6-4. 湯の谷
六月に入るとあっという間に暑い日が続くようになった。
夜の風呂の時間も、以前より早く順番が回る。
寝る準備も整い、三人はそれぞれのベッドに寝そべってとりとめもないことを話す。
「少し空気がこもる気がする。コンテナハウスの窓、もう少し広げてもらった方が良かったかな?」
「だが、今度は冬が寒くなるぞ」
「そうか……寒さと暑さならどっちを我慢するか」
壁の上部に開いた窓を睨みながら、ハルは悩み出す。
冬は旅をする期間が少ないとはいえ、どちらかの季節に偏った仕様は良くないよなぁ、とか呟いている。
どのみち今使っているコンテナハウスをゾッドアに直してもらうのは無理だろうに、ああやって考え出すのは日本人気質というのだろうか。
「クーラーはないんですか?」
「くーらー?」
「空気を冷やしてくれる機械です」
「冷房機か。王城にはあると聞いたことがある」
「まだ特権階級のみか。扇風機は?」
「どこかで聞いたぞ。風が出る魔法具だよな?」
「そうですそうです」
「もしかしたら王都の魔法具屋ならあるんじゃないか?」
「是非!」
「扇風機を買うなら、夏の間にはたどり着かないと意味ないな」
どうやら大きな都市では魔法具を売っている可能性が高いと言う。
おそらくジャステッドにも魔法具屋はあったと思うが、何かすぐ必要な物もなかったので探してもいなかったのが今更ながらに悔やまれる。
魔法具屋で扇風機が売られているとは、何ともファンタジー。厨二がくすぐられる言葉ではないか。
「他に何かあるかな?」
「過去の賢者が色々作ってそうですよね」
「用途不明の変な発明がいっぱいあったり?」
「そうです。ハルのお仲間がはっちゃけてそうです」
「俺の仲間であれば冷静沈着、余裕綽々、泰然自若でそんなミスは犯さない」
「意味は全く分からんが、いつも以上に否定が激しいぞ」
「怪しいですね」
二人してハルをからかえば、ハルが開き直り始める。
「訳の分からないバカな発明の方が、面白いじゃないか!」
「例えば?」
「お茶を急須を使わずに飲むとか、暴走恐竜とか、カニが踊るとか?」
「なかなか理解が難しいな」
「賢者の発明を並べてみたら、ハルとの共通点が色々見えると思います」
「そうか。王都を楽しみにしておこう」
「本人目の前にして酷え……」
うつ伏せで枕に突っ伏したハルを見て、フィーダとイーズは声もなく笑う。
枕に顔を押し付けたまま聞き取れない声でフガフガ文句を言っているハルに、フィーダはある提案をした。
「王都はまっすぐ進めば二週間の距離だ。でもその途中にいくつかお前たちが興味を引かれそうな場所があるみたいだが、行ってみるか?」
弾かれるように上がったハルの顔に向かって、フィーダはニヤリと笑う。
「どんな場所?」
「通称、腐り谷――腐った臭いのする谷だ」
「腐り……」
「谷?」
馬車は赤茶けた山を登り、今度は下り始める。
視界の先に山々に挟まれた渓谷が現れ、そこかしこから白い煙が立ち昇っている。
「うわぁ、くっさ!」
「おおぅ、鼻が……」
「まさに腐り谷だな」
目的地はまだまだ先のはずなのに、風向きのせいか三人がいる場所までその臭いを感じ取ることができる。
思わず鼻に皺を寄せるその臭いの正体は、硫化水素。
よく日本では腐った卵のような臭いとか硫黄臭いと表現されるものだ。一体現代日本人で何人が、本当に腐った卵の臭いを嗅いだことがあるかは甚だ疑問ではあるが。あと、硫黄は無臭と化学実験で習った。
とにかく、その臭いを発する場所の正体は温泉――温泉大好きを自認するハルが速攻で飛びついた寄り道。
「温泉卵あるかな?」
「温泉ヨーグルトは?」
「ケキョ?」
「あと、温泉饅頭!」
「ね、炭酸せんべい!」
「ケーキョ!」
「だぁ、お前らうるせえぞ! 異世界の食いもんがあるとは限らねえだろ」
「それはそうですけど……」
「日本人の勇者がなんか作ってないかなぁ」
そうしてたどり着いた温泉街。そこにはもちろん過去の勇者が訪れた痕跡がいくつか見つけられた。
「アーケード街だ……」
「あ、ハル、お饅頭ではないですけど温泉蒸しパンありますよ。ノボリが立ってます。中身は……クドュの実?」
「クドュ? 何も味のない実じゃないか?」
「そうなんですか?」
「気になるな。一個買ってくる!」
そう言ってハルは並足で進む馬車の荷台から飛び降り、蒸しパンが売られる店へと走っていってしまった。
「何も今買わなくてもいいだろうに」
「仕方ないです。温泉が楽しみでしょうがなかったらしいので」
他の馬車の通行はないようだが、フィーダは念のため道の端に馬車を寄せてハルが戻るのを待つ。
ハルはどうやら店のおばちゃんに色々聞いているようで、その表情は驚いたり笑ったりと忙しい。
最後にお金を手渡して、蒸しパンの入った袋を抱えて馬車まで駆け寄ってきた。
「何個か種類があったから、一個ずつ買ってきた!」
「へえ。あ、まだ温かいですね」
「どうする? 直ぐ食うか?」
「小さいから直ぐ食べよう!」
ハルが開けた包みを覗き込むと、定番の黄色っぽい蒸しパンに、緑色とオレンジ色の蒸しパンが一つずつ入っていた。
「中がクドュの実らしいんだけど、味付けが違うんだって」
そう説明しながらハルが器用に蒸しパンを割ってそれぞれに配る。
「ここはまず王道のプレーンから?」
「その方が比べやすいかな」
「お、中身がたれる!」
中は意外と柔らかい白いクリームが詰められている。
フィーダの言葉に慌ててかぶりつくと、意外にも口の中にざらりとした舌触りが広がった。
甘いけれど、生クリームやカスタードクリームほどではなく優しい甘さ。どこか懐かしい、確実に食べたことがある味。しかしイーズはすぐ思い出せず、モヤモヤが胸に広がる。
頭を捻らせながら、そこまで大きくない蒸しパンを全て口の中に詰め込んだ。
「これは……白餡?」
すると中身だけを舌で掬い取り、残った蒸しパン部分を睨みながらハルがつぶやいた。
「白餡? ああ! 餡子の味に近いんですね!」
「餡子はあのミズマンジュウの中の黒いやつか?」
「そう、それ。色の違いは簡単に言えば、使ってる豆が違うってとこだな」
「クドュの実は味がないと思ってたが」
「豆は加工の仕方で味がガラッと変わるのが多いから。これはなかなかいいぞ。残りの二つも食べてみよう!」
残りは緑色とオレンジ色だ。
ハルはまず緑色の蒸しパンに手を伸ばす。
「これはなんとなく予想が付くんだよね。おばちゃんが苦味のある野菜だって言ってたから」
先ほどと同じく等分にされた一切れをもらい、イーズは緑色の生地を口に含もうとしてその香りに気づく。
「いい匂いです」
「やっぱ、ヨモギだ」
「なんか薬草臭いな」
食べ慣れない味にフィーダは顔をしかめるが、ハルとイーズは気にした様子もなく食べ進める。
外の生地部分にはヨモギが使われ、中の餡部分からは先ほどのクドュの実に加えて若干緑茶の香りがする。
「抹茶は作られていないのかな?」
「そういえば、まだ見てませんね」
「あれは木の種類が違うのかな?」
「緑茶をすり潰すだけじゃダメなんです?」
「そうしたら寿司屋とかの粉末緑茶じゃん」
「確かに」
抹茶の話題で盛り上がる二人の横で、フィーダはしかめ面で蒸しパンを口に放る。
「体には良さそうだが、俺は数は食えんな」
三分の一でよかったと呟いて、フィーダは最後の一個に手を伸ばす。
「オレンジ色……人参かカボチャしか思い浮かばん」
「同じ予想です」
先ほどのヨモギ味で恐れを抱いたのか、慎重にオレンジ色の生地を口に含むフィーダ。
その顔が緩んだのを見て、イーズも蒸しパンを口に入れると予想通りの味がした。
「大正解。これは人参の生地とカボチャの餡だな」
ハルが言う通り、予想していた野菜二種の両方が使われていた。
カボチャの餡は三種類の蒸しパンの中では一番甘さが強いが、人参の素朴さと相まって食べやすい。
温泉街に着いて早速の成果にハルはホクホク顔だ。
これは是非とも、全種類をマジックバッグに詰めて揃えておきたい。
ハルとイーズは同じ思いを込めて、先ほどまで蒸しパンが入っていた袋とお互いのマジックバッグにチラチラ視線を送る。すぐ意志が伝わったと悟り、ニシャリと笑い合った。
「とりあえず馬車を進めるぞ。検問はなさそうに見えるが、ギルドで聞いてみよう」
「「はーい」」
三人で馬車から周りを眺めつつ進んでいくと、検問の詰所は無いが代わりに「観光案内所」と書かれた看板のある建物に着いた。
数台いる馬車の後ろに並び様子を観察していると、どうやら検問も兼ねつつ希望する宿に案内しているようだ。
揃いの法被に似た制服を着た衛兵は、手続きが終わるとそのまま御者台に乗るか、もしくは馬車と並走して門から去っていく。
程なくして、三人が乗る馬車の順番になった。
「温泉の街、フウユヤにようこそ! お客様は本日は立ち寄り湯のご利用、もしくは宿泊のご予定どちらでございますか!?」
歓迎の言葉の後、まるでホテルクラークのようなセリフを明るい笑顔で衛兵が告げる。
その内容にハルは馬車から身を乗り出して尋ねた。
「立ち寄り湯もあるの?」
「ええ! もちろんですとも! 割札をご購入いただきますと、ご宿泊の宿以外でも温泉を楽しめるようになっております」
「……まんま、日本の温泉街じゃねぇか」
「どうされました?」
「いえ、なんでも。フィーダ、何泊の予定?」
「二、三日は問題ない」
「じゃあ、お言葉に甘えて三日でいいかな?」
「構わん」
「かしこまりました! 三日のお宿ですね。部屋風呂付き、大浴場、混浴、露天風呂。何かこだわりは?」
サラリと言われた“混浴”という言葉に、一瞬男性二人が言葉を詰まらせる。
背後でフフフと笑うイーズの視線を避けるようにしながら、部屋風呂と露天風呂がある宿とフィーダは告げた。
「かしこまりましたぁ! 先ほどお伝えした通り、他のお宿のお風呂ももちろん入れますからね。後ほど町の地図とそれぞれの風呂の特徴が書かれたガイドをお渡ししますので、是非ご利用ください」
彼はいくつかのチェック項目を埋め、最後に三人の冒険者登録証を確認した後にフィーダに断りを入れて御者台に乗り込んだ。
「では、これより皆さまをフウユヤが誇る温泉宿の一つ、老舗旅館“賢者のため息”にご案内いたします!」
その言葉に三人は揃って表情を固まらせたのだった。
活動報告にも記載しましたが、異世界転生/転移ジャンルの日間ランキング164位に入りました!
100話も超え、10万PVにも到達しました。
皆さんの評価やブックマークに支えられ、ここまで来れました。本当にありがとうございます。
これからもクスリと笑えるような、楽しい話をお届けできるよう頑張ります。
そしてイーズ、ハル、フィーダの旅の応援、引き続きよろしくお願いします!
BPUG





