3-2. それは青い
「ハル! やばいですよ、これは!」
「ああ、これはやばいぞ」
「どどどどどうしましょう やっぱりここは全部?」
「そうしたいけど、どう思う?」
「くっ、もう二度会えないかと思うと、心がちぎれてしまいそうです」
「それは大袈裟だが、分かる、分かるぞ。フィーダに忠告をされたばかりだが、買い占めるべきか……」
「全種類制覇はもう確定です。あとはそれぞれを幾つ?」
「二人で大量に買いすぎたら確実に注目を浴びるぞ」
「そそそそそそれはダメです。ハルが、ハルが、魔法使いになる権利を手放す事態に陥ってしまうかも知れません!」
「その表現はよせ。俺は今や立派な水魔法使いだ」
「……何やってんだ、お前ら」
「「フィーダ、いいところに!」」
無事ドゥカッテンに到着し、二人は三日後の乗合馬車出発まで市内観光を楽しんでいる。
フィーダがくれた前情報通り、ここではさつま芋に似た野菜を使った料理がそこかしこで売られていた。
今日は早速、数あるスイーツ店の中でも宿の人が最も高く評価していた店を訪れている。
この店で売られていたのは、クリーム状の芋と、芋のペーストをカリカリに焼いたものを幾重にもミルフィーユのように重ね、極細のカラメル状の飴で巻いた逸品だった。
さらに二人を魅了したのが、ミルフィーユ生地の間に別のフルーツを練り込んだバージョンだ。いろんなフルーツと組み合わされており、バリエーションも豊富である。
芋だけでなくフルーツが入ることにより、芋の甘みが一層引き立ち、謂れもなく極上のスイーツの完成形がそこにあった。
「あ、あれは……ハル、あそこを見てください。あれはズズブバージョンです!
あっちの柑橘系のももちろんだけど、ズズブは絶対に外せません」
「王都にあった果物か……あれは桃みたいでめちゃ美味かった。よし、それは確実に複数個欲しい……他には」
「おい、お前ら、俺のこと忘れてねえか?」
「フィーダ、人生には思い切った決定をしなければいけない時があるといいます。これが、その時なのです」
「急にどうした、イーズ。なんか、雰囲気怖えぞ、おい」
「――フィーダ」
「お、おう。なんだ?」
「あなたに依頼したい事があります」
「な、なんだよ、言ってみろ」
「絶対に断らないと誓ってください。もし断ったりしたら――」
かつてないほどの真剣な表情で、イーズが一度言葉を止める。
その目を見つめるフィーダの喉がゴクリと鳴った。
「――断ったら?」
「泣きます」
「へ?」
「盛大に、泣きます。この場で、ひっくり返って、泣きます。見た目十歳の子供を泣かす、ガラガラ声のくたびれたおっさん。周りの目が痛いほど突き刺さるのです!
あだっ! 何するんですか、ハル!」
「イーズ、脅し方が間違っている。こういう場合は相手の弱みや欲望を刺激して交渉に持っていくんだ。例えば金、健康、持ち物――」
「おい、マジに怖えぞ! なんだよ、頼みてえ事があるならさっさと言え!」
二人の雰囲気に怯えたフィーダを利用し、イーズ、ハル、フィーダはそれぞれ全種類を三つずつ購入して店を出る。
店には請求書を乗合馬車組合宛に発行してもらい、その場で全額立て替えるフリをして、全部個人用であることを誤魔化す。
さらに今日の午後と明日、同量を買いに来ることを店側にも伝え前金まで払ったのである。
これで全種類×九個×三回分購入できたことになる。二人のマジックバッグのストックもしばらくは潤うことだろう。
二人の横暴に巻き込まれたフィーダの事情を聞くと、イーズたちが泊まっている宿まで行く途中だったらしい。復路便の護衛まで十日ほどの休みをもらえたため、それを伝えに行こうとしていたら偶然二人を見つけたので声をかけたようだ。
「それより、イーズ。お前、それが本性か?」
「ナンノコトデショウ」
「ばーか、誤魔化したって遅えんだよ。ガキのふりしてただろ」
「フィーダが勝手にガキだと思ってたんですー。それを訂正しなかっただけですー。ん? いや、何度も訂正してたのに、信じてもらえなかっただけですー。
……なんか、自分で言っていて、自分に突き刺さっている気がします。き、きっと気のせいですよね、ハハハ」
「イーズ、人生には思い切って現実を認めなければいけない時があるという。これが、今、その時だ」
「どっかで聞いたセリフぅ!」
「お前ら、落ち着け。っていうか、俺を置いてくな」
二人の矢継ぎ早な会話に、たまらずフィーダが制止をかける。
巻き込んでしまった自覚はあるのか、ハルはそんなフィーダに素直に謝った。
「フィーダ、巻き込んでしまってすみません。次回いつ来れるか分からなかったので、せめて一年分は欲しかったんですよね。でもイーズのこの勢いじゃ、一年保たないのは確実ですけど」
「いや、まぁ、あれくらいいいんだが……ハル、マジックバッグの件で一つ、あまり重要じゃないと思って言わなかった事がある」
「はい? フィーダが重要じゃないと判断したならそれでいいですよ?」
「いや、今は最重要だ。
――時間停止のマジックバッグを持つのは賢者の子孫だけ。つまり、貴族の当主だけだ。
ダンジョン産のマジックバッグは時間遅延が精々。
この食いもんを一年持たせる事ができるのは――確実に時間停止のマジックバッグ。ハル、これは誤魔化せないぞ」
「おおぅ」
まさかマジックバッグの中にもグレードがあるとは盲点。
ハルは思わず呻き声を漏らし、隣で同じような顔で額に手を置いたイーズを見る。
「ハル、やっちゃいましたねぇ」
「やっちまったなぁ。――イーズ、マップは今も青だろ?」
「ですね、ずっと青です」
「なら、いいんじゃね?」
「ですね。いいと思います」
「だから、おい! 俺置いて話すな!」
彼は元々護衛中も二人を気にかけていてくれたし、マジックバッグの事も恐らく気づいていたのに、深く追及しないでくれた。
感知スキルマップでは“味方”を示す青色で表示されていたが、そんなものがなくても二人はフィーダを信頼していた。
フィーダに頼んで、個室が使える食堂に案内してもらう。
宿に招く事も考えたが、無駄に警戒される可能性もあったので食堂にした。
個室に入ったあと、フィーダのオススメ料理の意見も取り入れて注文し、出来上がったら全部一緒に運んでもらう。
「さて、料理は全部揃ったかな?」
「大丈夫そうです」
「じゃ、イーズ、お願い」
「はい、張れました。これで大丈夫です」
――ガタッ
「フィーダ、どうしました?」
「無詠唱の遮音結界! お前ら、賢者か!」
椅子を倒す勢いで立ち上がり、フィーダが叫ぶ。
その目は驚愕で見開かれ、唇はワナワナと細かく震えている。
「うーん、半分正解、ですかね?」
「甘めの採点だな。フィーダ、とりあえず座ってくれますか。立ったままじゃ、説明しづらいです」
「あ……申し訳ございません!」
「「ん?」」
「フィーダ、急になぜ敬語? てか、座ってって言ったのになんで土下座?」
「賢者様は! 女神様から遣わされた尊いお方!
王族よりも地位が高く、お、私のような下々のものが直接お会いするなど許されるものではございません!」
「お〜、なるほど。そういう反応になるのね。イーズ、どうする?」
「どうしましょうね……」
初めてできた、この世界で信頼できる人物に二人は浮かれていた。
そして、正体を話したらきっと笑って受け入れてくれるだろうと思っていた。
二人は知らなかった。
この世界を何度も救い、導き続けてきた、異世界から招かれた勇者、または賢者と呼ばれる者たちがこの世界の住民にどう見られているのか。
全く想像も出来なかった。
賢者に憧れ、賢者大全の中から好きな賢者の章をお金を貯めて買い求め、何度も読んだ男の気持ちを。
少しでも賢者が作ったものに触れたくて、乗合馬車組合に入った少年がかつていたことを。
そんな男が賢者を前にして、畏怖の念を抱かずにいられないことを。
眉間に皺を寄せて少し悩んだあと、イーズは席を離れ、未だ床に額をつけたままのフィーダの前に立つ。
「フィーダ、立ってください」
ピクリと体を大きく震わせるが、フィーダは体を固くしたまま動かない。
「フィーダ、立って。――立ちなさい!」
再度イーズが強く言うと、今度こそ弾かれるようにフィーダは立ち上がる。
だが、その目は固く閉じられ、目の前にいるイーズを見ようとはしない。
「フィーダ、目を開けて、こっちを見て」
イーズは両手を精一杯伸ばして、笑い皺が走るフィーダの日に焼けた頬に触れる。
ピクリとフィーダの瞼が震え、そしてゆっくりと開く。あらわれた瞳は、少し正面を彷徨った後に下へと視線を移した。
「フィーダ、何が見える?」
先ほどよりも、弱い掠れた声音でイーズが問う。
「賢者さ……」
「違う、違うよフィーダ。もう一度。目の前に、何が見える?」
「……イーズ様」
「また不正解。もう一回だよ。ね、フィーダ。何が……見える?」
イーズの唇も声も顔に添えられた指もふるふると震え、その瞳には透明な膜が揺れている。
――フィーダの前に、見えるものは、
――今にも泣き出しそうな、幼い子供。
「……イーズ?」
「ハテナは要らないよ」
「イーズ」
「やっと正解。フィーダは悪い生徒だね」
ふふっと笑う目から、小さな滴がとろりとこぼれ頬を伝う間に消えた。
そこにいるのは賢者ではない。
異世界から来た、まだ成人も迎えていない子供。
その瞬間フィーダは、かつて賢者に憧れた男は、その身と心全てをかけて、この子供を守ると誓った。





