13-7. 街に生きる者
トゥエンは庶子だが黒髪で生まれたため、父親が無理矢理母親からトゥエンを奪い貴族として育てられた。
だがその出自ゆえに冷遇されていたトゥエンは、成人前からダンジョンに通っていたという。
そして親によって決められた結婚で妻となった貴族女性はトゥエンを野蛮だと罵り、一度も夫婦として共に生活することなく別の男と子供を作り街から出ていった。
そんな彼を家族は慰めるどころか罵倒した。
それを切っ掛けにトゥエンは貴族籍から抜け、冒険者として本格的に活動するようになった。
その頃に出会ったのが、今の妻であるリーディア。
付与魔法という希少なスキルを持っていた彼女だったが、そんな彼女もまた家族から不当な扱いを受けていた。
魔力が枯渇するまで付与魔法を使い、ただただ作品を作らされる日々。しかし高額で取引されたその作品の代金は、リーディアの手に渡ることはなかった。
彼女の存在をトゥエンが知ったのは、彼が冒険者として注目を浴びるようになり、多くの商会にドロップを売っていた時だった。
どの商会にも高額で並ぶ付与魔法が施された作品。それを見て、職人に会いたいと願った。
そして、彼女が置かれている状況を知った。
「旦那様が私を家族の下から連れ出してくださったんです。何が悪いのかも分からない状態だった私に、ゆっくり休んだり温かな食事を出したりしてくださいました。
旦那様がいなければ、私は生きていなかったと思うのです」
頬を薄らと染めて出会いを語るリーディア。
その横では、明らかにワインのせいではないほど真っ赤に顔を染めたトゥエン。
だが彼は妻が楽しそうに客と話すのを止めようとはしない。
――リゼルティアさんが憧れるのも分かる気がする。
歳を重ねて、二人の髪色は元の黒髪と金髪から同じ色に近付いている。
ふふふと軽やかに笑うリーディアの姿に、イーズも自然と頬が上がる。辛い経験をしてきたのを感じさせない、人を明るくさせる温かな存在だ。
時々おしゃべりを交えながら夕食は進む。
時間をかけて柔らかく煮込まれたボア肉。ダンジョン産の葉で蒸し焼きにされた鯛に似た魚。
クレープのように薄い生地とチーズを重ね、オーブンで焼き上げられ、さらに素揚げされた野菜で彩られた美しい一皿。
急な客を出迎えるにしては完成度の高い料理が次々と出され、イーズは胸もお腹もパンパンだ。
「ハル、これ以上食べたらデザートにたどり着けません」
悔しげにナイフとフォークを握りしめて言うイーズ。それを聞き、ハルはそっと空いた自分の皿とイーズの皿を交換する。
マナー違反ではあるが、ここにいる全員冒険者への理解はある。無作法を咎められることはないだろう。
「――そういえば、先ほどの枝ですが、もしかしてイーズさんも魔力を渡されました?」
二人の様子を見ていたリーディアがふとイーズに話を振った。
イーズはその質問に素直に頷く。
「はい。一緒に枝ももらいました」
「あら、イーズさんもなのね。イーズさんは魔法杖はいらないのかしら?」
リーディアに尋ねられ、イーズは少し返答に困る。確かにすでに松葉杖を形状変化させたバングルがあるため、魔法効果を向上させる杖はいらない。
だが、それ以外にもイーズにはある理由があった。
「私にはすでに杖があるので、必要ないんです。それに――トレントの枝が、私には合わない気がするんです」
「合わない? でも、イーズがもらった枝だろ?」
イーズの答えに、ワインを美味そうに飲んでいたフェリシェがテーブルに行儀悪く頬杖をついて尋ねる。
一方、フィーダとハルは初めてそんな事を聞き、驚きを隠せない。
「合わない……ハルさんはその枝に触れたことは?」
「いえ、ないです」
「申し訳ないけど、触って確かめていただいてもいいかしら? お持ちの枝と何か違う感覚があれば教えていただきたいのです」
「分かりました」
ハルは頷き、隣に座るイーズに体を向ける。まだ食事の最中だが、トゥエンがリーディアを止めないということはこの場で確かめた方がいいのだろう。
イーズも体を横に向け、ハルが差し出した両手の上にそっとトレントの枝を乗せる。
その瞬間、ハルもイーズの言う「合わない」の意味を感じた。
「これは……確かに、何か違う気がします。受け入れられていないと言うか……もう一方の枝を持った時には、体の一部のように感じられました。だけど、これは腕に包帯を巻かれた時みたいな窮屈さがあります」
言い終えたハルは枝をイーズの手の中に戻す。
イーズはその枝をキュッと握ったままリーディアの方へ向き直った。
「リーディアさんは、何が原因か分かりますか?」
イーズがそう尋ねた後も、リーディアはじっと枝を見つめて思案し続けている。
全員の料理を食べる手は完全に止まり、リーディアに視線が注がれていた。
そしてしばらくの逡巡ののち、リーディアは視線を枝からイーズへと移しておずおずと切り出す。
「イーズさん、失礼な事を、お尋ねしても良いかしら……」
「え? はい。教えてほしいと言ったのは私ですので、聞きたいことがあれば遠慮なく聞いてください」
しかしリーディアはイーズがそう言った後も躊躇するように、ハルとフィーダにも視線を向ける。
「えっと、ハルさんとイーズさんには血縁関係は?」
「あ、その事でしたら気にしないで大丈夫です。私たちは家族として行動していますが、全員血のつながりはありません」
「そう、でしたの」
安心したように胸を撫で下ろすリーディア。だがそれはイーズの質問の答えになってはおらず、イーズは首を傾げる。
それに気づいたリーディアは慌てて説明を始めた。
「その枝を将来どこかで必要とする人が現れます。多分、イーズさんであれば、その人に会った瞬間に理解するでしょう」
「将来? これは誰か他の人の杖になるんですか?」
「はい、その通りです」
リーディアの真剣な表情にイーズは押し黙る。
自分が受け取った枝が、誰か他の物になる。どこか納得できないが、実際手の中の枝は「イーズの物ではない」と主張している。
イーズは小さくため息をついて枝をマジックバッグにしまった。
そして顔を上げてリーディアと視線を合わせる。
「分かりました。いつか、この枝の持ち主と出会うまで大切に持っておきます」
「はい。そうしてください」
ホッとした表情で微笑むリーディアに、イーズも肩の力を抜く。
そんな二人の様子を見ていたハルは、唐突にあることに気づいてしまった。
リーディアが血縁関係を尋ねた意味。
いつか現れる枝の正当な持ち主の存在。
驚きとともにリーディアを見ていると、その隣に座っているトゥエンが視界に入る。そして目が合った瞬間、ニヤリと彼にしては意地悪な笑みを浮かべた。彼も、リーディアの質問の意味に気づいてしまったのだ。
ハルはがっくりと肩を落とし、食事中だというのに熱を持って赤くなる頬を両手で隠して大きくため息をつく。
「ハル、どうしました?」
そんなハルにイーズが慌てた様子で顔を覗き込もうとする。だが今は一番そっとしておいてほしい。
「あー、うん、大丈夫。大丈夫。うん、大丈夫」
「全く大丈夫そうじゃないんですけど」
「うーん、きっと大丈夫になるから。うん」
両手で顔を隠したまま唸るハルは、両手の隙間からちらっとイーズを見る。
眉を寄せて不安げにこちらを見上げてくるイーズに、ハルはふっと力をぬいて右ひじで頬杖をつく。
「うん、大丈夫」
「そうです? 気分悪くなったら言ってくださいね」
「ありがとう」
頬杖を突いたまま、左手でゆっくりとイーズの頭をなでる。くすぐったそうに目を細めて笑うイーズにハルの口から苦笑が漏れた。
――うん、とりあえず、何も考えないでおこう。
ハルは一旦思考することを放棄して、問題を先延ばしにすることに決めた。
止まっていた食事が再開され、食後のデザートを楽しんでいるころ、フェリシェがフィーダたち三人のこれからの計画に話題を振る。
「あんたらは、ダンジョンが休眠するまでいるのか?」
「いや、ハルの杖が完成したら次に移動する予定だ」
「まぁ、休眠したら街がしっちゃかめっちゃかになるだろうからな。その前に出ていた方が無難かもな」
「しっちゃかめっちゃか? 何か騒ぎが起きるということか?」
フェリシェの表現に不穏なものを覚えるフィーダ。
そこにクランヘッドが落ち着いた声で、彼が目覚めてからの話を始めた。
「実際にダンジョンに潜り、休眠が近いことを確信した。他のクランヘッドとも会合を行い彼らも同じ意見に達していた。
それを貴族院、市民議会、全ギルドに通達を出した。反応はそれぞれ違ったがな」
市民議会と生産者ギルドはクランの意見を支持した。
だが商人ギルド、冒険者ギルドは不確定な情報だとして却下。
「貴族院は真っ二つだ。冒険者の話を信じないという態度の者と、商人ギルドの力を削ぎたい者で意見が分かれている」
「この街では商人ギルドの力が強いと聞きました。それは貴族よりもということでしょうか?」
ハルの質問にトゥエンは重々しく頷く。
「貴族も商人ギルド無しには貴族としての面目を保てない。商人ギルドは領主よりも強いと言っていいだろう」
「それほどまで……トゥエンさんは休眠により、その力関係が変わるとお思いですか?」
「ああ、確実に。今、商人ギルドの内部調査を別都市の商人ギルドに依頼しているところだ。
ギルドは領主の権限のみでは動かせないが、同じギルドであれば確実に調査される。特に商人ギルドは信用が大事だ。隅々まで調べられるだろう。もちろん、ハル君が報告してくれた件もだ」
確信を込めて言うトゥエンにハルは安堵のため息をつく。
「休眠が始まると、ダンジョンに依存していた食料や素材などの物流が滞る。そこには商人ギルドが必要だが、今の状態では正常に機能するか分からん。
貴族院の上部には今のうちに『氾濫に備えて』という名目で物資を集めさせてはいるが、二十年ももつはずはない。これからの二十年はエンチェスタにとって辛い日々になるだろう。
もっと早く気づけていたらとは思うが――悔やんでも仕方がない」
手に持っていたグラスからゆっくりとワインを飲み、疲れたようにトゥエンは長く息を吐きだした。
その隣に座るリーディアがそっとその腕に触れる。トゥエンもワイングラスを置き、妻の手に自分の手を重ねた。
ジャステッドで休眠作戦が実施された際には、領主が主導して何年もかけて準備をしたという。
ところが、エンチェスタでは商人ギルドや冒険者の反対により休眠作戦が何度も引き延ばしにされてきた。今回の突然の休眠の知らせに対し、全く準備ができていないに等しい。
「商人ギルドから何か補償は受け取れるのでしょうか」
「分からない。ある程度の融通は利くだろう。王都への連絡はすでになされた。国も休眠が起こった街への援助を出すはずだ」
すべてがエンチェスタだけの問題ではない。国として、エンチェスタに住む国民を守らなくてはいけないのだ。
最初の数年は厳しいものとなるだろう。エンチェスタに着いた日に見た、春を謳歌するように思えた街は、凍てつく寒い冬に閉じ込められる。
自然と暗くなっていくハルたちの表情に、トゥエンはあえて強い言葉を発する。
「君たちはただの旅する冒険者だ。ここからはこの街、ここに住む私たち住民の問題。君たちが関わっても何が変わるわけでもない」
トゥエンの意思のこもった瞳に、フィーダ、ハル、イーズの背筋がピンと伸びる。
「あんたらはさ、旅を続けな。クランはたぶん解散になる。冒険者が来なくなるからね。商人も職人も多く離れる。
だけど、この街に残るやつらだっていっぱいいる。そんな人たちのために動く奴らも大勢いるさ」
朗らかに笑うフェリシェ。おそらく彼女の弟であるフェリペ神父は“残る側”だ。きっと彼女も街の人たちのために残ることを選ぶのだろう。
イーズは歪んでしまいそうになる顔を意識して緩め、何も心配ないという顔をするフェリシェに微笑む。何も心配ないのではなく、何も考えていないのかもしれないがそこは突っ込まない方がよい。己の心の平穏のためにも。
トゥエンの半生は、きっとラノベ一冊にはなる波瀾万丈男。





