5月2日 08:00 「約束は大切に」
「……ん、……っ!」
なんだ?
誰かの声が聞こえる気がする。
でも俺は一人暮らしだし、そんなわけないよな。
それより、あと5分寝たい。
「……さん、お兄さん……! 起きてください!」
体が誰かに揺すられる。
んん? やっぱり誰かいるのか?
大家さんでも来たのかな。
でも家賃はちゃんと払ってるし……
「今日は朝早いから起こしてくれって約束したじゃないですか! あと5分じゃもう遅いです! 起きてください!」
約束?
うーん、なんか聞き覚えがあるような、ないような……
それになんかいい匂いもするような……?
「~~~~~っ!! こうなったら強硬手段です! お兄さん、ごめんなさい!」
そんな声と共に、急に枕が引っこ抜かれた。
ふかふかな枕に乗っていた俺の頭がベッドの上に落っこちる。
その衝撃でさすがに目が覚めた。
いてて……
まだ寝起きの目を開くと、見慣れた姿が目の前にあった。
……ああ。
リラが起こしてくれたのか。おはよう。
狭い一人暮らしの家に、初々しいセーラー服の女の子がいるのは、なんだか光り輝いてるようにすら感じてしまう。
控えめに言って天使かな?
「も、もう、なに冗談言ってるんですか……!」
………………なんだろう。何かがおかしい気がする。
あってはいけない物というか、いてはいけないはずの人が、ここにいるような……
まだ眠いのかな……?
「ちゃんと起きましたか?」
ああ、うん、大丈夫だよ。
「お兄さんがこんなに朝弱いなんて知りませんでした。これから毎日起きれるか心配です」
ああ、うん、大丈夫だよ。
「………………。今日の朝ご飯は納豆スムージーですよ」
ああ、うん、大丈夫だよ。
「全然大丈夫じゃないです! 早く起きてください!」
ガクガク揺さぶられる。
うーん、大丈夫大丈夫。
朝8時に家を出れば全然平気だから。
ほら、まだ慌てるような時間じゃないでしょ。
そう言ってスマホを見ると……
「8:12」
………………過ぎてるうううううう!!??
ヤバイ、今日の授業は教授が厳しくて、3回遅刻したら単位を落とされるんだよ!
「まだ5月なのにもう2回も遅刻してるんですね……」
急いで向かわないと!
ええと、着替えて、歯を磨いて、ご飯を食べて……
「慌てないでください。ちゃんと準備しておきましたから。はい、これがお兄さんの着替えです」
あ、ああ。助かる!
リラに手渡された服に手早く着替える。
慌てたようにリラが後ろを向いた。
「い、いきなり脱がないでください! 後ろを向いてますので、その間に……。
それからご飯を作っておきました。もう食べてる時間ないかもしれませんけど……、朝食を抜くのは良くないですから、スムージーだけでも飲んでください」
えっ、納豆スムージー?
「ふふっ、違いますよ。ちゃんとさっき収穫したばかりのフルーツを使いましたから。お口に合うかはわからないですけど……」
おっ、これかな?
使い慣れた俺のコップに、濃いオレンジ色がキレイな飲み物が入っていた。
スムージーなんてオシャレなもの、もしかしたら人生で初めて飲んだかも。
コンビニで売ってるのは時々見るけど、ちょっとお高くて手を出す気にはなれないし。
ごくごくごく……うん、美味しい!
「良かったです。あ、カバンも用意したんですけど、授業で使う教科書がどれかわからなくて、それだけお兄さんに確認してもらえると……」
大丈夫! 出席さえ間に合えば、授業中は寝るだけだから!
「………………」
あれっ? なんか呆れたようなため息が聞こえた気がする。
でも俺のマイエンジェルリラがそんなことするわけないし。
きっと気のせいだよな。
リラから渡されたカバンを背負って立ち上がる。
ヤバイ、もう本当に遅刻してしまう!
髪を整える時間もないまま玄関に向かった。
「あっ……」
なんかリラが名残惜しそうな声を出した。気がした。
けど俺が振り返ると、そこにはいつもの笑顔を浮かべたリラがいて、小さく手を振ってくれた。
「いってらっしゃい、お兄さん」
ああ、いってきます。
今から全力ダッシュで走れば、なんとかギリギリ間に合うだろう。
俺は玄関を勢いよく飛び出した。
そしてその勢いのまま玄関に戻ってきた。
リラが驚いた顔で俺を見る。
どうやら部屋の掃除をしてくれようとしてたみたいだ。
「えっ、お兄さんどうしたんですか」
すまない、忘れてた。
「忘れ物ですか? すぐに探さないと……」
俺は靴を脱ぐ時間も惜しくて部屋に入ると、リラの前に座った。
すっかり忘れてた。
起こしてくれてありがとう。
そう言うと、リラがぽかんとした表情で俺を見た。
「……え?」
リラがちゃんと約束を守って起こしてくれたのに、お礼を言ってなかったなって。
だから、ありがとう。すごくうれしいよ。
「な……そ、そんなことどうでもいいですから! 早くしないと遅刻しちゃいますよ……!」
どうでもよくなんかないよ。
リラが約束を守ってくれたんだから、俺もちゃんと約束を守らないとダメだろう。
俺にとっては、大学の単位なんかよりも、リラの方が大切なんだよ。
「お兄さん……」
ありがとう。リラは本当にいい子だな。
約束通りお礼にいいこいいこしてあげよう。
「べっ、別に、そんな約束してないです……」
そうだっけ?
じゃあやめようか。
「………………でも、お兄さんに優しくしてもらえるのはうれしいです」
リラの顔がふにゃ~っとうれしそうにゆるむ。
その様子が可愛くて、俺はもうしばらくリラの頭をなで続けていた。