7-5. 殺るか、ヤラレルか
ジトッと溶けかけのナメクジを見るような目でハルがドナサム神父を見ていると、彼はコホンと咳払いして居住まいを正した。
そしてまっすぐ、今度はちゃんと神父らしい顔でハルを見る。
「水ってのはな、それ自体清いものだ。人、食器、服、道具……水がなければ世界を清潔に保つことはできない。
そして女神様より与えられし水魔法スキルによる水は、穢れを洗い流す」
「はい」
「ただ、水だけではどうしようもない汚れもある。強力な染料だったり、長年染みついてしまったものだったり――魔の要素を持つ獣だったり」
「――はい」
「それで、だ。もし服に強力な染みがついたらどうする?」
ドナサム神父の質問にハルは簡潔に「洗剤を使います」と答えた。
「ふん、無難だな。だが、まあいい。魔法もそれと同じだ。
教会のお偉い方々は、聖魔法に至るには女神様への信仰心とどれだけ祈りを重ねたかによると言うが、そんなものは冒険者には必要ない。
つまりは、坊ちゃんが言ったように、水に何かを加えればいいんだ。石鹸、塩、石灰、薬草、油でもいい。水の中に、さらに強力に汚れを落とす何かを混ぜるんだ」
「水に混ぜる」
「そうだ」
ドナサム神父は力強く頷き、魔法を唱える。
『光を司る者が命ず。この場を清めよ』
サアっと光が部屋の隅々に走り、そのあと澄んだ空気と、かすかにどこかでかいだ花の匂いがした。
「花?」
「おチビちゃん分かるか?」
「どこかでかいだ香りがします」
「うちの村によく咲いてる花だな。あれは良い石鹸にも使われる。俺のイメージはそれだ」
「え? 魔法に匂いが?」
そうイーズが尋ねると、ドナサム神父は眉毛をハの字にしてテーブルに突っ伏す。
「訳分っかんねえだろ? これ最初っからなんだぜ? おかげでずっとこの村から出られない事確定だよ」
どうやら本人のイメージが強すぎて、匂いまで再現するようになってしまったらしい。
「ま、これのおかげか知らねえけど、お偉いさんより強い魔法使えるんだ。俺、すげえ神父じゃね?」
「ええ、すごいと思います」
「そこは最後に神父様が欲しかったな、おチビちゃん」
同意したイーズにドナサム神父からのリクエストが入るが、イーズは目を三日月より細くして微笑む。
「ちぇっ、固ってーな。よし、坊ちゃん。魔法は想像力、妄想力だ」
「おお、ハルの得意分野」
「そこ黙ってなさい。――つまりは、水魔法を放つときに、さらに強力に汚れを落とすものを混ぜ込むイメージでいいですね?」
「そうそう、そういうこと。水魔法の熟練度が上がればたぶん十階までは簡単だ。最初はあまり効果ないかもしれないが、続けていくことが重要だ。
十階から先は光魔法のほうが断然強くなるけど、水魔法でも弱体化はできる。チビちゃんの魔力温存にはなるだろ。
で、おっちゃんはこの二人の護衛だな。敵と自分たちの位置取りを見る司令塔だ」
的確なドナサム神父の攻略方法に、フィーダも納得して頷く。
「ぜってーに切るなよ。臓物も腐肉も、付いたら夏中鼻の中から臭いが取れねえと思えよ?」
「わ、分かった。絶対に切らない」
フィーダは、漫画だったら脂汗がダラダラ流れてそうな顔で神妙に頷いた。
ダンジョンの入口前には冒険者はおろか、ギルド職員すらいなかった。今日入ダンすることは伝えてあるので問題ないだろうとフィーダは判断し、そのまま進む。
「魔石、ジャステッドと比べるとだいぶ小さいな」
「え? どこ?」
「ほら、入り口の斜め上のところにほぼ半分埋まってる」
「あ、本当だ。ジャイアントタートルの魔石と同じくらいですね。色は違いますけど」
魔獣から出る魔石は基本透明一色。
しかし、ダンジョン入口の魔石は氾濫が迫った時以外はマーブルの混沌とした色になっている。
最初はマーブルの方が不安を煽る色だと思ったが、ジャステッドにいる間に慣れてそれが普通になった。今度ソーリャブで一色の魔石を見たらやはり怖いと思うのだろうか。
「よし、入るぞ」
「「はい」」
フィーダの声に二人は魔石を眺めるのをやめ、ダンジョンに向かって進む。
地元の冒険者が揃って嫌がるという真夏のアンデッドダンジョン。その容赦ない洗礼を三人は受けることとなる。
ダンジョンに一歩入ると、外気よりも涼しく、思わずホッと息をはいた。
そして息を吸い込んだ瞬間――
「うっ」
「ぐっ」
「ぐえっほ」
ハルとイーズは咄嗟に息を止めた。
だが大きくえずいたフィーダは、その反動でさらに空気を、いや、悪臭を吸い込む。そして再度えずいた。悪夢のような負の連鎖がフィーダを襲う。
「ちょっ、これ、む、り」
フィーダはそう言って、一歩進んだばかりの距離をまた外に出る。ムワッとした空気が押し寄せるが、まだ悪臭よりはいい。
彼は膝に手をつき、走ったわけでもないのに荒い息を整えた。
「あー、あの一瞬で体が臭くなったように感じる」
「そうどぅうえっふぉ、ゴホ、げっほ、げっほ、な」
「フィーダ、全く話せてません。とりあえず癒しますよ」
「クホン、コホッ。悪い。一気に入った。想像以上だった」
「これは嫌われるな。生ごみの中で大暴れして死体と一緒に寝てる気分だった」
「……やめてください」
ハルの無駄に説得力がある表現に、イーズは鼻に皺を寄せる。
今も鼻の奥に臭いが残っている気がして、鼻から数回空気を飛ばすように息を出した。
「消臭ってどうやったらできるんだろう」
「神父さんがやったみたいに香りを足すとか?」
「あの臭いをかき消すほどの香りとなると、相当だぞ」
「いやなブレンドしか思い浮かばないな」
仕切り直そう。
ダンジョン入口の脇にテーブルセットを出して、冷やしたお茶を飲む。相変わらず周りに誰もいないけれど、念のためのイーズの隠密と感知は作動中だ。
「臭いを消す、消臭……空気清浄機?」
「確かにそうですけど、水よりも風魔法になりません?」
「くうきせいじょうきとは何だ?」
「部屋の中の空気を綺麗にするための機械かな。目に見えないほこりとか、煙とか、あとは動物の臭いとかを軽減する働きがある」
「確かに、空気を綺麗にするなら風魔法だろうな」
「そうだよなぁ。 空気と水の合わせ技……加湿器とも違うか。いや、薬剤を入れるとなると 何だっけ、あれ……」
何かを思い出すように、手に持ったカップをさまよわせるハル。
光魔法の浄化が魔獣に効くことはもうわかっているので、今回はハルの魔法強化がメインだ。
アンデッドを倒すことが目標だったはずが、その手前の臭いで自分たちが倒されてしまっては話にならない。何とか頑張ってくれと、期待を込めてイーズはハルを見つめる。
「な、あの、病院で使ってるやつって何だっけ。病院の機械って除菌剤みたいなの入ってるんだよな。次亜塩素酸だっけ?」
「確かになんか効果がついてますよね。オゾンが〜とかイオンが〜とか」
「そんなイメージでできるのかな。消臭スプレーみたいにして、風魔法で遠くまで拡散させる感じで」
一人でふんふんと頷きながら、ハルが少しずつ魔法を使う。
王都からの移動の間に、ミスト状にして自分たちの周りにベールを作るのはお手のものだ。あとはこのミストに除菌と消臭効果をつける要素を付け足せばいい。
椅子に座り、手のひらを上にした状態でゆっくりと息を吸って、吐く。
動きに合わせるように、徐々に三人の周りに目に見えない程細かな水の覆いが広がっていく。
――スンッ
フィーダが小動物のように鼻をひくつかせる。
「嗅いだことがない匂いだ」
「独特な化学臭がしますね。確かに病院の待合室の匂いです」
膝を怪我した時に嗅いだなぁと思いながら、イーズはフィーダと一緒になってすんすんと匂いをかぐ。
「――ふう。魔法として発現するのは分かったな」
「あとはこれがどれだけダンジョンで通用するか」
「願うしかないですね。ちなみにフィーダ、適用しなかった時の作戦は?」
無言で目をそらすフィーダに、ハルとイーズの視線が突き刺さる。
「ぜっっっっっっったい、泊まり込みは無理だからね?」
「わ、分かってる。そうなったら、アンデッドとの戦闘確認はソーリャブに早めに着いてすることにしよう」
「本当ですね? 漢フィーダに二言はありませんね?」
「ああ。誓う」
「「よし」」
フィーダの言質を取った二人は満足気に頷き席を立つ。
何もしていないのに疲れた体を少しストレッチして解し、イーズはテーブルを収納した。
「とりあえず、入口のそばから魔法を送り込んで効果をみるぞ」
「そうだね。一歩目くらいはまだ臭ってきてなかった」
「二歩目からが地獄でしたね」
外の暑いけれど新鮮な空気を大きく吸い込んだ後、勢いよく吐き出し覚悟を決める。
ダンジョン入口までのほんの数メートルを、バージンロードをゆっくり進む花嫁のように、慎重な足取りで歩く。
三人ほぼ同時に息を小さくはいて魔石の下をくぐった。
「よし。ハル」
「はい」
一歩だけ足を踏み入れた状態でフィーダがハルに声をかける。
短く返事をした後、ハルは開発したての除菌消臭魔法を展開する。
三人の周りにフワリと水のベールがかぶさる。
「――進むぞ」
フィーダの固い声に、ハルとイーズは口をしっかり引き結んだまま頷きを返す。
一歩、
二歩、
三歩。
「ん?」
「大丈夫、かな?」
「フラ」
「大丈夫だよ、イーズ」
暗黒ワードを発そうとするイーズをぶった斬り、ハルが告げる。
「なんでです?」
「空気の状態を鑑定したら、清浄って出たから」
「ふぅっ、なら安心だな」
緊張で詰めていた呼吸を吐き、フィーダは首をコキコキと鳴らす。
「よし。ソーリャブへの逃走は無しだ。攻略するぞ」
「「はーい」」
「あれ、帰ってくんの早くない? 臭いでダメだったとか? あれは、二、三日続けて通えば鼻がバカになって何も感じなくなるから、ゲロ吐きそうになっても通い続けた方がいいよ」
村人と畑の横で談笑しているドナサム神父がダンジョン帰りの三人を見つけ、アドバイスにもならないような言葉をかけてくる。
「いや、目標階まで行けたから今日は一旦帰ってきた。明日から一気に攻略する予定だ」
「まじ? あんたたち頭おかしいんじゃね? あの臭い耐えられたの?」
ドナサム神父の驚愕の叫びの後ろで、村人も変人を見るような目つきで三人を見てくる。
せっかく彼が神父の仕事に戻れるように、ダンジョンに挑んでいる冒険者に対して酷い言い草だ。
思わずむすっとなったイーズの横で、ハルは機嫌良さそうにドナサム神父に返事をする。
「神父様の助言のおかげですよ」
「お、俺の? や、やっぱり? 俺の魔法のコツが役にたった?」
「ええ。とても効果がありました」
「ちなみにどうやったの? 俺の魔法だと、浄化でアンデッドを倒せても、臭いは残って辛いんだよね」
「故郷に、空気を綺麗にする消毒薬があったのでそれをイメージしました」
「へぇ、そんな薬あるんだ。ちなみに、今ここで使ってみてもらってもいい?」
「いいですよ」
軽く答え、ハルは先ほどダンジョンでアンデッドをバッタバッタと消滅させていた魔法を展開させる。しかも最初より発動スピードが格段に速くなっている。
道の真ん中、畑のそばに病院の匂いが漂う。
それに気付いたのか、ドナサム神父と村人たちがすんすんと揃って鼻をひくつかせる。
――プレーリードッグの動画みたい。
並んで鼻をひくつかせる齧歯類のような状況に、イーズはお腹の筋肉に意識を集中させる。
「なるほどね。嗅いだことのない匂いだ。これでアンデッドも倒せたって?」
「ええ、ばっちりです」
「二人の魔法が通用しそうだし、臭いの対策もできた。アンデッドにも怖がってないようだから、攻略は数日で完了予定だ」
「おおおおお、すげぇな! すげえよ、あんたら!」
「よかったなぁ、ドナサム! これで畑に集中できるな!」
「だから俺は神父だし!」
相変わらず村人に神父扱いされていないドナサム。お年寄り連中に向かって腹を震わせて怒鳴るが、全く相手にされていない。
こうして、アンデッドダンジョン攻略一日目は無事終了した。
魔法は妄想、いえ、イマジネーション力で決まるのです。(。-`ω-)キリッ





