6-5. 和の宿
老舗旅館“賢者のため息”――
このフウユヤの発展に力を注いだ賢者の一人が愛用した宿。
最大の特徴は全館内が土足厳禁となっており、草を折りたたんで作られた分厚い絨毯が敷き詰められている。
賢者が高明な冒険者と懇意にしていたことから、上級ランク冒険者には割引待遇を設け、贅沢にも一日中温泉を楽しむことのできる部屋風呂を提供している。
――フウユヤガイドマップより
「へえ、フィーダがB級だからこの宿を勧めてくれたのかも」
「全体的に和風ですね。期待大です」
「じゃあ、早速温泉入りに行くぞ!」
「食べた後じゃないのか?」
「俺は、温泉に来たらまず風呂、食べて、風呂。で、寝る前に風呂だ。もちろん起きた後も朝風呂!」
「体の油分が全部飛びそうですね。でも食事前の風呂には賛成です。今からだったら露天風呂?」
「もちろん、最初は露天風呂でしょう」
「フィーダは?」
「俺は食後でいい。ギルドに顔出してくる」
「了解。じゃ、一時間くらいで戻るから」
バタンと大きな音を立てて部屋を飛び出していくハルを見送り、イーズも着替えを取り出して小さな手提げに入れる。
「……女服に着替えていった方がいいんじゃないか?」
「……どういう意味です?」
「そのまま女湯入ったら痴漢と、」
「髪を下ろしていけば大丈夫なはずです。行ってきます!」
今度はイーズが思いっきり扉を跳ね開けて出ていく。
「まぁ、小さい子供だと思われて大目に見てもらえるだろう」
本人がその場にいたら激怒しそうな言葉をつぶやいて、フィーダも部屋の鍵を手に扉を開けた。
大きな数々の石が表情を計算された角度で配置され、さらに奥には竹を思わせる細い木々が立ち並ぶ。
小さく流れ落ちる温かな滝は、煌めきと微かな音で穏やかな時間を演出する。
湯に浸かった瞬間に出るため息は、まさにこの宿の名にするに相応しい。
午後の中途半端な時間だからか、大きな露天風呂には誰もいない。泳ぎたい葛藤に駆られながら、イーズはなんとか大人の顔を貼り付け、足をバタつかせるだけに止めた。
意図せず貸切となった露天風呂をイーズはたっぷり時間をかけて楽しみ、勇者の存在を感じさせられる赤い暖簾をくぐって廊下へ出る。
浴場階にある畳とクッションが並んだ休憩所には、スライムのごとく溶けきったハルがいた。
「いいお湯でした」
「おう、こっちもだ。入ってみればそんなに臭くなかったな」
「それ、麻痺してるやつですよ。そのうちタオルとか服とかが臭いのに気づきます」
「あぁ、温泉アルアル」
そのまま休憩所で体を冷ましながら、温泉や露天風呂の評価をする。
異世界で入るフウユヤの温泉は、自称温泉大好きっ子を十分満足させたらしい。まぁ、先ほどの溶け具合から聞かずとも分かっていたが。
休憩所から見える中庭は少しずつ暗くなり、あと一時間もすればお楽しみの夕食だ。
「ご飯、何でしょうね」
「このあたりにはまだ和食はないからな。温泉好き勇者アンド賢者たちが多少頑張ったとは思うけど」
「海外で和食を食べる感じのアレンジ料理とか、面白そうです」
「ああ、確かに。近いけど惜しい、みたいなやつな」
イーズは海外旅行をしたことはないが、ハルは多少あるらしい。
海外で食べたチョットコレジャナイ和食――肉が宙を舞ったり寿司酢がワインビネガーだったり――の話題で盛り上がっていると、イーズの感知にフィーダの魔力の反応が映った。
「アニキ、我らがボスのお帰りですぜ」
「おお、ではお出迎えせねば!」
すぐに同じノリをしてくれるハルと一緒に、浴場階からロビーに回る。程なくして開け放たれた引き戸の間から入ってきたフィーダに向かい、二人揃って中腰で出迎えた。
「「おかえんなさいやし、ボス!」」
「お、おう、帰った……ぞ?」
ハルとイーズの圧に若干押されながら、フィーダは帰宅の挨拶をする。そして、ニヤけた顔の二人の頭を通り過ぎ様にペシパシとはたいてから、メシの前に話があると告げた。
「え? ちょっと聞き間違えたかも。火龍とか聞こえた気がする」
「聞き間違いじゃない。火龍と言った」
「火龍の遊び相手って何? 追いかけっこでもするの? 捕まったら丸焦げとか?」
「遊び相手じゃない、話し相手だ」
「ハル、どうしましょう」
「イーズ……」
「食欲が落ちたら、重要な晩御飯の楽しみが!」
「今はそっちの心配してる場合じゃないから!」
フィーダからもたらされた冒険者ギルドの依頼内容を聞き、二人は顔を蒼白にして狼狽えた。
それはなんと、このフウユヤの地に棲まう火龍のお世話をするというもの。通常、対ドラゴンの依頼を受けることができるのはA級のみ。しかしこの火龍関連の依頼だけは、戦闘を含まず危険度が低いため、特例でB級以上であれば受けて良いらしい。
そんな特例全く嬉しくない、と心の中で呟きながらハルとイーズは詳しい話を聞くために姿勢を正した。
「安心しろ。この依頼はここに冒険者ギルドができる前から村人によって百年以上続けられていて、死者は出ていない。半年に一度火龍が棲む場所に行き、数日話し相手になるだけだ」
「火龍は話ができるんですか?」
「声は出せないが、念話スキル持ちらしい」
「うわぉ、ファンタジー」
「この付近で活動する上級ランク冒険者のほとんどが経験したことがある依頼で、話のネタが尽きないように、外から冒険者が来たら積極的に受けてもらっているようだ」
フィーダのセリフに二人の肩がガックリ落ちた。
ネタが尽きるってお笑い芸人じゃあるまいし。しかし、定期的に数日泊まり込みで相手をしていれば、話すことも無くなるか。
ちょっと萎んだ二人のやる気を上げるように、フィーダが三つ特典があると言って指を前に立てた。
「この依頼は温泉地フウユヤ全体を支えるものだ。そのため、依頼中の宿泊代はまず免除される」
「おお、宿代がタダ!」
「そして一週間温泉入り放題の割符がもらえる」
「一週間温泉タダですと!?」
「さらに、火龍の棲家に行っている間の食事の援助も受けられる。まぁ、これはマジックバッグ持ち対象だな」
「「タダ飯!」」
そこまで聞いて、さっきまでが嘘のように二人の顔がキラキラと輝き出す。
しかし、その目の前にフィーダは今度は二本の指をビシッと突き出した。
「だが二つ、問題がある」
引っ込めた手を後頭部に回してガリガリと掻きながら、フィーダは唸り声をあげた。
「命の危険はないんでしょう?」
「無い。だが、お前たちの存在、というか、本当の姿と正体は火龍に確実にバレる」
「もしかして、念話スキルのせい?」
「半分正解」
「半分かぁ」
少し悔しそうにするハルを残念そうに見ながら、フィーダは残り半分の答えを出した。
「火龍はほぼ魔力の塊と言っていい存在だ。人間ごときのスキルは適用しない。つまり、偽装スキルもだ」
「なるほど。偽装スキル無しの外見だけとか、念話スキルだけだったら誤魔化しも利くかもだけど、両方とはなぁ」
「確実に正体バレるコースですね」
眉をハの字に寄せたフィーダの顔に、イーズは思わず吹き出しそうになる。言うなれば、猛犬の申し訳なさそうな顔と似た表情。笑うなという方が無理な顔だ。
イーズが静かに腹筋を鍛えていると、ハルが続きを促した。
「火龍だけにバレるなら問題なさそうだけど、誰か一緒に来るとか?」
「それがもう一つの問題だ。流れの冒険者が火龍に会って、何か不敬な発言などをして火龍を怒らせたら大災害だ。立ち会いのA級冒険者が同行する予定になっている」
「そりゃ最悪」
「どうする。まだ断ろうと思えば、断れるぞ」
少し前に身を起こし、フィーダは二人の意思を確認する。
するとハルも前屈みになってフィーダに顔を寄せて、ワザとらしく鼻をヒクヒクと動かした。
「――何か、隠し事のニオイがするなぁ」
「温泉の臭いじゃなくって?」
「違うな。フィーダ、シュガーマンドラゴラで懲りてないのかなぁ」
「おお、やらかしましたか?」
疑わしげなハルと何故か嬉しそうにするイーズの前で、フィーダはわずかに身を固くする。
隠し事があるというバレバレの態度。
「さ、ゲロゲロゲータイムですよ。お食事前にスッキリいきましょう!」
「おい、食事前に汚い発言はよせ。隠し事、というわけでもないんだが。
――この依頼はギルドでは特別依頼と呼ばれる依頼で、扱いはA級依頼だ。つまり、お前たちD級では本来受けられない。そこまでは分かるな?」
確かめるように視線を送るフィーダに対して、二人はそれぞれコクリと頷く。
B級冒険者のフィーダが率いるパーティーメンバーだから受けられる、そう認識している。
「お前たちは忘れてるかもしれないが、もうすでに一回A級依頼を受けてんだよ」
「A級依頼?」
首をコテンと傾ける二人の前で、フィーダは窓辺で日光浴を楽しむサトに親指を向ける。
「シュガーマンドラゴラの採取は、極秘のA級依頼だ」
「ああ!」
「そういえば、フィーダの昇級の際に聞きましたね」
「で? それが何か?」
「俺も知らなかったんだがな……ギルドが出す特別依頼は、ギルド評価点が通常依頼の倍近い」
フィーダはB級とは言え、冒険者歴はまだ一年にも満たない。上級ランク冒険者に関わるような、細かなルールを全ては把握できていないのは当たり前だ。
しかもギルド評価点など、依頼をこなす冒険者側は気にするものではなく、ギルド員でなければ扱わない。
うんうんと頷いてフィーダの言葉に同意する二人に促されて、衝撃の事実を厳かに告げた。
「自分の冒険者ランクより高い特別依頼を受けると、さらに評価点は高くなる。ということで、喜べ。
――今回のA級依頼を達成させたら、お前たちはC級確定だ」
「し、きゅ! ぐぼぉっ、ゴッホ、ぐぇっほ!」
「は……い?」
フィーダの全く喜んでいない顔で告げられた言葉に、ハルは激しくむせ始め、イーズは口をパカリと開けて固まった。
ここで、一般知識のおさらいをしてみる。
王都で聞いた話では、最低ランクのF級からC級に上がるには最短で五年、長くても十年かからないという話だった。
では、ハルとイーズの場合を考えよう。
ハルは昨年の九月末に冒険者登録をして見習いになった。そして、リンズーダで鑑定依頼をこなし十月末にF級となり、国境都市アブロルでE級、ジャステッドで今のD級に至る。実質、八か月。
「イーズなんてまだ二か月だよ? やばいよ、そんな超特急でC級になるのなんて!」
「だよなぁ」
「だよなぁ、じゃないよ! 断ろうよ!」
「だがお前たち、どっちみちあと二、三年でC級なのは確定だからな」
「なんでです?」
「だって、二級ダンジョン攻略に参加するだろ」
「それが?」
「これは国全体がかかわる攻略だ。報酬は確実に通常より高いだろう」
「でも、二か月と二年は全く違う!」
吠えるハルを片手でドウドウといなしながら、イーズはフィーダを観察する。
先ほどのハルでは無いが、彼にはまだ何か考えがあるとイーズの動物的直感が訴える。
「フィーダは、C級になったほうがいいと思ってこの依頼を受けたんですか?」
「違う。さっきも言ったが、ギルドの評価点制度には詳しくないから、受ける気になった後に言われた」
「では、昇級関係なしに、受けてほしいと思ってるのはなぜです?」
「そ、れは……その、なんだ……」
突如、口ごもりだしたフィーダの考えがまとまるまで、ハルとイーズは黙って待つ。
ガリガリと先ほどより激しく頭をかいて、フィーダは一度観念したように大きくため息をついた。
「火龍に会って、さらに言葉を交わす機会などこの世界にいてもめったにない特権だ。
あと、お前たちの世界には魔獣などの存在もないし、言葉を話す生物もいないと言っていただろう」
そこまで聞いてフィーダの言いたいことがなんとなく分かり、コクコクと二人は頷く。
ジワジワとフィーダの顔が赤くなっていき、二人はさらに激しく頷く。
「だから、その、な」
――コクコク
――ニヤニヤ
「お前たちにも、その、依頼を受けたらいいんじゃないかと」
――コクコク
――ニヤニヤ
「命の危険がないなら、いっそ楽しんでくれるかと」
「火龍に会って喜んでほしかった?」
「そう、だ」
「うわ! フィーダ、いいパパですねぇ」
「な!? パパって!」
「めったに会えない奇跡的な相手に、子供をぜひ会わせてあげたいだなんて素敵!」
「これはぜひその愛情を受け止めなければいけません! 子供として!」
「お、お前ら!」
「パパ、ボク、頑張るから!」
「パパ、 アタシも頑張るわ!」
盛り上がって二人でフィーダをからかう二人。
もうこの依頼を受けるのは全力で確定だ。
二人が喜んでくれるかもだなんて、それだけでもう嬉しくなる。フィーダがそうやって選んでくれたものを、二人が断れるはずなど絶対にないのだから。





