1-9. 呼びかける者
フィーダの依頼により、腐海の北東を守っている火龍への協力要請が出された。
なぜハルとイーズと呼ばれる冒険者が腐海に取り残されたのか。
なぜ水龍がそもそもこの二人を腐海に引き込んだのか。
なぜ火龍ならばこの二人を見つけられるという話になったのか。
それらの情報を一切伝えず、簡潔かつ有無を言わさぬ六堤からの依頼書に、上層部は頭を抱えたという。
「早ければ三日後には火龍が飛ぶだろう。それを待つのは無理か?」
六堤のスヴァイン中佐の問いかけに、フィーダはなんとなく触れていたアミュレットから手を離して彼を見る。
腐海への調査計画の打ち合わせには、同行する隊員も大勢参加している。
フィーダとメラが一緒に行くことで、六堤の動きに影響が出るのは分かっている。だが、ここは自分勝手と分かっていても一歩も譲れない。
「勇者の力が必要がない状況になったら、二人を見殺しにしてもかまわないと?」
「そういうわけでは決してない。だが、まだ安全とはいいがたい状況。こちらもリスクは避けたい」
「安全でないのは百も承知。危険な地帯の真ん中に取り残された二人を安心させるために、一刻も早く、ほんの端でもいいから腐海に入りたい」
「では、連絡が取れた時点で引き返すのは?」
「それで構わない」
お互い譲歩できるところで、打ち合わせを終わらせる。
ため息をつき、フィーダは本部テントから出た。
六堤は仲間ではない。
かと言って、冒険者にも遠巻きにされている。
居心地が悪い空気に、フィーダの眉間に深く皺が入った。
「あ、フィーダ!」
テントに戻ろうとしていたところに、メラの声が聞こえて立ち止まる。メラは葉に包まれた物を両腕で抱えるようにして、フィーダの下へと駆けてきた。
「明日からのお弁当を作ってたの。これ、試作品ね」
手渡された包みを開くと、メラの手で作ったにしては大き目のおにぎりが並ぶ。
「片手で食べやすいようにお米ね。中身はピリ辛ひき肉と、甘辛ブル肉と、焼き魚と、こっちは貝と昆布」
「美味そうだ」
「美味しい自信はあるわよ。苦手な味があれば言って。まだ変更できるから」
「聞いた限りでは大丈夫だ。明日もあるから早く休めよ」
「うん。そうする」
それじゃと笑って戻っていこうとするメラを、フィーダは呼び止めた。
「メラ」
「うん?」
振り返ったメラを見て、フィーダは少し戸惑ったように唇を動かす。
襟足を、おにぎりを持っていないほうの手でガシガシとこすり、そしてどこか苦い笑みを浮かべた。
「ありがとうな。メラがいて、良かった」
メラの心臓に突き刺さる言葉。
一気にメラの顔が赤く染まる。
「ど、どういたしまして!」
口ごもって、メラは体を翻す。
だが数歩先でぴたりと止まり、下を向いたままずんずんとフィーダの下に戻ってきた。
首をかしげるフィーダを見上げ、メラは赤い顔のまま告げる。
「私は、毎日、フィーダがいて嬉しいから!」
どこか対抗するような言い方に、フィーダの口元が緩む。
「ああ、それは、どうも?」
曖昧なフィーダの返しに、メラは鼻息をフンッと飛ばして走り去る。
ニヤつく周囲の冒険者たちに気づかず、フィーダはしばらくその場に立ち尽くしていた。
朝、水龍の咆哮を合図に、六堤の隊員に前後を挟まれてフィーダとメラは腐海の中に足を踏み入れた。
十日以上に渡って大量の魔獣が腐海から逃げてきていた影響か、下草は踏み固められ、木も所々へし折られている。
飛び出た鋭い木の枝に注意しながら、前の隊員が進むルートに続く。
「まだ、だめ」
メラは魔力を無駄遣いしないよう、十分おきというフィーダとの約束を守りながら、スキルでハルとイーズに呼びかける。
だが腐海に入って一時間経っても、その呼びかけに応える声は聞こえない。
「焦るな。遠すぎるだけだ」
「うん、分かってる」
フィーダは背負ったマジックバッグから水筒を取り出しメラに渡す。
六堤は頻繁に植物の採取や、地面の足跡などをチェックしてはメモを取っている。中の調査が必要だと言っていたが、その内容がなかなかに本格的なのは驚いた。
大型魔獣に踏み潰されたような小型魔獣や、薙ぎ倒された木々の姿に、腐海の混乱具合が見てとれる。
もうすでに元凶である水龍は腐海を去った。
そうであれば混乱ももうおさまり、魔獣も落ち着きを取り戻すだろう。
それでも、二人がいるであろう最奥は、こことは比べようもないほど強い魔獣が溢れている可能性は高い。
調査をしながらゆっくり進むこと、それからさらに一時間。そろそろ戻ろうという雰囲気を六堤が出し始めた時だった。
メラがやにわに宙に顔を向けて声を上げた。
「ハル!? イーズ!?」
その声に、全員が足を止める。
メラは両耳に手を当て、必死で虚空に向かって呼びかけた。
「魔獣は止まった。二日後、火龍が空を飛ぶ! 合図を! 魔獣は止まった。二日後、火龍が飛ぶ。合図を! 空に、合図を!」
メラは繰り返し何度も、頭に叩き込んだ情報を叫ぶ。
涙声になる彼女の背に、フィーダは手を当てて励ます。
「火龍に、合図を! 無事に!」
そこまで言って、メラが口に両手の指先を当てて何度も頷く。
「ハル!? うん、ふふっ、うん。良かった。ありがと。うん……また、ね」
会話が切れたのか、メラが顔を上げてフィーダと視線を合わせた。
「ハルから」
「ああ。なんだって?」
「水龍ぶっ飛ばすって」
「ぷっ、はは。あいつらしい。他には?」
「イーズもサトも無事。火龍にはイーズの光魔法を打ち上げる。あと、美味しい桃が手に入ったって」
「あいつららしい」
「うん」
そこまでを告げて、メラが体をふらつかせる。
どれほどの距離があったのかは分からない。だが一対一の会話を選んだのは正解だったようだ。
「ありがとう。これで安心だ」
「役に立てた?」
「いつだって」
「そっか。よかった」
そう言ってメラが目を閉じる。
途端に力の抜けたメラの体を、フィーダは両腕で受け止めた。
意識を失った彼女を一度、強く抱きしめる。
「ありがとう」
もう聞こえていないだろう耳にそっと告げる。
そしてマジックバッグを体の前面に回し、メラを背中に背負った。
視線で、六堤の隊員たちに問題ないと伝える。
こうして、ハルとイーズが腐海の中に姿を消してから十三日目。
ついに、二人の無事が確認できたのだった。
朝、ハルはコンテナハウスから出て大きく伸びをする。
先に起きて食卓に朝食を並べていたイーズが顔を上げた。
「おはようございます」
「おはよ。少し冷えてきた?」
「ですよね。もう十一月も終わりますから」
「あー、年を越す前には人が住んでる場所に戻りたい」
「夢は大きい方がいいとは思います」
「……人の夢と書いて儚いってのは本当だった」
水魔法でさっと顔と手を洗い、ついでにポットにもお湯を入れてハルは食卓につく。
朝から豪華なのは、これから毎日必死で歩かなければいけない日々が待っているからだ。
「せめて東西南北が分かればいいんだけど」
「私の地図じゃ五キロが限界なので、森しか見えないのが痛いですね」
「ここからじゃ、太陽の動きも木に阻まれて見えないしなぁ」
「バドヴェレスに期待するしかないですね」
「だね」
一昨日、ようやくメラと伝達スキルが繋がった。
必死に呼びかける声に、どれだけ心配をかけてしまっているかと思うと胸が痛い。
――魔獣は止まった。二日後、火龍が空を飛ぶ。空に、合図を。
聞こえた内容は、二人にとっての確かな希望。
空から火龍が二人の位置を見つけ、そして脱出ルートに誘導してくれるのだろう。
誰かが助けに来てくれることは期待できない。
魔獣が多く討伐されたとは言え、ここは何百年も誰も奥までたどり着くことができなかった腐海。
定期的に火龍に誘導してもらいながら、自力で脱出するしかないというのが、この二日で二人が到達した結論だった。
朝食後、二人は昨日見つけておいた、この辺りでは一際背の高い大木の前に立つ。
サトは木の根の間でじっくり腐海の濃厚な土を堪能している真っ最中だ。
「さて、足場はバッチリ。昨日渡しておいたロープも異常なし」
ハルが確認する横で、イーズの闇魔法がシュルシュルと木を這い上がっていく。
「命綱、兼、防護ネットです」
「さんきゅ」
「サト、そろそろ火龍に会いに行くよ」
「ぎょ」
地面から這い出てきたサトを抱き、土を拭ってから一旦マジックバッグに入ってもらう。
それから二人は、上を目指してゆっくりと登り始めた。
火龍がどれほどの高度まで腐海に近づけるかは分からない。
もし彼にこちらの信号を見つけてもらえなければ、二人は永遠に腐海の中に閉じ込められてしまう。
「森の中でスローライフは絶対嫌だ!」
先を進むハルの叫びに、イーズは危うく手から力が抜けそうになる。
「やめてください。気持ちはわかりますけど、集中できません」
「ごめん」
ハルは風魔法で自分の体を押し上げているようだ。道理で非力な割にはスイスイと木を登っていくと思っていた。
そういうイーズも闇魔法の影を補助に使い、瞬足スキルで腕力をアップさせている。そうでなければ樹齢数百年の大木を登れるわけがない。
「ここら辺でいいかな」
三分の二ほど登り、太い枝に並んで腰掛ける。
有名なアニメに出てきそうなシーンだ。急にトウモロコシが食べたくなる。
「どこ見ても木ばっか」
「あっちの方は、微妙に小高くなってますね。山脈でしょうか」
「山越えが必要とか嫌だな。でも巨大湖があって迂回とかも嫌だし」
「自然が一番の強敵になりそうですね」
「だな」
隠密を使えば夜はゆっくり寝られる。
日中の移動も、必要と判断したら特大魔法で魔獣の討伐も仕方ないと思っている。
食料も、たっぷりマジックバッグに詰まっている。
だが自然に足止めされてしまう可能性は否めない。
「本格的な冬が始まる前に、抜けられたらいいな」
「そうですね」
枝の上で足をプラプラさせながらお茶を飲む。
どこからどう見ても危機感がないように見える二人。
水龍が去って三日間、それなりに頭を悩ませた結果、どうしようもないと現実を受け入れた。
そうなったらトコトン、自分たちらしく旅を楽しむだけだ。
「あ、写真撮っとこ」
「いいですね。自撮りしましょ、自撮り」
「若者っぽい」
「若者ですから」
木の上で二人、ハルのスマホに向かってポーズをとる。
そのレンズの奥に、赤く煌めく光が映った。





