1-3. 眠る者
淡々とハルが一人の時間を過ごしています。
『こんなところで寝るとは、さすが勇者は豪胆だ』
頭の中に響いた声に、ハルは飛び起きる。
目の前に水龍の顔があり、驚いて頭を勢いよく後ろに引いた。
――ガン!
「っっっってえ!」
後ろの壁にしたたかに後頭部をぶつけ、ハルは両手で頭を押さえて声にならない呻きをあげる。
『何をしておる』
ふんっと呆れた声を出す水龍アズリュシェド。
ハルは顔を下に向けたまま、「誰のせいだよ、誰の!」と心の中で叫ぶ。目の中にチカチカと星が飛ぶ。
治癒をかけつつ、水魔法で氷を作ってそれを後頭部に当てる。ひんやりと気持ちがいい。
「戻ってきたんだ?」
なんとか会話ができる程度に衝撃がおさまり、ハルは水龍に声をかける。
水龍は自慢気にふわりと虹色に光る翼を揺らし答えた。
『ここから一日の範囲の魔獣はあらかた狩った。一旦様子を見にきたのだが』
「え? もう? 早くない?」
『そうか? だが吾には時間がない。腐海が広がった全土を回るには、もっと早く動かねばならん』
「そっか。確かに」
いくら水龍が強くとも、大国の領土を回るには二週間は短すぎる。
ハルは立ち上がり、お尻をはらいながらテントの前に立つ。
「じゃあ、ここから移動する?」
『いや、また戻ってくる。だが遠くへ行くゆえ、お主が呼んでもすぐ答えられんこともあると告げにきた。腐海の最深部で、アホな顔を晒して寝とる勇者にな』
「言うねぇ」
『ふん』
だが水龍が起こしてくれてよかった。
水龍が戻ってくる音に気づかないほど爆睡をしていた。周囲の魔獣は龍が狩ったが、危険な場所であるのは変わらないのだ。
あの六堤の指揮官がいたら、無能の烙印を押すと共に必殺魔法を叩き込まれていただろう。文字通り、必ず殺す魔法を。
「起こしてくれてありがと。体もスッキリしたしもう寝ないから大丈夫」
『ふむ。分かった。では行ってくる』
「オッケー。イーズが目が覚めたら呼ぶから。そうしたら、狩った魔獣を回収しつつ、ついていくよ」
『勇者とは別行動の方が魔獣が狩れそうではあるが、死骸が必要ならば仕方がない』
「まぁ、そうだね。そこはイーズが起きたら相談で」
『承知した。では』
「気をつけていってらっしゃーい」
揺れる尻尾に向かって手を振り、ハルはその場で大きく伸びをする。
水龍が戻るまで一日。
そしてイーズが目覚めるまで一日とちょっと。
今度はちゃんと起きておかなくては。
マジックバッグからコーヒーとチョコパンを出し、交互に口に入れて遅い昼食を簡単に済ませる。
四年の間に慣れた賑やかな食事が、すでに懐かしい。こんな場所でも一人じゃなければ、どんなご飯でも美味しく感じるはずなのに。
コーヒーを飲み干し、息を吐く。
「よし、あれだ。異世界の森の中スタートの主人公だと思えばいい。うん。何もないところでサバイバル! 見つかる不思議植物と不思議生物! なぜか増えてく女の子!
……いや、女の子はいいや。こんなとこでハーレム作っても虚しいし」
黒の森で読んだハーレム賢者の記録を思い出し、ハルは乾いた笑いをこぼす。
でも不思議植物は見つかるかもしれないと、適当に周囲の鑑定を始める。
暇つぶしにもなるし、良い素材だったら採取して持ち帰れる。一石二鳥だ。
「お、鑑定にちゃんと国の名前が出る」
最初に目に入った遺跡の鑑定結果に、この国の名前――アズリュエス中央国が記載されている。
以前、タジェリア王都で博物館に飾られていた遺物では、国の名前は文字化けしていた。それが今はきちんと表示されるということは、正しい情報を得たからだろう。
イーズを寝かせたテントから離れないようにしながら、まずは今日過ごす場所の確認をしていく。
「んー、壁の跡、床の跡、収納庫の跡、地下道入口跡、水道設備跡……ん? 地下道入口?」
つらつらと鑑定結果を読み上げていくうち、気になってもう一度詳細な鑑定をする。
「んー、これ、水龍が言ってたやつかな。入れたとしても中で潰れてたりしたらやなんだけど」
そう言いつつ、もう一度「地下道入り口」と鑑定が出た瓦礫の位置に立つ。
地下道入り口
アズリュエス中央国の異界人用の城の地下に造られた、訓練場に入るための地下道
異界人のみが入ることが可能
「何か仕掛けでもあるのかな。だからアズリュシェドが見つけられなかったとか?」
唸りながらハルはじっくりそこを見つめる。
入りたい気持ちはある。だが、中がどうなっているか分からない。
ここは感知能力を持つイーズが目覚めるまで待つべきだろう。というか、勝手に入ったら怒られそうな気がする。
「うん、やめとこ」
にっこりと笑いながら文句を言われる未来が視えて、ゴシゴシと目を擦る。
未来視なんてスキルは持っていなかったはず。きっと幻影だろう。そう、結論づけた。
その後もハルは適度に休憩を挟みつつ、周囲の植物の鑑定をして時間を過ごした。
以前から魔力の最適化をしてきたおかげで、魔力枯渇の危険性はない。だがこんな最奥で魔力を減らしすぎるのもよくない。
大した発見もなく、程々のところで切り上げてテントまで戻る。
そっとテントの入り口を開けて中を覗く。
イーズは相変わらず目を閉じたまま。
屈んで入り口をくぐり、その顔を見つめながら鑑定をかける。
情報に変化はない。
「仮死状態で良かったな。前言ってただろ。五日間とか意識がないヒロインの色々なケアは誰がするんだって」
夢も全てぶち壊す理論に、鼻水が出るくらい大笑いさせられたことを思い出す。
イーズによれば、ヒロインは意識がなくても諸々を綺麗に保つスキルが備わっているらしい。なぜならば、いつヒーローが現れ、枕元で彼女の手を握って目覚めるのを待ち始めるか分からないからだ。
物語の隙間を埋めるにしても、色々と現実を持ち込んではいけないんだと痛感した瞬間だった。
「早く起きないと、サトが餓死するぞ」
ツンツンとイーズの指にはまったマジックバッグをつつく。鈍い光を放つ華奢な指輪が揺れる。
持ち主でなければ中のものは取り出せない。
届かないとは分かっていても、その中にいるサトにもう少しだけ待つように呼びかける。
「ダンジョンだった場所の最奥だ。きっと美味しい土がいっぱいあるからな」
サトにとっては楽しい場所になるだろうと笑う。
大丈夫。まだ笑えている。
見上げた空は少しずつ薄暗くなっていく。
木々に遮られて空はまばらにしか見えない。星の光など届かないだろう。
壁の角になった場所に陣取り、魔法具で小さな火を灯す。魔獣の興味を引いてしまわないよう、目立たない場所にした。
「ご飯、どうしようかな。スープ系はイーズの方な気がする」
考えてから、イーズからもらったラーメンを取り出す。
十一月の森の中は日が沈めばあっという間に気温が下がる。プチソロキャンプ気分を味わいながら、魔法で出したお湯を火にかけ、ラーメンを作る。トッピングはもやしオンリー。
ボンガファでは美味しいコーンが手に入りそうだったのに、あと一歩のところで惜しかった。ここから出たらバターコーンラーメンを食べるんだ。
フンフフフンと調子はずれの鼻歌を歌い、ハルは小鍋から直接ラーメンをすすり始める。
一人暮らしではよくやっていたスタイル。ジャンキーなご飯はこうやってずぼらに食べるほうがあっている。
勢いよく麺をすすり、周囲にスープを飛ばす。直鍋スタイルの唯一の欠点は、スープを飲もうとすると危険なこと。箸を一旦横に置き、レンゲでスープを飲み、ズビビッと鼻をすすった。
「あー、いいね。こういうのでいいんだよ。こういうので」
半分ほど食べたところで顔をあげる。湯気とスープでぬれた顔を袖で拭い、冷えた空気にさらした。
キャンプやグランピングを始めた友人が、自然の中で食べるとシンプルなトーストでさえ美味いと言っていたことを思い出す。
確かに、それは正しいのかもしれない。
「でもソロキャンプは無理かな」
呟いて、残りのラーメンに取り掛かる。シャキシャキとした食感が残るもやしと、インスタントのふやけた麺の組み合わせが最高だ。
こうしてハルは、腐海の最奥で久しぶりの一人の食事をそれなりに楽しんだのだった。
寝ないように時々周囲を歩き回ったり、疲れすぎないように気を付けながら、剣の素振りをしたりして夜の時間を過ごす。
若いころにオールした時にはあっという間に過ぎた時間も、一人で起きているととても長く感じられる。
やっと陽の光が差し込むころ、ハルは目覚めのシャワー代わりに水を浴びてブルブルと体を震わせた。
「あー、気持ちい」
朝の冷えた空気に、白くなった息が広がる。
すぐに水を魔法で飛ばして、カップに注いだコーヒーを温める。
見上げた空は、とても狭い。まるでハルには限られた未来しかないように、視界が狭められている。
今この瞬間でも、すでに腐海の周りには魔獣が溢れているかもしれない。
あの暴れるのが大好きな火龍の事は心配していない。土龍も、恐らく来るだろう。一級ダンジョンの氾濫の際に怪我をしたという情報は気になるが、それでも龍と言う存在は魔獣を押し戻すには十分だ。
腐海の中にいる、異常に強くなってしまった魔獣は水龍が狩っている。
多少の魔獣が腐海に舞い戻ったとしても、他の龍や人間は深追いはしたりしないだろう。
あくまで、漏れ出た魔獣が対象だ。
アズリュシェドは人間は無理をするなと言っていた。
フィーダにはこの数年間で十分なポーションを渡している。メラの時のように、彼ならば必要となればその場に適切な判断を下すだろう。
「大丈夫、信じろ。俺の力が無くても大丈夫だ。大丈夫だ」
もう一度頭の中を整理させて、ハルはすぐにでも腐海の外へと戻りたくなる衝動を抑える。
イーズの目覚めを待ち、水龍アズリュシェドと腐海の中の魔獣を倒し、そして外へ出て残党処理。
流れに問題はない。
ただ少しだけの不安は、きっとイーズが隣にいないせいだとハルは思うことにした。





