5-3. 現実は痛い
名称: マッシュムルム
種類: 魔植物(可食)
特徴: 暗い場所では動かないが、光を浴びると大量に胞子を飛ばす。
とりついた物体をマッシュムルム本体に擬態させる習性がある。
弱点: 火、水
「とりついた、物体を、擬態させる?」
「大きすぎじゃねぇか?」
「とってもメルヘンな光景ですねぇ」
とりわけ荷物もないので、オレニスと一緒に村の中で行っていい場所の案内をしてもらっていた三人。
その途中に見えた光景に唖然として足を止める。
マッシュムルムが大量発生したと聞いていたため、キノコがモサモサといっぱい生えてしまったのかと思った。
それは、ある意味正しい。
だが、スケールが違った。
イーズは視界に入るものを呆然と見つめて呟く。
「キノコのおうちと、キノコな人がいます」
マッシュムルムは胞子がついたものをマッシュムルムに擬態させる。
つまり、家全体がとてもメルヘンチックなキノコになり、さらに人についた場合は二メートル級の歩くキノコが出来上がる。
数棟のキノコハウスと、数十人の歩き回るキノコ人を見てイーズは何とも言えないしょっぱい顔になった。
その時、キノコ人の一人が、はた目には全く歩けなさそうな柄の部分を器用に動かし、ピョコピョコとこちらに近づいて来た。
手を上げようとしているのか、傘の一部がウニョンと裏返る。
「オレニス様! いらしてたんですね。今年もよろしくお願いします」
「……君は、誰だ?」
「おっと、ははは! これじゃ分からないですよね。第三十二番狩猟班のジュウォンです」
「ああ、君か。大変そうだが、大丈夫か?」
「いやぁ、朝起きたらびっくりです。そのうち治るとは思いますんで、ご心配なさらず」
「そうか。体調には気を付けろ」
「はい。じゃ、また後日」
「ああ」
この状況で無表情を貫けるオレニスがすごい。
変な感心をしつつ、イーズはわらわらと動き回るキノコ人を眺めてから、ハルを見上げた。
「あれって、人体に影響はないんです?」
「擬態するだけで、何か栄養を取ってるわけじゃないっぽい。大量の水で胞子を流すか、焼けばいいみたいだ」
「焼きキノコ……」
「いや、焼くのはまずいだろ。そうなると水一択か」
巨大なキノコハウスを見上げてつぶやくイーズに、フィーダは二択のうちの正解を選ぶ。
その後も何人かのキノコ人とすれ違いながら、村の中を進む。
ハルの水魔法で助けるべきかオレニスに尋ねれば、彼は静かな目でそれを否定した。
「いや、村人が慌てていないのなら何か策があるのだろう。そのままにしておいて構わない」
「了解」
可愛らしいキノコハウスを横目に、三人はオレニスの答えに頷く。
村の規模はそこまで大きくない。
だが、五階までは同規模の村がいくつか点在しているらしい。
村長も普段は五階に住んでいるが、外部からの来客が多くなるこの季節だけは一階に居を移すようだ。
「この辺りは簡素な家が多いだろう。あれはどちらかと言えば外向けと思えばいい」
「なるほどね。コテージが立ち並んでいると思えばいいのかな」
ハルの言葉にイーズも納得して頷く。
魔獣の出没が少ないこの階は、様々な物資の保管庫となっているようだ。
そのため訪問者が少ない時期でも人の出入りは多いという。
キノコ人が歩き回る村の光景に気を遠くさせながらも、あっという間に散策が終わって元の建物に戻ってきた。
「ああ! 皆さん、お帰りでしたか。今日は夕食はどうされますか? キノコが大量に入ってきましたが」
ちょうどそこへ、村長宅から顔を覗かせたダスマから声がかかる。
「キノコ……」
ぽつりとイーズが呟くのを聞きながら、オレニスはダスマへ確認を取る。
「同席者はいるのか?」
「いえ。今日は皆様もお疲れでしょうから、明日ご紹介しようと思っております」
「それならばそちらで取ろう。準備ができたら呼びに来てくれるか?」
「はい、もちろんです。それでは、夕食の時間までおくつろぎください」
そう言って村長宅の中へ戻っていくダスマを見送り、三人はほっとする。
体に疲れは出ていないが、精神的なショックからのリカバリができていない。
今日のところは自分たちだけでゆっくりと食事できることを、心の底から嬉しく思った。
一時間後、ダスマが食事の準備が整ったと呼びに来た。
村長宅の誰もいない食堂に通されると、配膳で動き回っている数人以外はいない。
「私たちもすべて料理を並べ終えたら下がらせていただきます。食事は余ったらそのままにしておいていただいて構いませんので」
「ありがとうございます」
ハルの言葉に続いて、イーズとフィーダもダスマや他の村人に向かって礼をする。
彼らはふんわりと目元を細め、小さく手を振って建物から出て行った。
ハルは気を取りなおすように、わざとらしく大きな声で気合いを入れる。
「よし! 黒の森の食事! 楽しもう!」
外観からなんとなく中には畳でも敷かれているかと思ったが、意外にも木の床とテーブルが並んでいた。
「家の中は大陸側と一緒なんですね」
椅子を引きながら誰ともなしに呟くイーズ。
「他の村人が生活している建物はもっと低い。床に座れるようになっている。そのせいか、建物に入る際に靴を脱ぐことを求められる。だから村人は脱ぎやすい靴を履いている者が多いだろう?」
オレニスもフィーダの向かいに腰掛けて説明をした。
どうやら外部の訪問者が多い場所だけ、大陸側に合わせられているらしい。
ダスマのあの雪駄姿も村の中では普通のスタイルのようだ。
「んーっと、これがマッシュムルムかな。どう見てもでかい豆腐なんだけど」
箸がふんわりと通るほど柔らかな肉質のマッシュムルムを口に入れ、ハルは驚きに目を見張る。
両面をこんがりと焼かれ、甘口の醤油と薬味がかかったマッシュムルムはほぼ豆腐。
イーズも箸の上でプルンと揺れるマッシュムルムを観察してから口に入れて、思わず「おおっ」と声に出した。
「これが、あのキノコか……」
ややおっかなびっくりでフィーダはマッシュムルムのソテーを口にして、首をかしげる。そしてしっかりと飲み込んでから感想を述べた。
「これ自体に癖はなさそうだな。添える薬味や料理の仕方で変わる気がする」
「うん。日本にもこれに似たような豆腐っていう食べ物があったけど、揚げたり、焼いたり、炒めたり、すりつぶして混ぜたりとか、沢山の調理方法があったよ。味噌汁に入れても美味しいと思う」
「万能食材ですよね。まさかキノコが豆腐になるとは思いませんでした」
「あっちでは、キノコではないのか?」
淡々と食事を進めていたオレニスだが、ハルとイーズが語る異世界の食事事情に興味を持ったようだ。
「あっちでは、大豆っていう豆を加工した食べ物で、相応の手間がかかると思った。その点、キノコなのは手軽でいいね」
「採取方法を間違えると酷いことになりそうですけどね」
「ああ……そうだね」
昼間見た光景を思い出しながら、ハルとイーズは目をうつろにさせて久々の豆腐料理を楽しむ。
味噌田楽、煎り豆腐など懐かしい豆腐料理、もとい、マッシュムルム料理に舌鼓を打ち、程よく満腹になった頃、オレニスがいつもの無表情に若干の緊張を乗せておもむろに話を切り出した。
「それで、この村の環境に拒否感などはないか?」
「拒否感? ないよ? なんで?」
黒胡麻プリンに木のスプーンを突き刺しながらハルは首をかしげる。
フィーダはすでに二個目のプリンを食べ、何度もしっかりと頷いている。
「黒の森は、外で聞くイメージと、実際に見る村人の様子に大きな隔たりがある。乖離しているというべきか」
「あー、うん。そうだね。全然違う」
「もっと堅苦しい方たちが住んでいると思っていました。いい意味で裏切られたとも言えますね」
「今のところ、黒髪じゃないからと言って嫌な気分にはされていないな」
ペロリとプリンを食べ終わり、フィーダはふわりと自分の頭皮、いや、頭皮に近い髪の毛を撫でる。
決して頭皮部分が目立っているわけではない。そうではないが、カバー力が低いだけだ。ただそれだけなんだ。
「そうか、ならいい」
安心したように小さく息をつくオレニス。
三人は一度顔を見合わせてから、オレニスのその態度の意味を探る。
「えっと、ギャップが大きすぎて受け入れられない人がいるんでしょうか?」
イーズのその質問に、オレニスは食べ終わったスプーンをゆっくりとプリンの器の横に置いて神妙に頷いた。
「ああ、かつての私がそうだった」
苦みの走る彼の表情を見て、イーズはのぞき込むように彼の瞳を見つめる。
色素の薄い彼の長いまつげの奥で、澄んだ青い瞳に影が落ちた。
そして覚悟を決めたように話し出した。
「パラッパスガスという魔植物がある」
「え? ええ」
「本土ではアスパラガスと呼ばれている」
「ああ、野菜ですね」
「私はあれが嫌いだ」
「はぁ」
嫌いな野菜について、そんなに重い口調で語ることだろうか。
イーズは頭の中で疑問符を浮かべつつ、真剣な顔で小さく相槌を打つ。
「跡取りということで黒の森に挨拶に来た年だった。仮成人の一年前、私はパラッパスガスのせいで死にかけた」
「え!? 何があったんです?」
「パラッパスガスを持った女の子が私の目の前で転倒し、助けようとして近付いたら、パラッパスガスが急に成長して私の尻の穴に突き刺さった」
「ぶふっ」
「ぐふっ」
「げほっごほっ」
咽せる三人を目の前にして、オレニスは淡々とした表情で話を続ける。
「その少女は、『パラッパスガスの仕留め方も知らないのか』と言って、私の尻に突き刺さったままのパラッパスガスの袴の部分を剥き、尻から引っこ抜いて去っていった。
ああ、『夕食が台無しになった』と文句を言われたな」
若干遠い目でオレニスは語る。
なぜだろう。胸の中から込み上げてくる熱いものがある。切実に誰かオレニスを止めてほしい。
しかしそんな願いも虚しく、彼の話は続く。
なんだこれは。百物語よりも恐ろしい。
「コンコンナッツンという魔植物がある」
「あーっと、ココナッツ?」
「ああ、そうだ。あれは、この島では子供の遊びに使われる」
「へえ、どんな遊び?」
「順番にコンコンと叩いていく。そうすると、どこかでコンコンナッツンが割れる」
「お、ちょっと楽しそう」
「そう、思うだろう」
気を遠くさせたイーズに代わり、ハルが一生懸命合いの手を入れる。
だが、オレニスが声を低くしてハルを見つめた。
ハルはぐっと体を引いて、若干たじろぎながらも頷く。
「コンコンナッツンが割れると、あらゆる物が腐った臭いが出てくる。割ってしまった場合、強制的に割れたコンコンナッツンを一日中かぶらされるんだ。あれは、吐き気が止まらなくなって苦痛だった」
「わーお」
「うわぁ」
「……ひどいな」
呆れてどう反応していいか分からず、同情のこもった視線でオレニスを見る。
その後も訥々と続いたオレニスの悲しい過去をまとめるとこうなる。
黒の森エグジールは排他的と言われている。
だが、実態は違う。
エグジールの常識が、非常識すぎるのだ。
ダンジョンという異空間での生活に慣れ切ったエグジール村民は、外から来た人たちを同じノリで迎える。
非常識な常識を信じて、訪れた人々にありのままの彼らでぶつかる。
そして、理解されずとも気にせずに自由に振る舞う。
一方で、エグジールの暮らしに馴染めなかった者はその事実を正面から認めることはできず、結局「黒の森に受け入れられなかった」と結論づける。
それが長い歴史の間に積み重なり、いつの間にか「黒の森は黒髪を信仰する排他的な集団」という、現実とは異なる噂があたかも真実として広まったのである。
なぜか鼻の奥がツンとする。
おかしい。料理にワサビは使われていなかったはずだ。
イーズは込み上げるものを誤魔化すように、目の間をぐりぐりと揉みほぐして鼻をすすった。





