7-11. 幻の島の幻のエビ
ダンジョンボス戦を終え、ハルとイーズは良質な燻製用チップを求めて工房に通う日々が続く。
フィーダは、メラにこの島に伝わる勇者の色々な逸話を聞きながら島を回っている。
イーズも少し興味があったが、ハルは全力でアレルギー反応を起こしていた。不憫だ。
アレルギーとは、体の中に物質が入ってきた時に、免疫が過剰に反応することから引き起こされるらしい。恐らくハルの中には、何か黒歴史抗体みたいなものが出来上がっているのだろう。可哀そうに。
頭の中で、血管の中を泳ぐ「黒歴史抗体」を思い浮かべて、イーズはクスリと笑う。
「何か変なこと考えてる?」
「いえ」
木工職人たちが巨大なエンシェントトレントの木から、次々と加工に適したサイズの板を切り出している。軽快なノコギリの音をバックに、二人は作品が飾られた棚を見つめる。
廃材は一部は燻製チップにするが、それなりの大きさがあれば黒の森の工芸品として売り出すようだ。
イーズが「魔獣シリーズ」と題された棚を興味津々に眺めている横で、若干の不安を感じながらハルは気になったものを見つけた。
「ん? これって魔獣? どう見てもエビにしか見えないけど」
「エビ? あ、本当だ。エビですね。お腹に一杯卵持ってるエビです」
一つの木片から彫り出したのだろうか。エビの髭や脚、抱えている卵などが恐ろしく精巧だ。
ハルは、その作品の下に置かれたプレートを読み上げる。
「ライトニングシュリンプ。生息地、二十二番。へえ、そんな所にエビがいたんだ。知らなかった」
「エビ……いいですね。半ドロにして捕まえるんでしょうか」
「ドロップも気になるけど、この卵も気になるなぁ」
「魔獣って繁殖しないんですよね。そうするとこの卵は何になるんでしょう」
「あ、確かに。ちょっと本物見てみたいかも」
そんなことを話していたら、工房の職人の一人がハルとイーズを手招きした。
五人ほどの職人たちは一旦休憩に入るようで、床の木くずの中からいくつか燻製用サイズを指して、持っていっていいものを説明する。
「この辺りのは持っていっていいぞ。大きいのは残しておいてな」
「分かりました。ありがとうございます」
「掃除のついでになるし、俺たちも楽できるからな。道具には触るなよ」
「はい。気を付けます」
普段は作業が終わってから掃除ついでに燻製用チップを集めるようだが、今日はハルたちが代わりにやるということで交渉済み。
必要なチップ以外、マジックバッグに入れていた木片を箱に移していると職人たちが戻ってくる。
「おお、速いな。ありがとさん」
「いえ。こちらも色々燻製を作るのが楽しみです」
「あの!」
職人と話していたハルの後ろからイーズはひょっこり顔を出し、職人に声を掛ける。
小さく首をかしげてイーズと視線を合わせた職人に、イーズは棚を指さしながら尋ねた。
「あっちにあった、ライトニングシュリンプって魔獣ですか?」
「ああ、そうだな」
「食べられるんです?」
「そりゃ食えるさ」
「ドロップに変わっちゃう前に捕まえるんです?」
「そうそう。毎週獲りに行ってる奴らがいるから一緒に行けばいい。あの漁は一度見といたほうがいいぞ。綺麗だからな」
「え? 綺麗?」
エビの漁が綺麗とはいったいどういう事だろうか。
ハルとイーズは首をかしげる。
職人はそれ以上言うと感動が薄れるからと教えてくれなかった。
村長とメラに頼めば許可は出るだろうと言われ、トントン拍子にその数日後には漁に行くことが決まった。
漁に行くメンバーと二十二番にたどり着き、その後ろをついていく。
二十二番は森が広がり、一見エビがいるように思えないが、奥に大きな湖があるらしい。
「湖……海じゃないってことですね」
「沢エビとも違うのかな」
「ふふっ、味は海で獲られたものと同じだと思うわ」
「子持ちエビか。食ったことないな」
「そっか。新鮮じゃないと危ないしね」
「楽しみです」
ハルとイーズは、チラチラと前を進む漁のメンバーを見ながら話す。
メラは何の違和感も抱いていないようだが、彼らが持っている道具がどうも怪しい。
タモは分かる。網目が非常に細かく、ほぼ布なんじゃないかという気はするが、おかしくはない。
銛も分かる。湖に行くのだし、他の魚に襲われたら危ないだろう。銛で刺すのかもしれない。
頭部を守るヘルメットのようなものも分かる、気はする。
だが、そのヘルメットに取り付けられた、サングラスっぽい目の防具は何だろう。
ライトニングシュリンプ。
ライトニング……何か嫌な予感がする。まさか、そんな。
そして、当たって欲しくないという予感ほど、なぜか当たってしまう。
フラグなのか。口に出さなくてもフラグは立つのか!
「うきゃああああ!」
「うぉ! うわっ! ほわっ!」
「ぐっ、くっ……!」
水面を照らす閃光に、イーズ、ハル、フィーダは身をかがめて頭を守る。
「おら、お前ら、卵、出させるなって!」
「わりー、わりー。逃げられた!」
「おら、そっち! 卵が飛ぶぞ!」
「すぐに捕まえろ!」
閃光にひるむことなく、防具を装着した男たちが水の周りを駆けまわる。
高く伸ばされたタモが、空中を飛ぶライトニングシュリンプを掬い取った。
そう、いつか話に聞いたジェリーフィッシュと同じく、ここのエビは空中を飛ぶ。
そして身に大量に抱える卵。これは卵なのだが、卵ではない。
いったい何を言っているのかと思う。
「卵落とさせるなよ!」
「光が出たら作業止まるからな!」
「おう!」
ライトニングシュリンプが抱える卵。これはライトニングシュリンプの攻撃手段だ。
その卵がシュリンプ本体から離れると、途端に光を放ち小さく爆発を起こす。
雷にもならない、小さな静電気のような光が連鎖し、空中で数百個の卵が爆発してスパークを起こす。
「綺麗だけど、怖い」
「これを優雅に綺麗だと眺められるのは、もう少し時間がかかります」
「え? 綺麗でしょ?」
「常識が非常識だな」
平然とメガネ越しに漁を見守っているメラに、三人はうつろなまなざしを向ける。
エグジールの若者は、成人前後にこの辺りに狩りに来るらしい。致命傷を与えるような攻撃力のないライトニングシュリンプ漁は、若い村人もよく参加するそうだ。
「攻撃力が無いって言っても、これは怖いでしょ」
「ハルの雷とはまた違いますね」
「見慣れてきた気もするが、積極的に漁に参加はしたくないな」
「そう? 簡単に獲れるのに」
参加する気ではいたが、半ドロのタイミングと卵の爆発のタイミングの見極めが難しい。
待ちすぎるとドロップになってしまうし、遅すぎると卵が爆発する。どんなハラハラゲームだ。
湖の端から十メートル以上離れた場所で、漁が進むのを見守る。
時々ピカピカと激しい光が出ているが、防具のおかげで大きな影響はないらしい。
「今日はエビ三昧ね。食べたい料理はある?」
「黒の森ではどうやって食べるんだ?」
フィーダの好みを聞きたかったのだが、逆にフィーダに聞き返され、メラはしばらく考える。
「揚げ物とか、そのままってのもあるわ。生のライトニングシュリンプは、たぶん黒の森でしか食べられないわよ」
「おお! 生のエビ! いいですね!」
「卵と味噌を和えて、米にかけたり、生のエビにかけたりっていうのも美味しいわ」
「生のエビに、卵をかける。それは確実に美味そうだ」
「贅沢! あー、すぐに食べたくなってきた!」
目を輝かせてメラの話を聞く三人に、メラも頬を緩ませる。
時折ピカピカと光る湖面と、その周りを声を掛けながらタモをもって走り回る男たち。
なかなかにメルヘンな光景。
「ふふっ、ちょっと楽しいですね」
「確かに。虫取りみたい」
田舎の少年のような大人たちの姿に、ハルとイーズは和んだ気持ちになる。
ちょっとあの中に参加するのは遠慮したいが、その後に美味しい料理が待っていると思えば心も躍った。
ホカホカと湯気の上がるご飯。その周りに並ぶ今日の成果にハルとイーズの顔は太陽のように輝いた。
実際には漁に参加していないし、料理をしたのはメラなので、成果を誇れる部分は一ミリとて無い。
それでも漁に同行したので、心理的には一緒に獲ったようなものだ。いささか横暴にそう結論づける。
「うわー、美味そう! メラ、ありがとう!」
「いえいえ。どうぞ召し上がれ」
「「いただきます!」」
「いただきます」
声をそろえたあと、三人はそれぞれ別の料理に箸を伸ばす。
プリップリ艶々な姿がなまめかしい生の状態のシュリンプを目指したのはハル。
さっと醤油をほんの僅かだけつけて口に放り込む。途端、目を細める。
「んんんまぁ。んまい」
舌の上に広がる甘みと弾力ある身。噛めば噛むほど口の中がエビでいっぱいになる。
その横でイーズは頭も卵も付けたままカラリと上げられたライトニングシュリンプにかぶりつく。
――ザクッ ボリボリッ カリカリ
頭と殻、脚と噛み応えのある部分の食感が楽しい。
そしてその中からはじける身と卵。
「ふううううんん! ふん、ふん!」
熱心に噛みながら、イーズはメラに向けて何度も立てた親指を向けた。
そんなメラは、生のエビと卵の味噌和えを口に運ぶフィーダを真剣な顔で見つめる。
「ふむ……」
口に入れたエビを噛みながら、フィーダは何度も小さく頷く。
フィーダの喉が動き、こくりとエビがその奥を通る。
「ふむ……美味い」
小さく漏れるフィーダの声。
それだけかとメラが肩を落とした時、フィーダの口がもう一度開く。
「最初にエビのしっかりした歯ごたえと、舌にひろがるほんのりとした香りは初めての味だ。生のエビというものはこんなにも味が濃いんだな。
それから味噌と卵がさらに味を引き立てる。卵の食感が楽しくていつまでも噛んでいたい気になる。これは新しい世界だ。黒の森にしかない味だろう」
「お、美味しかった?」
「ああ、最高に美味い」
口の端を上げてやや凶悪な笑みを浮かべるフィーダに、メラは喜びを隠すことなく顔全体を輝かせる。
机の下では何度も小さく拳を握りしめた。
「んー、これは、もうちょっと貯蓄しておきたいですね」
「今度自分たちでも獲りに行っていいか聞く?」
「あれを自分たちで……できます?」
「でも、人に獲ってもらったのを全部もらうってのもできないでしょ」
「何か交渉すればいいんじゃないのか?」
「交渉ねぇ」
あら汁に口を付けて、その香りを楽しみながらハルは視線をメラに向ける。
首を傾げたメラに、ハルは交渉材料になりそうなのは何かあるかと尋ねた。
「あ、そう言えばダスマさんが、ハルたちが持ってる炊飯器っていう魔法具のことを知りたがってたわよ。便利そうで羨ましいって」
「え? そうなの?」
「ええ。あ、もしかして教えちゃいけなかった? 本土ではどこにでもあるのかと思っちゃった」
黒の森に届く情報は限られている。
そのため見慣れないものは全て、本土では普及しているものだと思ったようだ。
だが黒の森の住民が受け入れるのであれば、ファンダリアを通して入手することは容易だろう。
フィーダはそう考えて、メラに経緯を簡単に説明する。
「これは、タジェリア王都に住むアドガン出身の魔法具師と、こいつらが共同で開発したものだ。アドガン出身の彼女ならば、米の炊き方も知っていたからな。
彼女の話ではアドガンはあまり魔法具が普及していなくて、使う人もいないという話だったが?」
「そういうことね。それは場所によるんじゃないかしら」
メラは「私も外のことはあまり詳しくないけど」と前置きをしてから、アドガンで魔法具が広まらない理由を推測する。
「魔法具は賢者様が深く関わってるけど、アドガンに召喚される賢者様はいないでしょ? その知識の恩恵を取り入れるということは、タジェリアやラズルシードのおこぼれを拾ってる気になるっていう考え方があるみたい。それに賢者様の知識というか、存在の重要さを認識しない人も多い感じもするし。
でも黒の森は違うわよ。そもそも賢者様がいなければできなかった村だもの」
「なるほどな。ダスマと村長には話を通しておこう。ファンダリアであれば、タジェリアにも伝手はあるはずだ。製品の仕様などは、生産者ギルドを通して手に入れられるだろうが」
「ありがとう!」
フィーダの言葉にメラは嬉しそうに何度も頷く。
ハルとイーズも、自分たちが開発に携わったものが広まりそうで笑顔になる。
なかなかアドガンで広まらない魔法具の知識。
炊飯器開発の利権の一部はハルとイーズが持っているが、ほとんどがパウラのもの。
彼女であれば、ファンダリア商会と繋がりを持つということの意味を正しく理解するだろう。
「ふふっ、驚かしちゃいそうですね」
「急にファンダリアが現れたら、びっくりするだろうけど、恩返しにはなったね」
「米がなければ、旅の間の食事も違っただろうからな」
お米が繋いだ魔法具師パウラとの縁。
それが彼女と母国を繋ぐ縁になってくれるのであれば、なおさら嬉しい。
イーズはほっかほかのご飯の上に海老天を乗せ、うんうんと頷きながら幻のエビ料理に舌鼓を打った。





