10-2. 叶わない出会い
マファスージダンジョンは良質な肉がドロップすることで知られる。
低階層でも肉はドロップするが、やはり難易度が高くなればなるほど獲れる肉も旨い。
そんな肉への欲望が増す階層で、フィーダは出現する魔獣の確認を行なっていた。
「フォレストブル、ファイヤブル、マッドブル、ウォーターブル。六十三階はブルばかりだ。群れで出られたら最悪だな」
「ブルってことは美味しい肉ですね。串焼きと煮込み料理希望です」
「串焼きね。この前、鉄串を買い足したからやってみたいわ」
今は戦略の話し合いのはずが、イーズとメラは調理法に話が飛んでいる。
そんな二人を無視して、ハルとフィーダは階層の地図を見て進む方向を決める。
異なる種類のブルは生息地も違う。そして同じ階層であっても、目まぐるしく環境が変わる。
そのため全部をまわろうとせず、最低二つの環境に絞り込んで通過する冒険者がほとんどらしい。
ほとんど。つまり、一部に例外はいる。例えば、ここに。
「えっと、マッドブルは沼地で、フォレストブルは林、ファイヤブルは火山地域で、ウォーターブルは水辺ですね。どう回るのが一番効率的でしょうか」
瞳に肉の文字をデカデカと浮かべて、イーズは地図を真剣に見つめる。
ここマファスージにいられる時間は限られている。
滞在期間を延ばす事は可能だが、水龍の問題が迫っている以上、のんびりはできない。
次回攻略が、おそらく最後となる。
「ブルは一頭が大きい上に、突進も脅威。それが群れるとさらに危険だ。環境が変われば対応の仕方も変えないといけない。難易度は高い。
危ないと思ったら倒すのはやめて、階段へのルートをまっすぐに進むからな」
「はい」
フィーダの決定に三人は異もなく頷く。
美味しいものは正義。でも自分たちの命を守ることの方が優先。
工事現場に掲げられている横断幕と同じ、「安全第一」パーティーだ。
強い風が駆け回る。
六頭のファイヤブルを追い回す何本もの竜巻。
徐々にその間隔が狭まり、ついにはブルをその輪の中に閉じ込めた。
追い込まれた魔獣たちは巨体を寄せ合い、威嚇するように頭を下げて歪に曲がった角を揺らす。
「浄化! と、吸収!」
イーズは光魔法と闇魔法を放ち、ファイヤブルの弱体化を図る。
「八割ってとこ。一箇所、出口作るよ」
ファイヤブルの体力を鑑定し、ハルは先頭で剣を構えるフィーダに告げる。
その横のメラも真剣な顔で頷いた。
「行くよ!」
掛け声とともに、ハルの手があがる。
「グルウォォオオ!」
一頭分だけ開けられた風の檻。
押し出されるように飛び出した紅い魔獣――ファイヤブル。
紅くゆらめく体が、怒りの炎を纏って突進する。
「影縛り!」
「せっ!」
「はっ!」
魔獣の足元に現れた闇魔法。
完全にその足を止めることはできずとも、ファイヤブルの勢いを殺し、体勢を崩す。
――ズシャ!
――ドシュ!
二本の剣が、ファイヤブルの胸元を切り裂いた。
「ブオオオオオ!」
響き渡る苦悶と激昂の叫び。
口の端を上げてハルが呟く。
「これで、お休みだ」
ハルとファイヤブルの間に出現した透明な壁。
一枚一枚はガラスのように脆く、薄い氷。
しかし数百を超え、千まで届けばコンクリートよりも強度が出る。
そこに時速五十キロを超える勢いで、ファイヤブルが激突した。
――ズシャアアアーーーン!!
「ギュグオオオオオオオ!」
魔法の壁が砕け散り、魔獣の叫びが上がる。
衝撃で地面に倒れ、傷ついた体を必死に立て直そうとする。
だがそれよりも前に地面から何本もの黒い影が這い出て、魔獣に絡みついた。
横向きになり、急所を晒したファイヤブル。
そこに後ろから駆けつけたフィーダとメラが止めを刺した。
「はぁっ!」
「っせ!」
「グウオオオ!」
悶える魔獣の姿は、警戒を解かずにいる四人の前でゆっくりと消えていった。
イーズが現れたドロップに走り寄り、肉を掲げて晴れやかな笑顔を見せる。
それを確認してから、フィーダはまだ風の檻に閉じ込められた残りの五頭を見つめる。
「ハル、氷の壁と最初の俺たちの剣の攻撃の順番を逆にする。激突を剣で受けると、剣が傷む。転がしてからの方がいい」
「分かった」
「イーズ、転がしてからは角が動かないように、頭部を中心に魔法で固めてくれ」
「了解です」
「メラ、右だと剣が振りにくいだろ。俺が右に回る」
「ありがとう」
一回の戦闘で微調整をかけ、四人はそれぞれ戦闘場所につく。
三人の準備が整ったのを確認し、フィーダはハルに次の一頭を檻から出すように合図を出した。
風が一箇所だけ緩む。
そこから飛び出す紅の魔獣。
四人は確実に階層の攻略を進めていた。
マファスージの街の中は魔獣襲撃の危機を乗り越え、常にない興奮に包まれている。
一番の話題の中心は六堤だが、彼らは街の中に入ることなく、後処理が済み次第、彼らの拠点である腐海警備に戻ってしまう。よって彼らの活躍は冒険者たちの口によって語られるのみだ。
そして冒険者たちが語るのはそれだけではない。どの冒険者も自分の頑張りをやや誇張しつつ、どれだけの敵を倒したか自慢をした。
それでも、最後にはこう言う――
「あの魔法使いたちには負けるけどな!」
「仕方がねえよ。ワイバーンを三十頭だぜ! 相手になんかなりゃしねえ」
「あのおっちゃん、平然と次々にワイバーンの首を刈ってくんだぜ。冷静すぎて怖えよ。何か気に障ることしたら、首ちょん切られそう」
「でも女の子たちは可愛かった。メラさん。美人なお姉さんって感じ。微笑んでご飯差し出された時には、一生俺の飯作ってくれって叫びそうになった」
「いやぁ、イーズちゃんも負けてないぜ。治療班で一生懸命動いててよ、なんかちょこまか動く子供が手伝いに来てるのかとか思ったら、あっという間に重傷者を癒してってよ。あんな血生臭い場所で、伝説の妖精を見た」
「怪我が酷いのを見て心配そうに見上げられた時には、こんな怪我してごめんなさいって言いそうになっちまった」
料理のボリュームが自慢の大衆食堂で、声のボリュームを大にして盛り上がる冒険者たち。
その隣の個室で食事をとっていた四人は肩を震わせる。
「なんでメラとイーズの名前を言えてて、俺たちはねえんだよ」
「個室で良かったですね。あっちで食べてたらまたもみくちゃにされるところでした」
「飯ぐらい落ち着いて食いてえ」
「美人のお姉さん……」
頬を赤らめて人参サラダを口に入れるメラ。
フィーダはプラウと呼ばれる米と人参、肉が一緒に炒められたものを口に頬張った後、興味深そうにそこに入っている具材を検分する。
「スパイスが利いていて変わっている。カレーとも合いそうだが、これもまた違った国がルーツか?」
「んー、レーズンが入ってる米ってどこだろう。中東かな?」
「パイナップルを酢豚に入れるのは許せませんが、米にレーズンはぎりぎり許します」
「ぎりぎりなのね。スパイスの使い方は独特だけど勉強になる」
串焼きやヨーグルトを使った麺料理など、これまでとはやや違った独特な味わいのある品々が並ぶ。
壁の向こうから聞こえる冒険者たちの話はなるべく聞かないようにして、これからの計画を立てる。
「あと二週間でマジックバッグの中の魔獣は解体班に全部渡し終わる。そうしたら西に移動だな」
「ギルドで依頼完了の手続きと、報酬と、ワイバーン肉を一部受け取って……あとはダンジョン攻略をもう少し進めたかったけど、今回はもう時間がないかなぁ」
「マンドラゴラ、会えませんでしたね」
B級階層の半分まで降りたが、結局マンドラゴラには会えずじまい。
それだけのために時間を費やすこともできず、今回は諦めることとなった。
次に向かうのはフェラケタニヘル河口に程近い街、ベレマーズ。
この街にはキュゼドバリェンジドガエシャ、通称潮吹きクジラと呼ばれるダンジョンがある。しかし現在は水龍の魔力の影響で海が荒れており、ダンジョンの最下層までの攻略はされていないと言われている。
ハルは食後のデザートのスモモにかじりつきながら、ふんふんと唸る。
「行ってみないと分からないけど、多分ダンジョン近くで水龍と接触が叶いそうな気がする」
何気なく呟かれたハルの言葉に、三人の視線が集中する。
ハルは手を魔法で綺麗にしてから、フィーダからアドガン共和国の地図を受け取り、ベレマーズを指す。
そこはフェラケタニヘルの河口に近く、そこから河を北上すれば腐海の端にたどり着く。
「水龍の影響が一番初めに出たのがこの地域だから、間違いないと思う」
「そこなら対岸からコーヒーも入ってきているかもしれないな」
「おお! 確かに。いいねいいね。この辺りは一杯三千円とかになるからなぁ。一杯数十円のドリップコーヒーが懐かしい」
「あれだけ高いと、なかなかこの辺りで広まらないのも頷けます」
ドライフルーツとヨーグルトをかき混ぜながら、イーズはハルの言葉にうなずく。
この店はヨーグルト推しなのか、サラダにも料理にもヨーグルトがかかっていた。デザートにまでヨーグルトとはある意味極めている。
「ヨーグルトにドライフルーツ入れて、一晩するとふやけて美味しいっての昔流行ったよね」
「へえ、そうなんですか」
「そうなんですよ。昔ですよ、ええ。昔のことですよ……」
「メラ、今度やってみたいです」
「そうね。ドライフルーツはお菓子にも使えるし、この辺りには種類も多いから買っておきたいわ」
「ドライフルーツもいいが、ヨーグルトはどの店だろうな」
地味に落ち込むハルを放っておいて、帰りの買い物の相談を始める三人。
ハルが作った氷が、カップの中でカランと涼やかな音を立てる。
「水龍問題、とっとと終わらせてアドガン観光を満喫したいよなぁ」
「あの、水龍がやろうとしていることに、私たちが関わる意味ってあります?」
「ん?」
首をかしげるハルに向かって、イーズはスプーンをフリフリしながら言葉を続ける。
「水龍は魔力を解放して小さくなってダンジョンに入りたいんですよね? それを止める必要はないですよね?」
「まぁ、そうだな」
フィーダの冷静な同意の声がする。
ハルは顎に手を当てて、視線だけでイーズにその先を促した。
「それで、水龍が小さくなって、ダンジョンに入れたら、腐海の中に強い魔獣だけが残っているっていう問題も解決されません?」
「あら、本当ね」
メラがあっさりと相槌を打てば、フィーダとハルが唸り声を上げる。
理屈は分かるが、頭が理解できないという感じだ。
「まぁ、そうなんだけど……何かそれでいいのかってとこだなぁ」
「このまま水龍に会わずにっていうのも中途半端だろ」
水龍に会ったら何か危険なことが起こるかもしれない。
水龍だけで解決できそうなら、そのまま水龍に関わらずに進むのもありではないか。
そんなイーズの考えだが、男性陣はそれだけでは納得できないらしい。
「水龍がダンジョンに入れるっていう確証もありませんしね」
「そこだよね。んで、入れなかった場合、また地面がえぐり取られる事態が起こるし」
ハルの意見に、フィーダは顔をしかめる。そして襟足をガシガシと掻いた後、大きく息を吐きだした。
「ファンダリアと六堤に水龍が何を試そうとしているか伝えよう。それで可能であれば水龍に確認を取らせる」
「水龍に直接って無謀じゃないかしら」
驚きに目を見開くメラにフィーダは小さく首を振る。
「水龍がどんな性格か分からんが、人間が近付いたら多少反応するはずだ。使命が人間を守ることならばなおさら」
「あー、確かに。もし大地がえぐれて人間に被害が出る可能性があるって言えば、水龍は話を聞くかも。それに水龍がどの地点からダンジョンに入ろうとしてるかが分かれば、地域住民の避難もスムーズに行くんじゃね?」
「それはいい考えですね。こっちの権力者を裏で操る。さすがハルです」
「フィーダの案だし。それに褒めてないよね?」
「褒めてます」
わざとらしいポーカーフェイスで会話をする二人に、メラはクスクスと笑いを漏らす。
食後のミントがたっぷり入った飲み物で顔をきゅっとすぼめてから、ハルは壁の向こうに聞き耳を立てる。
先ほどまで盛り上がっていた冒険者たちはいなくなったようだ。
「とりあえず、冒険者ギルドで用事を済ませている間に、ファンダリアと六堤に動いてもらうぞ。それから次にどう動くかを決めよう」
薬草の味が苦手なフィーダはレモンと蜂蜜の健康的なジュースを飲み干し、まとめの言葉をつぶやいた。
今日のお料理は中東、アフガンなどの地域です。





