6-12. 糖の術
何が起こったかの共有が終わり、次の行動の確認を始める。
「この次はどうする?」
「そうだね、どうしようかな。イーズちゃんは多分しばらくは起きないよね」
「起こすのもかわいそうだな。起きるまで待とう。ハルは何か食うか?」
「うん、軽く食べておこうかな」
そう言いながらハルが布団から出ようとすると、イーズがむずがる様子を見せた。
「そのままで食うしかねえな」
「仕方ない」
苦笑するフィーダに笑い返しながら、ハルは膝の上に菓子パンとコーヒーを出す。
「そ、それは異世界の食べ物かい?」
「そうそう。甘いパン。食べてみる?」
「い、いいいいいいのかい?」
ほぼ「い」だけの文章にハルはブホッと咳き込みながら、パンを半分ヴォルヘムへ差し出す。
彼は両手で恭しく受け取り、パンの断面をまじまじと検分しだした。
「中身はチョコだよ。こっちの世界にもあるのかな」
「チョコは知ってるよ。昔“糖術”の賢者が広めたからね」
「とうじゅつ?」
「そうそう。甘いお菓子をいっぱい作った人でね。彼は天才だよ。僕は冒険者として成功しなかったら、彼が設立した菓子職人学校に行こうと思ってたくらいだ」
そう言って、顔を幸せ色に染めてパンを口に含むA級冒険者。
確かに、冒険者じゃなければパティシエにでもなってそうだ。
「技巧を凝らしたお菓子はある意味芸術だよね。甘い芸術、“糖術”だなんてロマンに満ちている。冒険者なんて粗野なのが多くて、食えればいいみたいな塊肉とか、ごった煮みたいな野菜とかさ。親指サイズの小さな砂糖菓子なんて見向きもしないし。
でもフウユヤはいいよ。温泉の熱でパンを蒸すんだよ? あれを初めて見た時には驚愕だったね。芸術と知恵の融合だ。
さらに野菜をお菓子に使うって発想がもう非凡だ。野菜は苦味があって嫌いだったけど、あの蒸しパンのおかげで食べられるようになったんだ。これがお菓子になったらって考えるのが楽しくってね」
饒舌に甘味への愛を熱く語るヴォルヘムから、なぜ彼がフウユヤに頻繁に訪れるのかの理由が垣間見える。
野菜嫌いの甘い物好きだなんて、まるで子供のようだ。
「ところで、ハル君は異世界では学生だったのかな?」
ふとヴォルヘムがつぶやいた質問に、ハルは咄嗟に吹き出しそうになったコーヒーを無理やり飲み下す。焦りすぎて喉からグギョッとサトの声みたいな音が出た。
確かに、今の姿をみれば日本ではまだ学生と思うのは当たり前だ。そんなことも考えつかなかった自分に呆れる。
「学生では、なかった。商会の新商品買い付け担当みたいなことしてた」
バイヤーをうまく説明できているか分からないが、とりあえず学生でなかったことは伝わっただろう。
「へー、ハル君はもう働いていたんだね。異世界、特に黒髪賢者が暮らしていた地域は勉強期間が長いと聞くから珍しい」
「この国は黒髪賢者だと、扱いは変わるのか?」
「うーん、それは無いよ。でも、末裔で武の力を持つ黒髪貴族はいないね。周りの目が厳しくなる傾向があるみたい」
「影響はまだあるってことか」
ケホッと小さく咳をしてから、ハルは残ったコーヒーを飲み干す。舌に残る苦みはコーヒーか、それとも勇者の残した傷跡のせいか。
フウユヤを作った勇者の逸話は、決してどの書にも残されない。ただ町の人の口伝いに親から子、孫へと引き継がれていく。その物語に出てくるのはこの国が憎む勇者の姿ではなく、人々に愛されたフウヤという日本人であればいい。それがずっと続けばいいと、ハルは心から願った。
「――ハル? ハル?」
ふと、横からイーズの呼ぶ声がする、
下を向けば、イーズがうっすらと目を開けてハルを見ていた。
「イーズ、起きた?」
「――ハル?」
「うん、ここにいるよ」
「――ハルが、ジャスとテッドとトリオを組むって言って、どこか行っちゃう夢を見ました」
「そうするとトリオ名は何になるんだろうね」
「三人合わせてジャスハルテッドってポーズ決めてました。ハルは真ん中でカンフーポーズ取ってましたよ、全身金色タイツで」
「うわぁ、それは忘れてくれ、今すぐ。黒歴史だ」
「やったことあるんですね、全身金色タイツ」
小さく笑うイーズの顔からは、先ほどまで色濃くあった疲労感が抜けている。
「体調は?」
「いいみたいです。どれくらい寝ていました?」
「一時間ちょっとってとこかな。もっと寝たかったら寝とく? 上に戻ったら、もしかしたらどんちゃん騒ぎになる可能性があるよ」
「いえ、大丈夫です。あの」
「ん?」
「目の端にキラキラが入って気になるんですけど」
「あ、やっぱり気づく?」
「気づきますよ」
ハルがどう説明しようか迷っていると、横からフィーダの声が割り込んだ。
「馬鹿龍からの慰謝料だ。取っとけ」
「こんなに?」
「癒した翼二枚分の鱗だからじゃない?」
「そうなんですね。すっごいキラッキラ」
同じくらいキラキラな目で鱗を見つめるイーズ。
ここは鱗がどれだけ希少で高価だとかを聞き出す前に、マジックバッグに入れさせてしまうのがよい。
ハルはフィーダをちらりと見てから、安心したようにホッと息を吐いた。
「それじゃ、俺たちは上に戻るよ」
『うむ、我も下に戻るとする。一年は大人しくしておくから安心しておけ』
あれからバドヴェレスと話し合い、一年は外に出て飛行するのは遠慮してもらうことで合意した。この依頼が終わった直後に火龍が飛び回り始めたら、いくらなんでも人々が気づかないはずがない。
一年で誤魔化せるとも思えないが、とりあえず直接結びつけられるのは避けられるだろう。
「安心できる気がしねぇな」
「フィーダ、大丈夫ですよ。バドヴェレスは何百年も生きているので、一年くらいあっという間です。うたた寝したらすぐです」
『そうだとも、そこは信用してよいぞ』
「よし。もし破ったらぶっ飛ばしに来るからな、ハルが」
「え? 俺?」
「俺がぶっ飛ばせるわけないだろう」
「俺もできないよ。イーズじゃない?」
「ええええ、やめてください。こんなデッカい龍をぶっ飛ばせる訳ないですよ。手を痛めます」
『……嬰児たちも容赦ないの。分かった分かった、大人しくしておると誓う』
綺麗に再生した翼をしょんぼりさせてバドヴェレスは呟く。
それを満足そうに見たフィーダは、ヴォルヘムに用意ができたことを伝える。
「よし。じゃ、行こう。バドヴェレス、名前が呼べるようになって嬉しいよ! また今度会おう!」
『ヴォル、町長にも確と伝えておくようにな』
「そこは任せて。それじゃ、また」
「じゃあな」
「バイバイ」
「元気でね」
『またいつでも来るがよい。では、地へ――勇者の守った地へ戻れ、嬰児と守護者たちよ』
バドヴェレスの声が薄れ、赤黒い視界が暗転し、薄暗いムッとした空気の場所に四人は転移した。
今立っているのは、寿限無の合言葉を練習した広間だ。
「あっという間だな」
「そうだね。さ、町に戻ろうか。多分馬車の迎えが来てるから」
「了解。あ、ハル、イーズ、髪の毛を忘れずに戻しておけ」
「あ、忘れてました。ありがとうございます」
イーズが偽装スキルを発動すると、一瞬で二人の髪と瞳の色が変わる。
小さく息を吐いたイーズにハルは気遣わしげな眼差しを送ると、イーズは眉をハの字にして苦笑した。
「大丈夫です、心配しないでください」
「そう? もしそれでぶっ倒れたらどうなるか覚えておいて」
「え? どうなるんです?」
「このハル様が、毎日サトの出し汁でお茶を入れてあげましょう。濃厚出汁だ。きっと美味いはず」
「うわっ。酷いです。茶葉の無駄遣いはやめてください」
「嫌だったら無理するなよ」
「……はい、分かりました」
渋々ながらも首を縦に振ったイーズの頭をぐしゃぐしゃにして、ハルは廊下を進む。
イーズはその背中を追いかけながら、密かにため息をついた。
「つ、疲れた……」
「俺、喉痛い」
「レインドロップ要ります?」
「ちょーだい」
「あーして」
「あー、甘い。生き返る」
「フィーダも」
「あ゛ー」
口の中で飴をコロコロ転がしながら、床の上にゴロゴロ転がる三人。
ここまでの道のりはまるで優勝パレードを進む野球選手か、オリンピック金メダリストかという有様だった。
「ヴォルヘムはまだあれに付き合うんだよな? すごいな、さすがA級冒険者」
「A級は関係ないだろうが、この町に長年通ってるから町民も声をかけやすいんだろう。こっちはイーズが疲れてるからって抜け出せたのは助かった」
「イーズ、ナイスムーブだ」
「そこにいただけでムーブと言われても、全く嬉しくないんですけど」
「ナイスアシスト? ナイスフォロー?」
「もうなんとでも」
疲れ切っているせいで、イーズの受け答えもどこか投げやりになる。
宿の人たちの配慮によるものか、夕食はすでに食卓に並べられている。三人はノロノロと起き出して、満漢全席数回分の量の皿を達観した目で見つめた。
「多いな……」
「二十人分はありそうですね」
「ベズバロで買ったお皿がいっぱいあるよな。残る分はそっちに移せばいいんじゃない?」
「そうだな。美味そうだが、さすがにこの量は無理だ」
テーブルに所狭しと並べられた山盛りの料理から、めいめい好きなものを取り食事を始める。
「あ、サトは?」
そういえば洞窟で目が覚めてからサトを見ていないと思い、ハルはイーズに声をかける。
「マジックバッグの中ですよ」
「出してあげなくていいの?」
「うーん……」
もう部屋に戻ったんだから自由にさせてあげればいいと勧めるが、イーズはなぜか眉を寄せて考えだす。
「どうしたの?」
「あいつ、ハルが助かった後に落ち込んでな」
「ええ!? なんで?」
フィーダの言葉に反射的に大きな声を出すハル。もう一度、ぐりんっと首を回してイーズを見た。
「なんか、私とハルが逃げるのを邪魔したと思ってるみたいで」
「あの状況じゃどこ逃げても変わんなかったし! てか、邪魔してないし!」
「そう言ったんですけど……とりあえず、ハルが無事な姿は見せてあげましょうか?」
「うん、お願い」
イーズは頷いて、マジックバッグの中からサトを呼び出す。
出てきたサトは――
「カブじゃなくって大根になってるぞ、サト!」
見事なほどに、しおしおと萎れていた。
「きょ……」
「回復魔法は?」
「きょきょきょきょ」
イーズに今日の回復魔法はあげたのかと尋ねると、サトはバサバサと葉っぱを揺らして嫌がった。
「こうやって嫌がるんです。無理矢理にあげようとすると逃げるし……サト、もう気にしないで」
「そうだぞ。ほら、俺はもう大丈夫だから」
「きょ……」
駄々っ子のようにイヤイヤを続けるサトをハルは抱き上げる。
「サト、俺はお前を助けたかったんだ。邪魔になんてなってない」
「きょ」
「ほら、せっかく助けたのに、そんなんじゃ却って悲しいな。喜んでくれないと」
「けきょ?」
「サトと一緒にいたいんだ。俺の勝手なお願い、聞いてくれる?」
「ケキョ」
ハルは優しくサトの一枚だけ大きな葉っぱを撫でる。
イヤイヤが止み、葉っぱがサワサワと揺れておっかなびっくりハルの頬を撫でた。
「イーズも俺も、サトが大事なんだ。サトは俺たちの家族なんだから、苦しんでる姿は見たくないんだ」
「ケキョ」
「お願い、サト。回復魔法あげたいの。サトの元気な姿見たいな」
「ケキョ」
イーズも一緒にお願いをすると、やっとサトが納得してくれたのか顔を勢いよくあげる。
その葉っぱが思いっきりハルの鼻っ面にぶち当たった。
「ブヘッ」
「ケキョ?」
「プフっ」
「何をやってんだ」
ハルの悲鳴の後、何故か不思議そうにするサトに続いて、イーズとフィーダの非情な声が部屋に響く。
ハルは涙目で鼻を何度も擦りながら「酷い」とぼやいた。
「ほら、サト、おいで」
「ケキョ」
「回復魔法をあげるよ。三日ぶりだね」
「そんなに絶食してたのか、サト。見上げた根性だ」
「ケキョ〜」
大好物の回復魔法を久しぶりに浴び、うっとりとサトは揺れる。今はまだ大根なままだが、そのうちあの可愛らしい丸いフォルムに復活するだろう。
「さ、今日は部屋の風呂に入って寝るぞ」
「やった、温泉温泉〜」
「一週間の割符も受け取りに行かないといけないですね」
「今の温泉街に一週間滞在とか、考えたくねえな」
「もう全部受け取らずに逃げ出しちゃいたい」
「温泉好きがこんな貴重な権利を投げ出すんですか?」
「だって、どこの温泉行っても落ち着いて入ってられなさそうじゃん」
「裸の親父どもに囲まれるのは嫌だな」
その光景を想像したのか、二人の顔から同時に生気が抜けた。関係ないはずのイーズまで何故か顔色を無くす。
「――ギルドに行ったら考えよう」
「そうしよう」
「そうしましょう」





