3-8. 赤を纏う
男性四人が部屋を出てから、イーズはメイヤに意識して元気な親しみやすい笑顔を向ける。
「突然、うちの兄がわがままを言い出してすみません。でも同性の知り合いができて嬉しいです。イーズって呼んでください」
「はい。あの、招待席ってすっごい高いって聞いています。本当に、そんなところに入っていいんでしょうか?」
「そうなんですか? 私も値段は知らなくって……エルゲさんが手配してくれたので」
イーズが返すと、メイヤは眉をハの字にして緩くため息をつく。
お金の価値を理解していないお嬢様とか思われていそうだ。
「一般市民では一生無理と聞いています」
「そ、そんなに?」
「ええ、そんなに」
そこまで高いとは思わず、イーズは一瞬狼狽える。
だが、もうあと数時間で開催されるのだから今更どうこう言っても仕方がない。それほどに高価ならば、精一杯楽しまねば元が取れない。戦いは既に始まっているのだ。
「うん、もう席は取っちゃってるので、細かいことは忘れて楽しみましょう!」
「いいんでしょうか?」
「はい、いいんです。妹は兄に逆らうべきではないですし!」
イタズラっぽくニマっと笑うと、メイヤは一瞬目を丸くし、耐えられないと言うように吹き出た。
「ぷふっ、そうね。お兄様の言うことは聞いておいた方が良さそう」
「そうです、そうです」
うんうんとイーズが頷いていると、会話のキリが良いタイミングでパールが一歩前に進み出た。
「お着替えの部屋にご案内します」
「はい。じゃ、メイヤさん、一日楽しみましょ?」
「そうね! えっと、イーズさん? イーズちゃん?」
「呼び捨てでもいいですよ?」
「流石にそれは……」
「じゃ、“ちゃん”でお願いします」
「ふふっ、お願いされました。試合楽しみね、イーズちゃん!」
「そうですね!」
どこでどう何を調査したのか、メイヤのサイズにピッタリ、しかも彼女の雰囲気や好みにドンピシャのワンピースが着替え部屋には用意されていた。
――靴もあるけど、多分これもサイズ合ってるんだろうな。
わずか二日でここまで整えるエルゲの手腕に感心するとともに、恐怖に背筋を震わせるイーズ。
心の中でハルとフィーダが無事に戻ってくることを願う。
「一番通りのルキュレの新作だわ」
壁にかけられたワインレッドと金の刺繍が入ったワンピースを見て、メイヤが震える声で呟く。
手を伸ばそうとして、触れる寸前に引っ込めた。
ワンピースの前で立ち尽くす彼女の横にパールが並び、一歩前にそっと押し出す。
「こちら、本日のメイヤ様のお召し物となります。今日の礼にと、そのままお持ち帰りになってほしいとハル様より言付かっております」
おそらくエルゲの指示によるものだが、ここは立場的にハルが決定したことになっているのだろう。
ワンピースに視線が釘付けになっているメイヤに悟られないようにパールと視線を交わし、イーズは問題ないと頷く。
「パールさん、私の服も届いています?」
「ええ、こちらです。二点ありますので、お選びください」
パールに連れられて入ったもう一つの部屋には、雰囲気の異なる二着のワンピースがかけられていた。
「火魔法の選考会ですので、赤を入れられる方が多くいます。
イーズ様の雰囲気からこちらはオレンジ色の色味が強く、どちらかといえば蝋燭に灯された赤のイメージです。
そしてこちらは黒髪の方が好まれる赤で、深紅の深みがあるお色になっています」
一着目は太陽の暖かさを感じられそうな優しい赤に、ところどころ花のモチーフが散らされた若々しいワンピース。
二着目は黒をベースに、濃い赤の生地が胸元や腰まわりに品よく重ねられた大人っぽいワンピース。
全くタイプの違う二着に、イーズはグッと詰まる。
この地域では黒を纏うのは黒髪を持つ人だけと聞く。黒を誇りに思うならば、迷わず二着目を選ぶべきだが――。
十七歳としては背伸びして大人っぽく見せたい気持ちもある。だが昼間に行われる選考会では、夜を彷彿させる黒よりも太陽の方が場にふさわしいと感じた。
「こっちの明るい方にします」
「畏まりました。お着替えのお手伝いはどうされますか?」
「一人で大丈夫です。メイヤさんの様子を見ていていただいてもいいですか?」
「はい。では、何かありましたらお呼びくださいませ」
軽く礼をして部屋を出るパール。
扉が閉じられた後、イーズは着ていた冒険者服を脱ぎさっさとワンピースに着替える。
ノースリーブワンピースの上からは、レースで編まれた長袖のボレロを羽織った。
低いヒールの靴を履き、姿見に向き合ったところで首元に手を当てる。
「赤だったら……」
イーズは呟いて、マジックバッグから小さな巾着袋を取り出す。
傾けると流れ出る銀色の輝き。
指で鎖を摘んで持ち上げると、ペンダントトップの重さでシャラリと赤い石が煌めいて揺れた。
十六歳の誕生日祝いにハルからもらったネックレス。
冒険者活動中は落としそうで怖いし、普段でも綺麗目の服を着る機会がなくて合わせられなかった。
でも今日の服装ならば。
首の後ろに手を回してネックレスの金具を止め、ペンダントの位置を直す。
鏡に映るのは艶やかな長い黒髪を持ち、深みのあるオレンジ色のワンピースを着た女性。
十四歳の頃とは違う、ちゃんと成長した自分の姿。
それを確認して、口元にニンマリとした笑みが浮かぶ。
「ん? こっちかな?」
今の服装にその笑顔は似合わない。慌ててもう一度笑顔を作り直す。
頭に浮かぶのは、エンチェスタで出会った副クランヘッドのリゼルティア。お茶目な笑顔や、華やかな笑顔が魅力的な大人の女性。
何回か鏡の前で練習をして、今の自分に合う表情を探す。
笑顔は女の武器。ここぞと言う時に使って、クリティカルヒットを狙わねば。
「見てなさい」
フフンと鼻で笑う姿は、どこからどう見ても普段のイーズそのものということに気づいていない、残念なイーズであった。
着替えが終わって部屋から出ると、メイヤはすでにワンピースを着てパールに髪の毛を整えてもらっているところだった。
「うわぁ、メイヤさん、素敵です」
緊張した面持ちではあるが、背筋を伸ばしてまっすぐ前を見る姿はとても美しい。
「ありがとう、イーズちゃん。憧れのワンピースが着れてとても嬉しいわ」
「有名なお店なんですか?」
ヘアアレンジをするパールの邪魔にならないようにしつつ、メイヤの視界に入る位置に移動する。
「クラッテラで最高の技術とデザインで、流行の最先端を行くルキュレよ。布地の染色技術も素晴らしいし、刺繍も最高。この布も一枚一枚濃さを変えてあるし、こっちの重なるところの刺繍なんて芸術だわ。
脇の部分の動きも自然だし、ただの見た目だけじゃなくて着る人の事を考えているデザインなの。それから……」
「メイヤ様、申し訳ありませんが、お顔を上げていただけますか?」
「あ! すみません!」
ワンピースの魅力を語るのに夢中になり、下がっていたメイヤの顔の向きをパールがそっと直す。
メイヤはもう一度背筋に力を入れて鏡に向き直った。
「素敵ですね」
「ええ、とっても素敵」
「いえ、メイヤさんが素敵です。自分の好きなものにそれだけ夢中になれるのはとても素敵だなって」
ニコニコと純粋な笑顔を向けられ、メイヤは視線をせわしなく彷徨わせた後、小さく「ありがとう」と呟いた。
二人の準備が整い、最初に通された部屋に戻るとすでにそこには男性三人が支度を整えて戻っていた。
ネイソフはグレーを基調とした奇抜過ぎない三つ揃えのスーツを着ている。ところどころに取り入れられた赤や金の刺繍により、メイヤと並ぶと二人の衣装が揃いのデザインだと分かる。
そして二人はお互いが目に入った途端、見つめあったまま固まってしまった。
普段ならばここでハルが何かツッコミを入れる。
静かなままの室内に首を傾げ、イーズは視線をハルとフィーダのほうへ移した。
「ぶふっ!」
イーズの口から盛大に空気の塊が飛び出す。
その音に、固まっていたネイソフとメイヤも体を震わせてイーズの視線の先を追った。
すでに知っていたネイソフの反応は薄いが、メイヤも吹き出しそうになって慌てて口元を押さえる。
「イーズ、どうにかしてくれ」
「イーズ、すまん。だが、これは酷い」
「ぶふふふふ。な、何の事だか?」
スラックスを履いているネイソフとは異なり、何故かハルとフィーダは真っ赤なピッタリタイツ。
フィーダのむっちむちの太ももも、ハルのプリンとしたお尻までくっきりわかるタイツである。
しかも、上着は太陽のように明るい黄色。中世の貴族もびっくりなコーディネートだ。色合い的には、あんパンな顔を分けてくれそうなヒーローでもある。
「ふふふふ。ひ、火のお、お祭りには、ふふっ、あ、合ってるんじゃないですか?」
「冗談じゃねえ。こんな格好なら外でねえぞ」
「イーズ、お願いだからさ。許してくんない? ていうか、エルゲも酷いんだって。これしかないって一点張り。客に対する態度じゃないよね?」
「ぐふふぐふっ、ふふっ、ふふふっ、ハル、ちょっと今は喋らないで。やばい。めっちゃやばいです」
「くそ、覚えてろよ」
笑い転げながら、イーズはさり気なくエルゲに向かって親指を立てる。
エルゲも体の前で組んだ手をすっと動かして、同じように親指を立ててみせた。
なんとかイーズの許しを受け、エルゲによって差し出された本当の着替えを受け取りハルとフィーダはもう一度部屋を移動した。
イーズはネイソフとメイヤを促してソファに座り、無邪気にネイソフに話を振る。
「メイヤさん、とっても綺麗でしょう?」
「あ、うん。はい、すごく綺麗だ。いつも裁縫店の店員だから綺麗にしてるけど、今日は……何ていうのかな、凛としててかっこいいよ。ごめん、うまい誉め言葉が見つからないくらい、綺麗だ」
「うまく言わなくったっていいの。ネイソフにそう言ってもらえるだけで満足よ。あなたも素敵にキマってる。今日はすごく楽しめそう」
「そうだな」
「あなたのおかげよ」
「はは! ハルさんたちのおかげだけどね」
会話を進めるうちに、いつもの二人の調子に戻ったのだろう。良い意味で力が抜けたようだ。
「あー、こっちのほうがまだいい。なんかビラビラついてるけど、まだまし」
「お坊ちゃん度が増したな」
「タイツよりはいい」
「そこは同感」
どれだけタイツでいるのが苦痛だったのか、あっという間に着替えを済ませてハルとフィーダが戻ってきた。
二人とも今度はタイツではなく、ネイソフが着ているような三つ揃えのスーツ。
ハルのジャケットは銀色の布地で胸ポケットにはオレンジ色のハンカチーフが入れられ、ボタンは赤い糸でとめられている。
本人がぼやいているように中のシャツは若干のフリルがあるが、線の細いハルには似合っている。
対するフィーダは護衛としての立場から逸脱しすぎない、目立たない焦げ茶のジャケットとスラックスだ。
「二人とも似合ってますよ」
「ありがと。イーズもいつにも増して綺麗だよ」
「エルゲさんの教育が効いていますね」
「そこは言うな」
「ふふっ、でもありがとうございます」
ハルの視線がサラリとイーズの首もとを撫でる。そして耳の下を掻いてから、少し照れ臭そうな微笑みを浮かべた。
そしてイーズの口元も自然と綻ぶ。鏡の前で作った笑顔よりも、今のイーズに似合う柔らかな笑みだった。





