13-8. 人の縁
色鮮やかな果実と一緒に美しく固められたワインゼリーを堪能し終え、フィーダは手に持ったスプーンを器の脇にそっと置く。
「この街に滞在している間にまたダンジョンに行こうと計画していたんだが、もし休眠を早めてしまう可能性があるならやめた方がいいだろうか?」
フィーダの質問に少し思案した後、トゥエンは軽く首を横に振る。
「いや、そのまま攻略を続けて構わない。君たちはマジックバッグ階には行かないんだろう?」
「ああ。行くつもりはない」
「魔力が大きく偏り過ぎている状態もあまり良くないと思っている。魔獣が多く出ている階の間引きは必要だ」
「分かった。では、六十五階よりも上までを攻略することにする」
「頼んだ。この街のクランの者はすでにマジックバッグ階から手を引いている。もしかしたらバランスが戻る可能性もあるかと……望みは薄いが」
クランはこの街に根差しているシステムだ。目先の獲物よりも、この街への影響を考えた行動をとったのだろう。
フィーダは小さく頷いて、とっくに食べ終わっていたフェリシェに話を向ける。
「杖ができるまではこの街にいる予定だ。杖をリーディアさんに頼むことになったから、生産者ギルドの宿舎を出ることになるかもしれん。
移動する場合には連絡するから、また食事にでも誘ってくれ」
「おう! 美味い店はいっぱいあるからな! 任せておけ!」
胸を張って答えるフェリシェ。今日はあいにくフィーダのグルメレポートが出なかったので、次回乞うご期待だ。
そうなると、自分たちの予定はハルの杖作成を中心に立てていくことになる。それを理解したハルは食後のお茶をゆっくり飲んでいるリーディアに声をかけた。
「リーディアさん、杖の打ち合わせにはこちらへ伺えばよいでしょうか?」
「ええ、道具なども今はクランハウスから全部こちらに引き上げてあるので、こちらに来ていただけると嬉しいわ」
「分かりました――フィーダたちはどうする? 俺の杖の打ち合わせにずっと付き合ってもらうのも悪い気がするんだけど」
これまでもナグドバに職人を紹介してもらうたびに三人そろっていたが、ずっと一緒にいてもらうのも心苦しい気がしてハルは二人に確認する。
「どうしましょう。魔法器具はハルも一緒に見たいでしょうし」
「アドガンの情報を集めに商会に行くか? 何軒か回ってまたハルを連れていけばいいだろう」
「アドガンの? 皆さん、アドガンに向かわれるんですの?」
リーディアが首を小さくかしげながら尋ねる。その横でトゥエンも興味を示すように眉を上げた。
「ええ、南下してアドガンに行こうと思っています。アドガンに何かあるんですか?」
「いや、アドガンに何かあるわけではない。アドガンの情報が欲しいなら、長男の嫁の商会に行くといい。あそこはアドガンとの取引が中心だ」
「あなた、いっそのことツェッリさんに来ていただいたらどうかしら? ハルさんが打ち合わせされている間にお話しできるでしょう?」
「ふむ……それも良いか。商品を見るわけではなく、情報が欲しいのだろう?」
「商会も見てみたいとは思うが、じっくり話をする場をいただけるならそれも嬉しい」
「まぁ、ツェッリのことだから商品を持ってくるだろう。興味を持ったら、打ち合わせ後に実際に商会に行けばいい」
どうやら義理の娘は商売精神旺盛な人のようだ。
少し苦笑いしながらトゥエンが言うと、リーディアも楽し気に微笑む。
「打ち合わせは一回目が一番長くなります。二回目以降は製作工程に合わせて来ていただくことになりますので、都度連絡させていただきますわ。
そうですわね……ツェッリの予定もあると思うので、初日の日程はまた今度ご連絡させていただくのでもよろしいかしら?」
「はい、私たちはしばらくはダンジョンにはいかない予定ですので、いつでも大丈夫です」
二日後には万能薬が完成し、剣士ホウセンが目覚めるだろう。
その後いつ彼と会うことになるかは分からないが、一ヶ月攻略を進めた疲れをしばらくは街の中でゆっくり癒そう。
三人はこの街についてからの騒動がとりあえずは終わることに少なからず安堵した。
「イーーーーズちゃーーーん! 待ってたのよ! これ! これ! これどう!?」
「ツェッリさん……また来てたんですか。イーズは今……消えましたね」
「あ! またいなくなったわ! ハル君、どっか隠してない? ポケットに入ってない? あ、口開けて!?」
「いや、イーズがチビでも流石にそんなとこには無理です」
「そう? でも手乗りイーズちゃんとかポケットイーズちゃんがいたら可愛いわよね。は! 早速作ろうかしら?」
「ダメーーー!!」
「あ、出てきた」
「イーズちゃん!」
半泣きの顔でハルの前に飛び出してきたイーズ。
その正面にいる女性の名はツェッリ。“盾波”クランヘッドのトゥエンの長男の嫁だ。
そしてイーズのストーカー、いや、大ファンである。
彼女の父親が商会長を務めるイルファン商会は、フィーダが以前この街の商会を調べた際に“中立派”として挙げていた商会である。
主にアドガン共和国の製品を取り扱い、エンチェスタダンジョンに強く依存していない。もちろん、エンチェスタの市民が客である限り、経済が滞れば影響が出るのは必至。そのため反対はしないが賛成もしないという、実に曖昧な立場をとっているようだ。
ちなみに、ツェッリがトゥエンの長男と結婚した際、“盾波”クランと付き合いが強かった商会と揉めたとかで、ツェッリ自身はクランの業務には一切関わっていないらしい。
そんな彼女がイーズにベタ惚れした理由。それは――どうやらサイズ感。
「イーズちゃん! 今日もちっちゃくって可愛いわね! ね、今日は素敵な青い生地持ってきたのよ。ぜひイーズちゃんに着てみてほしいわ」
「うひぅ……」
ツェッリの勢いにイーズの口から不思議な悲鳴が漏れる。
体半分をフィーダの後ろに隠し、それでもツェッリの話を聞こうとするイーズ。
ここで彼女に自由にさせると変な商品を生み出すかもしれないという恐怖から、完全に逃げ出せないようだ。
「あー、ツェッリ。俺たちはダンジョンから戻ったばかりで疲れている。話はまた今度にしてくれないか」
イーズに必死に背中のシャツを握られ、フィーダはツェッリに断りを入れる。その後ろでイーズは激しく首を縦に振り続けている。
ツェッリは手に青い生地を持ったままフィーダの言葉にふと止まった。
「そう、そうね。イーズちゃんが疲れていたらもっと小さくなっちゃうわ。それはそれでいいけど。
分かりました。じゃあ、また明日!」
「いや、俺はまた今度と……」
フィーダが言葉を返す暇もなく、その場から去っていくツェッリ。
怒涛のような数分に、全員の口から大きなため息が漏れた。
「ふぅ、行きましたね」
「イーズ、完全にロックオンされてるな」
「色々な情報をくれるし、商品も見せてくれるからこっちは助かってるが」
「フィーダ、酷いです……」
「いや、さっきちゃんと助けただろ!?」
恨めしそうな目でイーズに見られ、フィーダは慌てて弁解する。
イーズは未だにフィーダの背中側で彼のシャツを握ったままなので、フィーダの脇の下から彼の顔を見上げるという不思議なポーズだ。
そんな二人を見て、ハルはクスクス笑いながら宿舎の中に足を踏み入れる。
結局職人を紹介できなかったことで、恐縮したナグドバからそのまま無料で宿舎を使って良いという許可をもらっている。
だが、まだまだ対価として全く釣り合っていないらしく、今度コンテナハウスの改装をしてくれる職人を紹介してもらう予定だ。
「ツェッリさん、いい人なんですけど、少し間が空くとインパクトが強くて……」
「あの人も話してる間に落ち着くんだけど、今日は久しぶりだったから興奮がすごかったのかもね」
「あの布はアドガンの最高級品じゃないか? 瑠璃紺というやつだ」
部屋に着き、腰をかがめてサトに毛布を渡していたイーズが驚いたようにフィーダを振り仰ぐ。
荷物を片付けていたハルも気になったように手を止めた。
「イーズの服を作るような雰囲気だったけど?」
「この前にも着心地良さそうなシャツを作ってもらったばかりなんですが」
「それは知らん。ツェッリ自身の個人的な趣味なんじゃないか?」
「イーズ、貢がれてるぞ」
「うぅぅぅ、嬉しくないです」
日向に自分の寛ぎ場所を決めてコロンと転がるサトに目を細めつつ、イーズはムスッとした顔で勢いよく椅子に座る。
純粋に好意を持ってもらっているのは嬉しいが、あまりの勢いにイーズ自身が押されてしまってどう反応したら良いのかわからない。
そんなイーズの髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き回し、ハルは柔らかな声で尋ねる。
「オーデリヤさんやエレネさんも良くしてくれてたのに、何か違うの?」
「……小っちゃいおもちゃみたいな、着せ替え人形みたいな扱いがちょっと苦手です」
「オーデリヤさん達もだいぶイーズの髪の毛や服で遊んでたと思うけど?」
“天賦”の賢者が作成したヘアカタログを見ながらオーデリヤにツインテールにされたり、サイドだけを細かい三つ編みにされていたのを思い出しながらハルは呟く。エレナも自分のファンに貢がれた貴金属や服でイーズを着飾らせていたように思う。
「オーデリヤさんたちは、そうなる前から知り合いだったから受け入れやすかったのかもしれないです」
「じゃあ、ツェッリさんとも時間をかければ苦手意識がなくなりそう?」
ハルの質問にイーズは押し黙る。
眉の間に小さな山ができているのは、そのままイーズの感情の表れだ。
「苦手なら無理に付き合うこともないぞ。必要な情報は十分得たからな」
ツェッリから入手した情報や、イルファン商会に何度か通って特産物などはもう確認ができた。もちろん、烏龍茶や和食用調味料や米も購入済みである。
細かな地域の特徴などは、エンチェスタを出て南下しながらもらった資料で勉強する予定になっている。
イーズは山の間にさらに深い渓谷を作りながらポツリと「大丈夫」と言う。
今度はグッと口を富士山にし、現実と向き合う覚悟を決めるイーズ。
「ツェッリさんが言うには、アドガンだと幼い子供は守る対象で、小柄な女の子はモテるって聞きました」
「ああ、そうらしいな」
すでにその話を聞いていたフィーダは軽く頷く。
「そうなると、私は向こうでモッテモテで貢がれまくりになるかもしれないという可能性も無きにしもあらずというやつらしいっぽいです」
「そう、かもしれないね?」
必死に断定を避けるイーズの言葉に、ハルは首を傾げながら微妙な相槌を打つ。
「だったら、ツェッリさんで耐性をつけておくのも必要じゃないかと思いません?」
「まぁ、慣れておくのはいいかも?」
「女だけじゃなくて男もいそうだがな」
「……フィーダ、そこは黙っておいてほしかったです」
心底恨めしそうな顔でイーズはフィーダを睨みつける。
フィーダはイーズの眉間にぐりぐりと人差し指を当てながら、声もなく笑いを漏らす。
「変な男からは守ってやれるが、女はこっちからは手出ししにくい。イーズが言う通り、今のうちに距離感やかわし方を覚えておくのはいいだろう」
最後にイーズの意見を尊重するフィーダに、イーズは顔をふにゃりと緩ませた。
「さ、明日はクランハウスだ。ホウセンが目覚めて一ヶ月。どうなってるか見に行くぞ」
「攻略前に会った感じだと、順調に回復してたけど左手には慣れたかな?」
「あの人なら、きっと片腕でも頑張ってそうですね」
イーズはダンジョン攻略に行く前に顔を合わせた、生真面目そうな剣士を思い浮かべる。
三月も半ばを過ぎ、タジェリア王国南部に位置するエンチェスタには春の芽吹きがもうすぐそこまで迫っている。
自分たちがこの街を去る時、あの剣士に希望が訪れるかどうか。
それを明日、見極めるのだ。





