた二人を思い出し、フィーダは小さく噴き出す。
「まぁ、俺の不用意な発言のせいだな」
「そっか。ちゃんと仲直りした?」
「ああ。好きだと言った」
「んぐへぇっほぉ!」
お茶を飲もうとしていたハルは、フィーダがサラリと放った言葉に盛大に咽る。
慌てて周囲を水魔法で綺麗にし、横のフィーダの顔をまじまじと見つめた。
「まじで?」
「ああ」
「フィーダから?」
「ああ」
「好きって?」
「ああ。なんだ、そんなにおかしいか?」
片眉を上げて尋ねるフィーダに、ハルは呆然とした顔のままフルフルと顔を左右に振る。
あまりの勢いに薄い頰がタパタパと揺れた。
だがすぐに浮かんだ疑問が次から次へと口からこぼれ出る。
「え? フィーダ、メラがフィーダの事を好きって気づいてた? ってか、そもそも恋愛対象として見てた?」
いつか、メラの気持ちにフィーダが気づいたら盛大にからかってやろうと思っていた。
全く気付いた様子もなく、フィーダの鈍感さにイーズと一緒になって嘆いていたというのに。
急展開すぎて頭が追いつかない。
「気づいたのは、マファスージの討伐作戦に参加した時か。恋愛対象……なのかはよく分からん」
「え? どういうこと?」
首をかしげるハルに、フィーダはお茶をあおって深く息を吐く。
チラリと厨房の中にいるドーラウとアンヌを見てから、ギシリと椅子の背もたれに体を預けた。
ハルはせかしたい気持ちを抑えて、フィーダが口を開くのを待つ。
「守りたいという気持ちはお前らにも持ってる。どこが違うのかと考えた」
メラは最初に会ったその瞬間から、フィーダにとって守るべき存在だった。傷ついた彼女は弱く、脆く、儚かった。
いつ、何がきっかけで、どう気持ちが変わったのか。
メラの思いに気づいた時か、それとも――
「二人で過ごすようになって、空気が心地よいと思った。ずっと一緒にいるんだと思った」
半年前にハルとイーズが消えた時、始めは焦燥ばかり募った。
そんな自分をなだめてくれたのはメラだった。
そしてメラのスキルがあったからこそ、二人の無事を知ることができた。
それから二ヶ月が経ち、アークレで二人の生活を始めた。動き出した時間――自分の気持ちと初めて向き合った。
フィーダが仕事で町を出ている時も、アークレでメラが待っているという事実はフィーダの心を温かくした。
でも気づいてしまった。
「メラに言い寄る奴が出てきて、もしかしたらメラが誰かを選ぶことがあるかもしれないと気づいた。
でも心の中で思った。『メラはどこにも行かない。俺たちのそばから離れない』ってな」
もし離れていこうとしたら『黒の森の村長や祭司に約束したから』と言って留めたかもしれない。
執着にも似たこの思いは、恋愛感情などとは程遠く醜い。
メラが離れていくことなど微塵も疑わない、いや、許さないほどの傲慢な考え。
皮肉気な笑いがフィーダの口から漏れる。手元を見つめる瞳に、影ができた。
カップをカウンターに置き、フィーダはハルへと視線を向ける。口の端がわずかに歪む。
「無様な独占欲だ。好きだと言ったのは、他の男に持っていかれないための、理由付けだ」
そう言い終えたフィーダの顔を、ハルはたっぷり五秒は凝視した。
「ハ、ハハ……」
乾いた笑いがハルの口から漏れる。
フィーダは眉を寄せて、ハルの言葉を待った。
「まじか。フィーダにヤンデレの素質あったとは」
「は?」
「いや、完全に病んではいないけど、薄っすらとほのかに香る」
「おい?」
ぶつぶつと訳の分からないことを言い出したハルに、フィーダの眉間の溝が深くなる。
いつまでも戻ってこないハルの様子に、フィーダはついにドスっと音を立ててハルの頭に手刀を落とした。
「あてっ、あー、ビビった。そっか、うん。まぁ、いいんじゃない? 愛情の感じ方なんて人それぞれだし。独占欲なんて相手のことが大事なら自然と抱く感情でしょ」
頭頂部をさすりながら答えるハル。言葉の軽さに、フィーダは喉奥で唸る。
だがハルは気にせずにカウンターテーブルに頬杖をつき、つらつらと指折り言葉を並べる。
「守りたい、大事にしたい、離れていってほしくない、自分のそばにいてほしい、泣かせたくない、笑ってほしい、でも他の奴には笑わないでほしい、触れたい、抱きしめたい、同じ時間を共有したい、喜んでほしい……積み重なっていけば、ちゃんとした愛情だよ」
指をすべて折って作った拳が、フィーダの肩を軽く叩く。
ハルに肯定され、フィーダは眉間を緩めて息を吐いた。
三十年以上男社会にいて、色恋沙汰とは全く無縁な日々だった。
自分の感情さえ見誤りそうになっていたが、やっとそれが「愛情」という名前で正しいのだと理解できた。
もう一度、ハルが拳をフィーダの前に差し出す。
フィーダは晴れやかな顔でそこに自分の拳を当てた。
感知マップをたどって、イーズはメラがいる場所へとたどり着く。
数回ノックをしてから、イーズはゆっくりとドアを開けた。
荷物の片づけはほとんど終わっていたのだろう。よくある宿屋の質素な部屋の中、窓辺の椅子にメラは座っていた。
「メラ?」
小さな声で呼べば、メラがイーズの方を向いた。
その顔はイーズが予想した通りに、泣いて赤くなってしまっている。
「大丈夫ですか?」
そっと足を進めて、イーズは彼女の前に立つ。
指先を軽く動かして、回復魔法を発動させた。
「大丈夫。ありがとうね」
「いえいえ」
整えられたベッドに座るのは気が引けて、イーズは窓の隣の壁に背を預けた。
メラはイーズを見上げてほほ笑む。柔らかい表情に、イーズはメラが悲しくて涙したのではないと安堵を覚えた。
「フィーダと何かありました?」
好奇心というよりも、純粋な心配から言葉が出る。
回復魔法で赤みが引いたはずのメラの頬が、一瞬で赤く染まった。黒目の大きなメラの瞳がウロウロとさまよい、長いまつげが細かく震える。
開閉を繰り返すメラの唇を見つめ、イーズは辛抱強く彼女の心の準備が整うのを待つ。
「……フィーダが」
か細い声を止めてしまわないよう、イーズは小さく頷く。
「フィーダが」
もう一度そこまで言って、メラは耳も首も真っ赤になった。
イーズは彼女の肩を掴んで揺さぶりたいと暴れ回る衝動にごつい首輪をつけて、耐えて続きを待つ。
「その、フィーダが、好きって」
メラの言葉がそこで止まる。
イーズは今度は首を大きくかしげた。
「フィーダが好きって伝えたんです?」
「え! あ、違うの。えっと、その、ね。フィーダが、言ってくれたの」
「メラに?」
「そ、そう」
もう茹でガニも乾杯、違う、完敗なほどに赤くなったメラ。
イーズは、どこかのテーマパークの黄色い生物のように「おー」と声を上げる。
さすがアニキ、漢、フィーダ。
メラに先に言われる前に、ばっちり決めてみせた。
「おめでとう、メラ。思いが通じて良かったですね」
心からの祝福の言葉を告げるイーズ。
メラは赤くなった頬を押さえてから、眉を八の字にして俯く。
思ったのとは異なる反応に、イーズは首をかしげた。
「いいのかな?」
「何がです?」
「私、結婚してたことがあるのよ?」
「ああ、そう言えばそうでしたね。忘れてました」
「えー」
完全に頭から抜けていたわけではないが、イーズとしては「それがどうした」くらいのレベルである。
その反応にメラが肩を落としてうなだれる。
「フィーダも気にしてないと思いますけど」
「そうかな?」
「気にしてたら言う人です」
「そう、かな?」
「フィーダが言わないのであれば、それは相手の事を考えて言わないか、全く頭にも上ってないんだと思います。メラだって分かってるでしょう?」
フィーダと一緒に過ごした年月はイーズの方が長いが、メラがずっとフィーダを見つめていた時間も長い。
イーズよりも、きっとメラの方がフィーダの良いところを沢山知っている。
こくりと首を縦に振るメラに、イーズは微笑む。
「幸せになってください。私の大好きなフィーダと、大好きなメラが幸せだったら、私も幸せです」
壁から離れ、一歩前に進み、メラを抱きしめる。
あの日、初めてメラと言葉を交わした日。涙を流す彼女の頭をこうやって抱きしめた。
あの時の涙は悲しいものだった。でも今日流す涙はどこまでも澄んでいて透明で、輝いている。
「奇跡のような出会いがいっぱいあって、二人がお互いを好きになったこと、嬉しく思います。
もしフィーダと上手くいかないことがあっても、閉じこもらないで。フィーダも、ハルも、私も、メラの言葉や思いを軽く扱ったりしません。大事な家族の声を聞きたいです。
それから何よりも――メラ、フィーダを好きになってくれてありがとう」
腕の中でメラの体が震える。また回復魔法をかけなくちゃとイーズは笑う。
悲しいことをたくさん経験してきたからこそ、不安がまだあるかもしれない。
幸せになっていいのかと思うのかもしれない。
そんな時でも、どうか一人じゃないということを忘れないで。
イーズは思いを込めて、メラの体をそっと抱きしめた。





