3. 筆に思いを
フィーダたち三人が山を登り始めるころには、頂上付近は少しずつ色が付き始めていた。
割り当てられた区画はそこそこ大きいのか、遠目から見ても鮮やかな色が認識できる。
「すごいですねえ。一部分だけでも十分綺麗です」
「全部色がついたら見物だよね」
「近くで見ないなら、多少絵を描くのが下手でも構わんだろう」
最後のフィーダのセリフにハルは顔をしかめながら、手元の札番号と絵柄を見比べる。なんとも運が悪いのか、どうやら青色の場所が最初だ。
「くそ。俺の絵を笑ったら俺も笑い返してやる」
「お祭りですからね。笑いがあるのはいいことです」
フハハハハとワザと野太い声で笑うイーズに、ハルは恨めしそうな視線を向けた。
山の中腹辺りに着くと、村の役人がハルが持った札番号を確認して該当する場所を指して教えてくれる。
「あちらの岩に塗ってください。使い終わった壺と筆はふもとで回収しますので、山に捨てないようにお願いします」
役人の言葉に頷き、ハルは示された岩の前に立つ。まず色を付けやすいように簡単に砂を払い、とりあえず準備は完了。
どんな花を描こうかとあたりを見回すと、意外に様々な花が咲いていた。
一色でべっとりと塗られた花もあれば、丁寧に濃淡をつけた花もある。岩いっぱいに一つの花を咲かせている人もいれば、細かい花束のようにいくつもの花を描いている人もいる。
「何を描くか決めました?」
「うん。描きたいのは決めてたから、何とか行けると思う」
そう言ってハルはまず岩の真ん中に、べっとりと青い塗料でカタカナの「ノ」のような線を描く。
その次に、それに向かいあうようにして、逆向きの「ノ」を描いた。そして今度はそれにかぶさるように似たような線。
少しずつ増やされていく線に、イーズはハルが何を描こうとしているのか気づく。
「もしかして、バラの花です?」
「正解」
自分の絵の正体が当てられて嬉しいのか、ハルはノリノリで筆を動かし花弁を足していく。
「青いバラってロマンチックですね」
「そうなのか?」
この世界には青いバラが自然に生えているのか、それとも無いということ自体をフィーダが知らないだけなのか、イーズの発言に首をかしげる。
「青いバラは自然には咲かない色で、創り出すのは不可能って言われていたんです。長く研究されてやっと成功したと聞いた覚えがあります」
「花の色を作るのか?」
「多分? どうやってやるのかは知りませんけど」
「なるほど。異世界の技術とはすごいもんだな」
ハルが一枚ずつ花弁を加えていく後ろで話をする二人。
そろそろ花弁が多くなりすぎてちょっとモッタリとしたバラに見えるような気もするが、二人はあえてそのまま静観する。
数分後、大輪の青いバラが大きな石いっぱいに花を咲かせた。最後に、ハルは塗料の残りを花弁の上に重ねてすべて使い切った。
「よっし! できた!」
「おお〜、すごい」
「これは見事な……バラだな」
無事に描き終えたハルに向かい、イーズはぱちぱちと拍手を送る。フィーダも一歩下がって岩を眺め、ちゃんとバラと認識できると頷く。
最初はイーズの指一本ほどの細さで始まった線は、最後にはフィーダの腕ほどもありそうな厚みと大きさになっている。後ろで見ていて塗料が足りるか心配していたが、意外に伸びが良いらしく花弁はすべて同じ濃さで美しく咲き誇っている。
「うん、我ながらいい感じ」
やりきった感満載で額をぬぐう仕草をし、ハルはどっこいしょと立ち上がって唸り声をあげながらぐぐっと背中を反らした。
「大輪の青いバラ。素敵ですね」
「夢が叶うっていう願掛けも含めてだな」
ハルは筆と塗料をマジックバッグにしまいながら説明をする。
「青いバラの花言葉がさ、昔は“不可能”だったのが、長年の研究でついに実現してから“夢叶う”に変わったんだよ」
「そんな言葉があるのか」
「花言葉が変わるなんてあるんですね」
「本当に珍しいケースじゃない? ま、それにあやかってだな。夢が叶いますように」
腰に両手を当てて満足そうに笑うハルに、イーズは思わず小声で「ロマンチスト」とつぶやく。
「でも、うん。いいですね。健康に、無理せず、夢が叶いますように」
「そこは大事だな。健康でいられますように」
ハルに続いて、イーズとフィーダも同じように青いバラを見ながらそれぞれ願いを口にする。
イーズがかけた隠密に隠れてハルはさっと完成した花の写真を撮り、晴れ晴れとした顔でフィーダを見上げた。
「さ、次はフィーダの番!」
「緑か……緑の花なんてめったに見ないだろ」
「葉っぱのイメージですね」
「他の人も、葉を描いている人が多いな」
枝の役割をする小道を通り、フィーダの番号の場所へ向かう途中ですでに色づけられた岩を眺める。
小さな子供の手形を花びらに見立てて描かれた岩には思わずほっこりとした笑顔が浮かぶ。
番号札を持って割り当てられた区画近くに行くと、先ほどと同じように役人が場所を案内してくれた。
フィーダは腕を組んで岩の前にどっしりと立ち、コキコキと首を鳴らしてしばらく考え込む。
「花、緑の花……まぁ、やっぱり葉っぱだろうな」
そうつぶやいたかと思うと、おもむろに岩に三本、上から下に向かって放射状に線を引いた。
「おお! 潔い!」
「芸術家っぽいです」
勢いよく描かれた緑の線に、ハルとイーズの口から感嘆が漏れる。
フィーダは後ろからの声に気にした様子もなく、描かれた線の周りに大きめの葉っぱを付け足していく。
そのうちの一つが明らかにバランスがおかしい。だが、だからこそそれは非常に見覚えある形。
「……サト?」
小さくつぶやかれたイーズの声に、フィーダは筆を動かし続けながら首を縦に振る。
「葉っぱといったらサトだろ」
「確かに」
うんうんと頷くハルの横で、イーズはきゅっと指輪を握りしめる。
今はマジックバッグで眠るサトだが、今ここに一緒にいるのだと感じるように。勢いよく豪快に塗られていく緑色は、生き生きと動くサトの葉っぱそのもの。
ハルとイーズ、そして描いているフィーダ本人の口元に知らず笑顔が浮かんだ。
「ま、こんなもんか」
最後に塗料を使い切るように色を重ねてフィーダが筆を下ろす。
そして大きな岩に堂々と描かれたサトの葉っぱを立ち上がって眺め、納得したように頷いた。
「豊かな実りのある一年になるように」
「収穫の多い一年でありますように」
「んーっと、美味しい食べ物をいっぱい食べられますように」
「それって何か変じゃない?」
「作物が実らなかったら美味しいものも食べられないでしょう?」
「それもそうか」
イーズの強引な持論に、ハルもそのまま同意する。
先ほどと同じように記念撮影をし終えたハルは、タブレットをしまうと意地悪そうな顔でイーズに笑いかける。
「さ、最後はイーズだな」
そんなハルに、イーズはぶすっとした表情で口を尖らせる。
「なんで二人とも、なんかいい感じの絵を描いちゃってくれてるんですか」
「ふはははははは。最後はハードルが高いぞ!」
心底楽しそうなハルに冷めた視線を突き刺してから、イーズは番号を確認して進む。
もう頂上の絵を完成させたのか、幹の部分となるメインの道には上から降りてくる人が何人もいる。
手と顔を塗料だらけにして笑う子供と、その汚れた手を気にすることなくしっかりと繋ぐ母親。もう一人の子供を肩車した父親は、肩に乗った子供の手で顔や髪に塗料をベトベトに塗りたくられるがままになっている。
幸せそうな家族の姿を眺めて、イーズは手の中の赤い塗料を握りしめる。
自分の願う家族の幸せ。その形はきっと――
「イーズ? どうした?」
ふと立ち止まってしまったイーズの顔を覗き込み、心配そうにするハル。フィーダも数歩先で足を止めて振り返っている。
自分が赤を、「家庭円満」を真っ先に選んだ理由。その願いが何よりも大切だと思った理由。
イーズはもう一度ぎゅっと瓶を握りしめて、目線を上げてハルに向かい笑顔を作る。
「どんな花を描こうか、浮かんだので」
「お、いいねぇ。聞きたいところだけど、見るまで我慢しようかな」
再び並んで歩き出しながら麓を見ると、広場を囲うように屋台が並んでいるのが見えた。
「何か美味しいものがあるといいな。花見と言ったら団子?」
「温かいスープとかもありそうじゃないです? 夜になったらまだ冷えますし」
「この辺りにダンジョンはないから、串焼きよりも煮込み料理だろうな」
屋台メニューを予想して進むと、イーズが持つ番号の岩を見つけた。
簡単に岩を綺麗にして、イーズはその前に座る。
筆についた塗料を壺の端でしごいて適量にし、最初の一筆を岩にすっと走らせる。そしてそのまま数字の「8」を描くように対角線をずらしながら細い花びらを描いていく。
「ん? 意外と小さい?」
大きな岩の真ん中に描かれた赤い花。一筆で描かれたコスモスに似た花はイーズの手のひらサイズだ。
「はい。これでいいんです」
イーズはそう言って、次にその横に同じように花を描き出す。
ひとつの花にかける時間はそう長くない。だが、ざらついたキャンバスにイーズは慎重にバランス良く花を配置していく。
時折、筆についてしまった砂を魔法で払いながら、壺の中の塗料が無くなるまで花を描き続ける。
真剣な顔で岩と向きあうイーズに、ハルとフィーダは黙って最後までその作業を見守っていた。
岩いっぱいに赤い花が咲き乱れ、イーズはほっと息をついてずっと上げていた腕をおろす。そして立ち上がって数歩下がり、完成した絵を見て微笑んだ。
「うん、イメージ通りになりました」
先ほどまでの硬い表情から、フワッと力を抜いたイーズの笑顔にハルは安心する。
「それで、これはどんなイメージ?」
ハルが尋ねると、イーズは一番最初に描いた花を指差す。
「これは、ハルです」
「え?」
イーズの突然の言葉にハルは驚いて首を傾げる。その顔を見て、イーズはふふっと小さく笑い、今度はその隣を指差した。
「こっちはフィーダ」
「俺か?」
続いて、フィーダからも驚きの声が上がる。
イーズはそんな様子に満足げにしながら、次々と花を指差しては名前を挙げ始めた。
「ここはサト、ヒロ、タケ。こっちはイーゼルドさん、アブロルの副ギルド長さんです。それから、こっちは職人のゾッドアさん。こっちは女将のエッタさん、それからこっちは……」
スラスラとイーズの口から出る名前にハルも覚えがある。それは皆、この旅の間に知り合い、そして自分たちに良くしてくれた人たちの名前だ。
「……こっちがグルアッシュさん、ラウディーパさん、シェゼルさん、それからロッサリエさん、です」
最後の一つを指してからイーズは指を下ろし、ハルを見上げる。
「私の血のつながった家族はもうそばにいないけど、ハルとフィーダが家族になってくれました。この世界に来なかったら出会わなかった縁です。
だから、私は出会いの縁を花に願おうと思って。出会った人との縁を大切に。いつか、また会いたいと思う人たちと出会えるように。
それが、私の家庭円満の願いです」
キュッと結ばれた口元に、イーズの強い意志が窺える。
普通の家庭円満の意味とは大きく違っている自覚があるのだろう。何を言われるか緊張しているのが、揺れる瞳に浮かんでいる。
ハルはイーズから視線をもう一度岩へと向ける。そこに見えるのは赤い花だけじゃなく、この異世界を旅してきた自分たちの軌跡。
自然とハルの口元が綻び、笑みが浮かんだ。
「――イーズは欲張りだね」





