2-4. 爪痕
その地にはかつて、誰も最奥まで到達したことのない、一級ダンジョンの中でも最難関、最大規模のダンジョンが存在していた。
そんな危険なダンジョン氾濫が間近に迫った時、異世界から男女十人が召喚された。
彼らは地球のヨーロッパにある空港で偶然居合わせた、国籍も年齢も性別も全て異なる人たちだった。
その中には、長く対立している国同士から喚ばれた二人がいた。
もうすぐ結婚を控えた女性がいた。
戦争を経験してトラウマを抱え、母国に戻ろうとしていた兵士がいた。
さまざまな事情を抱えた十人は、突然喚ばれた異世界の危機に積極的になれる状況ではなかった。
それでも氾濫は止めなければいけない。
ダンジョンがあった国の上層部になんとか説得され、宥められ、懐柔され、そして騙され、異世界人はダンジョンに立ち向かった。
取られたのは地上戦ではなく、ダンジョン攻略というさらに難易度が高い作戦。深層部への攻略は長く、永く続いた。
元からダンジョン攻略が容易でないのは明らかだった。
さらにそこに、攻略隊内部の不和が重くのしかかった。
敵対国出身の二人は絶えず反目しあい、度重なる衝突は全員に緊張をもたらしていた。
結婚の夢が破れた女性は、他の男性メンバーに擦り寄り、何人もと関係を持った。
元兵士は暗闇の中で恐怖に耐えられず何度も発狂し、叫び声をあげ、攻略難度をさらに上げていた。
そして、絶え間なく続く諍い、お互いへの不満、積み重なる疲労、魔獣への恐怖。
パチンとシャボン玉が割れるがごとく、必然であったかのように攻略隊は崩壊したーーそして、あっという間にダンジョンは氾濫し、地上は悪夢と化した。
ダンジョンの押さえ込みに失敗した国は、たった一夜で王都を含む国土の大半が魔獣の大群に飲み込まれた。
残された人々は魔獣に立ち向かおうとしたが、一級ダンジョンから溢れる強力な魔獣に少しずつ数を減らしていった。
唯一の救いは、魔獣はダンジョンから遠く離れると力を失い、弱い個体は生きていけなくなるという事実だった。
周辺国、今のラズルシード王国とアドガン共和国は、ダンジョン影響範囲から漏れ出る魔獣だけを討伐し、決してその地に足を踏み入れないことを決めた。
「このダンジョンの影響は凄まじく、まだ力を失っていないため、今もあの地域は人の住める状態ではありません」
その声からも表情からも、女神が後悔しているのが伝わってくる。
過去に起こった悲劇の真実に、イーズは何と言えば良いのかわからない。
自分は召喚で命が助かった身。召喚により人生が狂い、命を落とした十人とは全く逆の立場である。
こんな時先に冷静になれるのは、やはりハル。
「女神が介入することは、できなかったのですか?」
「できません、既に成人でこの地に召喚された異世界人には、私は手を出すことはできないのです。
唯一私ができたのは、異空の神に頼んであのダンジョンへのエネルギー供給を止めてもらうことだけでした」
「他のダンジョンは今も繋がっていると?」
「そうです。ダンジョン氾濫が終わってもダンジョンは常にそこにあり続けます。それは異空からエネルギーを受け取っているからです。
今もあの地にダンジョンが存在し、周りの環境に影響を及ぼし続けているのは、まだ内部のエネルギーが枯渇していないからです」
「では、そのうちダンジョンがエネルギーを完全に失えば、あの地は元に戻るのでしょうか」
「その通りです。この何百年でゆっくりとですが、ダンジョン影響範囲は狭まっています。人間はなかなか気づいていないようですが……」
「なるほど。範囲が広く、人間の寿命よりはるかに長い時間がかかっているので、変化を感じ取れないのかもしれませんね」
「そのようですね」
「――分かりました。あの地は決して女神に見捨てられた地ではないということが。きっと、途方もなく先になるのかもしれませんが、いつか人間が住める地になるということが」
そう言ってスッキリした表情をしたハルに、女神は少しだけ、ほんの僅かだけ、泣き笑いのように顔を歪めた。
いつか、きっと、希望も何もないように見えるあの地にも、人々は足を踏み入れ生活を築く日が来るのだろう。
今は誰も信じてはくれないだろうけど、これは神様が教えてくれた真実だから。
「――では、貴方たちを元の場所に戻します。そうですね、あれから五分ほど後の時間に戻すことにしましょう」
「おお! 時間操作とは神様っぽい!」
「正真正銘の神様だからな」
「分かってますけど!」
「ふふっ。お二人と話すのは本当に楽しかったです。これで最後なのは残念ですが――成人の儀は是非いらしてくださいね」
「勿論です。欲しいスキルを考えておきます」
「女神様、成人の儀だけじゃなくても、教会に来ていいですか? 見てくださっているとは思うんですけど、色々報告しに来たいです」
「――ええ。ええ、是非! 来てくれたら嬉しいわ!」
眩いほどの笑顔を浮かべる女神に、イーズもハルも嬉しくて顔を見合わせてニコニコと笑う。
それから軽く頷いて、女神と向き合い二人揃ってお辞儀をする。
「では――本当に、この世界に喚んでくれてありがとうございました」
「ありがとうございました!」
「――私からも、この世界を受け入れてくれてありがとう。
貴方たちの、この世界での道が、幸福と喜びに満ち溢れたものとなりますように。
たとえ道筋が途絶え、困難が立ち塞がろうとも、互いに支え合って乗り越えていくことができるよう願っています。
ハルさん、イーズさん、貴方の歩む先に、この世界ディオセルネの神、ノルケレシアの加護と祝福を!」
女神の言葉と共に、虹色に輝く温かな光が二人を包み、徐々に強くなっていく。そして最後には、二人の輪郭さえも見えないほどの眩さとなり、空間全体を染め上げた。
一瞬の後、光が消えた後の空間には、誰の姿もなかった。
視界を覆う白く輝く光が晴れた後、ゆっくりと目を開けると、二人は女神が言った通り元の神殿の祈りの間に戻っていた。
「さて、次に来るのは一週間後の成人の儀だな」
「女神様もいいスキルくれるって言ったし、これは真剣に悩まないとですね」
「だな」
そうして迎えた一週間後の成人の儀で――
ハルは無事、スキルをもらったのだが、
ステータスウィンドウのそのスキルの後ろには無限大のマークがあって、
ハルは女神が、
「スキルの成長速度はこの世界と同じになると言ったけど、最初からマックスにしないとは言わなかったわよ〜」
と笑う声が聞こえた気がした。
でもそれは、まだ、ほんのちょっとだけ、先の話。
神父にお礼を言って教会から出た後、二人は宿に向かう道を並んで歩く。
もう少ししたら夕食の時間だけど、女神との濃厚な会話で二人ともゲップが出そうなくらいお腹いっぱいである。そこで宿までの間に、何か軽いものだけつまんで済ますことにした。
「異世界の屋台といったら、やっぱり串焼きですね」
「王都では普通の動物の肉だが、ダンジョンが近いと魔獣の肉らしいぞ。ただ、種類によっては当たり外れがあるらしいから、下調べしておかないとな」
「こちらに来ても口コミチェックとはバイヤーの血が騒ぐんですかね。もしくはシャチク。
はっ! そのうち“俺の血が騒いでいる”とか言い出す……」
「黙りなさい」
「ハイ。それにしても――
女神様が、正月に見る大黒さんと、デラックスな人と、ディザスターなオークさんが合体して三倍になって、お尻からヘリウムガスを入れた感じの方とは思いもしませんでした」
「ゲブッ、ごっふぅ、ゲホッゲホッ!」
「やっぱり、どこの世界でも先入観というのはいけませんね。喚ばれた後に最初に言われたセリフもなかなかにショックでしたが、女神様を見てしばらく思考が停止しました。
あの場で平然と話を続けられたハルに脱帽です。やっぱり大人としての経験があると違いますね」
「ケホケホケホッ」
「大丈夫ですか、ハル? いくら肉食でも詰め込み過ぎは良くないです。串焼きは食べ方によってはとても危険なんですから」
「イーズ、少し、ゲホッ、黙りなさい。こほっ」
ハルはイーズから水を受けとって、それを一気にあおる。
イーズは噴水の端に腰掛けた足をプラプラさせながら、そんなハルの様子を楽しそうに見ている。
「本当は、まだ少し怖い気持ちはあるんです」
ハルの咳が落ち着いた頃、夕日に照らされて煌めく噴水の水飛沫をながめながらイーズがつぶやく。
「あの階段を前にしたときに、“怖いな”って、“落ちちゃうかも”って感じたことを思い出して……本当に落ちてたら痛かっただろうな、とか」
イーズの横顔にも夕焼けの色が重なり、瞳の影がより一層濃くなる。
ハルはイーズを遮ることなく、その横顔を注意深く見つめる。
その瞬間、
「でも!」
ばっと勢いをつけてこちらに首を回したイーズに、ハルは思わずのけぞる。
「生きていますから! 二人とも!
いいじゃないですか! 二人どっちが欠けても死んでいたなんて、なんてロマン! 神様お墨付きです!」
「……何のお墨付きだよ」
「さあ?」
コテン、とやる人によってはイラッとさせられそうなあざとい仕草でイーズは首を傾げる。
そんなイーズに呆れてため息をつきながら、ハルはポンポンとその頭を撫でた。撫でられたイーズは猫のように目を細め、クフフっと少し不気味な笑いを漏らす。
「さ、宿に戻るぞ」
「はい。次回はあちらのカボチャもどきの揚げ物に挑戦しましょう」
「あれはカボチャじゃなくて、ラフレシア級にでかいキノコらしいぞ」
「なんと!」
何はともあれ、二人はこの世界で生きていくしかないのは確定してしまった。
まだまだ王都でやらなきゃいけないこともあるし、立ち止まってなどいられない。
明日からも異世界生活は続くのだ。





